言葉遊び

ここでは、言葉遊び に関する情報を紹介しています。
暑い。
「暑いというから暑いんだ」
なんて言うことを言う人がいるが、言わなくて涼しくなるならいつまででも黙っていよう。
でも、黙っていても暑いのだ。

だから私は「暑い暑い」というのだが、
確かに他人が「暑い暑い」と言っているのを見るのは暑苦しい。
よし「暑い」に似た言葉で涼し気な意味の単語を探そう。
私以外の人は「暑い」の代わりにそれを言えばいい。
ちなみにここまでで「暑い」が入っていないのは1行だけだ。


『夏い』
まったく意図したことが成されていない。
「暑い」と同義語といってもいいだろう。
アホか、ワシ。

『脱衣』
服を脱ぐのだから涼しそうなものだが、脱衣所を思い出してしまって涼しくない。
洗剤と汗とカビの混じった匂いがして、足の裏がべとべとしそうだ。

『殺意』
ある意味涼しげではあるが、自分が持っていたら熱くなるし、
誰かに持たれていたらうっとうしい。

『松井』
ヒデキの方なら“日照り”を思い出して暑いし、
カズオの方なら“アツイアツオ”と脳内変換されてしまう。
可愛らしくて涼し気な松井はあまり知らない。

『あんちん』
確か清姫にすごく熱い目に遭わされたのではなかったか。
字を調べるのが暑い。

『アンニュイ』
フランス語だと思うが、日本語でどういえばいいのかわからない。
調べるのが暑い。

『アデュー』
何語のどういう意味かわからない。
調べるのが暑い。

『What`s Doing』
どういう意味か分からないが、こんなことを訊いてくるやつは、
ヒゲまみれでビア樽みたいなカナダ人に決まっている。

『スカイツリー』
見上げれば太陽がある。
暑い。

『ギャツビー』
語感が暑い。

『パツキン』
熱くなってしまう。

『熊注意』
毛皮が暑い。

『パーツ入り』
必ず失くしてイライラする。

『オチ無い』
さぶい。


調べたら、去年は『蒸し暑い』でこんなことをやっている。
もっとさかのぼったら、今日のと同じことをやっているような気がしてきた。
みんなが「調べるのが暑い」と思ってくれますように。





↑昼間考えてた時はもっといい案があったんだけどメモを取らなかったのでクリックしてね。






くっつくのも暑い
先日の手抜き記事でイラストに大きくひらがなを書いた。
『書いた』と書いたが、この字は当然筆書きしたものではない。
他の絵と同じように輪郭線を描き、『塗る』機能で内側を黒くしたものだ。
だから本当は『描く』の方が正しいのだと思う。

以前ならそんなことを考えもしなかっただろう。
文章を手書きしていたら、なんでもかんでも『書く』で済ませていたはずだ。
ところが、パソコンで文章を書くようになって、漢字をオススメされるようになった。
「こっちの字じゃないの?」とパソコンがいろんな漢字を見せてくるのだ。

これでずいぶん迷うようになった。
例えば『はく』
靴だと『履く』だが、ズボンだと『穿く』だ。
『履く』は履物とか上履きという単語でなじみがあったのだが、
『穿く』は『うがつ』ではないか。
違和感があり過ぎてなかなか使えない。


同じように悩んでいるのが『みる』だ。
できることならなんでもかんでも『見る』で済ませたい。
映画は観て、視察に行ったら視て、患者さんは診て、病人は看る。

そこでふと思ったのだが、夢はどの『みる』なのだろう。
答えは簡単に分かった。
今いくつかの『みる』を打ち込んだとき、変換の標準辞書ってやつで、
『見る』の例の筆頭が『夢を見る』だった。

夢の中ではそれが現実だと感じているのだから『見る』でいいのだろう。
だが、もし夢の中で「あ、これは夢だな」と気づいたとしたら、
それは、脳が創造した作りものだ。
『観る』と表現してもいいのではないか。

そういえば、最近流行りのバーチャルな映像。
なんかジェットコースターと一緒になってビックリするようなやつ。
アレも、その世界にいるように感じているのだから、
作りものであったとしても『見る』ってことなのだろうか。
なんでもいいけど、一度診ている夢を見てみたい。


あ、今「見てみたい」と書いてしまった。
「見てみる」の後半の『みる』は何なのだろう。
この場合、意味的には試してみる、みたいなことだから『試る』とでも書くか。
あるいは、経験してみるっていう意味で『験る』とするか。

あっ、2行前で『試してみる、みたいな』って書いてしまった。
これを私の説に当てはめると、
『試して試る、試たいな』
ってことになってしまうのではないか。

あーめんどくさい。
音読では「みる、みたいな」なのに、
「ためす」と打って「す」を消して「る」を打って、
「ためす」と打って「す」を消して「たいな」を売っている。
あー、間違えた、売っているではなくて打っているなのにギャーもうやめやー!





