ある日曜日の夕方、ちづると映画を見ていた。
とりあえず見るかもしれないから、とテレビから録画した映画だ。
つまり、たまっていたビデオの処分、という意味合いの映画鑑賞だった。
内容は、火山の活発化による都市パニック映画。
冒頭、誰もいない山奥の温泉でアベックがはしゃいでいる。
地鳴りが起こり、心配顔の二人。
突然、地面が裂け、二人は悲鳴を上げながら、溶岩が流れる地中に飲み込まれていった。
再び地鳴り、そして地面の亀裂は閉じ、あたりは静かな山の風景に戻る。
ここでちづるが言った。
「あんたはこの役やな」
チョー脇役だ。
誰でもいい役だ。
主役級とは一切共演していない。
要するに、これから起こる大パニックの予兆シーンの無駄な犠牲者だ。
ワシャこんなんか。
オーディションも受けていないのに、役柄決定か。
人間、誰でも自分の人生では主役だ。
でも、主役を演じながら、他人の人生に脇役で出演したりすることもある。
それは当然だ。
私が主役の私の人生には大勢の脇役が出ている。
その脇役たちにとっては、私が脇役だ。
持ちつ持たれつというやつだ。
たとえば、普段ぼ~っと暮らしているが、
知らぬうちに何かを目撃している可能性がないとは言えない。
どこかの誰かが主役の人生で、目撃者の役になっているかもしれないのだ。
ある日、探偵が訪ねてきて、私に質問をするかもしれない。
「あなたの同僚の○○さんについてお聞きしたいのですが・・・」
もちろん、このときの同僚とは、重要な役柄を担っている。
このとき、目撃者としての値打ちが決まる。
「そういえば、あの人、あの日は・・・」というのは“上”の目撃者だ。
「さあ? 何も気づきませんでしたねえ」というのが“中”の目撃者。
BGMが流れる中、大勢の目撃者の一人として、首を横に振るだけで流されてしまうのが“下”
ある日、刑事が写真を見せて質問するかもしれない。
「この人を見たことありませんかね」
もちろん、その写真の人物は脇役だ。
「ああ、この人なら」というのは“下の上”の目撃者だ。
「さあ? 知りませんねえ」というのが“下の中”の目撃者。
BGMの中、刑事が頭を下げて去っていくシーンでただ立っているのが“下の下”
実は以前、職場に刑事が来たことがある。
私は名指しで呼び出されてドキドキした。
優しそうな50代と、目つきの悪い30代後半だった。
刑事が帰った後、
「もう~、警察やって言うから、なんかいなってドキドキしとったら、
ほれ、この間の銀行強盗。
フルフェイスのヘルメットかぶっとったもんで、
単車の免許ある人、みんな当たっとるんやて。
写真見せて『このヘルメット見たことない?』とか言われたけど、
『ワシ、ツーリングとかしやへんもんで』って言うたら、
『そうですか、また何かありましたらご連絡ください』やて~
んま~、ホント、ビビったわぁ~」
って、我ながら下の下の脇役。

↑絵がわかりにくいけどクリックしてね
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トラックを暴走族が襲っている時のことを刑事さんが聞きに来たもの。
見たことは全部話したモノ。
初めてスズメおどしの「ばきゅ~ん」を聞いたときに時間を記録したよ。発砲かと思って^^;
早朝の散歩でかわっぺりに車が止まっていると覗くよ。
あとで、いつからそこにおいてありましたって証言しなくちゃ行けないし。
実際一度釣り人が流されて亡くなったときはずっと軽トラがとまってたし。
レスキューのヘリやらレスキュー車やらレスキューバイク隊やらいっぱいきたの。
でも、レスキューバイク隊の人は
私が庭に出て通り過ぎるところを見ていたら 前の車輪をあげて後ろの車輪だけでうぉーんとしてにっこり笑ってパフォーマンスして行ったよ。今思えば不謹慎なやつやな。
この場合は亡くなった主人公にはなりたくないね。
いち農民の役でいいわ。
あっ年貢のかたに売られる役はやだな。