2012年01月

ここでは、2012年01月 に関する情報を紹介しています。
幼い頃に受けた衝撃が、大人になっても生活に影響を与えることがある。
っていうほどでもない習慣がある。
ちょいとした小トラウマだろうか。
私はトイレは灯りをつけてからドアを開ける。

そんなこと当たり前だ、と言わないように。
私は灯りのついてないトイレが怖かったのだ。
今でこそ立派な大人になったので怖がることはないが、
最近まで灯りをつけると同時にドアを開けるようなことはしなかった。

もちろん昼間は関係ない。
しかし、子供のころには少しでも薄暗くなり始めたら、
まず灯りをつけたものだ。
常に灯りがついたことを確認してからトイレのドアを開けていた。


それは『ダブル』のせいだ。
世界の妖怪事典に載っていたヨーロッパの妖怪だ。
確かルーマニアだったと思う。

「妖怪ダブル
 トイレのドアを開けると、もう一人の自分がいる。
 その姿を見ると死ぬ」

これだけの説明だったはずだ。
今でいうドッペルゲンガーというやつだ。
これがその当時怖くて怖くて仕方なかった。

イラストは、ドアを挟んで驚く西洋人とほくそ笑む西洋人、
もちろん同じ顔だ。
だから私のイメージは、ドアを開けて自分がいるのではなく、
西洋人が立っている場面だ。

考えてみたらそれは妖怪ダブルではない。
ただの西洋人だ。
でも、家のトイレに知らない西洋人がいたらやっぱり怖い。


とはいえ、やはり自分がいたらその方が恐ろしいだろう。
しかも死んじゃうのだ。
でも、すぐ死ぬのではないと思う。
なぜなら、見てすぐ死ぬのなら、ダブルのことが誰にも伝わらないからだ。

少なくとも、その人が誰かに、
「トイレに自分がいるのを見た」
と言わなければ、ダブルは妖怪事典に載ることもなかっただろう。
安易ではあるが『ダブル』という名前もついている。
これは目撃者が誰かと話し合ったからだ。

だとすれば、ダブルの姿を見てからしばらくは生きている。
だが、その人生は悲惨を極める。
だって、ちびるに違いないんだから。

トイレに行く時は用を足したい時に限る。
そこでダブルに出会ったとしよう。
きゃー、ダブルだ、こわいー、でもとりあえず、
ともう一人の自分を押しのけてトイレに入れるだろうか。

仮に、それだけの勇気を持った人がいたとしよう。
だとしてもそれはダブルが棒立ちだった時の話だ。
もう一人の自分が便器を抱えてケロケロ吐いていたらどかすこともできない。
そうなったら人間はちびる。
恐怖とあきらめでちびる。

で、その場合一番大変なのは掃除をする人だ。
ダブルで掃除だもの。






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自分で掃除しろ
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お昼から買い物に出かけた。
買いたいものはちゃんと決まっていた。

腕立て伏せ用の台に巻く滑り止め。
携帯用レンズ。
コンセントがポンと抜けるやつ。
『東京事変』のCD。
それを録音するMD。

だいたい私は買い物に行くと、何がなぜ欲しいのかをちづるに説明する。
そして説得されて買うのをやめ、
全く必要ないものを衝動買いしてしまうというのがいつものパターンだ。

まずホームセンターに行った。
滑り止めを買おうと思ったら、
「巻くやつを買わなくても、安いのを下に敷いたらどうか」
確かに以前百円ショップで買った滑り止めがある。
一度それを試してみてから、ダメだったら巻くタイプのを買おう。

『東京事変』とは近々解散することが決まったバンドだ。
よく知らなかったのだが、YOU TUBEで聴いてみたら案外気に行った。
しかし、3000円出してアルバム買うのは勇気がいる。
彼らは5枚のアルバムを出しているが全部欲しくなったらどうしよう。

「中古がないか見てみたらどうか」
というのでそういう店に行った。
中古はなかったのだが、えらいものを見てしまった。
レンタルで5枚が1000円なのだ。
どうせ買ってもMDに録音して車で聴くだけだ。
断然レンタルの方がお得だ。

レンタルをしたことはないのだが、
いつでもレンタルできると思ったら安心して、CDを買うのはやめた。
なので当然MDを買うのもやめた。

コンセントがポンと抜けるやつのことはすっかり忘れていた。
携帯用レンズはホームセンターでカード型のを見つけたので買った。

早朝撮影

この左のガマグチは、正月に買ったものだ。
リップクリームと目薬と老眼鏡を入れて、首からぶら下げておけば便利だと思って買った。
冬場はジャージやトレーナーが多いので胸ポケットがない。
ジャージのお腹ポケットに入れておくと、
薬類は暖まってしまうし、老眼鏡は破損の恐れがある。

まん中にあるのが私の愛用の携帯用老眼鏡だ。
なんとこれがギリギリこのガマグチに入らない。
いかにも入りそうに見えるのだが、入れると口が閉まらないのだ。
右にあるのは私が以前から持っていたカードタイプのレンズだ。
これがまた、幅がギリギリで入らないことはないのだが、出し入れがすごく手間なのだ。

スリムなタイプ

で、今日買ったのがこれだ。
サイズは文句なしで、かさばらない。
しかもほんの150円だ。

ところが、そのあと良いスプーンでもないかとファンシーな店に入り、
ステキなものを見つけてしまった。

ステキー

まるでロッテンマイヤーさんのようではないか。
しかもガマグチにぴったりのサイズだ。
これを買わずしてどうしよう。
即座にレジへ、ファンシーなお店だったのでちづるに行ってもらった。

しかも、これは首から掛けるようになっている。
リップクリームと目薬はジャージのお腹ポケットで温めておけば、
ガマグチはぶら下げなくても済む。
だいたい、このガマグチは首から下げるには大きいと思っていたのだ。
よし、これで私の老眼対策スタイルは決定した。


と、こうやってモノが増えていくのであった。








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ブツはなんだ?
祭日よりもウキウキする、ちづるが出勤で私が休みの土曜日。
とはいえ、私も遊んではいられない。
どんなに寒くても、畑の草は伸び、ダイコンは成長しようとする。
毎年この時期にサボるので、後々困ることになるのだ。

仕方がないから畑に行こう、と決心をしようかどうかと迷っていると、
珍しく我が家のインターフォンが鳴った。
すぐ近くで電柱を立てる工事があり、しばらく車の出入りができなくなるという。
なにっ、それでは私が畑にいけなくなるではないか♪

そんないきさつでのんびりしていたら、工事車両は10時には作業を終えて帰っていった。
ちょうど私が更新を終えたころだ。
こんな時間からでは思うような畑仕事ができないではないか。
なので雑草のことは先送りすることにした。
とりあえず、ダイコンをどうにかしよう。

整列

細かいのも合わせると、まだ50本ぐらいある。
枯れたようになっている葉っぱだが、その中心からは新しい葉が出ようとしている。
これが育つと、ダイコンは野菜ではなく、根っこになってしまうのだ。
去年も30本ほどのダイコンは、畑の土に返ってもらった。
そうなるぐらいならおすそわけをしてしまおう。

よそ様に差し上げても恥ずかしくないようなのを選んで、スポスポ抜く。
これはなかなかのストレス解消だ。
ダイコンは大きくて重さがあるから「収穫した」って感じがあってうれしい。
調子に乗って20本ほど抜いた。

抜いてもいいもの

葉っぱを落として全部車に積み込む。
体を動かしながら、実は頭もフル回転している。
万が一、ダイコンに“ス”が入っていても文句を言わないであろう人たち。
そして配る道順を、私の灰色のノーサイポーははじき出した。

まずはなじみの居酒屋だ。
昼間なので閉まっている。
レジ袋に三本入れて、入口のドアのノブにぶら下げてきた。
お袋の味系の店だから、スが入っていてもなにかに使ってくれるだろう。

