2013年05月

ここでは、2013年05月 に関する情報を紹介しています。
夏風邪はしつこいとは言っても、薬飲んで寝てりゃ治るだろう。
と思っていたけど、コイツが想像以上にしつこい。
先週の火曜日の夜、スナックで歌っている時に発症したのだから、まる一週間が過ぎた。
夜にはすごくむせて苦しい。
こうなってくると心の片隅に「肺炎じゃないか」という疑いが湧いてくる。

実際、痰が喉よりも深いところから出てくるような気がする。
「とりあえず病院に行っておけ」
とちづるも言うので、水曜日の朝、出勤前に医者に寄った。

先日、目医者に行ったとき、のんびりしてたらすごく待たされたので、
開業時間の9時よりも早く行っておくことにした。
車なら10分ぐらいの距離だ。
8時半に家を出たら十分だろう。

この病院は、この間背中が痛くなった時に行ったところだ。
だから診察券を持っている。
それと保険証を用意して財布に入れた。
これで準備は万端、会社に行く日より余裕があるので仮眠ができる。


病院に着いたのは予定通りの9時20分前。
もう待合室は開いていて、既に待っている人がいる。
受付の診察券入れに診察券と保険証を入れて、部屋の隅っこに座った。

そろそろ診察が始まるという時間に名前を呼ばれた。
以前来たことがあるから知っている。
「今日はどうされましたか」
と訊かれるのだ。
私は読んでいた文庫本をしまって、受付に行った。

もちろん、今日はなぜ来たのか聞かれたのだが、
その前に、

「まず、ポンタカードをお返ししておきますね」

と言われた。


ポンタカード、
それは私がローソンで買い物をするときポイントが貯まるよと言われて持ち始めた、
のどかでのんきなカードだ。

ぐおおおー、はずかしー!
診察券と保険証を出したとき、一緒に出してしまったのだー!
このあと、体温計を渡されたが、絶対に3度ぐらい上がっているに違いない。
顔から火が出て、目の周りが黒くなってポンタってあだ名になってしまいそうだ。
葉っぱがあったら顔を隠したい~

なんでよりによってポンタカードなのだ。
免許証だって献血手帳だって財布に入っているのに。
せめて本屋のポイントカードかエディカードだったら。

いや、誰がこのカードに「ポンタ」なんて名付けたのだ。
ばか。

診断は風邪だった。
恥ずかしかったので早々に“どろん”した。








↑ポイントはたまらないけどクリックしてね。







よいやっさっ
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昨日の朝はうまく更新できず、
「夜更新しますー」
などとその気もないのに先延ばしにしてえらい目にあった。
夕食後にパソコンをつけたら、何も事態が改善されていないのだ。

いつもどおり絵を取り込んではいるはずなのに、それが表示されない。
絵を貼り付けられなかったら絵日記ジャンルではなくなってしまう。
あちこちいじってみたが変化はなく、ちづるに助けを求めた。

ドラマから目を離せないちづるは、自分のパソコンを起動し、
私の管理画面をつけてみた。
するとちゃんと絵が表示されるという。

となると問題はFC2ではなく、私のパソコンだということになる。
これはえらいことだ。
原因がFC2なら、文句を言っているうちに勝手に治ってしまうが、
パソコン内の問題となると、自分でなんとかしなくてはならない。

あたふたしていると、ドラマを観終わったちづるがのっしりと私の部屋に現れた。
私の知らない画面が次々と現れ、あれこれしているうちになんだか直った。
直したちづるは立派だが、自分でもどうして直ったのかはわからないそうだ。


『家庭菜園あくせく日記』というホームページでネットデビューして以来、
度々、こういう試練に見舞われる。
私はこの『あくせく』という言葉を使ったのが良くなかったのではないかと疑っている。

というのも、『あ○△○』という形状の単語には不確かなものが多い。
ここまでの文章にも意図的に三つほど挿入してみた。
あちこち、あたふた、あれこれ、だ。
どうだろう、あいまいな感じがしないだろうか。


あちこち、あれこれ、はどっちなんだか何なんだかわからない。
同じように『あげさげ』は上げてるんだか下げてるんだか、
それよりも、最終的に上がったんだか下がったんだかすら不明だ。
『あしこし』に至っては足か腰か、体のどの部位かが判明しない。
いかにもあやふやな表現だ。

今使った『あいまい』『あやふや』がまさにそのままだ。
『あべこべ』なんてもはや逆になってしまっている。
他にも考えてみた。

『あんどん』といえばぼやけたあかりの代表だ。
昼あんどんなどと言われたらボーっとしている人への悪口に使われる。

古典で習った『ありおり』という活用は今だになんのことやらさっぱりわからない。
これがそのあと『はべり』なんていいだすのだ。
もっとも、一番わけわからんのは『いまそかり』なのだが。

『あかさか』なんて地名があるらしい。
東京のテレビでよく使われる地名だ。
でも、本当に存在する場所なのか、我々田舎に住んでいるものにはわからない。
ペンギン村やムーミン谷となんら変わりない。
本当は「ハリーポッター」の魔法の国を例に挙げたかったのだが、思い出せなかった。

『あんまん』は見ただけでは何まんかわからない。
『あねかね』と尋ねられても、私に姉はいないので答えられない。
『ありもり』なんて人は知り合いにいない。


もうないと思う。








↑また絵が出なくてあたふたしてるけどクリックしてね。







時間もなかったのよ
あーとーで。

そうやって先延ばしにしたことを、本当に後でやるのは苦痛以外のなにものでもない。
なぜなら、「あとで」と言うのは「あとでやります」ではなく、
「今したくない」ということだからだ。
今したくなくて後でしたくなることなんて、排泄以外に存在しない。
したくないことはあとも先もないのだ。

逆を考えてみよう。

「アイスクリーム食べたーい」

「あとでね」

このアイスクリームが“あと”に伸ばされたことによって、美味しさが増すことはない。
必ずレベルダウンするはずだ。
その理由は小学生が知っている。

「あの時食べたかったの!」

そう、あの時食べていれば一番美味しかったのだ。
理屈なんていらない。
そうなのだ。

そのタイミングを外されて、
「我慢した分おいしいだろう」
みたいなことを言われたら不愉快この上ない。
せっかくのなめらか濃厚ソフトクリームも砂混じりの苦虫みたいな味になってしまう。


全ての要素を1として数式化するとわかりやすくなる。
甘さや冷たさといったアイスクリームの魅力がプラス1。
欲求が満たされたという喜びがプラス1だ。

これで、1+1=2
2ヨロコビを得られた。

これが「あとで」にさらされると数式が崩れる。
この二つのプラス要素は変わらないが、そこに別のファクターが現れる。

欲求が満たされなかった怒りが-1。
そして、欲求を満たしてくれなかったコイツが憎い、が-1だ。

1+1-1-1=0
何も喜びを得られなかった。
これをスネルの法則と呼ぶ。


さて、こんな時間帯に久しぶりにネタを書いている私。
別に自分で「あーとーで」と言ったわけではない。
また絵や文章を書く事が、アイスクリームのように甘く冷たい魅力でもない。
私の知らない何らかの力によって無理やり移行させられたのだ。
ウキウキしているはずがない。

今、更新して、明日の朝も普段通りに更新?
なんで?
間隔が短いやん。
読む方もせわしないやん。

んー、やっぱり更新は明日にしよかいな。









↑会社の結束機まで壊れたんだけどクリックしてね。





↓これが今朝描いた雑な絵
水分多い

連絡

今日は寝過ごしてお絵かきネタにしようと思ったのに、
アルバムのファイルデータが開きません。
なので今日は夜更新します。

さあて、できるかな。
スナックで歌うときは、その割合に苦心する。
ほかの人のことも考えて、8割は懐かしのメロディで、
1割がマニアック曲、あとの1割がチャレンジ曲だ。

さて、私は時々『AI』という歌手のことを書いているが、
いま検索してみたら、最初に『AI』のことを書いたのは3月28日だった。
なんと、それからちょうど二ヶ月だ。
二ヶ月間、ひたすら『AI』にチャレンジし続けている。

前にも言ったが、この人は素直に歌わないので覚えるのが大変だ。
とりあえず、最初に気に入った二曲はなんとか歌えるようになった。
といっても、上手に、ということではない。
間違わずに、だ。

あの節回しやら、言葉の流れ方を覚えるのに、これはまず、歌詞を覚えねば無理だなと思った。
そこで、メモに歌詞を書き写し、仕事で使う機械に貼って覚えた。
ちなみに今日までに6曲暗記した。

