2015年02月

ここでは、2015年02月 に関する情報を紹介しています。
火曜日にいつもの居酒屋に行ったら、バイトのMえが、
「金曜日はウニデーよ」
と言っていた。
ああそうだ、店の女将さん通称“おかん”の誕生日だ。

そういうわけでちょいとしたプレゼントを持って行った。
カウンターにはすでに常連さんが並んでいた。
まずはおかんにプレゼントを渡す。

「紙屋ー、俺にプレゼントはー」

常連Oさんが叫ぶ。

「なんで?」

「オレ今日誕生日」

もちろんウソだ。
するとバイトMえがやってきた。

常連O「あいつ、おかんにプレゼントやって、オレにくれへん」

Mえ 「あー、おかんの誕生日忘れとったー!」

じゃあ“ウニデー”というのはなんだったのだ?

「アタシが食べたかったから」

なんじゃそりゃ。
そういえば誰かが買ってくるとでも思ったのか。
ちなみにこのMえ、肉も魚も食べられないが、ウニとイクラとフグは食べられるのだそうだ。
痛風になってしまえ。

Mえ 「ところで、プレゼントはなにを買ったん?」

常連O「パンツさ」

常連T「ピンクの」

Mえ 「ええー、おかんピンクのパンツもらったん?」

おかん「ええー、ピンクのパンツくれたんですかー?」

ワシ、なんも言っとらん。


遅番のバイトAながやってきた。

常連O「あいつ、おかんにプレゼントやって、オレにくれへん」

Mえ 「あー、おかんの誕生日忘れとったー!」

なんてやつらだ。
そこへいったん帰ったはずの常連Cさんが戻ってきた。
なんと、近くのスーパーでウニを買ってきてくれたのだ。

Mえ 「わー、ありがとう。次はハーゲンダッツな」

常連C「あほか。おかんに買ってきたんやないか」

そういって帰って行ったCさん。
再びハーゲンダッツを買ってきてくれた。
なんて律儀な。

ちなみにウニはおかんとバイトがまかないで食べちゃったので、
私には回ってこなかった。





↑で、おかんの誕生日はその前日だと判明したのだけどクリックしてね。






グバグボ
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私はめったにドラマを観ない。
続きが気になるというのが一番の理由だ。
ところが最近、ちづるが朝の連続テレビ小説『マッサン』というのを観ている。
これがチラチラ私の目に入ってくるのだ。

私は朝食後、着替えと弁当の用意をして仮眠をとる。
目覚ましタイマーは7時57分。
8時前に毛布を払いのけ、そこから約8分で家を出る。
その間『マッサン』が流れている。

私の得ている情報では、マッサンとは主人公のあだ名らしい。
で、マッサンの身の回りではすぐに何か心配事が起こる。
それで私は気が付いた。
私がドラマ嫌いなもう一つの理由は、登場人物がいやな目に合うからだ。

考えてみると、ドラマというのはあこぎなものだ。
登場人物の全員が最初から最後までずっとハッピーなら、
そんなものはドラマにならない。
何か問題が起こり、必ず誰かが泣いたり苦しんだり悩んだりする。
なんでそんなことを観てなくてはならないのか。


私はめったにドラマを観ないと書いたが、たまに推理物を観ることがある。
たとえば今なら『相棒』というやつを観ている。
こういう推理物、警察物はたいてい1時間でけりがつく。
そういう安心感があるから観てしまうのだ。

しかし、推理物の登場人物は普通のドラマよりひどい目にあう。
ほとんどの場合誰か死んじゃうのだ。
そしてほとんどの場合、犯罪の動機となるようなひどい目にあっている人がいる。

だけどそんなに気にならない。
なぜだろう。

まず、解決しちゃうに決まっているからだ。
普通のドラマでも、最終的には問題は解決するのだが、
我慢するとか、新たな一歩を踏み出すなどと言うあいまいなものが多い。
その点、推理物は“誰がどうしてどうやったか”がわかったらOKだ。

そして、主人公である探偵役が、のん気だ。
なにしろ、探偵は実際そのひどい目には参加していない。
ドラマのひどい話は私にとって他人事だが、探偵にとっても他人事だ。
となると、探偵の目を通して伝えられる事件は他人の他人事となる。

つまりは、出来事自体に感情移入することがないのだ。
はっきりいって、推理物ではだれがどんな目にあったかよりも、
謎の真相、この一点にだけ興味が集中しているのだ。

つまり、算数の文章問題と同じなのだ。
太郎くんが買った林檎をいくつか落としたとしても、
花子さんが電車に乗り遅れて遅刻したとしても、
ポチの散歩が雨のために早めに切り上げられたとしても、
それが気の毒で涙するようなことはない。

もし、推理物で感情が高ぶることがあるとすれば、
それは「なんじゃ、このトリックはー!」
という怒りに違いない。





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犯罪はあばかれる
ウチの店は『○○○○○』というチェーン店なのだが、
おっと、名前を書いちゃったけど、検索でここが見つかるといけないので消しました。
ともかくチェーン店なので親会社がある。
そこからときどき指図をされる。
そんなわけで、来週はバーゲンだ。

毎日いろんな運送屋さんが荷物を持ってきているが、
昨日はみんながみんな、パレットにひと山ずつぐらい持ってきた。
つまりはバーゲン用の仕入れだ。
おかげで小さい倉庫はグリーンスムージーぐらいグチャグチャだ。

ややこしいのは、この店舗の商品と、元々やっていた紙業の兼ね合いだ。
親会社は店舗用のもののことしか考えていないし、
私は紙のことしか考えていない。
はっきり言って、あまりにも紙と関係のない商品を扱うのは賛成できない。
売れ残った在庫を片づけるのは私なのだ。


バーゲン品は勝手にやってくる。
チラシがすでに印刷されていて、その商品を置かなければならないようになっている。
だからこちらは届いて見てビックリだ。

なんか、飲食店がお薦めメニューを書いている黒板みたいなものが来た。
“プチプチ”の巨大ロールが五本も来た。
紙皿やら割り箸やらお手拭きやら、何やらいっぱい来た。
オープンセールの時の売れ残りもあるのに、また新商品だ。
もう前回の商品は利益を考えず叩き売ってしまおうという案も出ている。


私は悔しいので、いつものワゴンの百円商品に力を入れている。
一言メッセージをつけて置いておいたら、これがなかなか評判がいい。
わざわざ商品をどけて読むだけ読んでいくお客さんもいる。

「おもしろい」
「必要ないけど買ってみる」
「書いた人、やるな」

などとお褒めの言葉をいただいた。
調子に乗ってここを充実させるのだ。

昨日も新たなメモを追加した。
バーゲンの始まる月曜日には、ワゴンは紙の宣伝ばっかりにしてやるのだ。
私のフレーズは決まっている。

『春のメモ魔釣り、いやメモ祭り』

ご来店をお待ちしてます。





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小さな袋に入れてあげます
今、ちょっとおろおろしている。
スマホを会社に忘れてきてしまったのだ。
仕事中はジャンパー、通勤はヤッケの私。
今まで毎日忘れずポケットを移し替えていたのに。

どうして忘れてしまったのか。
まず第一に、充電が切れかかっていたということがある。
非常の連絡がないとも限らないので、充電が20%台になってから使わなかった。
使わないものというのはどうしても忘れがちになる。

第二に、夕方のタイミングが悪かった。
夕方になると店ののぼりとワゴンをしまうのだが、
私の百円ワゴンをしまおうとしたとき、子供連れのお客さんがやっていた。
「ほうらこれ見て」
などと言ってお母さんが子供に私の作った三色メモを見せている。

だから私はいったんワゴンをしまうのをやめ、上着を着替えて機械の電源を切った。。
もう一度ワゴンの方を見ると、親子は店内に入っていったようだ。
残っていた二台のワゴンを倉庫内にしまって、シャッターを閉めた。
お先に失礼しますと言ってタイムカードを打ち、職場を後にした。
ウキウキルンルン、飲みに行くのだ。