次はその近くの友人のお店。
アクセサリーやバッグ、服などを商っている横文字のしゃれたお店だ。
そんなとこへ土のついたダイコンを置いてきてやったぜ。

その次は私の弟の家。
留守だったので玄関の前に置いてきたぜ。
誰もいないのをいいことに、そこでダイコンの袋づめをしたぜ。

ちょっと寄り道して、スーパーのATMに寄った。
今月分の小遣いをもらったので、半分ほど口座に入金したのだ。
お金をたくさん持っているのは怖いからだぜ。

お昼が近くなってきたので、同僚N岡の家に急いだ。
奥さんがお昼の準備をし始めてから訪問すると迷惑だからだ。
ダイコンを渡すついでに、ベルメゾンのカタログが届いていることを教えてやったぜ。

家に帰り、昼ごはんを食べて、ちょっと昼寝。
そのあと、ダイコンを持って床屋さんに行ったぜ。
頭もスッキリだぜ。


あと五本ほど車に残っているがご近所さんには合わなかった。
形があまり良くないからウチで食べるとしよう。

で、最後にご報告。
先週干したダイコン、こうなりました。

すくな~







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ダイコンだけに「おろして~」
察しのいい方はもうおわかりだろう。
今日は羊のお話だ。


早寝を心がけるようになって、寝つきはとてもよくなったが、
それでもたまに寝られずウガウガすることがある。
そんな時どうしたらいいか。
と考えると、まず浮かんでくるのがヒツジを数えるという方法だ。

そういう方法があることは知っていても、具体的にどうしたらいいのかわからない。
アニメなどで見る、柵を飛び越えていくヒツジを数えるのが本当なのか。
それとも、広い草原に放牧されているヒツジを数える方が自然ではないのか。
いや待て、ヒツジってどんなんだったっけ。

それより何より、想像のヒツジを数えるなんて、あまりにも無意味ではないか。
現代人には時間が不足している。
寝られないと睡眠不足になるように、時間は活用しないと起きてる時間不足になる。
どうせ数えるならもっと有意義なものを数えたい。
なにかヒツジに似たもので自分に大切なものはないか。

ヒツジに似ていて自分に大切なもの・・・
あった。
『必需品』だ。
ヒツジに似ているし、何より必需品なのだ。


必需品と言ってまず思い出すのが仕事で使う道具だ。
私の場合、ヘラ、ナイフ、ミニライト、マジック、メジャー、電卓、ガムテープ、が七つ道具だ。
しかし、これは今の仕事をしている場合の必需品だ。
仮に私が選挙に出て当選したり、インドの旅に出たりしたら必要ではなくなる。
必要でなくなる可能性のあるモノは必需品ではない。

趣味で使っているものは必需品とはいえまい。
たとえば、畑道具やデジカメ、スプーンにキャンプ用具、
本やCDや球がコロコロ転がるおもちゃやカバンや耳かき。
考えてみれば、パソコンだってなかったら死んでしまうというわけではない。

生活で必要なものといって、自動車、テレビ、冷蔵庫、掃除機、なども考えたが、
つきつめていくと必要ではないような気がしてきた。
家さえレンタルでなんとかなるのだ。
鍋釜包丁や食器の類も、外食すれば必要ない。
となると、一番の必需品はお金?
いやいや、お金なんて体一つあればなんとかなる。

一番大切なのは健康、と考えて、何度もダイエットグッズを買おうと思ったことがある。
そのたびに、
「外を歩け、腕立て伏せをしろ。ダイエットは気持ちひとつだ」
と、最初からその気持ちを持たないちづるに言われてきた。
そもそも、必需でない栄養を摂取しているからダイエットが必要になるのだ。
とりあえず、今は健康面でも必需品はない。

ただ一つ、健康面で心配なのが睡眠不足だ。
寝付けない日は、睡眠不足が心配で余計眠れなくなる。
なんとか寝なければ。
ヒツジを数えよう。
でもそれは無意味だ。
それなら『必需品』を・・・


私の必需品、それはダジャレです。






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夢かもね
食べ物は食感が大切だ。
場合によっては味より重要視されることがある。
むしろ、食感も踏まえての“味”ということができるかもしれない。

味に隠し味があるように、食感にも隠し食感というものがある。
つぶつぶというやつだ。
天然の素材なら、キウイなんかがそうではないだろうか。
よく熟したキウイの実から現れるゴマよりも小さな種。
あれが果肉の爽やかさの中で一点の香ばしさとなってうれしい。

ゴマの入ったせんぺいや、クランチタイプのアイスやチョコ。
何でも丸のみタイプの私が、これらの食べ物はていねいに咀嚼する。
あのつぶつぶを、ぷち、とかみつぶすのがたまらない。
「ああ、まだ不完全な噛み方だったのに飲みこんでしまった」
って時は牛のように反芻したいぐらいだ。


さて、このつぶつぶ、ほとんどの場合が種だ。
砕いてあるアーモンドだって、砕いた種の破片だ。
この魅力的なつぶつぶ界は種に支配されているのだろうか。

いや、もっと魅力的なつぶつぶが現れた。
軟骨だ。
最近、鶏のつくねに軟骨が練り込んであるものがある。
あの食感が素晴らしい。
種属とは違った弾力のある破片は、ぷち、というより、こり、とつぶれる。
これがなんだか斬新で嬉しい。


昔は焼鳥屋に行っても軟骨なんてメニューはなかったように思う。
いつからか誰かが「これも食えるじゃないか」と始めたのだろう。
日本人はそういう目新しさが好きだ。
今ではなくてはならない一品に成長した。

もともと、軟骨は鶏の体の一部なのだから、
骨のついた手羽関係のメニューにはついていた。
ただ、そこまで食べるかどうかはお客が決めていたのだ。

私も昔は食べていなかったが、最近は喜んで食べるようになった。
好き嫌いはあるだろうが、ただ一つ言えることがある。
軟骨まで食べた方が、残った骨が美しい。
皿にはまさに骨と言うべき残骸しか残らない。
食事を終えたすがすがしい光景だ。

軟骨を残すとこれが汚らしい。
せっかくふたこぶ的なふくらみを持った骨のラインが、
肉というか筋というか、いや軟骨なんだけど、身的要素に隠される。

というか、軟骨を残すとなると、どこまで食べていいのかがあいまいだ。
もうちょっともうちょっとと探っているうちに、しゃぶっているようになる。
思い切って軟骨をぐいぐいやると、
柔道の審判が「そこまでっ」と言ったように、きれいに境目で外れる。
やっぱりここまで食べるのが正しいのだ、と思うことができる。

みなさん、手羽先は軟骨まで食べようではありませんか。


今日の話は、干し芋を食べたら歯の詰め物がとれて歯医者に行く羽目になった、
という方面に進めるつもりだったのに、すっかりそれてしまった。
オチのない日が続く。






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認めたくない診断
今の日本で最大にして最悪の組織『政府』が、
消費税を値上げして懐を温めようと目論んでいる。
誰にも知られないようにやるのなら泥棒だが、
おおっぴらに公言して無理やりやろうというのだから強盗だ。

財政が火の車なんてことはわかっている。
火の車じゃないところなんてないのだ。
だが、ほいほいとお気軽にどんどん無駄遣いをしている奴らに、
どこの誰が「たいへんでしょうねえ」なんて同情するというのか。

アメリカに思いやり予算なんてやっといて、老人の医療費を上げるとはどういうことか。
企業献金をなくすためといって作った政党助成金、
結局両手でかき集めるようになっただけではないか。
後払いの賄賂である天下りは減ったのか。
原発を受け入れた地区への助成金は、無駄な施設を作っているのではないのか。

こんなやり方で誰が納得できるというのか。

消費税の内容は考えなくてもいいのか。
「よその国はもっと消費税は高い」
というが、よその国はもっと中身をかんがえてあるではないか。
ゴルフクラブとおむつが同じ税率でいいのか。
国民のことを本当に考えているのなら、
食品、医薬品、育児用品、介護用品などは、非課税にした方がいいのではないか。


で、そうなったとしよう。
すると日本人の趣味が大きく変わってくることが予想される。

たとえば、私はスプーンを集めている。
金属製でデザインの気にいったモノだけをときどき買う。
これがお子様スプーンを集めるようになるだろう。
小さくてかわいい絵の入ったモノばかりになる。
だって、非課税なのだから。