2ヶ月で6曲って少ないぞ、なんて思ってはいけない。
歌詞だけならだいたい一日で覚えられるのだ。
そのぐらい仕事中に集中して暗記をしているんだから。

その歌詞カードをО川に見られて恥ずかしかった。
自作のポエムじゃないからね


とりあえず歌詞を覚えて、それから曲の細かいところをチェックしていく。
♪あーあああー
と歌うか
♪あーあー  ああっ
と歌うかを覚えるのはとても難しい。


で、いま覚えている最中なのが『story』という歌だ。
スナックで『AI』の歌えるようになった歌を歌ったら、

「AIなら『story』でしょ」

と言われたからだ。
それから気になっているのだが、結構いろんなお客さんがこれを歌う。
それで「覚えなくては」という気になってしまったのだ。

どこで困ったかって、

♪胸の痛みを消してくれた

というところだ。
普通に、

♪む ね の い た み を け し て く れ た

と歌えるはずなのに、

♪む ねーの いたーーーみを け して くれ たあああ

とわざわざやるのだ。


こんなの夜ときどきYOUTUBEで聴いてるだけでは絶対覚えられない。
ブックオフでCDを買ってきた。
徒歩用、車用、寝床用とプレイヤーに入力して聴きまくりだ。
おそらく、今なら歌えるはずだ。
ああ、伴奏付きで歌いたい。


でもまだ喉が痛くてダメなのだ。
あーイライラ。
思えばこの悪性風邪の始まりも『story』の練習中だった。
因縁の歌だ。
あまりにも歌いに行きたいから医者に行こうかしら。








↑AIよ、クリックしてね。







♪ちゃんちゃん
三人寄れば文殊の知恵、と昔の人は言うけれど、
人間二人集まったら摩擦が起こる。
動物の群れだったら、なんだかんだと揉めても「ぎゃぎゃっ」とやったら落ち着く。
ところが人間は、むやみに知恵やら文明やら主義主張やらを持ってしまったがために、
寄れば触れれば火花を散らす。

そんな人間が集まって町やら国やらができているのだから、
町や国の中ではいざこざが絶えない。
また、町や国同士でも個人と同じような衝突がおこる。
中には着火剤のような人がいて、たったひとりでよその国を怒らせたりする。

そうなると抑えの利かない人たちが立ち上がる。
デモだ。
「あいつはけしからーん!」
と怒りを発散したい人たちが集合して、プラカードや横断幕を掲げて行進する。


さて、その時だ。
よく相手国の大統領やら首相やらの写真や人形を用意して破壊するパフォーマンスがある。
同じように、相手国の国旗を燃やす。
この国旗、どこから持ってきたのだろう。

似顔絵や人形などは手作り感があって納得できるのだが、
あの国旗の入手先が想像できない。
そもそも、国旗ってどこで買えるものなのだろう。


サッと検索してみたら、おもちゃ屋さんが出た。
なるほど、鯉のぼりなどと同じ扱いなのかもしれない。
文房具屋さんかと思ったが、これは意外だった。
いや、文房具屋さんにないかどうかは調べていない。

しかしこれは日本で日本の国旗を買う場合の話だ。
大抵デモで燃やすのは他国の国旗だ。
それも同じように売っているのだろうか。
確か、国や地域って二百近くあるのではなかっただろうか。
それだけの種類を在庫しているのだろうか。


また、これは日本でのリサーチだ。
他国でも同じようなレベルなのだろうか。
日本は流通の良さではトップレベルの国だ。
どの国でも日本と同じというわけにはいくまい。

アフガニスタンでアメリカの国旗を手に入れることができるのだろうか。
アフガニスタンにもおもちゃ屋さんはあるのだろうか。
こいのぼりのない国でもおもちゃ屋さんに売っているのだろうか。

デモが起こるような国はそもそも関係が良くない場合が多い。
ひょっとして、いざという時のために準備しているのだろうか。
だが、それだとしたら、あまりにもあっけなく燃えてしまう。
ほんの数秒だ。

いったい国旗っていくらするのだろう。
私が検索した通販サイトでは、100×70cmで3800円。
180×120cmだと7350円もする。
ちょいとした額ではないか。
これを「わー」と騒いで燃やしてしまうのか。


まさかとは思うが、デモを煽っているのは国旗製造メーカーではあるまいな。








↑喉痛で国歌が歌えないけどクリックしてね。







飲酒主義国です
夏の風邪はしつこいというが、本当にいつまでもつきまとう。
しかも手を変え品を変え、夜には何度も目を覚まさせ、
朝には別の手段でビックリさせる、本当にストーカーのような奴だ。
ただひたすら喉が痛いだけの症状だったのだが、今は咳と鼻づまりだ。
おかげで土日の予定が変わってしまったではないか。

土曜の午前は畑がしたかった。
でも、この状態で汗をかき、体力を奪われたら悪化するのが目に見えている。
だから体を休めることにした。


午後は予定通り実家に行った。
親父の通院と、母を買い物に連れて行く段取りだ。

まず、母の相手がしんどい。
どうした、声が変やないか、風邪ひいたんか、
薬飲んだか、医者行ったか、
喉が痛いんやったらどこそこの医者がいい、なんで行かへんのや、
そやかて病気ならしゃあないやないか、
ウチのうがい薬やろか、
喉にはなんとかっていう飴がええぞ、なんちゅう飴やったかな、

喉が痛いのだから喋らすな。


とりあえず、診察時間があるので親父を車に乗せて出発。
信号を待って、住宅地から国道に出た途端に母が騒ぎ始めた。

しもた、財布忘れた、
カバンが重いから大丈夫やと思たら水やった、
取りに戻ってくれ、どこかでUターンできへんかよ、

めんどくさいので私が立替えることにした。


病院と薬局をまわって自宅へ帰り、親父を降ろして次は買い物だ。
便乗して欲しいものを買ってもらうチャンスだ。
フルーツグラノーラは今回買わない。
先週、冷たいものを食べる気にならなかったので丸々新品がのこっているのだ。
これも風邪の影響だ。

買い物に付き合っているうちに不思議なことに気がついた。
毎週、納豆を買うのだ。
私が実家にいた頃は、納豆が食卓に出たことなど一度もなかった。
だから初めて納豆を食べたのは二十歳過ぎ、飲みに行って友人が注文した時だ。

「納豆、誰が食べるの」

「二人とも食べるよ」

「健康のために食べるようにしたの?」

「昔から好きやよ」

「そやけど一度もおかずに出たことないやないか」

「そうかよ?」

大抵、納得は得られないのだ。








↑書こうとしたことが途中で変わっちゃったけどクリックしてね。







まだ混ぜてないのよ
とりあえず、人それぞれ好みはあるとして、音楽って素晴らしい。
あまりに大きなことを言いすぎて、二行目から戸惑ってしまった。
私は音楽を聴くのも、カラオケで歌うのも大好きだ。
恥ずかしながら、ちょっとだけ演奏の方をかじった時も、それはもうハイテンションになったものだ。
ちなみにその時は、ヘッドホンで自分の演奏は聞けなくしていたのだが。

音楽自体が嫌いだという人はそういないだろう。
「静かな環境が好き」
という人でも、生涯音楽は聴かないなんて思っていないはずだ。

この音楽ってやつは、聴きようによって感じるパワーが違う。
先日、いつもCDで聴いていた歌を「YOU TUBE」でライブバージョンというやつを聴いた。
これがものすごく良くて、涙が出てきそうになったぐらいだ。
これを本当の生ライブで聴いたらもっと興奮することだろう。

大ホールでオーケストラの演奏なんてのはびっくりするような席料を取られるが、
これも一度聴いてしまえば、おしくないと思えるようになるのかもしれない。
カツオは高知で食えとか、豆腐は出来立てに限るとかとおなじで、
本格的贅沢、最高級の楽しみとして音楽を聴いてみれば、
人生における大きな経験値となることだろう。


その逆もありだ。
マクロの楽しみもあればミクロの喜びもある。
音楽の小さな部分に魅了されてしまうことがないだろうか。

最初に述べたように、音楽には各々の好みがある。
このジャンルが好きだとか、このアーティストが好きだとか、
その中でもこの曲が好き、なんてことを言うだろう。

そうではなくて、
「なんか知らんけど、ここが好きー」
という部分的にたまらん一瞬を感じることがある。
そこだけが身震いするほど気持ちがいいのだ。

私の例を挙げよう。
少し古いフォークソングで『あの素晴しい愛をもう一度』という曲がある。
この歌の一番が終わり、二番に入るところ。

「♪あか~と~んぼの」

もうここが好きとかじゃなくて、ゾクゾクっとしてしまうほど気持ちいいのだ。
私はこれを『音楽的マタタビ効果』と名付けた。
一曲の中のほんの一部分で、
「いや~ん、ごろにゃ~ん、たまら~ん」
となってしまうのだ。