スマホを忘れたことに気付いたのは、飲み屋でのことだった。
昼休みの目覚まし以来使っていなかったのに、
無いとなると途端に心細くなってくる。
戻ったとしても、もう誰もいない時間だ。
それに、仕事場から飲み屋はルンルン歩けても、その逆はもう歩けない。


そんなわけで、今、手元にスマホがない状態だ。
本当ならあと数分で、
「ほらほら、急いで更新を終えないと、ごはんを作る時間ですよ」
と鳴りだすはずなのだ。
あの子は今日、誰もいない会社の倉庫で、誰のために時を告げるのだろう。

その次になるのは7時57分だ。
食後の仮眠から起きる時間だ。
いつもなら鳴ってすぐ止めて、
でも『もこずキッチン』が終わるまで寝続けて、
うっかり寝過ごしてもちづるがチャンネルを『マッサン』に変えるときに起きる。

やっぱり誰もいない会社で鳴っているのだろうか。
止める人間がいないから、何度も何度も鳴るのだろうか。
そうやって電気を消費してしまうのだろうか。

心配事が二つある。
一つ目は、充電器を忘れずに持っていけるかということだ。
私の忘れ物率はかなりひどい。
そういう例は忘れたが。

第二に、ラジオ体操ができるかどうかだ。
その三分ちょっとYOUTUBEを流す間だけ、電気が持つだろうか。
もしダメなら、コンセントのある場所に移動してラジオ体操をしなくてはならないのか。

ドキドキおろおろしているが、
そんなに重要なことに使っていないことがわかった。






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出会えるのだろうか
かねてより私が憂いていることがある。
“そば”の値段が高くなっていることだ。
材料費の高騰により値上げせざるを得ない、ということではなく、
そば屋を開店する人たちが、勝手にそばを高級品扱いし始めたのだ。

私の住む伊勢市はうどん主流の町だ。
昔の食堂はどこでも伊勢うどんがメニューにあった。
卵とじうどんもかやくうどんもきつねうどんも、
みんな伊勢うどんの太くて腰のない麺を使っていた。

そんな食堂にも一応“そば”はあった。
うどんと同じように卵とじそば、かやくそば、きつねそばが、
うどんと同じ値段で食べられたのだ。


それがどうだろう。
町に“そば屋”が現れ始めた。
いや、彼らは“蕎麦屋”と名乗っていた。
いやいや、店前には自然木の看板で“蕎麦処”と筆書きされていた。

店構えはまるで割烹料理屋で、あと、描写することは一切やめよう。
ともかく、頼んだそばがほんのちょっとですごく高いのだ。
○○県のそば粉が十割、なんてだれも望んでないわ!
決して腹がふくれることはなく、千円落としたような気持ちで店を出て、
コンビニでカレーパンを買って帰るのだ。


さて、そんなそばに対してうどんはどうなっているだろう。
実は安くなっている。
伊勢うどん的食堂が店主の高齢化でどんどん減っていく中、
一時期うどんも高級化した。
うどんは讃岐風、という風潮のためだ。

細くて硬い麺が主流になり、メニューには余計なものが付属するようになり、
お盆に乗る食器は増え、値段はどんどんうなぎのぼりだった。
さらに、名古屋からやってきた味噌煮込みうどんのおかげで、
単品の値段はますます跳ね上がる。
卵とじ、かやく、きつねなどはどんどん姿を消していった。


ところが、そこへうどん界の新風が現れた。
本格的讃岐風うどんチェーン店の台頭だ。
店名は○○うどんとか○○製麺という安そうなネーミングで、
実際、一番安いメニューなら200円台からあるらしい。

しかもこれがとてもおいしい。
トッピングも充実している。
始めていったときから虜になってしまった。

が、今はもう行っていない。
このタイプのうどん屋さんはセルフ形式だ。
うどんをもらい、勝手にてんぷらを乗せ、おにぎりをとってお金を払う。
それからお盆を持って座る席を探すのだ。

これが心配なのだ。
座るところがなかったらどうしよう。
お盆を持ったままおろおろしなくてはならないのではないか。
給食が食べられなくて立たされてるみたいな感じになるのではないか。

そう思うと恐ろしくてとてもあの行列に並ぶ気持ちにはなれないのだ。
で、コンビニでカレーパンを買って帰ったりするのだ。





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ある意味ツルツル
人が一生でいかに痛い目に合うか、ということをということをグラフにしたら、
おそらく、両端が高く、中心ほど低い値を示すのではないかと考える。
緩やかな『Uの字』型だ。
つまり、子どものころと年をとってからが痛い目によく合うということだ。

子どもというのは無計画で常にフルスロットルで、
でも注意力散漫だからともかく痛い目に合う。
ぶつかったり転んだり、場合によっては自ら痛い目に飛び込んでいく。

しかも、痛さに弱い。
ちょっと小さなとげが刺さっただけで大騒ぎだ。
抜いてやると言っても「いやだいやだ」と駄々をこね、
だからと言って自分では何ともできず、ただ泣き続ける。

古くなった絆創膏を剥がすことさえできない。
傷口にくっついたガーゼを取ることすら人生の一大事扱いだ。
もう歯医者だとか傷を縫うなんてことになったら、
十三階段を上るかのごとく泣きわめく。


これが大人になると落ち着いてくる。
とげや少々の傷で泣いたりしない。
痛みには強くなり、冷静に物事を考えるようになる。

物事がわかってきてあまりムチャをしなくなるし、
経験を積んでくるので、
「これは下手をすると痛い目に合うぞ」
と事前に察知できるようになる。
人生の痛さ安定期だ。


これを過ぎると、違った痛みを感じるようになってくる。
腰、ひざ、肩など、体の部品が勝手に痛みを訴えるようになるのだ。
これは痛みを感じるようになると言うよりは、
痛みを感じること以外できなくなってくるともいえる。

さらに、子供の時よりはるかに冷静で動きはスローになるのだが、
動きに間違いが起こって痛い目にあうことが増えてくる。
車の運転でいう車幅間隔のようなものが狂ってくるのだ。

すんなり通っていた柱に足の小指をぶつける。
モノを食べていて、口の中やクチビルを噛んでしまう。
以前ならよけられたものがよけられなくなってぶつかってしまう。
『Uの字』の一番低い位置を過ぎると、このようなことで痛い目に合うようになるのだ。


どうやら私もこの辺りからグラフは上り坂らしい。
最近、無駄に痛い目に合うようになってきた気がする。
体の部品が痛んでくるのは仕方ないとして、
そうならないための準備体操で手をぶつけたりする。

考え事をするのにペンを持ったままで、顔に刺してしまう。
台車を手前にひっぱって、むこうずねをぶつけてもがき苦しむ。
口の中を噛んでしまって、腫れて出っ張ったところをまた噛んでしまう。
なのにそれを忘れて刺身なんか食べてしょうゆが浸みる。


ま、そのようなことが増えてきて、ブログネタができるということなのだろう。
このブログ、いよいよこれからが佳境かも。





↑厳密にいうと『ひの字』グラフだけどクリックしてね。






スネに傷持つ男になった
『あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねの
 はひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん』

多い。
アルファベットの26文字に対して、かなで50音は多過ぎる。
この上にまだ漢字まであるのだ。
ここはあまり使わない文字は断捨離して、言葉のスマート化を目指すべきだ。
必要な物を残して、いらないものを処分しよう。


