まあ、そこそこの年数生きてきて、そこそこ以上の量を食べてきた私だが、
まだまだ世の中には食べたことのないものがたくさん存在する。
そんなに好き嫌いは多くないし、ゲテモノにも結構強いほうだ。
見た目で食わず嫌いということもあまりない。
なのになぜ食べたことのないものがこんなにあるか。
まず一番の理由は、それが高価だからだ。
豚が探すキノコだとか、淡水に住むサメの卵だとか、甲羅の柔らかい亀だとか、
そもそもそういうものを売っているのを見たことないし、
そのようなものを置いているお店に入ったこともない。
仮にメニューにあったとして、“高価”というのは料理のキズだ。
ゴキブリが入っているのと一緒だ。
唐揚げの百倍の値段でツバメの巣があったとして、
味や満足感が百倍になるだろうか。
そう考えると、私は唐揚げを注文してしまうのだ。
食べたことのないもうひとつの理由。
それは「ない」ということだ。
食べたくてもここになければ食べることができない。
ある地方でしか採れないものだとか、
数が少なくて世に出てこないものは、どう願っても手に入らない。
今は流通が進歩して、大抵のものはなんとか手に入るようになった。
逆に、珍しいものは手に入るが、珍しくないものが手に入りにくい。
珍しいものが売れるので、珍しくないものは売られなくなってきている。
月見、玉子とじ、かやくなんてうどんを置いている店が少なくなった。
ひじきやきんぴら、おからなんてのもなかなかお目にかかれない。
さて、そういう“珍しくないがないもの”の1ジャンルに“関東のもの”がある。
我が三重県は、名古屋の影響を多大に受けながらも関西の一端だ。
こちらでは、どうやら関東で普通にあるものが当たり前にない。
「ちくわぶ」とか「たたみいわし」って、過去に食べたことはあるのだが、
こちらの地方ではまさに珍味だった。
この関東モノで食べてみたいものの筆頭が“もんじゃ焼き”だ。
テレビでは何度も拝見したことがあるが、まだ実物を見たことすらない。
私の生活範囲内には、もんじゃ焼き屋がないのだ。
食べるとしたら、もんじゃ焼きのあるお好み焼き屋ということになる。
しかし、私がテレビで得た知識だと、もんじゃ焼きは鉄板全面を使ってしまう。
ある番組で、もんじゃ焼きって千円もすると知って怯えていたら、
それを鉄板中に広げて二人で食べ始めた。
なるほど、そういうものなのか。
だとすれば、いっしょにいる人ももんじゃ焼きが食べたいと思わなかったら、
もんじゃ焼きを注文することができない。
相方がお好み焼きや焼きそばを食べたいと言ったら、それまでだ。
かと言って、一人で食べに行ったり、同好の士を募るほどのことでもない。
だいたい、ノーマルなもんじゃ焼きって何なのだ。
お好み焼きなら豚玉かイカ玉が王道だろう。
始めていくラーメン屋なら、まずはノーマルから試したいではないか。
素もんじゃってなんじゃ。
新しい東京駅もオープンしたことだし、ちょいと味見に・・・
交通費が高価じゃ。

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