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診ているんじゃないよ
先日、ちづるを乗せて車で街中を走っていると、
白地に黒く大きな文字で、『う』と書いてある看板を見つけた。
こんなところにうなぎ屋があるとは知らなかった。

それにしてもなんと便利な文字だろう。
『ウナギ料理専門店』が『う』の一言で表されるのだ。
横文字の頭文字をとってアルファベットで表す方法よりよほどわかりやすい。
『ATM』や『ETC』なども今ではわかるようになったが、意味は不明だ。
その点、『う』は一文字でにおいまで思い出すほどだ。

ちょうど信号で止まっていたので、しばらくその『う』を見ていた。
あんなものは瞬間的に判断するために効果的だが、
あまりに集中的にじっと見つめ過ぎてはいけないようだ。
見ているうちに違和感を感じるようになってきた。
これは本当に『うなぎのう』なのか。

うなぎの『う』にしては達筆すぎるのだ。
しかも、書道の達人がしたためる達筆ではない。
かきかたノートにお手本で示されている上手な『う』だ。
看板は一応筆文字風ではあるが、この文字は鉛筆で書くような『う』なのだ。

この考えをちづるに伝えてみた。
ちづるは私の案を認めたうえでこう言った。

「あれは、うどんの『う』やな」

なるほど、たしかにアレはうどんっぽい。
太さといい、曲がり具合といい、いかにもうどんっぽい。
『うどん』の『つ』部が麺で『`』部が飛んだおつゆみたいだ。
さすがはちづるだ。

うなぎの『う』なら、もっとヌルヌル感が必要だろう。
『`』と『つ』がほとんどつながったような感じで、
ダラダラと、いや、うねうねと下に伸びていかなくてはならない、
うどんの『う』が楷書なら、うなぎの『う』は草書とかいうのだろう。
私の知識ではわからないが、「○○でせう」の『う』だ。


アレがもっと元気よく『つ』部が丸くはじけていたら、
うづらの『う』だと思ったに違いない。
ただ、うづら料理にあまりなじみがないのでとっさには浮かんでこないのだ。

ウナギ感を出そうとあまり下に伸ばし過ぎてもいけない。
幅広でクネクネした『う』を書くと『ウツボ料理』と勘違いされるかもしれない。
後ろの方が岩に隠れていたら完璧だ。

もっとピョンコピョンコかわいく書いたら『うさぎ』だろう。
可愛らしいものの筆頭ともいえるウサギだが、看板になったらそれは商売だ。
『ウサギ料理』となった途端にものすごく残酷に感じてしまう。
看板をかわいくしたら、それこそ糾弾されることだろう。


そうそう、このブログでも何度かひらがな一文字のタイトルをつけたことがある。
『ぬ』や『つ』や『の』と言ったネタを書いた。
今日のネタを読んでもわかるだろう。
こういう時は内容がとても薄いのだ。
『薄い』の『う』なのだ。






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遠目の絵が続いてる
私はこのように毎日粗末な文章と雑な絵を描いてブログを更新しているが、
それについてちづるによく叱られている。
手抜きだ、下品だ、意味が違う、など叱られ方は様々だが、
一番多いのは誤字脱字への叱責だ。

鉛筆を手にしていた時代はすっかりむかしになり、
文章は書くものから打つものになってしまった。
修正するのも楽ちんだ。
そのせいで間違いが起きやすくなっている。

まず、修正した時にその前後をよく見てないと“てにをは”がヘンになったりする。
直すのが楽なものだからそこだけチャチャッといじってしまうのだ。
全体を見直せ、というのがちづるの言い分だ。

もう一つの危険は自動変換だ。
とてもありがたい機能なのだが、この確認は書き手がしなくてはならない。
現にここでも「ありがたい昨日」と一回間違えた。
こういう内容で誤字は致命的だ。
おおこわい。


中でも私が心配なのが『し』だ。
『し』はパターンが多い割に使用頻度が近い。
例えば『言った』と『行った』はどちらも非常によく使うので、
自動変換に任せておけない。
これの種類の多いのが『し』だ。

