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月別アーカイブ  [ 2012年01月 ] 

恍惚の軟骨

食べ物は食感が大切だ。
場合によっては味より重要視されることがある。
むしろ、食感も踏まえての“味”ということができるかもしれない。

味に隠し味があるように、食感にも隠し食感というものがある。
つぶつぶというやつだ。
天然の素材なら、キウイなんかがそうではないだろうか。
よく熟したキウイの実から現れるゴマよりも小さな種。
あれが果肉の爽やかさの中で一点の香ばしさとなってうれしい。

ゴマの入ったせんぺいや、クランチタイプのアイスやチョコ。
何でも丸のみタイプの私が、これらの食べ物はていねいに咀嚼する。
あのつぶつぶを、ぷち、とかみつぶすのがたまらない。
「ああ、まだ不完全な噛み方だったのに飲みこんでしまった」
って時は牛のように反芻したいぐらいだ。


さて、このつぶつぶ、ほとんどの場合が種だ。
砕いてあるアーモンドだって、砕いた種の破片だ。
この魅力的なつぶつぶ界は種に支配されているのだろうか。

いや、もっと魅力的なつぶつぶが現れた。
軟骨だ。
最近、鶏のつくねに軟骨が練り込んであるものがある。
あの食感が素晴らしい。
種属とは違った弾力のある破片は、ぷち、というより、こり、とつぶれる。
これがなんだか斬新で嬉しい。


昔は焼鳥屋に行っても軟骨なんてメニューはなかったように思う。
いつからか誰かが「これも食えるじゃないか」と始めたのだろう。
日本人はそういう目新しさが好きだ。
今ではなくてはならない一品に成長した。

もともと、軟骨は鶏の体の一部なのだから、
骨のついた手羽関係のメニューにはついていた。
ただ、そこまで食べるかどうかはお客が決めていたのだ。

私も昔は食べていなかったが、最近は喜んで食べるようになった。
好き嫌いはあるだろうが、ただ一つ言えることがある。
軟骨まで食べた方が、残った骨が美しい。
皿にはまさに骨と言うべき残骸しか残らない。
食事を終えたすがすがしい光景だ。

軟骨を残すとこれが汚らしい。
せっかくふたこぶ的なふくらみを持った骨のラインが、
肉というか筋というか、いや軟骨なんだけど、身的要素に隠される。

というか、軟骨を残すとなると、どこまで食べていいのかがあいまいだ。
もうちょっともうちょっとと探っているうちに、しゃぶっているようになる。
思い切って軟骨をぐいぐいやると、
柔道の審判が「そこまでっ」と言ったように、きれいに境目で外れる。
やっぱりここまで食べるのが正しいのだ、と思うことができる。

みなさん、手羽先は軟骨まで食べようではありませんか。


今日の話は、干し芋を食べたら歯の詰め物がとれて歯医者に行く羽目になった、
という方面に進めるつもりだったのに、すっかりそれてしまった。
オチのない日が続く。






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[ 2012/01/27 06:35 ] | TB(0) | CM(4)
プロフィール

こみ

  • Author:こみ
  • 三重県在住。
    妻のちづると二人でダラダラ暮らしています。
    晴耕雨読が理想です。
    記憶を自在に操る一人暮らしの母のところへ通ったりもしてます。


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