世間話

ここでは、世間話 に関する情報を紹介しています。
十月は、ドブ掃除あり、売り出しあり、選挙あり、台風ありと大忙しだった。
今週だけでも、日曜が横浜行きで、月曜には飲み会。
そして火曜はみそか寄席だ。
台風が去った月曜からは徒歩出勤もしているし、腕立て伏せもちゃんとした。
どうやら体には疲れがたまっているようだ。

出勤していつものルーティンをこなす。
そうだ、月が替わったのだからカレンダーを破らねば。
バリバリバリ。
あっ!

なんということだ。
すっかり忘れていたが、木曜日は祭日ではないか。
えええー、なんだって? どういうこと?
3連休なの?
休んでいいの?
やったー!

ズチャズチャズチャズチャパッパカパッパッパー!
(頭の中で鼓笛隊が行進を始めました)
なんたる喜び、さすが文化、えらいぞ文化。
原始人には味わえない喜びだ。

頭の中になかった3連休なんて、なかなか体験できないものだ。
まるで隠しておいた千円札を見つけたような、
会社でおなかが減った時に、以前もらったおみやげのお菓子を見つけたような、
冷蔵庫の佃煮の奥にちづるが隠していたチョコレートを発見した時のようなうれしさだ。
プレミアム金曜よりもハッピー月曜よりもウキウキだ。


しかも今月には23日にも勤労感謝の日がある。
なんとステキな月なのだろう。
でも、この勤労感謝の日は文化の日ほどうれしくない。
なぜなら、もう知ってしまったからだ。
今味わっている『思わぬ休日感』は得られない。

考えてみると、これが得られるのはこの文化の日だけなのではないか。
カレンダーを破ってすぐの休日は年に数回ある。
しかし、正月やゴールデンウイークを忘れているような人はいまい。
それと比べて文化は忘れやすい。
他の祭日は全て月が替わって一週以上たってからだ。

やはりあまり先の事ばかり考えていてはいけないものだ。
月末の予定が多すぎて来月を考えなかったからこその歓喜なのだ。
しかも今カレンダーを見たら大安ではないか。
今日会社に行って、居酒屋に行ったら明日から休み。
ああ、おそらく今が一番幸せな時間なのだろう。

なのに天気予報では文化の日は雨。
水を差すとはこのことだ。





↑衣替えはいつになるやらクリックしてね。






せめて楽器を持て
朝のうちに実家の買い物をしようとショッピングセンターに出かけた。
ここは屋内駐車場があるので濡れずに買い物ができる。
同じことを考える人が多いのか、朝だというのに車がいっぱいだ。
みんな食料を仕入れて家にこもる段取りなのだろう。

買ったものを実家に届け、家に戻ったのがお昼前。
雨は休みなくふり続けていたが、まだ風が無かったので外出できた。
台風情報によると、LANさんがやってくるのはどうやら夜になってかららしい。
とりあえず家を出る。

選挙に行き、中華料理屋さんでお昼、スーパーで我が家の食料を確保して帰宅。
LINEで、
「選挙行ったぞー、台風きたぞー」
とつぶやくと、ある人から「選挙って行かないかんの?」と質問が来た。
私は選挙に行く責任をトクトクと説明してあげた。

「投票する人が少ないと、投票用紙が売れないから」

我が社で投票用紙なんか売ってないが、そこは業界人なのだ。


さて、嵐の午後は予定がない。
パソコンをいじったり録画した番組を観たりしているうちに自然仮眠に入っていた。
気が付いたら夕食時間。
そうだ、今夜は選挙番組ばっかりなのだ。

晩酌しながら、山の中の一軒屋の番組を観たり、録画してあるお笑いを観たり、
選挙の結果を見たり、台風情報を見たりしていると、いろいろ情報が入ってきた。

近鉄宇治山田駅が構内に浸水した写真が回ってきた。

坊主頭Fの家近くのドブ川があふれたらしい。

こんな日にライブに出かけたMえは、帰宅しようとしたら自宅前が冠水。
避難所で夜を明かしたらしい。

スキンヘッド2号家近くの主要道路が湖状態になったようだ。

心配になって外の様子をうかがう。
何度か大雨で田んぼがあふれたことがあるが、とりあえず道に水はきていない。
もう寝ちゃえ。


朝、風の音で目が覚めた。
台風は未明にこの地方に近づくと言っていたので予想していたことだ。
明るくなって外を見たが、田んぼの水どころか雨も降っていない。
今ごろ関東地方が大変なのではないだろうか。