絶対必要なのは、母音となる“あいうえお”だ。
これがないと日本語は発音ができなくなる。

『かきくけこさしすせそたちつてとなにぬねの
 はひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん』

次に、特殊な使い方をする文字『っゃゅょん』も捨てるわけにはいかない。
これらは特別な文字なのだ。

『かきくけこさしすせそたちてとなにぬねの
 はひふへほまみむめもらりるれろわを』

日本語の基本である“てにをは”を無くすわけにはいかない。
それに準ずる“が、の、へ、も、と”も同様だ。

『きくけこさしすせそたちなぬね
 ひふほまみむめらりるれろわ』
 
動詞で使う“ウ段”は必要だ。
食うの“う”・書くの“く”・出すの“す”・立つの“つ”
死ぬの“ぬ”・噛むの“む”・来るの“る”だ。

『きけこさしせそたちなねひふほまみめらりれろわ』

となると、命令形で使う“エ段”も欠かせない。
食えの“え”・書けの“け”・出せの“せ”・立ての“て”
死ねの“ね”・噛めの“め”・去れの“れ”だ。
そこになぜか、出ろの“ろ”が入る

『きこさしそたちなひふほまみらりわ』

文体を決める“ですます、だ、である”も置いておこう。
過去形の“でした、ました、だった、であった”も同様だ。

『きこさそちなひふほみらりわ』

一人称の“わたし”二人称の“あなた”三人称の“その人”
複数形の“わたしたち・あんたら”も失くせない。

『きこさふほみり』

日時を表す言葉も重要だ。
きのう・けふ・あす・あさって・ありし日などはなくてはならない。

『こほみ』

さて、ここまでは標準語のお話だ。
もちろん、地方に住んでいる私にとって方言もとても大切な言葉だ。
“ほうげん”の“ほ”もキープしておこう。

で……?





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断捨離マイセルフ~
なんと言うことだ。
野菜の在庫がダイコンとタマネギ、冷凍ゴーヤしかないではないか。
知らない人のために説明しよう。
私は会社に刻んだ野菜を持っていき、お昼はそれを鍋で煮て食べているのだ。

そうだ、ハクサイやキャベツは実家の母を買い物に連れて行ったとき、
農家の直売所で買おうと思っていたのだった。
いや、買ってもらおうと思っていたのだった。

なんと、野菜だけでなく、豆腐もこんにゃくもワンタンもウィンナーもない。
知らない人のために説明しよう。
野菜ばかりでは寂しいので、ちょっとタンパク質も入れているのだ。
母に買ってもらおうと思っていたのだ。


こうなったらお昼はどこかで買うしかない。
もちろん“どこか”とは通勤途中にあるコンビニだ。
そこはありがたいことに、煮るのにふさわしい刻み野菜も売っている。

だが、高いのだ。
一回煮る分のやさいで200円ぐらいする。
直売所なら、ハクサイ丸ごと一個で200円もしない。
しかも、払いは母だ。
コンビニなら自腹を切らなくてはならない。

マイ腹はたぷうりしているが、自腹はとてもやせ細っている。
財布の中身は2744円しかない。
1ノミニイクにちょっと色が付いたぐらいだ。
コンビニに寄ったら確実におやつも買ってしまう。
そうしたら、二月の最終週に飲みに行けないではないか。


持っていくものはないか。
なにか食いものはないか。

あった。
冷凍のごはんだ。
いつものダシスープにごはんを入れれば、雑炊という立派な食事の完成だ。
刻みネギもある。
おっ、ツナタイカレーの缶詰もある。

玉子はいけない。
ダシスープのボトル一本使ったの経験から、入れちゃダメなものをいくつか知った。
コンビニの温泉卵、乾燥ワンタン、生の豚肉を入れたことがある。
その時はスープがとても濁って、鍋を洗うのが大変だったのだ。
野菜や豆腐、こんにゃくだけならスポンジで撫でただけで鍋は美しくなる。

こう言っておきながら、どうしてツナタイカレーを入れてしまったんだろう。
白くうつくしいホーロー鍋が、どろんどろんのギトギトになってしまった。
会社のキッチンには食器洗い洗剤がない。
私しか食器を使わないからだ。

なので私は、カバンのポッケに常備しているコンビニのお手拭きで鍋を拭いた。
何枚も使ってきれいにしてから、スポンジで洗った。
この作業時間で昼休みが減ったかと思ったら、
おにぎりとカップ麺でも買っておけばよかったと後悔したのだった。





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ツヤツヤピカピカですよ
いろいろと毛的非難をあびている私だが、
そういう状況が長く続きすぎて考え方が歪んできた。
もちろん最初は一般的な考え方であったので、
『フサフサ』とか『サラサラヘアー』とか『自由な髪形』なんて言葉に憧れていたが、
徐々に『ボサボサ』や『蓬髪』挙句は『爆発コント』まで夢見るようになってきた。

この路線の変更によって、今気になっている言葉が『毛むくじゃら』だ。
『毛むくじゃら』は毛がとてもたくさんある状態を表しているが、
それは決して頭髪とは限らない。
むしろ手や胸やすねなど、毛がない人にはない部分が毛だらけの場合に使われる。

それなら頭だってそうじゃないか、なんて言ってはいけない。
頭に毛がない人の場合、毛がない人にはない部分が頭なのだが、
毛があるはずの部分に毛がない人という扱いになるのだ。
ああややこしい。


こんなことを考え始めたのは先日の朝のことだ。
会社の裏口から外に出ると、刷毛が干してあった。
もう何日も前にメモを作った時、ノリを塗るのに使った刷毛だ。
モノがノリだけに、お湯でよーく洗わないと刷毛の毛が固まってしまう。
で、洗って干して、そのまま取り込むのを忘れていたのだ。

しかもこの刷毛、新品を下ろしたばかりなのだ。
前のがすっかり傷んでしまって交換したばかり。
そんな刷毛を見て、
「ああこれは刷毛むくじゃらだな」
と思ってしまった。

『むくじゃら』は毛むくじゃらを表すのにとても適している。
刷毛を干した裏庭も、放っておけば雑草むくじゃらになるのだろうな。
千手観音って手むくじゃらだな。
もやしってむくじゃらだな。

これらの使い方はいまいちハマらない。
やはり“むくじゃら”は毛にのみ当てはまるのだ。
だから『刷毛むくじゃら』も実際は違和感がある。
むくじゃらな刷毛ではきれいにノリが塗れない気がする。


だったら単位として使ってみてはどうか。
私の行く歯医者さんの腕はすごいむくじゃらだ。
今、数値を入れてみようとしたのだが、どの程度にすればいいのか困ってしまった。
視力みたいに2.0が高いと考えていいのか、
経済のように億や兆まで考えた方がいいのかわからない。

ただ、髪の毛を赤青黄などにカラーリングしている人がたまにいるが、
あれは『五目じゃら』だな、と思ってしまった。
なんやそれは、とお怒りのみなさん。
会社で思い付きを書いていたメモにそう書いてあったんだから仕方ないでしょ。






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案外デタラメは描きにくい
最近ねえ、
朝、会社に行って、
『きのう販促品を配ったぞノート』
に書くことがないと寂しいの。

一昨日は雨だったでしょ。
だから、車で会社に行ったから、いつもの販促ビニール袋を配ることができなかったの。
車だとどうしても駐車スペースを考えなくちゃならないでしょ。
やっぱり自転車が一番よね。
かごに販促品を入れておけるし。

だから昨日は販促品を持って帰って、
朝から配りに行ったのよ。
んーと、通勤途中のお店で、郵便受けのないお店や、
帰りの時間に営業しているお店など。

徒歩通勤の出発時間に仮眠を切り上げて、
そそくさ自転車で家を出る。

最初はたぶん、洋風居酒屋さん。
カタカナの名前はなに屋さんだかわからないのよ。
郵便受けがなかったから『クローズド』の看板の下に置いてきた。

次はトンカツ屋さん。
ここも郵便受けがないんだけど、新聞が置いてあったからその上に置いてきた。
囲いが合って雨に濡れないようになってたからいいでしょう。

そのあと、喫茶店となんでも修理屋さん、
ステーキハウスとマリンスポーツショップ。
ペットの床屋さんとお好み焼き屋さん。
最後に中華料理屋さんに行ったけど、ここはもう会社から見えているとこ。
逆に、この範囲を配れてよかったなあ。


