ずっと雨続きでなかなかできなかった徒歩通勤。
土日に暴れたあの台風が去った後もなかなか晴れず、
木曜になってやっとお日様との対面となった。
もちろん歩いて出勤だ。
なぜなら、健康診断が近いからだ。
久しぶりの徒歩出勤、忘れ物をしてはいけない。
頭にタオル、手には握力増強のゴムボール、腰には昼食の入ったウェストバッグ。
そしてヘッドフォンからは今お気に入りの『グリムスパンキー』だ。
あまりに長く車通勤だったから、うまく歩けないんじゃないかと心配したが、
カッコいいボーカルに合わせて軽快にひとり行進する。
通学する中学生、犬の散歩のおばさん、仕事中のお百姓さん。
ごぶさたの秋晴れにあちこちから人が湧いて出てきたようだ。
もちろんみんな今までも同じように通学や散歩や仕事はしていたのだろう。
でも、雨だとあたりも暗いしベールがかけられたようにみんな目立たない。
晴れるとそれだけで町がにぎやかになったような気がする。
と言いながら、私はそのにぎやかさを遮断している。
手には握力ニギニギ、耳にはヘッドフォン。
そして目は、ただひたすら路面を見ている。
足元の危険は察知しなければならないし、お宝があれば拾わなくてはならない。
人間、誰でも同じだと思うのだが、道に落ちている丸い金属には敏感だ。
たとえばもなにも、お金だ、小銭だ、コインのことだ。
アスファルトの上にあのサイズのあの質感のものを発見すると、
「誰よりも早く動かなくては」と神経細胞に電流サインが流れる。
さあ、握力ニギニギを投げ捨ててもいいからそれを拾うのだ、と。
田んぼ道から国道沿いの歩道に出たあたりから、よくそのサインがビビッとくる。
なにかのマークなのか丸い金属片がアスファルトのところどころに打ち込まれている。
通勤しているのだからいつも目にしているはずなのだが、
それを見るたびに「はっ」としてしまうのだ。
小銭に反応する意地汚い男め、などと思ってもらいたくない。
これはまだ子供だった頃から繰り返し刷り込まれた習性なのだ。
昔は通販だとかカードだとかはなくて、何もかも現金払いだった。
実際に小銭が落ちていることが少なくなかったのだ。
しかも、そのわずかな小銭で買えるものがあったのだ。
これが子供のころからの習性だという証拠がある。
ここまで小銭を拾う話を展開してきたが、実は私が反応するのはコインだけではない。
そう、子供のころのお宝とはお金だけではなかった。
金属のもの、丸いもの、角ばったもの、尖ったもの、生き物、食べ物、なんでも拾った。
だから私は今でも道を歩いていてしょっちゅうビビッと反応している。
あっ五寸釘だ、あっカマキリだ、あっ何かの部品だ、あっサザエのフタだ。
そう、道ってやつはお宝の宝庫なのだ。
ああ、晴れるっていいなあ。

↑♪しぃたをむぅぅいぃて~クリックしてね。
スポンサーサイト
そんでもって今日は「クリックしてね・リンクバナー」が記事中にナイ毛どダイジョブか?