あと1時間半もしたら風も弱まってくるだろう。
ああ、普通に出勤か。






↑投票所に行かなくていいんだからクリックしてね。





モノばかりだからなあ
夕方時間が空いた、というか作った。
筋トレをする日なのだ。
いつも、胸筋と広背筋を鍛える運動をするのだが、腕立て伏せばかりだと飽きる。
そうだ、今日の広背筋を鍛える運動はフォークリフトを使って懸垂にしよう。
久しぶりだから何回できるか楽しみだ。

などとずいぶん自由時間の多い仕事場に勤めているが、
世の中では人出が不足しているらしく、やたら募集広告が出ている。
私の通勤路でも、たくさんあるチェーン店がバイト募集のポスターを貼っている。

某牛丼屋さんには、制服を着た四人のスタッフが、
『私たちと一緒に働きませんか』とこちらに微笑んでいる写真が出ていた。
かわいくてさわやかでかっこよくてピチピチしていてシアワセそうだ。
なんて居心地のよさそうな職場だろう。
ああ、自分もこんなスタッフたちの仲間になって働けたら……

だが、長く世間の泥の中を這い回ってきた私は知っている。
彼らの仕事は牛丼屋での調理や接客ではない。
そのステキな笑顔とスタイルで、人に憧れられるような状況を演出し、
若者を誘惑するような写真を作るために撮影されるのが仕事なのだ。
そう、モデルだ。

本当の牛丼店のアルバイトはあんなにさわやかではない。
たいてい疲れていて、将来の不安と不特定多数との接触でストレスがたまり、
眉間に深いしわを寄せてうつろな目をしている。
以前どこかの居酒屋チェーンで注文をしたとき、
「はぁ。よろこんで」とため息混じりに喜ばれたことがある。

「いや違います。彼らは本当にウチの牛丼店に勤めている若者なのです。
 チェーン全体から選りすぐりのスタッフを集めたのです」

そう反論する企業もあるかもしれない。
だとしたら、彼ら彼女たちに言いたい。
全国数万人いるスタッフの中から選抜される容姿を持っているのなら、
さわやかに撮影される方の仕事に付くことができるぞ、と。
ひょっとしたら、モデルを目指して勉強中で、そのためにバイトをしているのかもしれない。


そんな事を考えながら進んでいくと、某お手軽大衆的イタリア料理チェーン……
ええいめんどくさい、某サイゼリヤがあった。
この窓にもバイト募集のお知らせが貼ってある。
ただしこちらはイラストだ。

もはや、ストーリーの主人公となってしまった眉目秀麗の男女。
目的は牛丼店と同じ、ステキな職場感だろう。
ただし、こちらはそもそもそんなスタッフは存在しないことがわかっている。
牛丼店と比べて憧れ度はかなり低いが、それ以上に予算を低く抑えていることだろう。
ひょっとしたら、全国に数万人いるスタッフの中で絵心のある者が描いたのかもしれない。

ただ、どうせ誰もこのポスターのキャラクターに注目したりはしないだろう。
興味があるのは時給の数字だけだ。
だって全国チェーン店なのだ。
店の雰囲気も仕事内容もたいていの人が知っているのだから。





↑牛丼店の人も怒らずにクリックしてね。






時給はないしょ
薄く知っている若い人たちの間でもめごとがあったらしい。
原因は、誰かが内緒の話をしゃべってしまったことだ。
おっさんからしたら大したことではないと思うのだが、
若者の間では、これは『裏切り』という重罪にあたる。
裏切られたと思った方は「信じていたのに」と怒るのだ。

もちろん秘密をまるっきりばらしてしまったらそれはもめて当然だ。
しかし、話を聞いてみると、そうでないことが多い。
互いの考え方のズレから、大事になっていく気がする。
これで長年の友達が分かれてしまったりするのはもったいない。


秘密があった場合、『信じる』は二種類ある。
まず一つは、
「あいつは決してこの秘密をほんの欠片さえもしゃべらないだろう」
という信じ方。
たいていはこう思っているようだ。