この効果が現れるのは、メロディに限らない。
「この半音上がるとこがいい~」
「ここでテンポが変わるのがしびれる~」
「一旦音が終わって ・ ・ ・ ジャーンって、この間が好きー」
「ひい~、ここの繰り返しがジョジョジョー」

これがまた、その部分だけ取り出して聴いてもダメなのだ。
流れの中での『そこ』こそが、アドレナリンスイッチになるのだ。
ああーくるぞーくるぞーくるぞー      あああ~にゃーん


ええと、いろんな表現をしてみたりしているのだけど、
私の言いたいことは皆さんに伝わっているのだろうか。
気持ちのいい話をしているつもりなんだけど、気持ち悪いやつ、と思われていないだろうか。








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就寝中




この音に執心
風邪の話題ばかりで申し訳ないんだけど、あと一回。

もうすっかり調子を取り戻し、多少喉は痛いけど普段通りの生活をすることにした私。
夕ごはんには実家に行ったとき買ってもらった肉を焼いて食べた。
お酒も少し飲んだ。
テレビを見てネットをしてたら疲れてきたので、
シャワーを浴びて、十時ごろ寝床に入った。

音楽を聴きながらウトウトしていたら、ウトウトできなくなってきた。
なんだか急激に具合が悪くなってきたのだ。
喉は痛くてむせるし、鼻まで詰まってしまった。
これはいかん、本格的に風邪っぽい。
熱があるかもしれない。

起きて行って、ちづるに熱を見てもらった。
「熱はない」
そう宣言されたのだが、調子悪いのは本当だ。
風邪薬を飲んで、ヴィックス・ヴェポラッヴを塗って、喉ピュッピュして再び床についた。


ハッと目が覚めた。
寝汗をかき始めている。
起きて行ってちづるに熱を見てもらった。
「熱はない」

しかしこのあと寝汗をかいたら、寝床がとんでもないことになる。
タオルケットを敷いてもらって、上にも一枚掛けてもらった。


はっと目が覚めた。
どっぷり寝汗をかいている。
シャツを着替えてまた寝た。
熱のことは聞かなかった。


うう~ん、暑い。
手を伸ばして寝返りをうった。

ドンガランゴン!

「なにごと?」
とちづるに訊かれた。
ベッドにつけていたスピーカーを叩き落としたのだ。
めんどくさいのでそのまま寝た。


朝、目覚ましをセットしてなかったのだが5時過ぎに起きた。
着ていたものはズックリ濡れている。
しかし、汗をたんまり出したせいか調子が良くなった気がする。
シャワーを浴びてパソコンをつける。


こんな夢を見た。
「久しぶりに登る坂は急に感じる」ということを実証するために、
卒業した小学校の坂を登りに行くが、急すぎて手をついても登れない。
明日が本番ということで、泊めてもらった家のオーブンでこっそりチーズを焼いた。

さあ誰か夢判断を。








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洗濯機にはならないぞ
私は症状が頭に出にくい方だ。
二日酔いでもめったに頭痛は起こさない。
風邪をひいても、のど、鼻、お腹が忙しくなっても、熱が出るようなことはほとんどない。
だから、ほんのわずかな熱でも出たら、すぐにダウンしてしまう。

今回の風邪で一度だけ熱を測ったら、36.8度だった。
世間的には平熱の範疇だ。
しかし、私が熱が下がったと思って測ると、だいたい35度台半ばだ。
平熱が36.8度の人だったら、38度の熱に相当する。
なので今回も目の前がふわふわしていた。

それも昨日のお昼すぎまでのことだった。
薬と睡眠のおかげでぼんやり感はなくなった。
ハナが出なかったのもよかったのかもしれない。
花粉症の次期など、ハナをかみすぎて頭が痛くなることがある。
ともかく今回の風邪の狙いはのどだったようだ。


調子が良くなってきたようなのでシャワーを浴びた。
体が温かいうちに、生姜湯に梅酒を入れて飲んだ。
砂糖漬けにしてあるレモンスライスもかじった。
これで風邪対策の栄養面はOKだ。
虫歯が怖いので歯を磨く。

このあと私は忙しい。
まず歯磨きのあと、歯周病が怖いので歯茎を引き締める薬品でうがいをする。
そしてちづるが誕生日に買ってくれた毛根にピチピチする薬をつける。
坊主頭になったので、ダラダラ流れて困る。

上が終わったら今度は下だ。
人目に晒せない部分にオロナインを塗ったり、
人に言えない部分にあせも薬を塗ったりする。
断っておくが、今、その部分にはなんの症状も出ていない。
塗らないと気がすまないのだ。


私は皮膚も弱いが精神的にも弱い。
その代表がリップクリームと目薬だ。
この二つは常に持ち歩くものとして、ケータイより重要度が高い。
真夏でもリップクリームを塗るし、目薬は差したくなったら差さずにいられない。

そのあと、水虫の薬を足の指に塗る。
これも今は症状はない。
ただ、以前どこかで水虫をもらって苦労したことがあったので敏感になっているのだ。
何かちらっとでも足の指に違和感を感じたら薬を塗りたくて仕方がないようになる。
そして塗り始めると、その薬を一本使い切るまで塗り続けるのだ。


そんな私をちづるが見ていた。
なので私は説明してあげた。

「このあと私はヴィックス・ヴェポラッヴを塗って、のどピュッピュスプレーをして寝るのだよ」

するとちづるがこう言った。

「あんたの表面はなんや」







↑薬には夏バージョンと冬バージョンがあるけどクリックしてね。







順番を考えろ
喉が痛いのも峠を越え、
と思っていたのに~

今朝起きたら、つばを飲み込むのも一苦労。
しかも、あの美声が、キャタピラのきしみ音みたいになってしまったー

昨日はいつもの居酒屋さんに新しいバイトの人が来るというので、
常連さんがずらりとそろい、
で、そのことを報告にスナックに行ったら、
覚え中のAIの『story』中に声がでなくなってしまった。

そして、何と言うんだろう、これ。
頭痛?
本来髪の毛があるであろう範囲の奥のほうがひしひし痛む。
いま、大根しょうがのど飴をコロコロしながらこれを書いている。

しんどい。
病気だろうか。
ちょっと、正式にダウンします。








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じびいんこうが・・・
喉が痛い。
なぜだろう。

原因はいろいろ考えられる。
病気、酷使、外的要因などだ。
では、原因の原因はなにだろう。


まず、一番に考えられるのは、ちづるが風邪をひいていたということだ。
金曜あたりから調子が悪くなり、土日は寝込んでいた。
これをもらったという可能性は極めて高い。

私が薄着だったのも影響があるかもしれない。
日曜の夜は獅子座会で焼肉屋に行った。
雨が降っていて肌寒かったのだが、短パン、半袖、ゴムぞうりにポンチョをかぶっていった。
店まで歩いたら足元はとっぷり濡れてしまい、足を拭いて座敷に上がった。

そのあとはスナックでカラオケ大会だ。
「♪ぎえー!」
と汗をかくほど歌いまくり、そのあとポンチョを着ていつもの居酒屋へ移動。
カレーうどんを食べて、またポンチョを着て帰宅した。

家に着いたのは夜の12時。
明らかに睡眠不足だ。
今考えたら、風邪の種があり、それを培養するのにふさわしい環境だったかもしれない。

しかし、それ以来、相変わらず喉は痛いが、それ以外の風邪の症状は全く出ていない。
私は風邪をひくとまず鼻にくるタイプだ。
『センチメンタルジャーニー』を一節歌って、
「あ、鼻声だ」と思ったらそれが風邪の始まりだ。

今回はそれがない。
ひょっとしたら喉が痛いのは、朝から指を突っ込んだり、胃酸を浴びたりしたのが原因かもしれない。


何はともあれ、痛いものは痛い。
出勤してまず最初にしたのは、お菓子箱ののど飴を漁ることだ。
のど飴は評判が悪かったのでたくさん残っている。
でも、さすがは残り物。
おいしいのがない。

大量にあるのは、薬的のど飴とミント的のど飴ばかりだ。
花粉症の季節の名残だ。
飽きたー。
酸味があるもんだから、頬骨とエラともみあげの中間点が「ちゅん」となる。
ああーん、ミルキーなのど飴が舐めたーい。

