夏だ!
ビールだ! スイカだ! ソーメンだ!
私はビールもスイカもそうめんも大好きだ!
だが、流しそうめんが大嫌いだ!
実際、流しそうめんをやったことはない。
しかし、テレビなどでやっているのを見ているだけでイライラする。
あれほどまでに上下関係の生々しい食事があるだろうか。
ともかく上流にいる人ほど優先される。
最下流にいる人は『そうめん貧乏』と呼ばれても仕方ないほどだ。
アレがまた、よく考えてみれば行列だ。
私は行列が大嫌いだ。
たかが飯を食うだけで並んで待つなんてお断りだ。
いい年をした大人が「待て」や「おあずけ」と命じられているようなものではないか。
これがまだ店の前で並ばされて、スマホでもいじりながら待っているのならいいが、
流しそうめんの場合、片手に麺つゆ、片手に箸の状態で待たなくてはならない。
なんと間抜けな状態だろう。
しかも、流れてくるものに注目していなければならないので、
仲間とおしゃべりしている暇さえない。
これがまた流す方の手際も問題がある。
次々に流れてくればまだ楽しいイベントになるだろう。
だが、どんなテレビ番組で見ても、流す方はのろのろしている。
普通にそうめんを食べたことがある人なら誰でもわかるだろう。
そうめんというのは水に浸っていないと途端に一つの塊になる。
さばこうと思ってもさばけるものではない。
ならどうするか。
水に浸すしかないのだ。
しかも「流す」という行為が引力に頼っている限り、
そうめんの流し口は一番高い位置になる。
水に浸った人数分のそうめんを高い位置に上げなければ始まらないのだ。
それどころではない。
まず、人数分のそうめんを茹でなければならない。
そして洗って冷やす。
さて、何人分ぐらい用意することになるのか。
まず一人ではできないことだ。
自分で流して自分で食べるなんて瞬発力、誰が持っているというのか。
じゃあ一対一はどうか。
差し向かいで、器から冷えたそうめんを取った方がおいしいに決まっている。
それより何より、流すための装置が必要だ。
これはほぼ建築と言ってもいいぐらいの大規模なものだ。
準備にはかなりの人数が必要になる。
人数が増えると流れる距離を伸ばさなければならない。
距離を伸ばすということは、装置は大掛かりになる。
流し口の高さは高くなるのだ。
それを建築するのに人数が必要になる。
人数が増えると流れる距離を…
こうして決してつり合いが取れるところはないのだ。
つまり、必ずどこかから不満が出るようになっているのだ。
誰もやろうなんて言ってないが。

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この日のために先日こみさんのところでUFカップとわりばしを買い出ししましたの。
参加者150人、大鍋で素麺をゆでるのに汗だくでした。
竹もね、切ってきて割ってあれちゃんと流れるように節をとるのに技術がいるんですよね。
それは竹に関わっている人がやってくれたので綺麗につるつると流れる仕上がりでしたわ。