常温保存できるもので昼食を済ませるようになって、手ぶら通勤が可能になった。
「まるでエサ」という感想が無いでもないが、とりあえず満足している。
ただし、弁当やおにぎりのように朝手間がかからない分、
お昼になってからの手間がとてもめんどくさくなった。
まず、器にシリアルを入れる。
今はフルーツグラノーラと大豆グラノーラのミックスだ。
紙パックの豆乳の折りたたんである角を両側とも立たせ、はさみでチョンと切る。
グラノーラに豆乳を注ぐ。
イスに座ってそれを食べる。
食べ終わったら洗面台で器をゆすぐ。
魚肉ソーセージとゴマを用意し、再び椅子に座る。
靴下を脱ぐ。
本を読みながらソーセージを食べ、ゴマをつまむ。
40分になったら寝る。
59分に起きる。
靴下と靴を履く。
ソーセージのベルマークを切る。
燃えるゴミと燃えないごみを分けて捨てる。
器とスプーンに『水がなくても食器が洗えるスプレー』をして拭く。
手ぶらで通勤しようと思うとこれほどの手順を踏んで食事をしなくてはならない。
さて、ここで問題。
このたくさんの手順の中で、私が一番イライラするのは何でしょう。
それはゴミを分けて捨てることだ。
豆乳の。
紙パックの飲み物には必ずストローが付いている。
しかし私はシリアルに掛けてしまうのでストローを使わない。
別にそのままポイと捨てられるならなんとも思わないのだが、
このストローを取らなければいけないというのが苦になるのだ。
紙パックは燃えるゴミ、ストローは燃えないゴミだ。
絶対に分けなければならないのに、この接着度合いはどうだ。
まるでボルトで留めてあるかのようにびくともしない。
私の、先端のアールが大きい指でこれをつかむのは至難の業だ。
無理に力を入れると紙パックの方がつぶれ「スコッ」といって豆乳しぶきが飛び散る。
作業のやりにくさもあるが、使っていないものを捨てるという罪悪感がある。
なにしろまだ密封されたままでいる無垢なストローなのだ。
普通ストローというのは両側、つまり口側と飲み物側の両方が汚れて捨てられる。
それがそのどちらも美しいままでゴミ箱に放り込まれるのだ。
なんたる残酷。
しかもこのストロー、かなりの数学的、工業的技術が詰め込まれている。
パックの穴に差し、底に着いた時、飲み口が出ていなくてはいけない。
なので、長さを確保するために斜めに張り付けてある。
さらに、奥行き分を考えて二段構造になっている。
俗にいう伸びるストローだ。
私が会社に置いているのは、ひと箱18本入りの豆乳だ。
そのすべてにストローが付いている。
段ボールひと箱に一本でいいではないか。
みんな洗って繰り返し使えばいいのだ。
『水がなくても食器が洗えるスプレー』なんてものもあるのだし。
「ストローにスプレー」ってちょっとおもしろいし。
何より私は困らないし。

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でもってストローは「包装容器」じゃないから「燃やせるゴミ」じゃないのん?
それより豆乳のパックは「資源ごみ」じゃないのん?
…資源ごみで出そうとするとパック解体して洗って干して貯めといてまとめて資源ステーションに出さんといかんけど。
参考のために明和町のはこんなん、お隣の伊勢市のもぱっと見た目には同じに思えたんです。
(細かい索引がついてるよ)
http://www.town.meiwa.mie.jp/romantic/guide/town/genryou/genryou25.pdf