とりあえず、味が変えたかったのでピーナッツを食べた。
飲み込むのが辛い。
口数多子がくれたカスタードケーキというお菓子もいただいた。
飲み込みにくいー。

しかもお茶を持ってくるの忘れてた。
仕方がないので湯沸かし器のお湯を飲んだ。
のど痛い。


今朝、まだ喉は痛い。
寝る前に風邪薬飲むの忘れてた。
のどシュッシュスプレーはカラだった。
でも、伊代はまだ風邪じゃない。

ええい、逆療法でカラオケに行ってやろうか。








↑そんなわけで昨夜は早寝したのでクリックしてね。







取り扱いに注意しましょう
折りたたむとか



日除けにするとか



携帯するとか








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今やどこの畑でも夏野菜がが植えられているというのに、なんだかんだで出遅れてしまった。
うちの畑は天地返しをした段階で終わっている。
残念ながらそうなってからトラクターに乗る叔父さんに出会うことはなかった。

こうなったら自力が頼りだ。
日曜日は雨の予報、土曜の午後は実家の買い物を手伝ってやらなければならない。
勝負は午前中だ。
ホームセンターによって畑についたのが9時過ぎ。
昼までおよそ3時間、体力もそのへんが限界だろう。


まずは肥料だ。
少し前の暴風雨で、畑の道具入れのフタが飛ばされ、中に水が溜まっていた。
使いかけの石灰と油粕と化成肥料が水没。
それ以来、外に干してあったがネットリ粘土状態だ。

これを園芸用コンテナにぶちまける。
そこに顆粒の鶏フンをひと袋入れ、ただひたすら混ぜる。
水分を散らして、ネットリをサラサラにしようという魂胆だ。
ダマを潰し、均等に混ざったら畑一面にそれを撒く。

今度は畑を耕しながらそれを混ぜ込んでいく。
これがともかく重労働だ。
先日、土を裏返す作業をしたあとスコップを見たら、なんと金属なのに割れていた。
今度はその土の塊を四本クワで粉砕していくのだ。


2時間ほどで、畑のおよそ4割を耕した。
もちろんとても雑だ。
ともかく、本日中にしなければならないのは、トウモロコシとエダマメとオクラの種を蒔くことだ。
だから、出来の善し悪しはどうでもいいから、それだけのスペースを確保しなくてはならない。
土に塊が残っていたり、耕せてない部分があったとしても、それは彼ら自身に何とかしてもらう。

そのために選んだラインナップだ。
トウモロコシは根が強いので、荒地を勝手に耕してくれる。
エダマメは雑草まみれになっても実をつける。
オクラは苗状態で引っこ抜いて移動させても根が付くし、木のようになるから強い。

しかも、翌日日曜が雨の予報だ。
今日蒔いておかずにいつ蒔くというのだ。

とりあえず、耕した部分に二本の浅い溝を掘り、トウモロコシを筋播きにする。
軽く土を寄せて畝っぽくしたところに、エダマメをふた粒ずつ置いて土をかける。
オクラはもうバラバラバラッと蒔いちゃう。
去年、種を取ったのでいっぱいあるのだ。


道具を片付けて家に帰ったらちょうどお昼だ。
汗を拭いて、ラーメンを食べてちょっと一休み。
2時に実家につくように家を出た。

母を連れてスーパーに。
「欲しいモノがあったら買うたるぞ」
さすがお母ちゃん。
お言葉に甘えて、色々とかごに入れていく。

肉、イカ刺し、缶詰、干物、おつまみ、魚肉ソーセージ、フルーツグラノーラ。
ああ、なんてこちらは楽で都合のいい収穫なのだろう。








↑豆の数ほどクリックしてね。







今度はパラソルね
歩くようになってから出番が減っているが、私は結構自転車に乗る方だと思う。
私の住んでいるところは坂道がほとんどないので、天気さえよければ便利な乗り物だ。
ただ一つ手間がかかるとしたら、タイヤの空気の心配だろう。
自転車ってやつは乗っても乗らなくても空気が減っていくものだ。

そこで空気入れの出番となる。
全くの言いがかりなのだが、私はこの『空気入れ』という名前がどうにも納得できない。
名前は『空気入れ』なのに、とても気の抜けた感じを受けてしまうのだ。


まず『空気』が問題だ。
大抵の場合、空気○○というものは、それが無いという意味で使われる。
空気イス、エアギター、エア冗談、
みんなないものをあるように振舞うことだ。
自転車のタイヤに空気を入れるパントマイムは、エア空気入れだ。

もっと科学的に空気を考えたとき、空気という言い方はとても幼稚だ。
大人なら、その状況に応じて『酸素』だとか『大気』という言葉を使うはずだ。
「人間に必要なもの」という質問に「くうきー」と答えるのは小学生だ。
空気という言葉には大人気ない感じがある。


『○○入れ』という言い方もなんだかいい加減なイメージを受ける。
物の名前で、その用途の動詞を名詞の形にしたものは、ネーミングに気合が入っていない。
ペン立て、物置き、爪切り、耳かき、物干し、
なんて安易なんだ。

特に『○○入れ』の場合、何かを入れておく容器の呼び名に使われることが多い。
何かに何かを入れるための道具で、『○○入れ』なんて呼ばれるものがほかにあるだろうか。
薬を体に入れる道具は『注射器』だ。
瓶に液体を入れる道具は『じょうご』だ。
『○○入れ』という名称には、その器具の性能や形状に魅力を感じられない。


さて、この二つの要素が組み合わさって出来た『空気入れ』
実際は僅かな隙間も許されないのに、スカスカのネーミングだ。
世の中は空気に満ち満ちている。
たいていのものは、ほうっておいたら空気が入っている。

なのにわざわざ空気を入れなければならないもの。
それは、空気が入ることを拒否しているものだ。
タイヤは、本来なら空気を入れることに向いていない。
だから自然と空気が抜けていくのだ。

そんなタイヤに、空気入れは空気をねじ込む。
この労力をもうちょっと汲んでやったらどうか。
その働きにふさわしい重厚な名前をつけてやってはどうか。
誰か考えてやってくれないか。


私?
私は今忙しい。
だってこの記事を『名前を付けて保存』しなくてはならないんだから。








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もう、どうにでもして
先日、頭をクリクリ坊主にした。
坊主頭というやつは伸びるのが早い。
2ミリという長さにカットしたので、2ミリ伸びたらもう倍だ。
しかも、やや伸びてきたな、という感じの時に、密度の差がよくわかる。
だから、こまめに手入れをしていかなくてはならない。

かといって、そんなにしょっちゅう床屋に行っていたら、
家計子さんの手先、ちづるが怒るのが目に見えている。
そこで、安物のバリカンを買って自分で刈ってみた。
洗面所は散らかったが、なかなかの出来だ。
時々自分でクリクリすることにしよう。


というわけで定着したこの頭。
会社ではみんなすっかり慣れたのだが、いつまでたっても落ち着かないのが馴染みの居酒屋だ。
私が店に入っていくと、口の悪い常連さんが、

「おーハゲ山くん」

と迎えてくれる。
ちなみに私は「○○山」という苗字ではないのでこれは仮名だ。
例えば『トケ井』を『ハゲ井』と呼ぶように、苗字の前半を『ハゲ』に変えて呼ばれている。
ホントの苗字を使って、ここでそれが定着したら嫌なので、ここは仮名でやっていこう。

「おーハゲ山くん」

「ハゲやないというのに」

「ほんなら何や」

「こういうヘアスタイルなの」

「ハゲやないか」

このやりとりが毎回行われるのだ。
一度こう言ったこともあった。

「そんな苗字やったら先祖を恨むわい」

当然だ。
名前が『ハゲ夫』や『ハゲ助』なら親を恨むところだ。
でも苗字なら、それをつけた先祖を恨むしかない。

こういう場合はハゲしく否定しなくてはいけない。
そこで私は『恨む』の最上級『孫子の代まで祟る』を使ってしまいそうになった。

「そんな苗字なら、先祖を孫子の代まで祟る」

これはいかん。
先祖を孫子の代まで祟ったら、私にもかぶってくるのではないか。
ほぼ、自分を自分で祟っているようなものだ。
そして、その祟りが毛根に影響を与えているとしたら。

タイムパラドックス・・・ではないな。
祟りマイセルフ。
因果応報の小回り。







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猫のヒゲでも抜いたか
カラオケスナックは魔窟だ。
その日その時で表情を変える。
馴染みの店だからといって安心はできない。
それというのも、世の中に“演歌”が存在するからだ。


一言に“演歌”というが、実はその中身は細分化されている。
それはまるで生物の系統樹のように複雑なものだ。
そしてそれは決して交じり合うことはない。
犬は犬、牛は牛、鳩は鳩、ウーパールーパーはウーパールーパーだ。

