スーパーに買い物に行ったら、臨時のお茶売り場に、
「お茶っぱです」
という手描きのポップがあった。
良心的に考えたら、
「ここに売っているのはペットボトルのお茶ではなくて、お茶の葉ですよ」
といいたいのだろう。
しかし“お茶っぱ”という表現はあまりにも安っぽい。
ひと昔前なら、一般人にもかろうじて読めるぐらいの書道的文字で、
『御茶』
と書いたのではないだろうか。
売る立場であるなら、自分が扱う商品の値打ちは上げるべきだ。
たとえば『御茶』から連想される言葉を考えてみよう。
茶道
煎じる
行儀作法
家元
なんと上品で高貴なイメージだろう。
それに引き換え『おちゃっぱ』から連想される言葉は、
おかっぱ
あじゃぱ~
魔法使いチャッピー
おっちゃんアホか
なんと幼稚でスチャラカなことか。
それよりも『おちゃっぱ』には、お茶を出した後のカス、というイメージがある。
「ちょっと、お茶っぱ捨てといて~」
とか言われそうだ。
俗に言う『茶ガラ』のことだ。
いっそ『チャガラ』の方が聞こえがいい。
連想してみよう。
「インドの山奥で修行して、
ダイバダッタの魂を宿し、
ついに会得した“チャガラ”の奥義」
なんとなく、人知を超越した神秘的なものを感じるではないか。
(注:個人のイメージです)
本来、茶の葉とはとても高価なものであった。
その証拠に、茶葉を入れるための茶筒は収納の最高峰ではないか。
ねじ山があるわけでもないのにぴったりと密着している外蓋は、
適度な力具合で厳かに動き、最後に抜けるときは、岩にしみいる「スポン」という音。
そして姿を見せるのは、つまみのついたかわいらしい中蓋。
なんて素敵な容れものだろう。
ああ~、無印良品の茶筒ほしい~
ビー玉や線香入れたい~

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無印良品の茶筒、てありましたか
どんなんやったかしら
ほいで、茶葉を入れませんのんか