一昨日『自分は口が堅い』と言う人間は信用できないという私の説を発表した。
誰かが秘密を守れるかどうかは第三者が評価することだ、という内容だ。
実際、第三者が『あの人は口が堅い』とほめることはほとんどない。
あったとしても、そこにたどり着くにはとても長い時間がかかるのだ。
なぜなら、ある人が口が堅いかどうかを知るには、別の誰かの秘密が必要だ。
Aさんが口が堅いと言われるためには、BさんがAさんに秘密を打ち明けなくてはならない。
そして、その秘密をずっと守り続けた挙句、BさんはAさんのことを、
「あの人は口が堅い」と思い始める。
でも、なかなかBさんはそのことをCさんには言わない。
Cさんが、
「何かそういう出来事があったのか」
と訊ねたら、Bさんは自分の秘密をCさんに言わなければならなくなるからだ。
だからいくつかの実例が必要だ。
秘密が複数あってもAさんは常に口が堅いとなれば、
BさんはCさんの質問にも、
「いろいろとな」
と言えるようになる。
うわさとか評判というのは、一人が言っただけではダメだ。
悪いうわさは一人が言っただけでも広まるが、良いうわさはなかなか浸透していかない。
「あの人は口が堅いなあ」
という評判を得ようとしたら、先ほどのような例がいくつも必要だ。
そしてそのいくつもの例が、すべて守られたかどうかが確認されなければならない。
同じような話に『割りばしのきれいな割り方』というのがある。
割り箸がきれいにセンターで割れなかった経験は誰にでもあるだろう。
接続部が斜めに割れ、アンバランスになってしまう。
短い方にしてみたら“割れた”というより“折れた”に近い感じだ。
こんな時、
「こうすればきれいに割れるのよ」
と、箸のわり方を指南してくれる人がいる。
これは素直に聞き入れられない。
あんたは私が失敗したのを見て慎重に割ることができるでしょ、ということだ。
「ほら、こうすれば」と見せてくれたところで、それは別の割り箸だ。
さっき私がしくじった箸でやってもらわないと納得はできない。
割り箸の材料である木は生き物で、箸はその体の一部分だ。
すべての繊維が同じように流れているわけでもなく、強度にも差があるはずだ。
過去に戻って、私がしくじったあの箸を割って見せない限り証明にはならない。
そして、この世のすべての割り箸をきれいに割って見せない限り、その方法は認めない。
たった一回きれいに割れただけで、それが優れた方法だなんてよく言えたものだ。
と、ここまで書いてきたが、これは失敗だったのではないだろうか。
まず、箸の話をつかみにして、口が堅いの話題に持って行くべきだったのではないか。
そうすれば最後に、
「人間関係もいびつに割れてしまう」
ってオチが使えたのではないか。
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ワリバシ君はもとはヨンホン足だった。
でもって分裂して2本で直立できるようになった…と。
ただ頭部が偏ってしまったので発毛は絶望的になりました、しくじりましたという絵デスネ(違う)
さて、本題に沿ったコメント。
Aさんに重大な秘密を打ち明けたけど外部には一言も漏れなかった。
1.Aさんは口が堅かった。
2.Aさんはそれが重大な秘密ということを1ミリも気が付かず、というより全然真剣に聞いてなくて打ち明けられた内容をまるっきり覚えてなかった。
2である可能性は?どうやって確かめる?