演歌を知らない人が演歌の主流だと思っているものは、
一番テレビでの露出の多い、歌謡曲的なものだろう。
だが、これはカラオケスナック界では案外少数派だ。

じゃあ、何が主流かと聞かれる困ってしまう。
私のような経験の浅い者に語ることはできない。
まだまだ初めて体験する演歌が存在する。

例えば、海もの。
海の歌を歌う人は海の歌ばかり歌う。
波のまにまに演歌が響く。
歌詞の後ろに流れる映像は、ともかく大漁旗だ。

そんな力強いグループもあれば、都会派のムード演歌グループもいる。
映像は常に男女、それもテーブルのグラス越しだ。
とても引いた歌い方で、ともかくビブラートに賭けている。
一緒に来ている女性はそれを聞いてうっとりする。

任侠ものを得意とする人たちも多い。
彼らは生物の系統樹でいうと唐獅子にあたる。
迫力と渋さを追求している彼らは、口や喉より睨みで歌う。
そして歌い終わるとにやりとしてマイクを置くのだ。


この他にもグループはたくさんある。
民謡と区別がつかないようなもの。
ともかく女性が男性を恨んでいるもの。
寒い地方のもの。
タイトルが漢字一文字のもの。
大阪弁のもの。

「よし、歌いに行こう」
と誰かに連れってもらって、初めてのお店に入ったときは要注意だ。
ここは演歌の店だな、と思って合わせようとすると恐ろしい目にあう。
とりあえず知ってる演歌を歌うと、ジャンルが間違っていて、
店中がシーンとしてしまったりする。

あ、違ったな、とわかってももう遅い。
間奏のあいだはまさに地獄だ。
歌詞の出ているモニターを見ているしかない。
歌い終わった時の拍手も「やれやれ」といった感じだ。


一昨日は馴染みのスナックに行った。
客は年配のカップル、ごついおじさん、私より三つほど年上の兄さん。
全員いつもの居酒屋の常連で顔見知りだ。
ともかくカップルが演歌を歌い続けている。

兄さんが私に耳打ちする。
「オレ、ロックンロールが歌いたい。
 この空気を変えるため、おまえ、演歌とロックの間の歌を歌え」
スナックに行くと、こんな難問に当たる時もあるのだ。








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お昼はカレーライス
ああ、しんどい。

でもまた、ちづるには平気なフリをするか。








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珍しく頭も痛い
殺伐とした事件の多い世の中になってしまった。
それもこれも、個人が自分の主張ばかり通そうとするからだ。
相手を思いやる気持ち、日本に昔から伝わる『お互い様』の精神が行き渡れば、
もっと気持ちのいい世の中になるのではないだろうか。


この『互』という字を見てみよう。
見事に「お互い」を表しているではないか。
あちらからもこちらからも同じように伸びてきてつながっている。
『たがい』をこんなに見事に表現する字を考え出した昔の人のセンスに感動する。

『互』は漢字には珍しく点対称だ。
もちろんほかにも点対称の形をした漢字はたくさんある。
ただ「日」も「目」も「十」も「田」も「中」などは、点対称でもあり線対称でもある。
点対称であり、線対称でない漢字というのは、あるのかもしれないがすぐには思いつかない。

この点対称の形状が、お互い感をにじみだしているのだ。
点対称のものは回転しやすい。
だから投げたくなる。
「互」を投げたらブーメランのように戻ってくるのではないか、
手裏剣のように的に刺さるのではないか、そんなことを考えてしまう。

これは微妙なことなのだ。
漢字投げ大会があったとしよう。
ちゃんと戻ってきたり、的に当たっているのは「互」ばかり。
その周りには、うまく飛ばなかった「五」や「丑」や「瓦」が散らばっているはずだ。
造形の妙とはそういうことなのだ。


だからこの『互』は書道には向かない。
筆を使って気取った文字を書くと、この『互』の互感が失われてしまう。
おそらく書道家は上の横棒と下の横棒の長さを変えてくるだろう。
そんなことしたらうまく投げられないではないか。

しかも、この横棒をちょいと左上からうにゅっと入り、やや反りながら一気に右側に行き、
ピッタリ止まったようなフリをしながら、ちょっと上がって戻って三角な漢字を作る。
こんな作為的な書き方をしたら、せっかくの点対称が台無しだ。
だから『互』は書道界でも、明朝体でなく、ブロック体で書くべきだ。

今この活字でも、上から伸びてきた線だけ、角のところでちょっと飛び出している。
これが「お互い感」を損ねているということに気づかないのだろうか。
そんなところから「お互い」のバランスが崩れ、世の中がとんがっていくのだ。


意味においても『互』は互感を尊重している。
「互」はあいてもこちらも同等だよ、と言っているのだから、
ていねいにするために「お」を付ける必要はない。
なのになぜ「お互い」と言うようになったか。
それは送り仮名の「い」が付いているからだと考えられる。

後ろにだけ一文字付くというのは不公平だ。
「互」のお互いらしさが失われる。
そこで、おなじ「あ行」のひらがな「お」が付けられたのだ。

困ったのは、私も文頭に使った「お互い様」だ。
誰が言いだしたのか知らないが、後ろに「様」を付けてしまっている。
こうなると頭にもなにか付けないと具合が悪い。
しくじっているのは、すでに「お」を使ってしまっていることだ。
そのせいで万能接頭漢字「御」が当てられない。


こういうのを「たがいちがい」っていうのだろうか。








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巴投げとはちょっと違う
先日、カメラが壊れたことをここにも書いたが、実は私はもう一つカメラを持っていたのだった。
ただ、とても古いので画素数がびっくりするぐらい少ない。
今や、一万円以内で一千万画素以上のカメラが買えるという時代なのに、
おそらくこのカメラは5画素ぐらいだろう。

ただこのカメラ、音楽プレイヤーとしての機能もあるので、
専ら寝床での睡眠導入役として使っていた。
非常事態なので彼をカメラとして復帰させるしかない。
といっても、イヤホンジャックからスピーカーの線を抜けばいいだけなのだが。

さあこれで写真が撮れる。
どんな目的があってカメラを復活させたのかって?
そりゃあもちろん、ネタがないからさ。


とりあえずご紹介せねばならんのは、先日買った『タオル手ぬぐい』だろう。
ちょうど一回使って洗濯され、私の手元に戻ってきたところだ。
これを頭に巻いて通勤しているオシャレな私を想像してもらおう。

二枚


『スイカ』と『メガネ』だ。
なかなかカラフルでウキウキするような柄だ。
サイズは30×100センチ。
質がわかりにくいと思うが、たしかにタオルよりは薄く、手ぬぐいにしてはケバケバだ。
吸水性は思ったよりもいい。


次は、最近お気に入りの老眼鏡だ。
少し前に、愛用の老眼鏡を落としてしまった。
折りたたみ式でケースいらずなのでとても便利だったのだが、
そのスリムさゆえにポケットの小さな穴から出て行った。

これは、つい最近、本屋で売っているのを見かけてすぐ買った。
片側のツルが反対側に回転してたためるので、そのままポケットに入れてもレンズがどこにも触れない。
しかも、ポケットの縁に引っ掛けられるようになっているので、落とす心配がない。

2.0


ちょっと接近しすぎてピントが狂ってしまった。
メガネをかけずに撮影したのが失敗の原因だ。


さて、次は、ちづるの誕生日に私があげたプレゼントだ。
ちづるがこれの包みを開けて、最初に発した言葉が、
「緑や」
だった。

二時


私のイメージはトケ井のおじいさん、って感じだ。
ちょいとレトロな感じもして、ちづるにも好評だ。
ただ、あまりにもけたたましい音なので目覚ましには使わないそうだ。


さて、今日はこれでおしまい。
何かもう一つ写真を公開せねばならないものがあったような気がするが、
私ののどかな頭ではそれが思い出せない。
また機会があれば、ということで本日はお開き。








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そんなに似てない
雨の予報がどんどん前倒しされて、今日は最高のお天気になった。
でも、昨日があの大降りじゃ畑作業は出来はしない。
いや、いっそ雨が降ってくれてあきらめがついた。
実は今日はなにかと忙しいのだ。


おかげさまで、親父が昨日退院することができた。
朝から実家に行き、母親を乗せて病院へ行き、
親父を着替えさせて、薬の説明を聞いて、
同室の人やナースセンターの人たちに挨拶して病院をあとにした。
これでもう病院通いしなくてよくなり、看護婦さんには会えなくなった。

入院前の親父は、なんとか自力でベッドから車椅子に乗り移れるってレベルだったのだが、
昨日は自宅に着くなり、自分で立ってトイレができた。
先生の話によると、内蔵の機能もずいぶん良くなっているそうだ。
あとはリハビリも本人のやる気次第だ。
家に着くなりタバコを一服していたが。


実家に着いたのは11時過ぎだったので、帰りに途中で牛丼でも食べようと思っていたのだが、
ごはんが炊きたてだから食べて行けと言われて、お呼ばれすることになった。
オカズは山菜とタケノコの煮物にあさり汁。
ヘルシー。

