昨日は月に一度の親父の通院日だ。
付き添いの母親とともに病院に乗せていき、私は駐車場で読書をしていた。
そのあと食品を買いにスーパーに行き、
ちづるが出勤の日だったので、実家でお昼を食べてきた。
家に帰って作っている時間がないので、スーパーでお総菜を買った。
ウチの両親はもう結構な年なのに、肉も揚げ物も大好きだ。
私がから揚げを選んだのに、白身魚のフライを買い、
さらに味噌汁に入れるのにかき揚げを買おうとしていた母。
健康なんだか不健康なんだか。
親父はなかなかに内臓が強い。
一時血圧が上がったのだが、今は薬で落ち着いているようだ。
脂っこいものが好きな上に超甘党なのだが、
糖も肝機能もその他もろもろ数値には異常がない。
親父は食にとてもうるさい。
それも、質より量にこだわりがあるようだ。
例え刺身があと一切れになっても、いらないと思ったら決して食べないし、
ごはんをよそう量には刑務所並みに神経質だ。
たとえば、おかわりをするのに、
半分、ちょっと、少し、ほんの少し、一口、ちょっとだけ、などの分類があり、
「このぐらい?」とよそった量を母が見せると、
もっと、もうちょっと、多い、多過ぎる、などと必ずクレームをつける。
で、多いときはまるで一大事のように大きな声で「多い!」と言う。
そんな親父なのに、揚げ物につけるソースの量に無頓着なのはなぜだ。
マヨネーズを小皿にたっぷり出して、そこにウスターソースをとっぷりかける。
それをから揚げやフライにたっぷりつけて食べている。
それでもあとにはソースがたくさん残っている。
何十年も繰り返してきたことだ。
自分が食べる量もわかっているはずだ。
なのにどうしてちょうどいい量のマヨネーズやソースが出せない。
むしろ、足りなかったら足せばいいではないか。
付けて食べる方式で量がわからないのなら、かけて食べたらどうなのか。
それなら適量もわかりやすいだろう。
最近のマヨネーズは細く出るから、分量の調節も簡単だ。
だがそれはしない。
これはもう、マヨネーズを出すのがヘタだと考えるしかない。
ちょうどいい量を上手に出せないのだ。
たとえば。上手なペンキ屋さんは色を合わせてもあとに残らせないという。
最初から、どの色がどのぐらい必要かを把握しているのだ。
私が知っている印刷業の人でも、達人はインキを印刷機に残さない。
印刷される絵柄と枚数を見て、大体のインキ量がわかるのだ。
印刷機にどうしてもついてしまうインキ量も勘定に入れてだ。
あれだけ毎日繰り返している作業でその量がわからない親父。
マヨネーズ出しの達人になれとは言わないが、
せめて人並みの判断ができるようになってほしい。
おそらく、そんなことだから医者通いをする羽目になっているのだ。
ちょうどいいだけご飯を食べて、食後の大量の薬を飲みかねることになるのだ。
……
……
あのいっぱいある薬、マヨネーズ味にならないだろうか。

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