トリノでの冬季オリンピックが終わり、
雪が溶けて川になって、本格的スポーツシーズンが始まった。
野球にサッカー、ゴルフに水泳、相撲にK1、ボクシング。
スポーツニュースは花盛りだ。
各競技で花形スターがいて、
引退やら番狂わせやらがあって、
スポーツを見ない私もニュースは楽しんでいる。
その中で、気の毒だな、と思う選手がいる。
「卓球の愛ちゃん」こと福原愛だ。
卓球というスポーツがマイナーだということもあるが、
それよりもこの呼び名が不憫だ。
「卓球の愛ちゃん」
この『の』が気にかかる。
広辞苑を開いてみた。
広辞苑を閉じた。
『の』にはびっくりするぐらいたくさんの意味があるのだ。
文法的なことを言っても始まらない。
というか、文法的なことを述べる能力がない。
だから「感じ」でいこう。
泣き虫だった子供のころの「卓球の愛ちゃん」は、
「卓球をすることで有名な愛ちゃん」
という意味だった。
だが、その意味は変化してきているのではないだろうか。
主なものが二つある。
ひとつの意味は
「卓球の第一人者である愛ちゃん」
もうひとつは
「ゴルフでなくて、卓球の方のあいちゃん」
どちらにせよ、単独で「あいちゃん」といった場合、
聞き手が把握しにくいから「卓球の」をつけているように思う。
「卓球がトレードマークの愛ちゃん」
というのも考えられる。
これは「風車の弥七」みたいなものか。
「卓球界にいる愛ちゃん」かも。
そうすると「海のトリトン」的か?
本当はどうだったのか、広辞苑も読めない私にはわからない。
ただ、途中経過はどうあれ、いまや「卓球の愛ちゃん」はひとつの単語になっているのではないだろうか。
たとえるなら・・・
「バカボンのパパ」
「レレレのおじさん」
「ココロのボス」
「だよ~んのおじさん」
愛ちゃん、いつの間に赤塚ワールドに・・・
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それと、ワンピースは絶対止めてくださいね。