昨日の帰りは、いつもの居酒屋に行ったのよ。
その前にちょっとだけ配ったの。
某ショッピングセンターの裏通り、
通称病院通りってとこ。

なんででしょうね。
病院って、郵便受けがはっきりあるところと、無いところがはっきりしてる。
あるところは、ほぼ道沿いにあって、
「ここに入れてね、私が取りに来ますから」
って感じ。

無いところは、
「けったいなもの入れささん!」
とかたくなに受け取り拒否なのよ。
そんなところにはやらんけど。

今日はまた自転車で遠出しよう。
やっぱり駅近くはお店がたくさんあるのよね。
だけど、ふと、なんでこんなことしているのだろう、って思うこともあるのよ。
なんて言うのだろう、
販促ハイと販促ブルーが交互に来るって感じかな。
うふ。





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伊賀モノいかがなもの?
まずは一礼





入床





オーバー・ザ・スリープ





昨日、あんな記事を書いたから、タイマーをセットし直したのに、
スヌーズを止めまくって寝過ごしたわ。
もっとも、みんな『黒髪』にしか興味がないようだったけど。





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そうか、なるほど。
どうもこの間から記事を書く時間が少ないと思っていたのだ。
目が覚めたらもう6時過ぎ。
あれよあれよという間に、朝ごはん時間になっている。

どうやら、先週の休日に朝寝をしようと目覚ましのタイマーを遅らせたらしい。
5時20分にあわせてあったものが5時59分になっていた。
6時台にすると元に戻すとき24時間も進めなければならない。
だから59分なのだ。

そうしたことは忘れていて、勝手に何度もスヌーズを押していたのだと思っていた。
寝ているはずなのに起きだして行動する“夢遊病”というのがあるが、
私の場合、起きて目覚ましを止めていると思っていたら寝てたということだ。
“無起病”とでもいおうか。


どうしてそれがわかったかというと、スマホの目覚ましで起きたからだ。
スマホはいつも枕元に置いてある。
目覚ましで起きられないときのために、スマホのアラームも5時42分にセットしてあるのだ。

じゃあ、もっと早く気付くはずではないか、と思うみなさん。
その5時42分が毎日鳴るようにセットしてあると思っていたら、
一回こっきりのセットになっていました。
つまり、こっちも自分で止めていると思っていたのだ。

どうしてそれがわかったかというと、
うたた寝をするのにタイマーを掛けようとしたら、
5時42分のアラームがオフになっていたからだ。

ちなみに、このアラームがオフになっているのを見つけたのは3回目だ。
でも、自分でオフにしたのだと思っていた。
明日は目覚ましで起きるからスマホのアラームはいらない。
そう自分で判断して止めたのだと思っていた。
でも、私はそんなこと思っていなかったのだ。


そういえば、電話やメールが来たことに気付かないことが増えたと思っていた。
耳が遠くなったのだと思っていたが、
昼休み、スマホを横に置いて読書していても気付かない時がある。
ちづるにその状況を説明したら、マナーモードになっていることがわかった。

これは絶対私がしたのではない。
やり方を知らないからだ。


それより昨日の晩のことだ。
お風呂に入る前に伸びてきた黒髪をバリカンで刈った。
刈ったらすぐ風呂に入らないと、毛の破片でチクチクしそうだからだ。
で、服を脱いで風呂に入ると、お湯がない。
どうやら栓をしてふたを閉めて、お湯張りのボタンを押さなかったようだ。

どうやら最近の私はボタンを押し忘れる傾向があるようだ。
今も、目覚ましのスヌーズを切り忘れて、あわてて消しに行った。
ちづるの睡眠を邪魔すると、私が消されるかもしれない。






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普通のトケイじゃないからなあ
A型人間である私は能率・効率を愛す。
なるべく無駄な時間を省き、、損の無いように動きたい。
だから朝は、運動を兼ねて徒歩や自転車で通勤している。

会社に着いたら、まず機械を電源とモーターを入れる。
暖めるためだ。
それからカバンを置き、上着を掛ける。

電気ポットに水を入れ、スイッチを入れる。
この後、ラジオ体操をして機械を拭くと、ちょうどお湯が沸くのだ。
コーヒーを淹れて、それを飲みながら前日に販促品を配った店をノートに記す。

ここまでは以前書いたことがある。
実はもっと細かく能率を極めていることがあるのだ。


ラジオ体操をする時の音楽はスマホのYouTubeを利用している。
スマホは私の右手にある机に置いておく。
最後の深呼吸とともに体操は終わり、音楽も切れる。

ところが私の運動はここで終わらない。
ラジオ体操はあまり足の運動をしないのだ。
ヒザ、足首、アキレス腱など、足には不具合を起こすパーツが多い。
だからここは自主的に伸ばしたり曲げたりしているのだ。


ラジオ体操が終わって、まず最初は屈伸だ。
ヒザを曲げたり伸ばしたりする。
続いて足を開いてヒザ伸ばしだ。

まず、左のひざを伸ばす。
体は右側、つまりスマホ側に近寄る。
その時にスマホのボタンを押し、YouTubeを切る。

体操は続けたいが、このブログのコメントも見たい。
でも、スマホを放っておくと勝手に電源が切れてしまう。
だから、体操で体がスマホ側に来たとき、少しずつ、画面を変えてゆくのだ。

次は深く膝を折って筋を伸ばす。
体が右に寄った時、ページを戻す。
私のYouTubeは2ページ目にアイコンがあるのだが、ブログは1ページ目なのだ。

次はアキレス腱を伸ばす。
右に行ったとき、ブログのアイコンを押す。
今度は深く足を曲げ、太ももの裏の筋を伸ばす。
右に行ったとき、今日の記事を押す。

股関節を伸ばし、肩入れをして体操は終わりだ。
スマホを手に取り、コメントを押せば、ほうら皆さんの感想が読める。
どうだ、どうでもいいでしょう。





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♪ちゃんちゃかちゃ~ん
昨日は親父が病院に行く日だった。
いつもなら母が付き添いで、私は運転手なのだが、
「しばらく風邪をひいてて頭がボサボサだから行きたくない」
と母が言いだしたので、私が付き添いになってしまった。
普段なら車で寝ていられるのに。

診察券などを提出して、名前を呼ばれたら親父に教える。
終ったら「サイフ忘れた」という親父に替わってお金を払う。
隣の薬局に処方箋とお薬手帳を出してくる。
親父を車に乗せて家に届ける。
薬を取りに来て、食糧の買い物に行く。


なにしろチチハハと私のスピードが違うので、行ったり来たりしなければならない。
そうした方が効率的なのだ。
買い物を終えて、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、一息入れる。
普段ならお昼は残り物かスーパーで買ってきたものになるのだが、
母が病院に行かなかったので揚げ物を作ってくれていた。

それもゆっくりだ。
私が最初家に行ったとき、母はエビフライの用意を始めていた。
そのあと病院やらスーパーやら回って帰ってくると、
カボチャ天ができ、から揚げをよちよち揚げていた。

親父が「腹が減った」というので、スーパーで買ってきたキモ煮を与えた。
なにやらお菓子を食べていたが、検査のために朝食抜きだったらしい。

ボトン、と音がした。
母が皿を取ろうとして急須のふたを落としたのだ。

「あ」

皿を置いて、しゃがんで落ちたふたを拾う。

「あぶないあぶない」

落としたやないか!

