私はカレーパンが大好きだ。
どのぐらい好きかというと、別腹が存在するぐらい好きだ。
朝がパン食の日はトーストにカレーパンをプラスしたり、
会社に持って行って昼食にプラスしたり、
食後や3時のカレーパンにしたりする。
家に一個だけカレーパンがあったとしよう。
それは私の物だ。
ちづると分けたりしない。
カレーパンは分けるのに不向きなのだ。
去年の暮れごろの話、ちづるととあるうどん屋に入った。
そこは今や絶滅危惧種となっている貴重なうどん屋で、
メニューに卵とじうどんやかやくうどんがあり、
すべてのうどんが伊勢うどん用の太く柔らかい麺のお店だった。
ちづるは大好物のかやくうどんを注文した。
かやくうどんのかやくは店によって違うのでそれが楽しみの一つでもある。
その店のかやくには謎の物体が入っていた。
白くて弾力があってつるつるしたものだ。
そう、それは黄身のないゆで卵だった。
いくつに分割しようとしたのかは知らないが、ちづる分に黄色いところはなかった。
これはたまごの形や黄身の位置が不定であるために起こる悲劇だ。
しかもクレームをつけることはできない。
かやくうどんのかやくは店それぞれなので、それを受け入れるしかないのだ。
横道が長くなってしまったが、カレーパンにもこういうことがあり得る。
カレーパンはとても片寄っているのだ。
おそらく理論上均一にカレーを入れることは困難なのだろう。
カレーがいい塩梅に入っている部分と、パンばかりのところがある。
またパンばかりのところはカレーが入っているところより分厚くなっている。
私はここを『カレーパンのかかと』と呼んでいる。
しかも冬場のガリガリのかかとだ。
ここをどのタイミングで食べるかが、食後の満足度に直結する。
カレー部をうんまいうんまいと食べてしまってかかとが残ったとしよう。
するとあのカレーパンの残像が薄れ、かかとの印象ばかりで余韻が無くなってしまう。
だからといってかかとからかぶりついたりするとカレー度が希薄で、
『やっとカレーパンにありつけた』という方の感動が薄れてしまう。
つまり、生ビール前にちょっとお茶を飲んでしまうようなものだ。
ただ、かかと部も悪いことばかりではない。
あそこだけを吟味してみるとなかなかステキな脂分を感じることができるのだ。
カレーに寄って失われている“揚げパン感”だ。
それを楽しむのも一興かもしれない。
あと、あそこに福神漬けを入れるというのは不可能なのか。
そうそう、先日ちづるが、焼きカレーパンを買ってきてくれた。
これにはかかとがなく、全体に均一にカレーが入っていた。
ただ、全体に薄っぺらく、つま先を食べているような感じだ。
しかも先端のとがったところはさすがにカレーも少なく、
脱げかけた靴下を口で脱がしているような感じだった。

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