例を挙げるのに意味のある言葉を使うとややこしいので、
無意味な言葉の中で私の大好きな「どんじゃらほい」を選んだ。
長いので「どんじゃら」にしておこう。

まずよく出てくるのが『ドンジャラ氏』だ。
どこかの国の、ドンジャラさんって意味だ。

次に考えられるのが『ドンジャラ市』
世の中には知らない地名が多いからこういう市があってもおかしくない。

『ドンジャラ死』とはよくわからないがないとは言えない。
宗教的な意味がありそうな感じがしないでもない。

『ドンジャラ紙』もあってもおかしくない。
製紙会社がそういうものを発売すればできるのだ。

『ドンジャラ師』立派な人の名前がドンジャラだというだけのことだ。
外国にはいろいろな名前があるのだ。

『ドンジャラ史』ドンジャラが何かはわからないがそれの歴史だ。
なんにでも歴史はあるのだ。

『ドンジャラ誌』そういう雑誌だ。
誰でも刊行することができるではないか。

『ドンジャラ視』何かをドンジャラと見ることだ。
そう見るんだから仕方がない。

『ドンジャラ詩』あり得る。
とだけ言っておこう。

『ドンジャラし』これは“ドンジャラ”という行為をしたということだ。
実際に“ドンジャラ”っておもちゃかなんかがあったのではなかったか。

『ドンジャラシ』たとえで使った“ドンジャラ”だが、
“ドンジャラ”があるなら“ドンジャラシ”があってもおかしくないではないか。

このように日本語は難しい。
そして自動変換は便利であるが、危険と隣り合わせだということがわかった。
しかし、新しい発見もあった。
こんな楽な更新の方法があったとは。





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静かに起こして
お笑いの千原ジュニアが言っていた。
自分たちはお笑いコンビとして型が悪い、と。
彼らは兄弟でコンビなのだが、どちらもスラリと背が高い。
お笑いとしてはノッポとチビとかデブとガリガリとか、
見た目が対照的な方がインパクトが強いのだ。

それはなにもお笑いに限ったことではない。
何事でも似たようなものが並べば、その一つ一つがぼんやりしてしまう。
いい例が、ゆるキャラではなかろうか。
なにやら大会が開かれて全国の自治体製作名物詰め込み木偶人形が集まるが、
どれもこれも似たり寄ったりで見ていて目のピントがぼやけるほどだ。

そこで考えたいのが大丈夫だ。
「あっ、今日本語がヘンだぞ。こいつまた打ち間違ったぞ」
と思った方もおられるかもしれない。
だが、私は『大丈夫』について考えたいのだ。
なんだこのよく似た字ばっかりの三文字熟語は。

『大』はあらゆる漢字の中でもトップクラスでよく使われる字だろう。
意味は『大きい』だけでなく、そのあとに続く言葉を強調するのにも使われる。
大特価・大惨事・大捕物・大根となんにでもつけられる。
今流行の『○○過ぎる○○』という言い方の基本形のようなものだ。

『丈』は訓読みで『たけ』だ。
長さを表す字だと思うが、あまりにも『大』に似ている。
字のヘタな人や子供が書いた字、あるいは雑に書いた時『大』がこうなることがある。
最後の一画、右払いがちょいとずれたら『大』は『丈』になってしまう。

そして『夫』は夫婦の夫を指すだけでなく、男を意味する。
私は常々一本でもいいから増やしたいと思っているのだが、
この字は『大』に一本増やしただけだ。
しかも『天』のようにきっちりした場所に意味を持って増えたのではない。
なんとなくその辺に一本増えたのだ。

このように似通った三文字で作られた『大丈夫』
この言葉を聞くと誰でもかの有名な超人、
ビビューン・ズシーン・バシャーンを必ず思い出す。
私はデビルマンに出てきた兄弟悪魔ガンダー・ガンデェ・ガンダガンを思い出した。
つまり似たような三つをわざわざ集めてきたとしか思えないのだ。

こんな似た字を三つ並べるなんて、我々日本人はともかく外人が見たら、
「ホワイ?ジャパニーズピーポー!」と叫び出すことだろう。
似た字を集めるのは人を惑わすことでしかない。

「そろそろ寝なさい」
「まだ寝ないよ」
という会話を東北ではこう言う。
「ねれ」
「ねぬ」

「ぬめぬめ」とか「ぎざぎざ」みたいな単語と同じで老眼を疲れさせる。
「体休め」とか「日の目を見る」とか「美羊」とか辛い。
『大丈夫』は子供にも外人にも老人にも厳しい熟語なのだ。
それで何が大丈夫か!

ちなみに外国っぽさを取り入れた言葉で『大丈V』なんてのがあったが、
やっぱりこれもややこしいのだ。






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