ふたを戻し、皿をテーブルに並べ、冷蔵庫から衣のついたエビを出してきた。
エビフライはまだだったのか。
私はもう腹ペコだ。
揚がったものから食べようか、冷蔵庫で何か探そうか。
そうそう、スーパーで買ったポテトサラダがあったはず。

ふと見ると、親父がまだキモ煮のラップをはずせずにいた。
仕方ないので手伝ってやった。
親父はキモ煮を一個取り、残りを自分の陣地に持って行った。
私にはくれないようだ。

こんな感じなので、私がどんなに効率を考えて急いでも、
決して早く帰宅できることはないのだ。






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ころんだっ





まだまだ





ぷるぷる
私はめったに休日は飲みに行かない。
しかし、ある日曜日、いつもの居酒屋に行った。
ダイコンを持って行ったのだ。

畑には手入れをされず、ひょろひょろのダイコンがいっぱいだった。
自分ちで食べるには問題ないが、おすそ分けするには恥ずかしいようなやつだ。
それも放っておいたら花が咲く。
ポンポン抜いて、一生懸命食べていた。
とっとと全部抜いて、畑を耕したい。


そんな話をしたら、女将さんやママ子さんがもったいないと言い出した。
ダイコンおろしや煮物に使うなら、サイズは関係ない。
また、ぬか漬けに凝り始めたママ子さんは、タクアンも試してみたいという。
じゃあ、持ってくるからもらってちょうだいよ、ということになった。

会社が終わってからダイコンを抜きに行くのは辛い。
寒いし、ダイコン泥棒と間違われる可能性もある。
だから休日にしたのだ。
とある日曜日、畑に行ってダイコンを抜き、ちゃんと洗い、
その細短いダイコンたちを大きなレジ袋一杯持って行った。


最初にも行ったように、休日は飲みに行かないことになっている。
だからちづるには、夕食までに帰ると言って家を出た。
ダイコンを置いて、ビールを2杯ほど飲んでサヨナラした。

その帰り道、モスバーガーに寄った。
時間も早いし、ちづるへのお土産だ。
幸い店にお客さんはいなかった。
ハンバーガーとチキンを注文して待っていたら電話が鳴った。
ママ子さんからだ。

『あのダイコン、どうやって干したらいいの?
 前に葉っぱを縛って干したらいいって言ってたのに葉っぱがないよ』

誰もいない店内、大きな声で話をするのは恥ずかしい。
だからなるべく少ない言葉数で答えようとする。

「切った」

『そしたらどこを縛ったらいいのよ』

「好きなとこを縛れよ」

『好きなとこって、どうしたらいいのよ』

「シッポでも縛っとけよ」

『わかった』

電話は切れた。
周りはシンとしている。
音が聞こえるのは厨房からだけ。
受付には店員がいる。

店員に聞こえたであろう私の会話をおさらいしよう。

「切った」
「好きなとこを縛れよ」
「シッポでも縛っとけよ」

怪しいやないか!





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隠していたのに
   ※ あらすじ ※


今年のバレンタインデーは土曜で休日だ。
義理を義理で返すのは負担になるので、
女子社員達はスルーしてもらえないか。
あるいは、国が当日以外のチョコのやり取りを禁止しろ。

それとは逆の考えだが、女子は本命には早めに渡した方がいい。
男子は予想外の人にもらうとテンションがあがっちゃうからだ。
そうやってみんなが早めに渡すようになれば、バレンタインの気運が薄まる。
そうすれば義理チョコなどと言うものは廃止されるだろう。
くれるならせんべいにして。



今日はこのようなネタを書いた。
が、名前を付けて記事を保存、をクリックしたら、
「反応していません」
の文字が。

消えちゃったのだ!
せっかく書いたネタが消えちゃったのだ!

経験者ならわかるだろう。
こうなったらもう書きなおすような気力は湧いてこないのだ。
うえ~ん。






↑もうこのネタが使えない悲しさよクリックしてね。





まだ続いてたのか
だいたい一般的にそうなのだろうが、二月はヒマだ。
私の場合、仕事のメインが午後なので、午前中は特にヒマになる時がある。
そんな時は、ダイエット体操をしているか、
ワゴンで販売する百円商品を作っている。

百円商品とは、残っている紙をちょいと加工して商品っぽくすることだ。
たとえば、適当な大きさに切ってのりを塗ってメモにしたり、
さまざまな色を組み合わせて包んだり、
ふざけた売り文句を書いたりしている。


先日、ヒット商品が出た。
ちょっと薄目のハガキ程度の厚さの紙を、5色セットで置いてみた。
サイズは21センチ×18センチ。
50枚が5色で250枚。
これが百円だ。

百円コーナーに置いてあるのに「これいくらですか」と言ってきたお客さんがいた。
値段を教えると、びっくりして二個買って行った。
9個作って、あと残り三つだ。
まあ、ヒットといってもこのぐらいの売れ行きだ。

だから売れないものはずっと売れない。
たとえば、かなり厚い黄色の紙を正方形にして角を落とし、
“コースター”だといって置いてみた。
これは一個も売れていない。
「極めれば手裏剣にもなるよ」と教えてあげているのにだ。


先日、ちょっとした和紙が残った。
これは定期的に出ている仕事なので、残りも定期的にでる。
10センチ角ぐらいに切って、湯呑やまんじゅうの下に敷くといい、
って書いておいたのだが、どうもいまひとつ減りが遅い。
違う加工を考えなくては。

そこで私はひらめいた。
細長く残っている紙をさらに細長く切り、それを細かくみじん切りにしていく。
だいたい25ミリ角の白い紙が大量にできた。
そう、新製品『紙ふぶき』だ。

ただ、紙ふぶきというのはヒラヒラ舞わなくてはいけない。
以前、野球を見に行くのにチラシで紙ふぶきを作っていったら、
まとまって「どさっ」っと落ちただけだった。
そうなったらクレームが来るに違いない。
実験をしなくては。

機械の上で一つまみ降らせてみた。
ぽとっ、って落ちた感じだ。
これではわからない。
机の上でもやってみたが、掃除をしたくない気持ちが強すぎて実験にならない。

思い切って、250枚を派手に撒いてみた。
おお、なんだかとても滞空時間が長い。
やはり紙ふぶきは舞い散らさなければ真価が問えない。
ただし掃き掃除がめんどくさい。

掃き終わったところへ口数多子が来た。
他人の意見を聴くことも重要だ。
ぱあーっと撒く。
「わあ、すごいすごい」
とても良い評価だ。

で、掃く。
掃きながら思う。
これは仕事なんだろうか、と。





↑一袋15000枚入りで百円ですよクリックしてね。






紙ふぶきなんて描きたくないの
ちづるには平気なフリを装っているよ。





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朝ごはんは食べれたよ
お昼はお鍋、ってなことを何度も書いてきたが、
いったい何で煮込んだ野菜や豆腐を食べていたか説明してなかった。
実はきのうまで、コンビニのパスタに付いてくるフォークを使っていたのだ。
おそらく私が飲みに行った日、ちづるがパスタを買い、家のフォークで食べたのだろう。
その一本を何度も洗って使っていた。

以前は金属のお弁当用先割れスプーンを使っていた。
しかし、これでは野菜をひっかけるフォーク部が短すぎる。
豆腐やワンタンをすくい、ウィンナーやシューマイを突き刺すには、
純粋なフォークの方が勝手がいい。
スープは野菜を持っていく器に移して飲むので、すくう機能は必要ないのだ。

さらに、お弁当先割れスプーンの時は、洗って拭いて専用ケースにしまっていた。
これが結構めんどくさい。
できれば鍋に放り込んでおきたい。

ただ、鍋がホーロー製だ。
金属のフォークを入れておくと、傷がつく可能性がある。
傷の入ったホーローはなんだかいやなものだ。
軽い素材のフォークが欲しい。

それで、コンビニフォークにしたのだが、これが先端がやわい。
ウィンナーを刺すのになよなよする。
しかも、何回も使っていると、だんだん何かの色に染まってくるのだ。


まず考えたのは木製のフォークだ。
和風の小物屋さんや、オシャレ雑貨屋さんに置いてあるのを見た。
わかったのは、木製のカトラリーは、9割9分がスプーンだということだ。
見つけたフォークはわずか三種。
フォークというよりは、木製スプーンの先っぽをのこぎりで切れ目を入れた感じだ。