いろんなコレクターが非課税のものに走るはずだ。
特に医薬品は集め甲斐がありそうだ。
切手コレクターは絆創膏コレクターに、
ハンカチ好きの人は包帯に、
万年筆のコレクションは体温計になるだろう。

食品だって腐らないモノがある。
プラモデル好きの人たちは、煮魚の骨を組み立てて復元したりするだろう。
ガンプラマニアなら、カニの殻でアッガイぐらい作りだすかもしれない。
落花生のカラでモニュメントを作る人も現れるはずだ。
ひょっとしたら、エンドウの筋からなにか紡ぎだす達人だって出かねない。

もちろん、売る側のメーカーもこれに便乗する。
薬の容れ物の色柄形は百花繚乱。
軟膏やシップもバラエティーに富んだ商品が売り出されるだろう。
おばあちゃんの手押し車にはF1バージョンなんて売れそうだ。

えーと、
この話のオチは考えてなかったんだけど、
育毛剤もよろしくね。






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よく汚すから
朝起きて、コタツをつけてパソコンの前に座る。
昨日は飲みに行ったのでやや二日酔い気味だ。
だが、ダウン絵になるほどのことはない。
更新をしよう。

たいてい朝にはどんなネタを更新するか決まっている。
用意周到なのではなくて、なんとなくそれしか書けないようになっているのだ。
だから、
「昨日は野菜のネタだったから、今日は上司の話にしよう」
なんて計算はない。
寝ぼけた頭は一方向にしか進めない。

とはいえ、毎日書くことがあるわけではない。
朝になってから、あわてることも多い。
そんな時は作業服のポケットに入れてあるメモを見る。
ジャバラに折った厚紙に思いついたことが書いてある。

今、見てみた。

 軟骨、消費税、羊

どうしたらいいのだろう。


このようになにも思いつかない日がある。
軟骨か消費税か羊で書き始めればよかったのだ。
なのに、どれも選べなくて、
「なにも思いつかない」
で書き始めてしまったのだ。

しかも、ゆうべ酔っ払って寝たので、寝過ごした。
おまけに、パソコンの前で無意味に15分ぐらいボーッとしてしまった。
もう時間がない。


ダウン絵を描いてしまおうか。


ああー、悪魔がささやく~
ついこの間ダウンしたばかりではないか。
それでは私の生活態度が疑われてしまう。

そうだ、以前、ダウン絵の大きさでダウン度がわかると言われたことがある。
大きくてハツラツとしたダウン絵を描いたら、
「ああ、そんなにひどい二日酔いではないのだな」
と思ってもらえるのではないか。

いやいや、それでは目的が変ってしまう。

なんてことをやっているうちに大変な時間になっているではないか。
うわーどうしよう~
しかも内容がこんなだからどんな絵を描いたらいいかわからん~

仕方ない、今日は絵は無しってことで。








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なくてもよかったな
日曜日、買い物帰りに畑にダイコンを採りに行った。
畑に野菜がある限り、わざわざ買うことはない。
あるものを食べるの精神で、頑張ってダイコンを食べている。

畑はここのところ手入れをしていないので草だらけだ。
寒くても乾燥しても草は生える。
残っているダイコンは約30本。
イヤな変化が始まりつつあった。
野菜であるダイコンが、植物としてのダイコンに変わろうとしている。

ダイコンの葉の中心から新しい葉が伸びてきた。
これは茎になり、やがて花が咲く。
俗に言う『トウが立つ』というやつだ。
こうなるとスが入ったりしてくるのでおすそわけがしにくくなる。

となると対策は三つ。
急いで消費するか、保存の手段をとるか、育てて種を取るかだ。
種を取るとなると畑がいつまでも片付かない。
買っても安いものだからこれは却下だ。

となると消費か保存。
これは並行して行わなければいけない。
なるべくたくさん食べるとして、保存にも着手しよう。


まずは葉を落とすことだ。
葉っぱの部分を切り落とすと、そちらに養分がいかなくなりしばらくもつ。
とりあえずはそうすることにしよう。

全部抜いて埋めてしまうという手もある。
しかし、これは以前失敗したことがあるのでやりたくない。
掘り出そうとしたら中で腐っていて大変な目にあったのだ。
やるとしても最終手段だ。

軽く茹でて冷凍するという方法もある。
ただ、一般家庭の冷蔵庫では保存できる量が知れている。
まして我が家の冷凍庫にはまだたくさんのゴーヤが眠っているのだ。


というわけで干すことにした。
切干大根に初挑戦だ。

ホームセンターで魚干し網を買ってきた。
ダイコンを切干用に加工する道具も売っていたが、2500円もするのでやめた。
家にあるピーラーでいいだろう。
帰ってさっそくとりかかる。

ダイコンをピーラーで削ったら、切干というより『刺身のつま』みたいなものができた。
まるで麺類のように細い。
早く乾燥するだろうが、これで切干大根になるのだろうか。

それよりも、ダイコン一本をピーラーで削るととても疲れる。
二本目以降は切って干すことにした。
どうせ干し始めたらずっと放置するに違いない。
多少大きくても乾燥するだろう。

一番安い網

で、こんな感じになった。
上の段が切ったやつで、中段がつまだ。

いつ食べられるか

もう一段空いているが、もう疲れた。
干して干し過ぎってことはないだろうから、ここは後日追加しよう。
みなさんに良い報告ができますように。







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足細いのに
人類が火を使うようになって、最初におこなった調理は、
やはり『焼く』だろう。
おそらく他の調理法を使うようになるにはかなり長い期間があったはずだ。
それは我々のDNAに刷り込まれた。
だから今でも人間は、網の上で焼かれる素材から目が離せない。

なんといっても肉。
ステーキや焼き肉がじゅうじゅうと音をたて、脂を滴らせている様子はたまらない。
匂いや音にも誘われて目が離せなくなる。

焼き鳥も素晴らしい。
昔ながらの焼鳥屋では、カウンターの向こうで串がクルクルまわされているのが見える。
炭火であぶられた鶏肉は、淡白でのんびりした姿から、
活発で勢いのある焼き鳥へと豹変する。

魚類ではなんといってもウナギがいい。
実際に見る機会はないけれど、テレビで職人さんが焼く姿を見たら、
まるで匂いと煙を感じるかのようだ。
特に、たれがかかった後は唾液腺を往復ビンタされている気分だ。


残念なお知らせがある。
食べ物が焼ける様子は見ているだけでおいしそうだと述べてきたが、
実はほとんどの場合、人が見ているのは焼けている面の裏側だ。
火は下から上にある素材を加熱する。
焼けているのは、火に当たる下側なのだ。

実際、人が目にするのは、焼けた面を裏返して見たときだ。
だから、焼けていく過程はまず見ていない。
火力による食材の変化の一番おいしそうな場面は目にしていないのだ。


確かにいくつかの食材は、火に当たる面より上からの眺めが面白い。
たとえば、焼き貝。
火にあたっている部分は貝殻だ。
牡蠣や大アサリが焼けるのは見ていて楽しいが、
あの姿はどうしても『煮えている』という状態だ。
ちょっとDNAは刺激されない。

ピザというものがある。
あれは石窯の中で、まわりからの熱で焼かれる。
ただ、上からの火というのは、どうしても不自然だ。
炎は下から上に燃えあがり、熱は下から上に昇っていく。
だから、上からの火は『炙る』になってしまうのだ。

ひとつめんどくさい食材がある。
スルメだ。
ヤツは火に乗せたとたん、
「ほーら、こんなに焼けてますよー」
と裏側を見せてくれる。
こちらが「丸まるなー」と叫んでも「ほらほら」とおかまいなしだ。
これはおせっかいでしかない。


たった一つ、下からの火でも見ている側に影響が現れる素材がある。
餅だ。
火に当たる面は少々焦げ目がつくだけで、上に向かってぷーっと膨れる。
横にはみ出すことはあっても、下に膨れることはない。

とはいえ、餅が焼けるさまは、肉やウナギと比べて盛り上がらない。
油も煙も匂いもない。
DNAも整列したままだ。
だから人はあまり注目しない。

そこでやつらは突然膨れるという手段を選んだ。
過熱に対し、徐々に変化するのではなく、いきなりだ。
うっかり目を離していたら、網がえらいことになっていたりする。
きっとやつらはすねているのだ。