親父の入院で日持ちのしない食材を私が片付けてしまったから食べるものがないのだった。
買い物難民の母親をスーパーに連れて行ってやらねばならない。
とりあえず、この日は気が緩んだので、翌日また来ることになった。


翌日というのが本日、日曜日だ。
母の日でもあり、なんと親父の誕生日でもある。
なんて日だ。
昨日は親父の退院で、その前日がちづるの誕生日。
ゴールデンウィークの翌週に何ウィークだ。

何かお祝いを買ってやろうなんて気持ちは、毛頭ももう頭毛もないが、
万が一、何かが欲しいと言われたら、今の財布の中身では対応できない。
昨日家に帰ってから、本棚をアサってブックオフに売りに行った。
60と数冊で1800円。
ううむ、今週分の1ノミニイクではないか。


そういえば、来週晴れたら畑を耕さなくてはならない。
肥料やら石灰やらを買わなくてはならない。
場合によっては種の買い足しや、苗を買う場合も出てくる。
それに次の日曜は『獅子座会』の焼肉だった。
これはもう、完全に赤字だ。

そうであった。
毎年五月には極端に貧乏になるのであった。
そしていつも六月に取り戻すのだ。
雨で飲みに行く回数が減るからだ。
ああ、ありがたいような厳しいような。








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防犯のためつないでみました
くどいようだが、私の勤めている会社は数年前に二社が合併し、あちらが本社ということになった。
あちらの社長が社長になり、ウチの元社長は会長となってネット販売や店舗を仕切っている。
二ヶ所で営業していると、何か摩擦が生じるものだ。
我々はよく「キー!」と怒っている。
というわけで、今日は一般の人にはわかりにくい私の怒りのお話だ。


昨日、新人クンが本社から移動式の階段を持ってきた。
これは高い棚の商品を取るための台だ。
段は三段で、小さい車がついていて軽く移動できるのだが、
人が乗るとその重みでバネが縮み、ストッパーが接地して動かなくなるというものだ。
私の仕事場にも三台ある。

本社は、この三台のうちの一台を、新人クンが持ってきたのと交換しろと言って来たのだ。
あんなポンコツと!

ウチのはアルミ製で軽く、幅が広くて、見た目も美しい。
持ってきたのは古いスチール製で、いかにも中古で造形美が感じられない。
バネは弱っているし、ウチのより4センチほど高いのに幅が10センチも狭く不安定だ。

幅がないのは致命的だ。
棚から出す商品は、サイズが1100×800mmという大判の紙だ。
一番重いものは30kgを超える。
足を広げて踏ん張らなければならないのだ。

しかも、ウチのには天板の縁に足が落ちないようにストッパーが付いている。
あちらのガラクタは、ゴムの滑り止めが貼ってあるが、ただの一枚板だ。
こんなもの使ったら確実に落ちる。
落ちると痛い。
痛いと喚く。
だったら先に喚いておこう。


上司Tが会長に聞いたら、あちらから交換して欲しいと打診があったという話だ。
会長は、会社の備品だから社長の段取りなら仕方がないと言う。
三台あるのだから一台ぐらい、という考え方だ。
だがしかし、三箇所で使うから三台あるのだ。
そのうち一箇所を本社のために不便にしてどうするのか。

そもそも、誰がウチの台を欲しいと言いだしたのか。
人の使っているものを見て欲しがるなんて、なんて行儀の悪い奴だ。
良いものを目にして、これがいいと思ったら買えばいいのだ。
交換するってどういうことだ。

少なくとも、本社にはこの古いのがあったわけだ。
台がなかったのではない。
だったらそれで仕事をしていたはずだ。
それが嫌で交換というのなら、その嫌なものをこちらで使えということだ。

「あっちにある階段、いいなー」
「はいはい、じゃあこっちの古いのと換えてあげましょうね」
社長はママハハか!
我々はシンデレラか!


夕方、私のステキな階段は新人クンが持っていくことになっていた。
ところが、お得意さんからパレットの引取り依頼が有り、それを本社に持っていかなくてはならなくなった。
何か降ろさなくては全部はトラックに乗らない。
そんな相談をО川やN岡、新人クンがしていたので、
「何をバカなこと言うとる。階段を降ろすに決まっとるやないか」
と怒ってやった。

ちなみに、うちのを持って行かれたとしても、
あちらから持ってきたポンコツはいらないと突き返してやることに決まっていた。
で、私は突き返すポンコツに手紙を付けて返そうと企んでいたのだ。
文面はこうだ。

「他人のモノが欲しくなって、自分のいらないものと交換?
 やることがまるでジャイアンやな」

この作戦は来週以降に持ち越しだ。








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コスプレはサザエさん以来
会社に向かって歩き始め、体が汗ばみ始めて気がついた。
今日はこれまでよりちょっと暖かいぞ、と。
もうちょっと早く気づけ。

そこからなるべく日陰を歩くようにし、一生懸命度を下げた。
道程の半分を過ぎてからは、半袖の作業服を脱ぎ、Tシャツになった。
会社についたとき汗だくになっているのはイヤだ。
でも、それは汗かきメタボの宿命。
やっぱり会社についたらアセポタミア。

しかし、そこはさすがワシ。
ちゃんと準備が出来ている。
会社に置いてあるマイコンテナに、ノースリーブを数枚常備している。
帰りに寄り道するつもりだったので、一番オシャレチックなグレーのノースリーブを選んだ。


さて、体を拭いて着替えたら私自身はさっぱりするが、洗濯物が一枚できた。
これをずっと持ち歩くのは気分が悪い。
かと言ってこれを捨てていたらどれだけ着替えがあっても足りはしない。
幸い外は天気がいい。
洗濯することにしよう。

私が着てきたTシャツは黒だったので、背中や脇の汗がよく目立つ。
これを流し台で洗った。
洗うといっても、洗剤を使ったりゴシゴシこすったりはしない。
流し台自体が汚いからだ。
手の中で揉んで、水を絞る作業を繰り返した。

あんまり雑巾みたいに絞ると生地がいたんでしまう。
まだ水分が多くて重たいぐらいだが、そのままハンガーにかけて外に干した。
お日様の力は偉大で、お昼前には乾いていたがそのまま三時頃まで干しておいた。
カリカリに乾いたTシャツは、その後室内の涼しい所に吊るして温度を冷ます。
帰りには忘れずたたんでカバンに入れた。

この日の寄り道は市内の温泉施設『ミタスの湯』だ。
朝から汗をかいたというのに、さらにサウナで絞ろうという算段だ。
施設に入場したのが6時半ごろ。
8時になったら近くのスナックが開くので、2~3曲歌って帰ろう。


さっぱりほこほこになっていい時間。
施設の食堂で生ビールを飲んでスナックへ向かったらぴったりだ。

さて、ここで問題です。
あなたなら、どちらを着ますか。

1、朝、汗だくになって、絞り洗いをした黒いTシャツ。
2、そんなに汗はかいてないが、仕事中ずっと着てたグレーのノースリーブ。

正解は1の黒いTシャツだ。
人それぞれではない。
黒いTシャツを着るのが正しいのだ。
脱衣所で匂いを嗅いで決定したのだから間違いない。


それにしてもこの問題、どうせなら白と黒でやりたかった。
マイコンテナには白いノースリーブもあったのだ。
でも、胸のあたりに食べこぼしの跡があったからやめたのだ。








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温度計くんに頼めばよかったのに
ウチの親父だけでなく、最近私の周りで怪我や病気で病院通いする人が多い。
怪我をしやすい季節、病気の旬、なんてものがあるとは思わないが、
何かひとつ起こると、いくつも重なったりするものだ。

そんな話を聞いていて思うのが、医療の進歩というやつだ。
手術の傷口も縫ったりせず、ホッチキスで止めてその上から透明テープで貼るのだそうだ。
もはや手術というより梱包だ。
でもそれが、体に優しくて術後の治りが早いならありがたい。

手術自体も大きくお腹を開けたりせず、小さい穴からロボットアームみたいなのを入れてやるらしい。
想像するとゾッとするようなことだが、これも体への負担が少ないのだ。
そして麻酔は手術が終わったらすぐに覚める。
薬の効き目も人それぞれだろうに、よくぞ的確に投与できるものだ。


便利なものが現れると、その分古いものが無くなっていく。
それは病院だけでなく、各家庭の薬箱でも同じことだ。
私が子供の頃の定番だった赤チンはほぼ見なくなった。
虫歯の応急処置用の『今治水』や膿を吸い出す『たこのすいだし』はあるのだろうか。