これはなんだかよくない。
この狭い隙間に野菜が入るとは思えない。
それに、はっきり言って、私はちゃんと洗わない。
木製のものがちゃんと洗ったり乾燥させたりできないと、何か繁殖しそうな気がする。


やはりここはプラスティックだろう。
これがなかなか都合のいいものが売っていない。
ホームセンターにあったプラスティック製フォークは、
パーティー用の使い捨てタイプだった。
これではコンビニのフォークと同じではないか。

もう一つはアウトドア用のカラフルなセット。
だがこれ、スプーンと5本ずつはいっているではないか。
まったく必要のないスプーンを5本も家に置いておきたくない。


こんな時こそ百円ショップだ。
さすが、プラスティック製品の品ぞろえはすばらしい。
フォークだけで色も形もよりどりみどりだ。
フォーク部の隙間が広く握りがしっかりしたステキなフォークが見つかった。
4色が2本ずつの8本入りだ。

ただ、この百円ショップのレジにべらぼうな行列ができていた。
安バレンタインの一団だ。
こんなのを待っていられない。
ちなみにここはあちこちめぐった帰りのショッピングセンター。
地元にも同じ系列のショップがある。

そんなわけで、昨日販促品を配った帰り、百円ショップで買ってきた。
おそらく、日曜にはこれが千本買えるぐらいのガソリンを使っただろう。
昨日は小銭が4円あったから3品買った。





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山なりじゃん
先日、名古屋おでんの特集をテレビで見た。
赤味噌で煮込んだ地獄の釜のようなおでんだ。
私の住む伊勢市は、名古屋に近いからかもしれないが、そんなに違和感はない。
伊勢のおでんはダシで煮るが、好みでみそやからしを付けて食べる。
私も、味噌がないと寂しいタイプだ。

味付けよりも重要なことがある。
その品数の少なさだ。
その番組で紹介されていた店では、おでんメニューは6つ。
ダイコン、玉子、こんにゃく、丸いはんぺん、スジ、サトイモだけだ。
他にちくわなんかが入っている店も紹介されていたが、全体的に種類は少ない。

ちづるはこれに大賛成だ。
あんまりいろいろ入っていなくていいという。
そうだそうだと私もこぶしを振り上げていたが、
ひりょうずは欲しいかな、とうふもいいな、ごぼてんも捨てがたいな~
などと考えていた。


ともかく、冷蔵庫にはダイコンがたっぷりある。
今年は手入れができなくてダイコンの成長がとても悪い。
昨日、生活は充実、なんて書いたが、畑は全く充実してないのだった。
だから細いダイコンを引っこ抜いて、あとを耕したいと思っているのだ。

夕方、まず卵を6個茹でた。
それを冷ましながら、ダイコンを切って皮をむく。
細くて小さいから10本ぐらい使った。
これを下茹でする。

お湯を捨てて、他の具を入れる。
今日は、さっき剥いた玉子、こんにゃく、ちくわ、厚揚げだ。
先日のテレビで触発されて、サトイモを入れたいと言ったが、ちづるが難色を示した。
ダシが濁るのが気に入らないらしい。
どうせ一日では食べ終わらないので、具が減ったらサトイモを入れることにした。


さて、ここで皆さんにうかがいたい。
特に関東の人。

さっきの番組内でサトイモが紹介された時、
スタジオ内からは、
「ええ~、ジャガイモでしょ~」
という声が上がった。

おでんにジャガイモ、あり得ない!
肉じゃがを考えたらわかるように、汁がどろんどろんになるではないか。
サトイモも定番とは言いにくいが、ジャガイモよりはずっとマッチしている。
おでんにジャガイモが当たり前の地域があるのだろうか。

ついでに言っておくが、ジャガイモは味噌汁に入れるのも信じられない。
考えてごらん、ポテトだよ。






↑最後は「触ってごらんウールだよ」を参考にしたのでクリックしてね。





ブルンブルンが楽しい
私は今、充実している。
たとえば、仕事中の老眼鏡。
遠近両用を作ったり、折りたたみ式を買ったりしたが、どうも具合が悪かった。
どうしても、いざという時に手元にないことがあったのだ。
それが、首からぶら下げる方式にして解決した。

通勤用のカバンも落ち着いた。
いっぱいポケットがあるのやら、帰りに手ぶらになれるのやら、
なんでもポイポイ放り込める袋型やら、いろいろ買ったが決まらなかった。
それが今、昔買った折りたためるショルダーバッグで安定している。
文庫本とライトとゴマを入れるポケットだけあって、畳むと手のひらに納まるのだ。

魚肉ソーセージやらバナナやらおにぎりやら保温やらスープやら、
どうしたらいいのかわからなかったお昼ごはんも、野菜鍋が続いている。
味付けに使っている和風だしもすでに二本目になった。

徒歩通勤の時聞いているウォークマン。
なんと、iTunesストアで買った音楽を取り込めることがわかった。
いままで、聴く曲によってウォークマンやスマホを使い分けていたのが、
その時の環境でどちらでも好きな曲が聴けるようになったのだ。
偉いぞ、ワシ。

職場もやっと落ち着いてきた。
在庫も片付いたし、棚は決まったし、
エアコンもついたしカーテンもついたし、お湯は出るようになったし、
朝も、ラジオ体操、機械拭き、コーヒーというリズムもいい。


ただ一つ、どうしたらいいのか困りに困っていることがある。
カラオケだ。
ママ子さんがスナックをやめてしまったので歌を歌うところが無くなったのだ。

いつもの居酒屋の近くにあるカラオケボックスに一人で行こうとした。
店の前には学生の自転車がいっぱいだ。
なんだか恥ずかしくて、いつもの居酒屋に行ってしまった。

スナックに行かなくなったのでお金には余裕ができた。
しかし、別のスナックのなじみになるのは勇気がいる。
ママ子さんちより安い店があるとは思えないのだ。


そんな中、昨日は獅子座会だった。
メンバーの都合で3人だったが、いつもの焼肉屋に行った。
今までなら、メンバーであるママ子さんの店に行くだけだった。
これからの会の方向性を肉を食べながら考えた。

とりあえずこの日はママ子さんの顔が利く別のスナックに行った。
この店はカラオケの得点が表示されて、
その中の『感情表現』という項目が5点、55点、95点ならボトルサービスだ。

なんと二曲目、私とママ子さんが歌った歌でボトルをゲットしてしまった。
これでもう、この店に来ないわけにはいかない。
こうして、新しく歌う店が決まってしまった。


え?
どうしても知りたい?
はい、5点です。





↑ママ子さんの店より得点が辛いのでクリックしてね。






スランプかしら
昨日も仕事終わりに販促品を配りに行った。
通勤距離が以前より短くなったので、遠回りをしてカロリーを消費しているのだ。
しかし、歩いていける距離は配り終わってしまい、自転車で遠方に行くようになった。
昨日は東、今日は西、伊勢市の地図を用意して通ったコースをチェックしている。

こうなってくると、なんだか楽しみになってきた。
私にとっては狩りなので、ちゃんと獲物は記録に残す。
出勤して、ラジオ体操と機械拭きのあと、
コーヒーを飲みながら投かんした店をノートに書くのが至福の時だ。

ところが、この狩りを始めてから自分がいかに衰えたかを実感させられてしまった。
体力ではない。
記憶力の著しくあからさまに極度の低下だ。


狩りに出かけた初日、十枚ほどの販促品を持って近場を回った。
知っている店ばかりだったのだが『やすらぎ』という居酒屋の店名が変わっていた。
翌日会社でノートに書き始めたら、その店の名前が思い出せない。
もう一度確認に行ったら『ザッカーズ』だった。
それ以来、販促品を配ったらメモをするようになった。