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正月はいつもこうなる
何度も何度も言っているが、
私の理想は夜10時に寝床に入り、朝は4時半に起きることだ。
ところが冬場は朝が起きにくい。
目覚ましのセットが4時半から4:44になり、今では5時までずれ込んでいる。

というのも、夜寝るのが遅くなっているからだ。
ホットカーペットの上からは離れ難く、
お風呂を沸かすスイッチを押し忘れて居眠りをしたうえ、
ついつい長湯をしてしまう。

時間がずれるだけならいいのだが、やっぱり睡眠不足になっている。
90分周期の睡眠を心がけている私としては、6時間は寝たい。
となると、5時に起きるには11時には寝付いていなければならない。
こんなことを考えていると、焦って余計に寝付けなかったりする。


この睡眠の微調整をするのは、やはり休日だ。
一応ルールはは守るつもりなのだが、ちょっと自分に優しくなる。
昨日、土曜日は出勤だったから、今週の休みは日曜だけ。
寝床でちょっと本を読もう。
目覚ましは掛けないでおこう。

アクビが出たので本を閉じて灯りを消した。
今夜はスヤスヤ眠るとしよう。


寝る前にミカンを三個も食べたからだろうか。
トイレに行きたくなって目が覚めた。
トイレに行きたいんだからトイレに行けばいいのだが、
ふとんからは出たくない。

いや、私はトイレに行きたいわけではない。
出すものを出したいだけだ。
『トイレに行く』と『ふとんから出ない』は両立できないが、
『出すものを出す』と『ふとんから出ない』は両立できるではないか。

いかんいかん、やはりトイレに行っておこう。
寒々とトイレに行ってから、改めて入る体温の残ったふとんは天国だ。
その快感を味わうとしよう。
それにしても、ゆっくり寝ようと思っている日に限って、こんな夜中に目が覚める。


まぶしい思いをしたくないので、灯りは消したままトイレに向かう。
外はまだ真っ暗だ。
トイレでは目視が必要なので灯りをつけた。
スッキリしながら時計を見た。

6時半?
観客もいないのに時計を二度見してしまった。
休日とはいえ起きる時間ではないか。
トイレから出て外を見る。
天気が悪いから暗いのだ。


我が家の日曜は、7時半から『がっちりマンデー』を見ながら朝食だ。
そのあと『サンデーモーニング』でまったりする。
それまでに更新をしておかなくてはならない。
6時半はタイムリミットだ。


タイムリミットに目覚めたのならそれでいいではないか、という人もいるだろう。
しかし、考えてもらいたい。
私はふとんに戻るつもりで起きてきたのだ。
ぬくぬくふとん戻り。
あの快楽を、幸福感を、至福のひと時を味わうつもりでふとんを出たのだ。

なのにそれっきり起きてしまうなんてできはしない。
私は「ちょっとそこまで」と言って寝室を出た。
ふとんに「サヨナラ」を告げたわけではないのだ。
休日出勤だと言って家を出て、そのまま単身赴任なんてことがあるだろうか。
単身赴任には単身赴任の手順があるはずではないか。

ふとんは私を待っている。
私の体の形に盛り上がったまま待っている。
そこに私がこっちりはまって、少しイジイジってするのを待っている。
私は帰らなくてはいけない。
ふとんに戻るべきなのだ。


というわけで、もう11時になろうというのにこんなことをしているのであった。






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はなれがたし
ユニック付きの大きなトラックがやってきて、
会社前に設置された自動販売機を移動し始めた。
これは新しい自動販売機になるぞと、上司と喜んでいたが、
奥さんに訊いたら、なんと撤去だというではないか。

これはえらいことだ。
頭の中で検索すると、一番近い自動販売機まで、軽くお散歩の距離がある。
ちょっと仕事中に抜けていくわけにはいかない。
去年の夏はあれほど水分補給を言っていたではないか。
これを撤去するのなら、なにか代わりに設置してもらわなくてはならない。


 ブドウ販売機
水分を果実から摂るというのは体によさそうだ。

 水筒販売機
つまりは自分で用意しろと。

 ういろう販売機
そこそこ水分はありそうだけど。

 頭脳販売機
そして自分で考えよう。

 地動説販売機
むかしガリレオも使ったという。

 ジュード・ロウ販売機
男前を見てもよだれは出ませんから。

 ジュノンボーイ販売機
だから、出ませんから。

 ちゅどーん販売機
危険物なのでしょうか。

 ずっと販売機
なにの?

 自動乾杯機
その飲み物をくれんかのう。

 自動ハンバーガー機
余計のどが渇く。

 自動かばい機
そのお気持はうれしいんですが。

 中途ハンパ機
なにもわからん。

 ジイジとバアバ機
まだ使っちゃいかんかな。

 児童飯場行き
ひらがなにするといっしょだけど。

 黄色いパーマ液
そんなもん設置されても。

 緊張キューバ危機
古い話です。

 ピロウでのささやき
甘いものばかりです。



さあ、のどは潤ったかな?






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あなたならいくら出す?
報告が遅くなってしまったが、
入院していた親父がおかげさまで先日退院した。
年寄りなのでちょっと長引いたが、深刻なことは一切なく、
今もスクスク育っている。
新しい病院が見られてちょっと喜んでいるぐらいだ。

それとは裏腹に、去年から気がかりなことがひとつある。
昨年の暮れ、12月30日に更新した記事で、
私は自分のマフラーと帽子を紹介した。
身につけている感じを出すために、
帽子を風船にかぶせて写真を撮った。

その風船が、部屋の隅にまだあるのだ。


ふくらました風船ってどう取り扱ったらいいのかわからない。
ともかく、家じゅうのどこにも置いておくところがない。
仮にどこかに飾ったとしても、ほんのわずかな空気の動きでコロコロ転がる。
それで結局、私がテレビを見ている場所の横にいる。

怖いのはいつ割れるかわからないところだ。
ゴムが劣化してくれば、ある日突然割れるだろう。
そのタイミングがおそろしい。
私はビックリするのが嫌いなのだ。

だからと言って、ただ割って捨ててしまうというのも気が引ける。
用は済んだととはいえ、まだまだ風船である役目を果たしているのだ。
「このお茶椀、いらないから割って捨てよう」
なんて気持にはなれないだろう。
それと同じで、形があるうちはむやみなこともできない。

ちづると二人でなにかのゲームをするという手がある。
ゲームの結果割れてしまうなら仕方がない。
とはいえ、何のイベントでもないのに二人でキャーキャー騒ぐのも恥ずかしい。
気分を出すために万国旗を飾ったりしたら、今度はそれの始末に困る。

せめてこれがふわふわ浮かぶ風船だったら、お空に逃がしてあげられるのに。
残念ながら、この風船を膨らませている気体は、私の息だ。
冬休みに入ってから膨らませたものだから、ニンニクを食べていないとも限らない。

これがストレッチボールなら、いろんな運動やダイエットに使えるのだが、
とても私の体重を支えられるとは思えない。
ストレッチボールの代わりに使ったら割れちゃった、
ととぼけることもできるが、このうわさが近所に流れたら精神を疑われてしまう。


膨らませてからもう三週間になる。
ふと見ると、なんだか歳をとったようだ。
なんだか表面がしわっぽくなった気がする。
静電気でホコリを集めているのか、すこし薄汚くなってきた。
情が移ってきたのだろうか。
いとおしい気持ちがわいてきた。

名前をつけてみようか。
いかんいかん、この付き合いはあまりにもはかなすぎる。
深くかかわってはいけないのだ。


こうして彼は今も部屋の片隅にいる。
ちなみに、彼は帽子の写真を撮るために百円ショップで買ってきた一袋のうちのひとつだ。
20個入りだったのであと19個の風船がまだある。
いったいこれの扱いはどうしたらいいのだろう。
ある日、発作的に全部膨らませてしまいそうでこわい。






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スナイパートケ井
秋から冬にかけてはいつまでたっても薄着だが、
一旦着込み始めると超厚着な私。
O川には「中間がないのか」と言われているが、仕事場が寒いのだから仕方がない。