私が思うに、包帯というものを見なくなった気がする。
バンドエイドなどの絆創膏が発達、多様化して、包帯の出番がなくなったようだ。


昔は、怪我をするとオキシドールで消毒してガーゼを当てて包帯で巻いた。
今、包帯を使うのは病院だけではないだろうか。
包帯をしている人を見て、自宅で処置したとは考えられない。
自宅の絆創膏で対処しきれない傷なら病院に行ってしまうはずだ。
包帯は家庭の薬箱から消えた。

病院の包帯も昔とは違っている。
なんだかゴムっぽい感じで、少し引っ張りながら巻くと、それ自体でくっついている。
ちょっとサランラップみたいな感じだ。
だから、使う量も短くて済む。

昔は「包帯留め」というものがあった。
トゲトゲのついた金属を短いゴムひもでつないだものだ。
この説明で形を想像できた人は偉い。
そのトゲトゲを包帯の末端にひっかけ、ちょっと引っ張って巻いてある部分に留める。
ああ、説明しにくい。


それでも包帯留めは当時の便利グッズだった。
そもそも包帯というものはただの白く長い布で、
幹部にガーゼを当ててその上から巻いていき、最後まで巻いたら先端を二股に裂いて縛ったのだ。
これが結構技術がいった。

裂く長さが少ないとちゃんと縛れないし、裂きすぎると巻く部分が少なくなる。
もちろん、洗って何度も使うので、薬箱の中にはくるくる巻いて裂いた部分で縛った包帯のダマがいくつかあった。
だいたいその巻の大きさで長さが分かり、傷の場所によって大きいダマか小さいダマか選んだものだ。

でも、案外包帯を巻かれるのは嬉しくて、なるべく長いのを選んでいた。
指の傷で手首まで巻かれたりすると、なんか一人前になったような気がしたものだ。
ただ、あとちょっとで結べるのに、って時はちょっと無理をして、
縛り目で血が止まってたりすることもあった。

そのうちに包帯をすっかり覚えてしまって、
これは血が付いてるからいやだとか、これは裂けすぎてしまってもう使えないとか、把握していたものだ。
というか、そんなにしょっちゅう怪我していたのかなあ。








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巻きにくい部位ってあるよね
サンドイッチは揺るぎない。
誰がなんと言おうと、何かをパンで挟んだらサンドイッチだ。
ハムを挟めばハムサンド、ジャムを挟めばジャムサンド、石を挟めば石サンドだ。
こんなにはっきりした食べ物がほかにあるだろうか。

似たものにハンバーガーというものがある。
ハンバーグをパンに挟んだものだ。
考えてみればこれはハンバーグサンドだ。
だが、そう言われたくないために、パンのことを“バンズ”などと呼んでいる。
そんな小手先の技には誤魔化されない。

ハンバーガーは鶏肉を挟むとチキンバーガーになる。
これは間違っている。
ハンバーグをはさんでハンバーガーだったら、チキンを挟んだら“チキナー”になるはずだ。
なぜハンバーグの“バーグ”を残しているのだ。
この辺が曖昧だ。
サンドイッチなら“チキンサンド”で一発変換だ。


パスタというやつはややこしい。
カルボナーラだのペペロンチーノだの単独で名前のついているものがあるかわりに、
「ナスと生ハムのパスタ」だとか「ホウレンソウとベーコンのペンネ」なんて言い方がある。
文章ではないか。

しかも、パスタと大まかに言ったり、ペンネとパスタの中の一種を限定したり、
その呼び名に統一性がない。
その点、サンドイッチは「と」とか「の」が入らない。
“ナスサンド”でOKだ。
サンドイッチは中身すべてを説明しようとしない。


お好み焼きには妙な言い回しがある
豚玉、イカ玉と、玉子が入っていることを主張したがる。
じゃあ、海苔の入ったお好み焼きだったら「のりたま」だろうか。
これは通じない。
サンドイッチなら“海苔サンド”でちゃんと通じる。

サンドイッチの最大のライバル、おにぎりは本当は一番めんどくさい。
おにぎりであることと、中身が何かということを別々に論じる。

「今日のお昼はなに?」

「おにぎり」

「なにの?」

「うめぼしとおかか」

とりあえず、この手順を踏む。
なぜなら、おにぎりは二個以上でいることが多いからだ。
しかも、その場合、中身が一緒ということはない。
だから、おにぎりを説明するときは必ず会話形式になるのだ。
サンドイッチなら“梅サンド”だけで事足りる。


強敵は丼ものだ。
丼に入ってさえいれば○○丼という名前がつく。
○○サンドと○○丼、どちらが揺るぎないか、簡単な実験がある。
丼にサンドイッチを入れて誰かに食べさせる。
そしてあとから、何を食べたか尋ねるのだ。

サンドイッチ丼と答えた人がいたなら、勝ちは丼に譲ってもいいが、
まず、普通の人なら「サンドイッチ」と答えるだろう。
このようにして、サンドイッチが一番揺るぎない食べ物であることは証明できた。
この説に、賛同一致を願います。








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お子様ランチのおまけみたい
ゴールデンなウィークが終了した。
例年に比べると、なかなか活発に動いた連休だったと思う。

畑は天地返ししたし、種は蒔いたし、庭の草取りもした。
実家のスピーカーを売って、私の荷物を持ってきた。
冬物を押入れに仕舞い、部屋のこたつを片付けた。
古いミュージックプレイヤーのソフトを再インストールして、寝床用音楽を録音した。

まあ、そんなことは他人さんには関係ないことだ。
唯一、周りの人に影響のあることと言ったら、ハゲ坊主になったことだろう。
誰がハゲ坊主や!


連休明けの今日は、このボウズ頭のお披露目になる。
できれば、自然に景色に溶け込んでいきたい。
帽子や布で頭を隠して行って、さあどうだとばかりにオープンするというのは恥ずかしい。
かと言って、頭を晒したままで出勤したら、人に会うたびにいじられたり説明したりしなくてはならない。
ああ、いっそ今までの髪型のカツラをかぶっていきたいぐらいだ。

もう一つ、休み前とは変わったことがある。
気温だ。
休み前は、もう五月だというのになんだこの寒さは、って感じだった。
それがさすがに新緑の陽気となってきた。
日差しもかなり強い。

なんだかんだ言っても、歩いて通勤するならかぶりものは必要だ。
まず、直射日光が頭皮に良くない。
多少日に焼けて白さが目立たない程度になるのはいいが、
あまり焼きすぎると毛根が死んでしまうような気がする。
それ以上に、熱中症になったら行き倒れてしまうではないか。

それに、暑がりの私はてきめん大汗をかく。
経験者だから分かるのだが、坊主頭で汗をかくと、妨げるものがないのでダラダラ顔に流れてくる。
それを防ぐためにも、かぶりものは必要だ。
しかし、蒸れるのはもっと良くない気がする。

メッシュの帽子か、通気性のいい布か、そのへんを普段は愛用していたのだが、
昨日買い物に行って、良いものを見つけてきた。
タオル手ぬぐいだ。
手ぬぐいのようにしなやかで、タオルのように吸水性があると書いてあった。
これは願ったり叶ったりだ。

しかも、模様が夏向きでおしゃれなのだ。
いろいろある中で、私は『めがね』と『スイカ』の柄を選んだ。
色数が多くてハイカラだ。
これなら一気に注目を集めて、そこでつるりと脱いで・・・

あれ、なんか着地点を見失ったぞ。


そうそう、この連休中にもう一つ出来事があったっけ。
カメラが壊れたので、写真がないのです。








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パンクじゃないよ
親父が入院したとき、これを機会にといらないものを処分することにした。
彼が使っていた部屋は元は弟の部屋で、所有権が不明で捨てられないものがたくさんあった。
テレビに机に本棚にベッド、部屋の中心にはリクライニングのイス。
使っていないステレオの上には、親父が一時趣味で始めたカラオケセット。
なぜか、カセット、CD、レーザーディスクと取り揃えている。

そんなモノたちのせいで、親父がぎっくり腰になった時からいろいろ苦労している。
車椅子を導入した時も、狭すぎてうまく移動ができなかった。
デイサービスの人が迎えに来た時も申し訳ない。
そこで、私と弟が欲しいものは自宅に持ち帰り、誰も所有権を主張しなかったモノは廃棄すると決めた。


まず最初に片付けに手をつけたのは冷蔵庫だ。
ウチの母は、卵アレルギーでナマモノがダメで、インスタントや冷凍食品が嫌いだ。
牛乳はお腹を壊すし、高いところにあるものは見えていない。
なのに、買い物にあまり行けないのでまとめ買いをしている。
親父がいなくなったらたくさんモノを腐らせてしまうはずだ。