特に苦手なのが横文字だ。
カフェとパソコン教室をやっている『PAS』という店があった。
ここは出勤時に放り込んで行ったところだ。
これが、会社に着いたら、三文字のアルファベットとしか思い出せない。
たしか教室関係で…『PEN』だったか『PON』だったか、って感じだ。

『SAVOIR』の看板を見ながら『サボアー』と覚えてメモに取り始めた。
はて、「ボ」は「B」だったか「V」だったか、もう一度看板を見る。
ええと、「アー」は「ER」だったか「IR」だったか。
6文字を書き写すのに3回も見なければならないのだ。

『Dolce Vita』はなんと読むのだろう。
メモに「ドルセビタ」と書いてから、カタカナの看板を見つけた。
『ドルチェヴィータ』だそうだ。
そっちを大きく書いておいてほしい。

イタリア料理店『○○○○ ○○○○元』という店だ。
『元』とだけ書いた。

朝寄った喫茶店は簡単な名前だった。
店の前でメモを取っていて不審がられても嫌なので、歩き始めてからメモしようとした。
なんだったっけ?
たしか、なんだか可愛らしい感じの名前で、えーと、えーと…
振り返ってみたら『らぶり~』だった。

こうなるともう横文字ですらない。
なにしろ『らぶり~』の看板は縦書きだった。
日本語も覚えられないのだ。

ちづるにその日回ったコースを説明していた。
そうそう、病院にも入れてきた。
たしか、循環器科と矯正歯科と胃腸科だ。
メモを見てみると『おの』と『きくち』と『こばやし』だった。
地味すぎるのだ!


こんな私だが、居酒屋だけは始めて見る店でも忘れないのであった。





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支払いもしたかどうか
私ときたらあいかわらずささやかなダイエットを続けている。
通勤はなるべく徒歩。
片道およそ25分。
場合によっては自転車。
その時はちょっと帰りに遠回りをしたりする。

仕事の合間には体を動かす。
おもにウエストに負荷をかける運動だ。
あとは腕立て伏せやスクワット。
家で眠っていた筋トレ用チューブも会社に持って行った。

お昼は小鍋で野菜中心だ。
ハクサイ、キャベツ、もやしのほか、豆腐やこんにゃくなどを入れる。
それだけでは寂しいので、ウインナーやシューマイ、ワンタンなども入れる。
それでも以前のお昼と比べたらずいぶんカロリーは少ないと思う。


そんな生活をしているが、やはり禁欲を維持するのは無理がある。
ちづるが買ってくるパンはおやつにしているし、
コンビニでゆで卵やかりんとうを買ってしまうこともある。
飲んで帰ったあと、遅い時間にちょっとご飯を食べたり、
なぜかこの季節に、モナカアイスにハマったりもしている。

こんなことを書いていると、よくお言葉をちょうだいする。
夜は9時以降はなにも食べちゃダメ。
炭水化物は控えるべし。
運動は有酸素運動で○○分前にカフェインを摂ると効果的。
食事はまず野菜から順番に。

わかっている。
世の中にはありとあらゆるダイエットが氾濫しているのだ。
放っておいても目から耳から情報が入ってくる。
「こうすることが最も効果的なダイエットです」と。

だがしかし、それがいけないのではないか。
最も効果的ということは、最も目的に早道だということだ。
ダイエットしなければならない人たちが大好きな言葉にすると、
“もっとも楽な方法”だ。

これだ!
ちょっとでも楽をしようというその考え方が“太り”を生むのだ。
ぶんよりした腹回りを形成するのだ。


スーパーに行ったらちょっとでも入口に近いところに車を停めたがる。
開いているスペースがなくてウロウロする。
どこかの車が出て行ったら、ライバルと取り合いだ。
サッと遠くのスペースに停めて歩け!
むしろ家から歩いて来い!

ダイエットも同じだ。
なるべく“ヤセ”に近いところにいようとするこの腐った性根。
遠くから歩く方が実は“ヤセ”には良かったりするのだ。
そうする方が近道だったりするのだ。

あ、いかん、だとしたらこの考え方はダメってことではないか。
近道する話を遠回りして述べただけではないか。
こんなだから私のダイエットの効果は緩慢にしか現れないのか。

緩慢にでも、現れているか…?






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吹き矢が狙ってる
気が向いた時には会社帰りに販促品を配っている。
郵便受けがない店も多くて、なかなか数がこなせない。
それでも、自転車で行ける範囲で70軒ほど配った。
伊勢市の地図を用意し、今度はこっち方面を、などと計画を立ててニヤついている。

そんな昨日、メーカーの営業さんが上司を連れてやってきた。
二人で販促品を配ってくれるという。
向かったのはお払い町。
言わずと知れた伊勢神宮内宮参道、伊勢市で一番の繁華街だ。

ここを配ってくれるのはありがたい。
私が会社帰りに行くには遠すぎるし、休日に行ったらとんでもない人出だ。
しかもお店の数はどこよりも多い。


だがしかし、あやしい。
あやしすぎる。
あやしもあるでよ。

観光だろ!


どうもおかしいとは思っていたのだ。
二人でやってきたのが11時過ぎ。
販促品を持って出発したのは11時半だった。
お昼をお払い町で食べようと思っているだろう!

上司を連れてきたのはある意味接待だ。

「部長、今度一緒にいかがです。伊勢志摩の山海の珍味を会社の金で」

「キミ、なかなかやるね」

そうさ、会社の金に違いないのだ。
となると、伊勢うどんなんかじゃすまされない。
『とうふや』で豆腐フルコースか。
『わらじや』の釜飯か。
『すし久』でてこね寿司か。

まさか、松阪牛をねらっているのではあるまいな。
いやいや的矢の牡蠣もある。
最近できた安乗フグの店の情報も仕入れたか。
アワビ、伊勢エビなんて言ったら、もう二人並べてビンタだ。


どうせ参詣もするのだろう。

「さささ、どうぞ部長、足元がお悪いですが鳥居をおくぐりください」

「キミ、なかなかやるね」

お賽銭も会社の金だから奮発して万札なんかをヒラヒラ入れちゃうに決まってる。
で、そうそう領収書、なんて気が付いて、
お賽銭の領収書は出せません、って宮司さんに言われてガックリ。

「キミ、なかなかやらないね」

なんて上司の評価もダダ下がりだ。
アホかキミは。

いや、アホなのはワシか?





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ホントはお店が並んでいます
あー寒い。
うー寒い。

これだけ寒いと心配なことがある。
雪だ。
めったに積もることのない伊勢市だが、去年は破格の大サービスで、
ちょいとしたパニックになる程度の積雪があった。

忘れもしない。
えーと、いつだったかな。
ちづるが言うにはちょうどバレンタインデーだったそうだ。
電車が駅で立ち往生になったために、すべての踏切が下りたままになり、
長靴はいて徒歩で出勤した私まで帰れなくなったのだ。

わが社にはいろんな業者の運送屋さんが荷物を持ってくるが、
みんな口をそろえて「二月は怖い。心配だ」と言っている。
ほとんどの運送屋さんが、あの日は辛い思いをしたのだ。
だいたい、年に0.5回は雪が積もることがあるのだが、
いつも見た目が白くなるぐらいで、大したことはなかったのだ。

あの雪が我々に与えた影響は大きかった。
ホームセンターでは、それまで見たことのなかった雪かきスコップが売られるようになった。
雪かき、それは我々にとって、聞いたことはあるが本当に存在するかどうか、
ファンタジーの世界の仕事のようなものだったのだ。