今年はワンランク厚着度が増した。
真冬でも、一番下はTシャツだったのだが、年とともに寒さが身にしみるようになってきて、
ついに長袖を着てしまった。

長袖の重ね着は本当は大きらいだ。
二枚目を着たとき、内側の袖が上がっていって気持ち悪い。
子供のころだとお母ちゃんが袖から手を入れて内側を引っ張り出してくれたが、
もう大人なので自分でしなくてはならない。
これがどうも均等にならなくて、ウデのどこかが突っ張っているような感じがするのだ。

とはいえ、一度着てしまったらもう手放せない。
今は『ヒートテック』などというありがたい素材がある。
火の糸を紡ぐテクニックでできているのだそうだから暖かいわけだ。
もはや、寝るときからパジャマの下に着ている。


長袖肌着、トレーナーの上にはベストを着ている。
これは内側がフリース地になっていて暖かい。
やはり胴体を寒気から守ることが一番大切だ。

その上に作業服だ。
これはポケットにいろいろ入っているから必要だ。
コレの代わりに防寒着を着ていた冬もあったが、
袖や裾が広がっていると仕事の邪魔になるときがある。
やはり作業着は作業がしやすい。

作業服のお腹あたりのポケットには、左右に手袋が入っている。
指先まである手袋と、指先のない手袋だ。
その時の仕事によって使い分けている。
ただ、お腹が出ているように見えるのが気にいらない。


先日うっかり首タオルを忘れて出勤してしまった。
これがないだけでとても寒い。
通勤に使っているマフラーは大きな布なので仕事中はしていられない。

さて、実は自転車通勤中はもう一枚着ている。
都会の人は知らないかもしれないが、農村では一番メジャーな上着、
エンジ色のヤッケだ。
まったく風を通さず、フードまでついているヤッケはなにより暖かい。
しかも、綿まで入っているやつだ。

いつもは会社についたら脱ぐのだが、首元がスースーしてたまらないので、
マフラーだけとって一日中これを着ていた。
おしりもすっぽり隠れる長さがまた暖かい。


このように、コロコロに着ぶくれている私だが、下は防寒をしていない。
パンツの上に作業ズボンだ。
ズボン下をはく、という一線だけはまだ越えずにいる。

というわけで私のイデタチはこうだ。
上半身は着ぶくれた赤いヤッケ。
そこから足が二本。

O川に言われる前に言っておいた。

「ロボコンじゃないよ」







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ガンツ先生か
最近の流行なのだろうか。
どうも世間に抹茶味のモノが多いような気がする。
目を細めて景色を見れば、視界のどこかに抹茶色がある。
茶道界のベルク・カッツェが侵略を開始したのだろうか。

なんとか紹介したことがあるが、わが社では夕方におやつが出る。
用意してくれる会長の奥さんが忙しいので、
ここしばらく退社時間ぎりぎりだ。
このとき出るお菓子の抹茶率が高いともっぱらの噂になっている。


私は抹茶味があまり好きではない。
今いっしょに働いている四人、全員が同意見だ。
さらに、合併前にこちらにいた二人もそうだった。
ひょっとしておっさんは抹茶が嫌いなのだろうか。

このことは奥さんも知っている。
「ええ~、みんな苦手なの?」
と言っていたが、今でもバンバン抹茶味のおやつが出る。

抹茶味のカントリーまぁむ。
抹茶味のロールケーキ。
抹茶カステラに抹茶チョコ。
近頃はコーヒーの代わりに抹茶ココアが出ることもある。

男性陣が全員苦手であるにもかかわらず、これだけ抹茶味が出てくるところを見ると、
女性陣はよほど抹茶が好きなのだろう。
以前、喫茶店で抹茶ケーキを注文していたちづるに抹茶味が好きか訊いてみた。
やはり好きなようだ。
ちづるはおっさんではないのかもしれない。


抹茶味とは複雑な味だ。
苦みと青臭さのような香りがあり、そこに甘味と塩気などがプラスされる。
これが少し痛んで酸っぱくなり始めたら、まさに味のオンパレードではないか。

その中でも特徴はやはり苦みだろう。
苦くて世間で喜ばれているものといえば、
ビール、コーヒー、ソルマックのほかにはない。
ある意味、抹茶味は苦みグループの新興勢力だ。

緑色であることもうなづけない。
食品の中では緑色は嫌われ者に多い。
たとえばピーマン、ピータン、緑色の刺身、カビなどだ。
とても食欲をそそる色と言えない。

なのになぜ、抹茶味は女性にウケているのか。
私はひとつの推論に達した。

抹茶味はヘルシーな感じがするのではないか!

これはまやかしだ。
緑色でも苦くても、お菓子はお菓子、ケーキはケーキ。
カロリーはきっちり体の中に補充されているのだぞ。
これぞまさしく『真っチャージ』


ああ、またダジャレ・・・






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密度も高い
ホームドラマや家族マンガに出てくるお父さんは、たいてい日曜大工が趣味だ。
よくある休日の一コマとして、カナヅチを使っているか、ペンキを塗っている。
私も我が家ではそういう立場であるが、そういう行為は禁止されている。

家の横に小さな物置がある。
主に私が農作業に使う道具が入れてある。
買ってからもう15年ぐらいたつだろうか。
三角屋根で、木の窓風な飾りがついていてカントリーっぽかったのだが、
今では全体的にサビが目立ち、いかにも廃墟チックだ。

以前、これを見た両親に
「ペンキぐらい塗れよ」
と言われた。
しかし、そのあとすぐ、ちづるに、
「ペンキを塗ろうなどと考えるな」
と釘を刺された。

正反対のことを言う二組だが、不思議なことに思いは同じ。
きれいにしたい、ということだ。
まったくややこしい板挟みだ。


思えばバイトで少しやらされたことがあるぐらいで、
私はペンキを塗ったことがないような気がする。
それどころか、プラモデルに色を塗った記憶すらない。
なぜか『ハケ』という言葉に嫌悪感を持つぐらいだ。

ともかく、全体にムラなく、というのが苦手だ。
車を洗っても必ずどこかに洗い忘れがある。
図工の時間のお絵かきでも、よく塗り残しがあった。
ごはんにふりかけをふるのでさえ、なんだかダマになってしまう。
きれいに塗れるものなんて、軟膏ぐらいなのではないか。

そういえば、車のワックスなんて細かくクリクリと塗る人がいる。
まるで車をこいのぼりにしたのかと思うぐらいうろこのような柄になる。
私がまだ車にワックスを掛けていたころ、雑巾がけのように塗って注意されたものだ。
でも、あんなにクリクリなんてしていられない。

あのサンドペーパーで磨くというのもキライだ。
こまめな人はクリクリとちょっとずつ磨いていく。
これも私は雑巾がけのようにガーッとやりたいタイプだ。

クリームシチューを作るのに、バターでいためた小麦粉に、
少しずつ牛乳を足して伸ばしていく作業がある。
いやだ。
なので最近はいきなり牛乳を入れて、片栗粉でとろみをつけることにしている。

ギョーザの皮を作るには、粉にお湯を少しずつ・・・
しない。
まず、ギョーザを自分で作らない。
一個ずつ小さな皮で巻いていくなんて私にはできない。
私に似合うのは具をガバガバ混ぜることだけだ。


そう、私は『ていねい』が苦手だ。
そんな辛抱がない。
A型だけど。






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お叱りはごもっとも
久しぶりにおいしいお刺身を食べたいということになり、
我が家の行きつけの中では高級レベルの居酒屋に行った。
もちろんここはお値段もそれなりにかかる。
ちづると二人だと、およそ私の6~7ノミニイクになる。
そのかわり、ここのカツオのたたきは最高だ。

行ったら、シャッターが閉まっていた。
臨時休業のようだ。
そこから一番近いのはいつもの一番安いお店。
でもちづるはそこはいやだという。
なぜなら、私のおごりだからだ。
私が払うんだから高級な店に行かねば損、とちづると家計子さんは口をそろえる。

