今やテレビラジオ、インターネットなど情報網が発達して、
シロートが一夜にして有名人になる時代となった。
我が三重県のような田舎からも、たくさんの有名人を輩出している。
芸能、スポーツ、文化人と、テレビで三重県人を見ない日はないといっても過言でない。
しかし、今のような情報伝達手段のなかった時代に、
この三重県発でとても有名になった人がいる。
そう、松尾芭蕉だ。
俳聖芭蕉、世の中のあらゆることを五七五で表したというすごい人だ。
私はその筋にとんと疎いのだが、それでもいくつかの句は知っている。
おそらくは、誰でも一つぐらいは彼の句を知っているだろう。
古池や 蛙飛び込む 水の音
おそらく、ぽちゃんという音を聞いてこの句を詠んだのだろう。
その全く何でもないことを拾ってきてネタにする能力、
ブログを書いていたらさぞランキング上位にいることだろう。
とはいえ、やはり一七文字では少なすぎるのではないか。
あまりに語られている内容がささやかだ。
あと七七を足して、短歌にしたらもうちょっと内容が豊かになるのではないだろうか。
古池や 蛙飛び込む 水の音 だと思うけど ホントは見てない
このようにしたら揺れ動く人心も読み込めるではないか。
で、こういうことをするとどうしてもやりたくなるのだが、
古い毛や 売っているなら 教えてよ 買わずにおれず 飛び込む店先
すんません。
あまり高尚なことを考えていると、時々パチーンとはじけてしまって。
風雅な短歌があわなければ、粋な都々逸というものもある。
飛び込むつもりは なかったけれど 人が来たから 飛び込んだ
蛙の側から詠んでみた。
奴ら両生類からしてみたら、オモムキなんかより日向ぼっこの方が大切だろう。
秋深き 隣は何を する人ぞ
この句についてはいろんな人がいろんなことを考えただろうと思う。
秋深き 隣は何を する人ぞ 夜中叫んだり 外人来たり
ほら、あなたもこんなこと考えたでしょう。
隣といってもアパートや家とは限らない。
すぐ横に自分と同じような出で立ちの人がいたのかもしれない。
秋深き 隣は何を する人ぞ そっと覗いたら 『柿食へば』だって
正岡子規でした。
せっかくなので、
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺 熟した柿なら 手がぬるぬるなり
こんなことを書きながらも、その風景を想像してみると、
時代的なものか、字数の少なさからだろうか、同じようなイメージになってしまう。
これらの句、全部同じところで作られたんじゃないだろうか。
蛙が飛んだり セミが鳴いたり ハエが手をする 法隆寺

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