もう一つは、
「あいつがこの秘密を誰にどの程度話すか、その判断を信じる」
という信じ方だ。
私はむしろ、こちらの方が『信じる度』が高いように思う。


例えば、私が誰か女の子にフラれたとしよう。
この秘密をMえだけに打ち明けた。
私がいつもの居酒屋に飲みに行くと、いつものようにみんなにイジられる。
精神的にそれは辛い。
それを考えてMえが「こみはヘコんでるから」とAりに告げ、
二人であまりイジられないように配慮してくれる。

これならありがたいのではないか。
でも「欠片さえも派」の人は、
「人間関係でヘコんでいると言ったら、フラれたことがばれるじゃないか」
と怒るのだ。

私が居酒屋で飲んでいたら、私をフッた女子が予約電話を入れてきた。
空いているのは私の隣だけ。
そこでMえが女将さんに「あの二人はくっつかない方がいい」と言って配慮してもらう。
できたらこうしてもらいたいが「欠片さえも派」は怒る。

だから、欠片さえも話されたくない人は、信じてる人にも話してはいけないのだ。
信じているというのなら、その人が誰かにどれだけか話したとしても、
それは私のためになるよう考えてくれてのことだ、と信じなければいけない。
「あの人には話して欲しくなかった」と思っても、それは自己責任だ。
それで怒るなら「信じてた」ということ自体がウソになるのだ。


この二派が秘密を共有するともめごとになる。
お互い悪気はないだけに無意味な争いだ。
でも、それが若いってことかも知れない。

ただ一つ、どうしても言っておきたいことは、
私はフラれていないからね。
例えだからね。






↑自分とMえで例えて話したことがあるのでそのまま使ったけどフラれてはないからクリックしてね。





大きな穴だな
この地球に生物が誕生してすんごい億年。
単細胞の菌みたいなものからよくぞここまで進化した。
一番進化した人間がすごい、などと言っているのではない。
よくぞこれだけ多種多様、個性を持った生き物たちに進化したことかと感心する。

なにしろ、その能力・特徴の幅広さは天地創造をした神様も驚くほどだ。
飛ぶやつ、えら呼吸のやつ、シッポを切るやつ、袋の付いたやつ、
臭い液を出すやつ、ユーカリしか食べないやつ、ウロコのやつ、
病気を引き起こすやつ、後ろ足でぴょーんと跳ねるやつ、群れるやつ、
白黒のやつ、色が変わるやつ、もう書いていてもキリがない。


そんな中で、私が今回注目したのは“ウサギ”だ。
人間目線で考えると、ウサギは「うまいことやった」としか言いようがない。
なにしろウサギは、自分を覚えてもらう特徴として耳を伸ばした。
これは生物ファンシー界最大のヒットではないだろうか。

どこかが長い生物のベストスリーは、ウサギ・ゾウ・キリンだ。
ごらんのとおり、耳・鼻・首が長いことを売りにしている動物だ。
もちろんほかにも部分的に長い生物はたくさんいる。
しかし、やはりほかのやつらの長い部分はキャラとして弱い。

いくら例を挙げてもこのベストスリーに太刀打ちできるものはいまい。
彼らの特徴は人間界に浸透しすぎているのだ。
特にキャラクター界に。
どれだけ絵がヘタな人でも、このベストスリーだけは判別できるように描くだろう。


その中でも特に成功したのがウサギなのだ。
耳を伸ばすのは絵で描くときに一番簡単だ。
何ならあとから付け加えてもいい。
そして、かわいい。

ゾウの場合、長い鼻を特徴的に描こうとすると、どうしても正面では無理がある。
ちょっと斜めを向かせないとうまく表現できない。
それはある意味技術のいることだ。
そして、かわいくしにくい。

キリンの首はどの方向からでも長く描ける。
ただ、かわいく書くためには頭でっかちがいいのだ。
かわいい界では、8頭身より2頭身が好まれる。
でも、首を伸ばそうとすれば絶対に小顔になってしまう。
かわいい度が薄れてしまうのだ。


どうしてこんなに“かわいい”にこだわるのか。
今、動物界では人間に好かれるかどうかが反映・絶滅に関わってくる。
人間が手を加えてかわいく進化させた動物まで現れている。
私もかわいい動物が好きだ。
なのにずっと犬にも猫にも触っていない。

ウサギ触りたい。
吠えたり引っ掻いたりしないウサギがいい。
私の身の回りにいるイヌやネコは、どうも私を敵視しているらしいのだ。





↑うさ耳を付けた女子もクリックしてね。






描きたいものとちがう