というわけで、もう一軒ある我が家の行きつけの高級レベルの店に行った。
行きつけと言いながらこちらはご無沙汰だ。
なぜなら、最初に行こうとした店で焼酎のボトルキープをしてしまったからだ。
ボトルがあるならどうしてもその店に足が向く。
こちらには一年ぐらい顔を出してないのではないか。

店に入ると、
「いらっしゃい。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」
どうやらまだ覚えてくれているらしい。
なんと不義理をしてしまったことか。

お刺身盛り合わせならここが一番だ。
なにしろ、イカでちづるを満足させる。
どの刺身も一切れが大きく、量もたっぷりある。
あと、カキフライ、エビとブロッコリーの芽のサラダ、ふくだめをいただいた。
大満足だ。


店を出て、近くの喫茶店に寄る。
緊急会議だ。
議題は、
『やっぱりこちらの居酒屋にも来るようにしたい』
ということだ。

以前は月に一度は家計子さんの払いで飲みに行った。
この二軒のほかに焼肉なんぞがたまに入るローテーションだった。
それがおろそかになっている。

家計子さんからの意見は、当然予算の問題だ。
たたきのお店に行く回数を減らさず、盛り合わせの店にも行くとなると、
単純に考えて、お金は倍かかることになる。
なにかを節約しなければ、その予算は出てこない。


そこで、先日発表した主食を食べるダイエットだ。
夕食に、在庫の麺類や餅をまず食べて、晩酌を減らす作戦のことだ。
ちづるはこれを実行しろというのだ。
なにしろ、発表以来、一日しか実行していない。
考えたら、おいしいお酒を飲むために、惰性の酒を減らすという理屈だ。
実行しようではないか。

もう一つの緊縮策がちづるから提案された。
休日のお昼の外食を減らすことだ。
確かに我が家は休みのお昼はほとんど外食だ。
買い物のついでに、という名目ですぐ出かけてしまう。
これも大きな無駄使いといえるだろう。

遠出の場合はともかく、お昼に行く顔なじみの店は、ある中華料理屋だけだ。
近場で外食になるときはここを使えばいい。
それ以外のときは、どうせラーメンか牛丼かカレーなのだ。


こうして、おいしい居酒屋に行くために、
外食と晩酌の削減という二本柱の予算案が決定した。
居酒屋帰りの喫茶店で。
しかも、このあとコンビニで買い物をして帰った。
我々はなにか達成することができるのだろうか。





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新鮮だよ
私が今、メインのピッチとしている居酒屋のオーナーが、
「ウチの花壇をなんとかしてくれ」
と言ってきた。
アパートから一軒家に引っ越したらしいのだが、
元々ある花壇をどうしたらいいかわからないというのだ。

こいつは私の野菜作りの腕が見込まれたと思い、
「よっしゃ、まかしとけ」
と言ってしまうのが酔っ払いの性(さが)である。
普段からごちそうになっているし、ちょいと恩を返しておこう。

なんだかんだ言っても元々が花壇。
荒れ地を開墾するわけではない。
土は柔らかいだろうから、石灰と腐葉土を混ぜ込めばいい。
必要なものを車に積み込んでオーナーの家に行った。


留守だ。
「好きな時に来て好きなようにしてくれていい」
とは言われていたが、作業に取り掛かるときぐらい居てもらいたい。
作業にかかった途端、実は奥で寝ていた奥さんが起きてきて、
「アンタ誰?」
と大騒ぎになるのはごめんだ。

それより、ホントにこの家だったか、自信がなくなってきた。
作業にかかった途端、買い物から帰ってきた家の持ち主に、
「アンタ誰?」
となったらどう言い訳すればいいのだ。
見ず知らずの人間が、留守の間に庭を耕してるなんて。

心配になったのでオーナーに電話を入れてみた。
居酒屋のほかにもいろいろ事業を展開している社長さんなので、
急な仕事が入って出かけたのだそうだ。
場所も確認でき、一日中留守だとわかったので心おきなくいじらしてもらうことにした。

枠があるのみ

荒れ地だ。
レンガで仕切りをされているが、表面はまわりの砂利敷きと同じに見える。
花壇スペースは小さいが12もある。
なんと、木の根っこが残っているところもあるではないか。
これは結構な大仕事かもしれない。

まずは四本鍬で、と思ったが歯が立たない。
とりあえずスコップで天地返しだ。
すると、出てくる出てくるガレキと球根。
花壇じゃないところからもいろいろ植物が出てきている。
これはどうやら、花壇をやめてからずいぶんになっているようだ。

ともかく異物を取り除き、腐葉土、石灰などを混ぜ込み、
私が育てていたスナックエンドウの苗を三本植えた。
これなら手間もかからないし、オーナーも水ぐらいやるだろう。

三本苗

というわけで一時間ほどで第一のスペースが完成した。
ただ、今回私は一番楽そうなところを選んだ。
残るは11の花壇。
さて、どうしたものか。

オーナーの一言も気にかかる。
私が引き受けたとき、オーナーはこう言った。

「楽しみにしとるよ、メロン」

さて、どうしたものか。







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埋めたのはだれ?
私はおっさんであるにも関わらず、ちょくちょくファンシーなお店を覗く。
一人では恥ずかしいが、ちづるとお出かけのときは便乗してスプーンを物色している。
どうやらファンシーなお店と言うのはジャンルの幅がかなり広いようだ。
乙女チックな文房具やアクセサリー主体のお店から、
活動派奥様のための、キッチン、インテリア、ガーデニング狙いのお店まで様々だ。

もちろん、店の方向性の違いだけでなく、商店としてのレベルの差もある。
値段はもちろん、品ぞろえ、接客、陳列のセンス。
中でも重要なのは、商品の扱いだと思う。


先日、あるお店でフォークを買った。
フォーク自体はとても気にいっているのだが、ひとつ不愉快な点がある。
正札がちゃんとはがれず、粘着物質がフォークに残ってしまったのだ。
それもヘッド部分の裏側に。
ガムテープを使って何度も取ろうと試みたが、いまだに少し残っている。

私は食事には使わないが、一応は口に入るものだ。
薬品などを使うのは気が進まない。
どうしてこんな重要な部分にべったりと正札を貼ったのか。

そのあたりをうまくやっていた店のやり方を思い返す。
あるお店では、正札を半分に折って接着面を減らし、柄の部分に貼ってあった。
清算のときに店員さんがきれいにはがしてくれるお店もあった。
ひとつひとつがラッピングされているところもあった。
みなそれぞれに工夫されている。

しかし、果たしてそれが正解なのか。
『ファンシー』という言葉は『経済』からかけ離れている。
我々おっさんが慣れ親しんでいる店とは理屈が違うのだ。


なぜかファンシーなお店の正札は小さい。
われわれの疲れ果てた目にはとても見にくい。
前述したフォークに貼ってあった大きな正札、実はこれが我々にはありがたかった。
ただし、これはファンシー度が低いということなのかもしれない。

ラッピングされているお店では、商品自体はとても美しい。
でも、触ることができない。
ファンシーなお店というのは、若い女の子たちがワラワラとやってきて、
アラカワイイ、コレステキ、と触りまくるものだ。
ラッピングしてあることが最善だとは言いにくい。

ある店では見本が一揃え展示されていて、そちらに値段がついていた。
商品に正札はなく、店員さんが値段を覚えているのだろう。
これはレベル的に高い気がする。

だが、私たちおっさんのレベルは低い。
気にいったスプーンを手にとって、レジにたどり着くまで、その値段を覚えていられない。
値段を覚えていても、今持っている商品がその値段だったか自信がない。
さらに、本当に店員さんが間違いなく値段を覚えているか信用できない。
なので、実際にお金を払うまでびくびくし続けているのだ。

ファンシーがなによりやっかいなのは、売り場のまとまりがないことだ。
こちらでカトラリー売り場を見つけたと思ったら、
あちらのタンブラーにもスプーンが立ててある。
お椀と一緒に木製スプーンが展示されていると思ったら、
キッチンディスプレイのお皿にもナイフフォークがそろっている。
われわれはもうパニックだ。

そりゃあ、おっさんはファンシーとは異世界の住人かもしれない。
でも、ホームセンターと比べたらはるかに高価なスプーンを買ったりすることもあるのだ。
柄付きセロテープやペンギン型クリップしか買わない子供よりは上得意ではないか。
もう少しおっさんに歩み寄ってもいいのではないか。

