あの震災から一年。
テレビでしか情報を知ることはできないが、復興は全然進んでない気がする。
地元の人たちの苦労はどれほどのものだろう。
もし原発の問題がなかったらと思わずにはいられない。
私は原発に反対だ。
廃棄物の処理ができないからだ。
だからと言って反対運動に参加してはいない。
署名や節電には協力するが、そのぐらいだ。
集会やデモ行進は、反対派の結束を深めたり、意思表示としてはいいと思うが、
これで原発を止めることができるだろうか。
なにしろ、原発を動かしたい側の推進力は『欲』だ。
これはすごいパワーがある。
決してあきらめることはない。
そしてそういうことを決める人たちはお金をもらっている。
メリットがなきゃ献金なんかしないし、
もらう側はなんぼでも欲しいのだ。
で、ある場所に原発の計画が立ったとしよう。
お金も仕事もない困窮している地区だ。
地元はお金と仕事が欲しいから賛成する。
このとき、その自治体に住んでいない人には投票権がない。
万が一のとき、被害に合う範囲に住んでいたとしても。
投票権がないにしても、なんとかここに意見を投影することはできないか。
私は反対派の人は「原発反対」と唱えるよりも、
各個人がもっと具体的な宣言をするべきだと思う。
原発で放射能の次に力を持つのは風評だ。
これを利用しない手はない。
たとえば、青森県の大間には原発が建設中だ。
これには対岸の函館が反対しているそうだ。
そこで私は宣言する。
「原発を作っている大間のマグロは食べない」
それでは大間の人が気の毒だと思う人は、「青森のリンゴを食べない」でもいい。
「青森に観光に行かない」でもいい。
ともかく建設地には、推進側からプラス面しか伝えられない。
マイナス面も感じてもらうことが必要だ。
ネット上にこういう宣言の場を作り、某コメント欄のように、
「そう思う」「そう思わない」と投票できるシステムにしてほしい。
「上関原発を計画している山口県のフグは食べない」
「原発再開しようとしている佐賀には行かない」
あるいは、地元の有力企業の商品を買わないとか、
観光に行っても土産を買わないとか、
こういう具体的な意見が積み重なった方が「反対」というだけより効き目があると思う。
もちろんその逆も必要だ。
地熱発電には各温泉地が反対しているそうだが、
もし協力してくれる温泉地があれば、
「たとえバスロマンになってもその温泉地に行く」
と言いたい。
原発にかかわる各地域の人たちには申し訳ないと思うが、
もはや世界規模の問題だ。
進める前にもっといろいろたくさ考えないといけないと思う。
以上、私のアサハカで甘っちょろい考えでした。

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