考えてみれば、雪国の人たちは私たちが普段している仕事に、雪かきがプラスされている。
ニュースで見たのだが、雪の多い日は日に三回も雪下ろしをするそうだ。
あれは、「この仕事プラスしといて」って言われたとして、
ホイホイと引き受けられるしごとではない。
超ハード肉体労働極寒付なのだ。

今の私の生活を考えてみよう。
ここに雪かき作業がプラスされるのだ。
おお、そんなことになったら暇な時間にしているダイエット体操ができなくなる。
時間的にもそうだが、体力が奪われてクタクタになってしまうだろう。


この雪かきを体験するツアーがあるという話を聞いた。
なるほど、何でも体験しておくのはいいことだ。
だがしかし、「どれ、どんなものかためしてみよう」なんて気持ちで、
自主的にやりに行く雪かきと、
いやでいやで仕方がないけど、やむにやまれぬ事情でする雪かきは違う。

ちょいと知った飲み屋さんの女の人で、
「飲みに来い」と乱暴な言い方をする人がいる。
この人は間違っている。
「来い」と言われて行ったとしたら、言われたから行ったことになるが、
「来てね」と言われて行ったら、行きたくて行ったことになるのだ。

どうやら、関係なかったようだ。





↑ホントはちょっと楽しみなんだけどクリックしてね。





手抜きじゃないよ
昨日は月曜日。
引っ越し前の職場近くの居酒屋に行った。
そこは、むかしむかし市内で一番にぎわった商店街だ。
その裏通りは、歓楽街だった。
商店街の休みが月曜なので、販促モノを配りに行ったのだ。

その近辺をふらふらしたが、どこにも昔の面影はなく静かなものだ。
それで私は確信した。
この時間帯にこれだけ静かだということは、今日は節分ではないな、と。
なんだかイマイチ節分の日がよくわからないのだ。


でも、実際は節分の日の夜も静かになった。
もう豆まきをする家も少ないのではないか。
もちろん我が家もしない。
せっかく休火山になっているちづるに、「鬼をやれ」なんて言えない。

なんといっても豆まきをしなくなった理由は、恵方巻の浸透だろう。
日本人はバカではない。
子どもが泣きわめき、家じゅうどころか外にまで豆を散らかす行事と、
子供が静かに買ってきた食事を食べてくれる行事。
どちらがいいかは明白だ。

一旦こうなると、そうやって育った子供は、大人になって恵方巻が当たり前になる。
また、豆まきはご近所がやっていないと、自分ちだけやるのは恥ずかしいものだ。
豆まきをしていた頃も、どこかから「鬼は外~」の声が聞こえてきてから始めていた。


ところが、もはや恵方巻すら正統なやり方が崩れてしまっているようだ。
切っちゃう、しゃべっちゃう、よそ見する。
どうかすると、普通に手巻き寿司パーティーになっているところもあるらしい。

だいたいの行事が日本ではそんなものだ。
クリスマスはデートの日だし、
ハロウィンは仮装で出歩いてもいい日だし、
バレンタインデーはダイエット中でもチョコレートを食べていい日になってしまった。

それもこれも全て企業の介入だ。
バレンタインでチョコレート業界が盛り上がったのを見て、
あらゆる企業がそういう全日本的イベントを求めているのだ。
ちなみに、恵方巻のヒットで海苔業界はホクホクらしい。」


さて、わが母はいまだに昔の行事を守っている。
とても縁起担ぎなのだ。
この間買い物に連れて行ったときに、節分の買い物をしていた。
その時、イワシの丸干しを買っていたのだが、最初それが節分関連だとはわからなかった。
そうだ、節分こそがイワシの頭を信心する日ではないか。

私は豆よりチョコよりカボチャより、イワシの方が好きだ。
海苔巻だってわざわざ高いときに買いたくはない。
がんばれイワシ業者。
ステキなイベントを考案して、イワシ祭りを盛り上げてくれ。
子どもにはウケないだろうけど。





↑海苔巻安くなってるかなクリックしてね。






配役はどうやって?
女の人は不思議だな、と思うことがある。
どうしてあんなにスカートを引きずって平気なのだろう。
大事のスカートなのではないのか。

例えば、わが店。
商品が減ったら補充し、季節が変われば飾りつけを変える。
そんな作業を女子たちが一生懸命やってくれているのだが、
しゃがんで作業するときに、スカートの裏側が地面に接地していることがある。
遠目に見たら巨大な吸盤みたいだ。

あの引きずる部分を膝の裏側にたくし込むわけにはいかないのか。
そうしたら、スカートは地面に触れないでいられる。
たくし込んでいる場合も見たことがあるので、方法は知っているはずだ。
じゃあなぜ毎回そうしない。

まだ店の中だったら、床の手入れもしているだろう。
でも、こういう光景は外でもよく見る。
地面に接触したスカートの裏側が、立ち上がったら今度は足に接触する。
それはいいのか。

仮に、汚くなかったとしても、地面はザリザリだ。
布地が痛むのではないか。
すり減ってしまうのではないか。
その結果、女の人は服服服服服服服服言うようになるのではないのか。


さて、女の人のもう一つの不思議は、お肌の手入れだ。
いったい、何種類の何を顔に塗りたくっているのだろう。
聞けば、一番の目的は保湿だそうだ。

『保湿干されつ』

不思議だ。
保湿と聞いてまず思い出す「さしつさされつ」を保湿に当てはめると、
真逆の意味になってしまう。
どうでもいいが。

先日鏡を見たら、私の目じりにもおっさんの年季が入ってきた。
お肌自慢の私のことだ。
ちづるになんとかならんかと質問したら、クリームをくれた。
なんかとなんかとなんかの役目をそれ一本で賄ってくれるという魔法のようなクリームだ。

お風呂上がりにそれを塗り塗りしていると、
「なんやそのかかとは!」
とちづるが指差した。
私のかかとがその辺の地面よりザリザリだったのだ。

こんなかかとでもしストッキングを履いたら、すぐにデンセンしてしまうだろう、とのことだ。
ここでちづるがハッと気が付いた。
「だからか」

私のスリッパのかかと部分が派手にデンセンしている。
なんというか、スリッパが藻の生えた千年亀みたいになっているのだ。
これはもう、ザリザリのかかとに私の体重を掛けてグリグリやっているからに違いない。

そうか、女子のスカートはふうわりとなっているからすり切れないのか。





↑まず、スカートは寒いでしょうクリックしてね。






ひょっとしてリモコン?
なんともう今年が一ヵ月も過ぎ、二月になってしまった。
ということは、昨夜は今年最初のみそか寄席だ。

生で若手の落語を聴いていると、ときどき面白いことがある。
ついつい、あり得ないことを口走っちゃうことがあるのだ。
たとえば昨日、『仏師屋盗人』という噺で、仏像職人が取れた仏像の首を直すシーンで、

「よし、これでオッケーや」

オッケー?
江戸時代のオッケーとはなんや?
“桶”のことか?


以前、『宿屋仇』という噺の中で、トラブルに巻き込まれた三人組の会話の中で、

「このメンバー中で…」

メンバー?
江戸時代の宿屋でメンバーってなんや?
“麺婆”のことか?



ってなわけで、今日は二月のカレンダー。

知らない人のために説明しておこう。
私は毎朝更新をしているのだが、毎月月末の夜はみそか寄席という落語会に行き、
帰ってくるのが深夜になる。
そのまま普段通り起きて更新すると睡眠不足になるので、
カレンダーを出してごまかしているのだ。

今日は休日なのになぜ?
という質問は受け付けない。


如月だったなあ



漫画の1ページみたいな感じにしたかったのはお判りだろう。
でも、背景とかいうものを描く能力はないのだ。
なので2コマぐらいスクリーントーンを貼って、やめてしまった。
セリフもなんか書こうかと思ったけど、なんもないのだった。

なので、毎月そうではあるのだけれども、
今回は特に、遠目に見るようにしてもらいたい。
日付小さいけど。




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