まず、売り場は商品のジャンル別に分けてもらいたい。
それから、売り場をめぐる順路を決めてもらいたい。
通路にしゃがんで物色できるだけのスペースを設けてもらいたい。
そしてこの『ファンシー』という言葉、使い方が間違っていないか教えてもらいたい。






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ホントにそうなのか
酔っ払いへの天罰としか思いようのない二日酔い。
ああ、どうしてあのような悪魔の水にそそのかされてしまったのか、
後悔と反省の繰り返しだ。

この後悔と反省が全く活かされず、すっかりベテランになってしまった私。
「あ、このレベルだと朝ごはんを食べてはいけないな」
と判断し、インスタントのシジミのみそ汁だけで出勤した。
たぶん、お昼も無理であろうから、楽になったころ食べるために、
おにぎりを一個だけ持って出勤した。

それが食べられたのは夕方三時半ごろ。
胃が復活してくると、逆に空腹で気持ち悪くなってくるのだ。
食べられるようになってやっと一安心。
地獄の責苦からの解放だ。


このように辛く苦しい二日酔い。
たったひとつ役にたつことがあるとすれば
それはダイエットのきっかけになるということだ。

ほとんどの人が私と同じ経験をしているだろうが、
年末から正月への怒涛のラッシュで、ウエスト周りはグラマラスになってしまった。
わが身ながら、手足がヒレになった哺乳類のような胴まわりだ。
お肌だけはピチピチになって美しい。
中も外も餅のようだ。

正月でマックスになったまま微動だにしなかった体重が、
昨日で2キロ落ちた。
これを弾みにせずに、いったいどうして新年の目標が立てられようか。
やせよう、なあ、ちづる。


今、我が家には食材が豊富にある。
正月に夫婦双方の実家からなんやかんや持ち帰ったのだ。
なぜだか麺類が多い。
当然餅はたっぷりある。
こうなったらできるのは主食ダイエットだ。

私は夕食にお酒を飲むのであまり主食を食べない。
これが良くない。
ダラダラといつまでも飲み食いを続けてしまうのだ。
だから、夕食にまずきちんと主食を食べ、それで終わりにしようという作戦だ。
仮にそのあとお酒を飲んだとしても、そんなには入らない。
おつまみはあまり買わないようにしよう。

こうすれば夕食の時間も短くて済む。
空いた時間に自分の部屋に行き、鎮座しているダンベルや腹筋マットを使えばいいのだ。
なんと理論的で実践可能なダイエット法だろう。
これこそが二日酔いが生み出す唯一のメリットだ。


ただ、おにぎりが食べられるようになったとき、一番に思うのが、
「モノが食べられるってありがたい」
と言うことだ。
それがやがて、お腹一杯になれるってありがたい、
お酒を飲めるってありがたい、と成長していくのだ。

それにしてもなぜ、
『今年は二日酔いにならない』
という新年の目標がたてられないのだろう。






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ノドモト過ぎれば

初物

ゆうべ、ちづるにいわれました。

「あしたはダウン絵やな」

と。





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ううう
今、コタツに入っている。
コタツはいい。
下半身が暖かい。
体全体が温まるまでは、上半身が寒い。
それがいい。

部屋全体が温まる暖房は、体に寒さを感じる部分がないのでありがたみが薄い。
窓から外を見ると寒そうに見えるが、本当は暖かいのだと勘違いする。
だから、少し寒い部分があった方がいいのだ。
昔から『頭寒足熱』というではないか。
『頭寒』が少し不愉快だが。


ただ、コタツにも不自由な面がある。
コタツはどんなに小さくても、四人用にできている。
四方のどこから足を入れても平等なように、熱源が中心にある。
これが一人のときにはやや不便だ。

足を伸ばして入っていると、膝が熱くなってくる。
膝はつねっても痛くない鈍感なところなのに、それが熱くなるのだからかなりのことだ。
それに、足を伸ばした姿勢でいるのは体操選手でもない限り辛い。

私はすぐにあぐらをかく。
これはむこうずねが熱い。
なので左右を頻繁に入れ替える。
そのうちにくるぶしが痛くなってくる。
かかとがガビガビだと敷物に引っかかって、しわができて気分が悪い。

そのうち腰やおしりがしんどくなってきて寝転がる。
仰向けの状態になると、コタツには深く入りたくなる。
当然、太ももがアツアツだ。
アツアツなのだから出ればよさそうなものだが、
人はピンポイントをずらそうともっと深く入る。

すると、人体の中で一番出っ張っている“下腹”が熱源に最接近する。
下腹も案外鈍いところだ。
気がついたときにはものすごく熱くなっている。
そして、かゆい。
熱さに鈍感なのに、どうしてかゆさにこうまで敏感なのか。


本でも読もうかとうつ伏せになる。
まずおしりが熱くなり、ほふく前進で位置を替える。
最初は裏太もも、ひざ裏と熱くなり、
その苦しみはふくらはぎでマックスになる。

ところがそこでおしまいだ。
ふくらはぎが熱くなると、ほふく後退で元の位置に戻る。
土踏まずまで行くことはない。
コタツでうつぶせで足の裏を温めている状態は、
体のほとんどの部分が寒いからだ。

さて、下半身で一番冷えるのはつま先だ。
コタツはつま先を温めることに向いていない。
やろうとしたら、足の裏を合わせてあぐら風に座るしかない。
もはやヨガだ。

なんとコタツとは不便なものだろう。
体を温めるために考えられたとは思えない形状だ。
なのに一旦入ると出られない。
なぜだろう。

つまり、コタツは間違ってないのだ。
人体がコタツに合わせた進化をしてないからいけないのだ。
つま先が膝の内側あたりにあればよかったのだ。
おのれ、ネアンデルタール人め。
現代のわれわれは『悩んでる体位人』になってしまっているのだぞ。






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あたたまらん
ちづるは食べ物に執着があまりないという。
たとえば、私が出かけていて一人で食事するときなど、
ごはんとみそ汁だけとか、カップ麺だけとか、
今の時期だったら、餅を焼いて食べたとか、そんなことで済ませてしまう。

ただ、イカ刺しにだけは厳しい。
イカはちづるの好物なだけに、厳格な基準があるらしい。
なにかの記念日でなければ行けないような、ふだんよりレベルの高い店に行っても、
ほとんどのイカはダメ出しされる。
ちづるが「このイカはいい」と満足した記憶は2~3回しかない。
それも夢だったのかもしれない。

似た感じなのかもしれないが、明太子にも厳しい。
確かによい明太子とそうでない明太子にはかなりの差があるが、
ちづるには明確な一線が引かれているようだ。
幅跳びの審判のように「よしっ」「だめっ」とはっきりしている。

そういえば、ちづるはキムチにも厳しい。
私はたいていのキムチはおいしいので、買い物に行ってキムチを買うときはちづるが選ぶ。
原材料の表記を読んで時間を掛けて選んでいるが、
最近は冒険をせず、決まったお気に入りばかり買っている。

キムチに限らず、漬けもの全般でこだわっていることがある。
着色料だ。
たくあんの色が鮮やかだと不安になるらしい。
紅ショウガでも、色が毒々しいと言って嫌う。
私はなんにでも入れたいぐらい好きなので迷惑をしている。

あと、ちづるが敏感なのが、そうめんやひやむぎの茹ですぎだ。
私も硬い方が好きなのだが、ちづるにはアルデンテぐらいの方がよさそうだ。
口にしたそうめんが、ほんの僅かでもちづる基準の硬さに達していないと、
大魔神が苦虫をほおばったような顔になる。

もちろん、麺の硬さにこだわるのはラーメンでも同じだ。
初めて行ったラーメン屋で麺が柔らかかったら、
味やトッピングに関係なく、それはバッドラーメンと評価される。

もう一つラーメンへの絶対条件がある。
スープが冷めていないことだ。
当たり前のようだが、最近のラーメンはトッピング流行りだ。
以前、チャーシューが多すぎて、スープが冷めてしまったラーメンがあった。
ちづるにとってラーメンは、チャーシューはなくてもいいが、
麺は硬くスープは熱く、なのだ。