なので、お昼ごろ実家に行ったとき、冷蔵庫大棚ざらえをやってきた。
母が食べないもので持ち帰れるものは私の家の食料となり、めんどくさいものは食べてきた。
なんだかおかずや漬物が小鉢に少しずつ残っている。
ギョーザに酢漬けに煮豆に焼き魚にその他もろもろ、あとで抹茶カステラと牛乳。
この日は気持ち悪くなって、部屋の片付けはしなかった。


私のものはもうないと思っていたのだが、弟が検品した結果レコードが何枚か出てきた。
しかし、レコードプレーヤーがない。
捨てるしかないのだろうか。
ちょっと想像してみたが、私にはそんな真似はできない。
なぜなら、レコードとは子供の時に唯一自主的に大切に扱っていたものだからだ。

スプレーを吹いたり、バスの椅子の生地のようなクリーナーで拭いたり、
針を落とすときは細心の注意を払っていたものだ。
それでも傷をつけてしまい、音飛びが起こった時の落胆。

このように若い頃の刷り込まれてしまった習慣だから、レコードは邪険に扱えない。
だからブックオフで売れないだろうか。
ブックオフに置いてあるレコードは二束三文だが、時々値打ちがあるのか高価なものもある。
私のキャンディーズ引退記念五枚組みアルバム、高く買ってくれないだろうか。
今見て9000円もしてたと気づいてびっくりしている。


実はレコードよりも売りたいものがあった。
私が中学の時に買ってもらったステレオのスピーカーだ。
これは家族の誰もが欲しいと言わない。
今では流行らないかなり大型のものだ。
これがなくなると部屋がかなり広くなる。

こいつを売って飲み代の足しに、と計画して、昨日持っていった。
はい、ご想像通りです。
200円。
処分できたからいいか、ってことで。








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中古ですから
連休二日目。
午前中は畑を耕し、お昼休憩のあと、庭の草むしりをした。
ちづるは花の植え替えをしていたが、3時前になったらそろそろ美容院に行く時間だと言って
作業を終了してしまった。

私だけが草むしりだなんて気に入らない。
こっちの作業も打ち切りだ。
ちづるは美容院に行くだと。
じゃあ、私も床屋に行ってやろう。
畑も庭もキレイになったのだから、頭も便乗でキレイにしちゃおう。


そんな気持ちで行ったものだから、思わず坊主にしてしまった。
今までもかなり短かったのだが、てっぺんは少し長いスポーツ刈り風だった。
それが伸びてくると、なんというか、まばら感が半端ではない。
「こんなのならいっそ」
と思い続けていたことをついに実行する気持ちになったのだ。

私は高校までは坊主でいたので、清水の舞台から、なんて気持ちはない。
十年ぐらい前にも、一度坊主にしたことがある。
その時に分かったのだが、私の頭髪はどうやら前に向かって生えているらしい。
毛というのは横から見ると棒状だが、先端側から見ると点だ。
だから、正面から見ると、前頭部がすごく薄く見えたのだ。

いや、まだ毛がたくさんあった頃の話だぞ。
その証拠に横から見ると黒々していた。
真正面から見たときだけ、かまぼこ型に白っぽく見えたのだ。
ちょうど、タレントのホンコンみたいな感じだった。
それで坊主にするのをやめていた。

その時は坊主とはいっても、長めの三分刈りだった。
だからなおさら白黒がはっきり見えたのだ。
ちなみに、三分というとおよそ9ミリだ。
今回は思い切って、2ミリでやってもらった。
これだったら、どこから見ても白々するだろう。


「本当にいいのだな」
という床屋さんの念押しに「GO」の指令を出す。
途中で迷いが起きないようにするためだろう。
床屋さんは、まずセンターからバリカンを入れる。
そして頭頂部から刈っていく。

あっという間に刈り終わった。
なかなか良い。
毛の多い側頭部に白髪が多いので、
毛の少ない頭頂部とバランスよく白っぽい。

床屋さん曰く、
「これでちょっと日に焼いたらいい感じになるな」
なるほど、今は白さが目立つが、日焼けで顔と同じぐらいの黒さになれば、自然な坊主頭になれるだろう。
なんだったら、頭だけ余分に焼いてもいい。
「烏の濡れ羽色」と呼ばれるぐらいまで焼いたろか。


断っておくが、この頭を公開したりはしない。








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ヒゲを伸ばしたくなる気持ちがわかる
せっかくの連休で行楽日和のお天気ときたら、お出かけしないのはもったいない。
噂によると、三重県の南に延びる高速道路が一区間先まで開通したという。
行かなくては。
ついでに新宮のラーメンを食べなくては。

高速道路は確かに開通していた。
あちら方面に行くのがとても楽になった。
でも、トンネルばかりなので、道路だけでは観光気分は味わえない。

ラーメン屋は出張の時に見つけたお気に入りのお店だった。
一度教えたらちづるも好きになったようだが、この店は徐々に変貌していった。
まず、経営者が変わり、店名が変わり、それでも味は守っていたのだが、
昨日行ったら、再び店名が変わり、メニューが変わり、味が変わっていた。
もはや完全な別物だ。

これで帰ったのではつまらない。
そこで、一番海沿いのコースを帰ることにした。
メインの国道は山手を通っているのだが、
海沿いには漁村と漁村をつなぐ絶景細道があるのだ。
そして各集落でポストを撮影していこうという算段だ。


そのうちのある集落で、すごく怖い道を通る羽目になった。
整備されたバイパス道から古い農道に入ると、
そこは軽自動車がやっとの急斜面のコンクリ道路だった。
そんな道なのに下って行ったら、なんと駅の表示があるではないか。
これを行ってみない手はない。

高い峠道からほぼ海沿いまで下りたところに駅はあった。
車は途中で行き止まりだ。
歩いて行くとホームだけの無人駅。
JR紀勢線波田須駅。
秘境駅扱いされてたりするらしいので、興味のある人は調べてみてね。

はだす駅だよ

さて、元の道を戻ればよかったのだけど、
地図によるとバイパス道の少し先に出られるコースがあると知り、うっかりそっちへ行ってしまった。
私は結構山道が好きで、かなり過酷なところも走ってきたが、この道は怖かった。

枯葉積もっててこんなに急だし。
こわい~

こんな手作り風の橋あるし。
こわいだよ~

こんなヘアピンより急なカーブあるし。
こわいよ~

最後の坂道、これ、広そうに見えるけど軽自動車いっぱいの幅で、
屋根は葉っぱを押しのけて進んだのだ。
こわいの~

もちろん右側は崖。
バイパス道まで上って見えた風景がこれ。
たかい~



ああ~あまりに風景がのんきすぎて、私たちの恐怖感が伝わらない~








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徒歩でもいやよ
オヤジの入院している病院から「ご家族にお話があります」と連絡があり、
昨日の夜、主治医の先生に会いに行ってきた。

その連絡を受けて以来、
「命に関わることやったらどうしよー」
とオロオロモード全開だった母。
命に関わることだったら、病院が「あさって」なんて言うはずないではないか。

とはいえ、足が痛くて見舞いに来ていなかった母は、
親父の状態を知らなかったのだから仕方がない。
手術直後こそ、ちょっと動くミイラみたいになっていた親父だが、
毎日毎日、着実にナマイキになっていっていたのだ。

やっとジュースを飲む許可が出たとき、
寝たままで飲みにくそうだったので私が首を支えてやったら、
一口啜ったあと、私に、
「お前も飲むか」
と言って、ニヤリと笑いやがった。


先生のお話は、やっぱり良い方のお知らせだった。
ともかくべらぼうに回復力が強いらしい。
治り方が見立てより一週間も早いそうだ。
連休が明けたら退院の段取りをしましょうということになった。

コイツはありがたい。
こちらも病院に通うのはめんどくさい。
母も面倒を見るのは大変だが、一人よりは二人がいいだろう。


ただひとつ、もうちょっと入院していて欲しい事情がある。
去年の暮れ、ぎっくり腰になって以来、寝たきりみたいになっていた親父が、
ようやく自力で車椅子に乗れるようになったタイミングでの今回の入院だったのだが、
病院でのリハビリが良いらしく、伝い歩きができるようになっている。
もうちょっと歩けるようになってから、家に帰ってきたほうが具合がいい。

そんなこともひっくるめて、連休後に様子を見て決めましょう、ということになった。
そのことを休憩コーナーで親父に説明する。

「そうか、わかった、便所行く」

本当にわかったのだろうか。

「病室行く」

親父がベッドに移った。
それじゃ今日は帰ると言うと、

「こことこことここに座れ」

指図されて座ったら、看護婦さんが来た。

「一家団らんです」

それはそれはと看護婦さんが笑いながら去っていった。
そして突然、

「よしわかった、家族会議終わり!」

と宣言した。
やっぱりナマイキだ。
もうちょっと病院に置いておこうか。








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はいポンポン出して