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いつもお出かけ中

父の四十九日までは、
「父ちゃんがおった」とか
「表の部屋にたくさん人がいた」などと言っていた母が、
法要が済んでからはそんなことを言わなくなって安心していた。

ところが、その後ときどき「父ちゃんが」と言うようになった。
私が「父ちゃんは亡くなったやろ」と諭すと、
「そうやったねえ」と素直に納得する。
遺影に話しかけているので勘違いするのだと自分で言っていた。
説明して通じるのならまあいいかと思っていた。

それからも普通に会話に「父ちゃん」が出てくる。

「今日は父ちゃんは若い女の子の居る店に遊びに行った」

だから今はここにいない、と理屈だ。
お酒が飲めなかったからそんな店に行ったことのない父が気の毒だ。
で、私が「それは夢やろ」となだめると、
「ああそうか、夢やったんか」と苦笑する。

どうやら父が大勢の人と遊びに行った夢を見たことがあるらしい。
それを何度も思い出しているようだ。
そして私が説明するとちゃんと受け入れてくれていた。


それがある日、妙に頑ななことがあった。
私が夢だといっても受け入れず、今は出て行っているだけだと言って聞かないのだ。

「父ちゃんは亡くなったやろ」

「父ちゃんじゃなくておじいさん」

「おじいさんと父ちゃんはいっしょやろ」

「いやそうじゃなくて……」

いやこれではいかん、私が論破しようとしたら具体的な人物像が出来上がってしまいそうだ。
なので私がちょっと引いて、玄関の鍵だけは掛けさせた。

次回に行ったときはもう頑固ではなくなっていた。
「父ちゃんが」とは言うのだが「亡くなったやろ」と言うと「そうやねえ」と聞く。
前回行ったときには、

「前は写真に話しかけたら父ちゃんが降りてきたことあったけど、最近来なくなった」

と寂しがっていた。
成仏したのだろうと言うと、そうかもしれんとうなづいた。

それからも母はときどき父が遊びに行ったかのように言う時があるが、
私は一回だけ「父ちゃんはおらへんやろ」と教えることにしている。
そして私はときどき、
「父ちゃんが生きとったらこのサトイモが食べられたのにねえ」
とさりげなく父が亡くなったことを匂わせて会話している。






↑「今日は大勢人が来た」と言われてビビったんだけど、ホントに親戚が来たのでしたクリックしてね。




あいびきか
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[ 2020/11/13 06:52 ] 身内のこと | TB(0) | CM(5)
プロフィール

こみ

  • Author:こみ
  • 三重県在住。
    妻のちづると二人でダラダラ暮らしています。
    晴耕雨読が理想です。
    記憶を自在に操る一人暮らしの母のところへ通ったりもしてます。


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