さて、このように食にこだわりのないちづるなのだが、
先日、驚くべきことを言い出した。

買い物先で、私がいつものようにスプーンを物色中に、木製のレンゲを見つけた。
「これ、なかなかいいな」
と言うと、
「私はレンゲがキライ」

ちづるに言わせると、あれは口の中に入れるモノではないそうだ。
ラーメンのスープを飲むときには仕方なしに使っているが、
チャーハンなんかはレンゲで食べられないという。
そういえば、ちづるはめったにチャーハンを注文しない。
セットでついてきたりすると箸で食べている。

だから食べるのが遅い。
それはレンゲですくって食べようとするからだ。
ちづるよ、レンゲはショベルカーでない。
ブルドーザーだ。
皿を持ってチャーハンを寄せてきて、そのまま口に入れるのだ。

で、二回噛んだら飲め。
そうしたら、どんな食べ物でも文句を言わなくて済むから。






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味はわからない
以前、まったく同じことを書いたことがあるのだが、
どうしても文句が言いたいので、もう一度書かせてもらう。
それは昨日放送されたてテレビ番組についてだ。

世界中から信じられないような技を見せるパフォーマーを集めた番組があった。
私はこういう大道芸とかパフォーマンスというのが大好きだ。
しかし、この番組を見てものすごいストレスがたまった。
採点方法や審査員、芸に得点をつけること自体気に入らないのだが、
なによりも腹が立ったのがカメラワークだ。

たいていの芸は正面から見られることを想定している。
左右に振ったり、観客席に降りたりとパフォーマーは見せ方も工夫している。
なのにどうしてカメラが上から見下ろしたり、下から見上げたり、
真横から移したり、顔のアップになったりするのだ。

そして、このカメラの切り替え。
あちこちからの画に切り替わるだけでもうっとうしいのに、
ときどき画面がゲストや観客の顔になる。
それも、芸の一番「おおっ!」と言うような瞬間に、
タレントの「おおっ!」と言っている顔が映るのだ。

誰がそんなものを見たいというのだ。
視聴者が何を見たがっているかわからないのだろうか。


今回は得点の付け方がフィギュアスケートをまねていたようだが、
本家スケートの方でもこういうことがあった。
選手はひろいスケートリンクを目一杯使い、
全身で表現をしているのに、カメラは顔のアップを撮ろうとする。

フィギュアスケートの意義も観客の気持ちも何もわかってない。
これは、テレビカメラマンの撮り方ではない。
ストーカーのやり口だ。


さらに、今回の番組ではパフォーマンスの間中、アナウンサーが解説をしていた。
「ここからがすごい!」
「この後が圧巻の技!」
なんて叫びまくるのだ。

これはアナウンサーのせいではない。
番組全体を演出している人間の仕業だ。
アホなのか。
世界最高峰の芸を鑑賞するには最低の環境を作り出しおった。


これらの何が悪いのか。
カメラマンもスイッチャーもプロドューサーも、アーティストのつもりになったからだ。
もちろん、パフォーマーはアーティストだ。
しかし、その映像をお茶の間に届ける人間は職人でなくていはいけない。
この勘違いが間違いで、迷惑で、恥ずかしい。

最近は簡単にアーティストを名乗るやつらがいる。
普通の歌手のこともアーティストと言うようになった。
他人が作った歌に振付をしてもらって、集団で学芸会のように歌ってもアーティストだ。
ファンの人には申し訳ないが、どこにアートな部分があるのだろう。

アーティスト気取りというのはとても恥ずかしいことだと思ってもらいたい。
なにかを表現し続けて、それを他人が芸術だと認めてやっとアーティストなのだ。
それ以外は、壁をスプレーのレタリングもどきで汚すやつらと同じだ。


最後にもうひとつだけ。
ヘアメイクアーティスト、
髪の毛・作る・アーティスト。
誰か会わせてください。






↑神技でクリックしてね。






写真集出そう
この冬になって、ときどき「かっこいい」と言われるようになった。
別に、気取ってポーズをとったり衣装にお金を掛けているわけではない。
自然発生的に「かっこいい」と言われちゃうのだ。

なかなか世の中に「かっこいい」と言われる人はいない。
ほんの一握りの人間に与えられる称号だ。
おそらく、全人類をかっこいい順に並べて、
上位15%ぐらいには入っていないとそうは呼ばれないだろう。

ただし、これはトータルでかっこいい場合の話だ。
「かっこいい」にはあと二種類ある。
行動がかっこいい人と、ワンポイントでかっこいい人だ。

私は行動はかっこよくない。
なるべく世間の隅っこでカサカサッと行動している。
スポットライトを浴びてかっこいいタイプではない。

となると、私はワンポイントでかっこいいことになる。
「あら、その帽子かっこいい」
「かっこいい靴をはいてるね」
というパターンだ。
私がいつも言われているのは、
「その首タオル、かっこいい」



帽子や靴の場合、名の知られた名品であったり、
それ自体のデザインが良いという意味のときもあるが、
だとしても必須条件は「似合っている」ということだ。
私自信が言われるときも、

「首タオル、かっこいい~」
「日本一首タオルが似合うなあ」
「首タオルさせたら天下一品!」

とそのコーディネートが賛辞の嵐だ。


確かに、私が首に巻いているのは普通のタオルとはちょっと違う。
一般の企画よりは長いタイプで、首に巻いて風になびくと、
サイボーグ009の島村ジョーを彷彿させるかもしれない。
もちろん、カラーは多種あって、赤一辺倒のジョーとはちょっと違う。

かっこいいと言われる人間はTPOもわきまえている。
当然、合わせる服は作業服だし、指の出た手袋や防寒帽も忘れない。
この格好で居酒屋に行ったら、そりゃ「かっこいい」と言われても仕方ないだろう。


先ほど、私は行動はかっこよくないと書いたが、
見た目がかっこいい人間は、自然と立ち居振る舞いもかっこよくなるものだ。
若い女性が寒がっていたら、首からタオルを解き、そっと肩に掛けてあげる。
私自身の出す水蒸気を吸っている上、手を拭くこともあるので、
しっとりと重みがあり、風に飛ばされることはない。

若い女性がベンチに座るときには下に敷いてあげるし、
水たまりの前で困っている若い女性がいたら、惜しげもなく差し出すだろう。
若い女性が鼻緒が切れて難儀していたら、タオルを裂いて直すのは当然。
けがをした若い女性がいたら、包帯代わりに傷に巻き、おぶってどこかに連れて行こう。


こう考えていたら、ワンポイントでかっこいい者は、行動もかっこよくなり、
結局は総合的にかっこよくなっていくものなのだなあ。
なのに、ちづるといるとき首タオルは禁止されている。






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なんやと
正月は生活が不規則になり、テレビ番組の編成もごちゃごちゃになるので、
普段見ない番組にチャンネルを合わせていたりする。
その日の朝は、知らない情報番組を見ながら新聞を読んでいた。

スタジオには箱根駅伝で優勝した大学のチームが生出演していた。
テレビはほとんどつけているだけで、気持ちは新聞に行っていたのだが、
「山の神」と言われる選手のインタビューになったので、ちらっとテレビに目をやった。

すると、画面の右上に、
『身内にトラブル』
と言う文字があるではないか。
ええっ、大差で完全優勝を果たしたこのチームに?
今、こんなに和気あいあいと話しているのに?
いったいどんなトラブルが!

すぐに文字は切り替わった。
『ウィンドウショッピングが吉』
占いではないか!
まぎらわしい。
よく見たら文の頭に干支のマークがあるわ。


占いは、信じる人信じない人、いろいろいる。
信じてはいないが、なんとなく楽しみで見る人もいるだろう。
中には、信じてしまうからこそ見たくない人もいるかもしれない。
だから、番組内に占いコーナーがあるのは構わないが、
画面上に勝手に占いを流すのはやめてもらいたい。

これは占いの押しつけだ。
見たくない人にまで見ることを強制している。
たとえば、プロポーズにレストランを予約した人に『和食が吉』なんて嫌がらせだ。
お金に困っている人が『メロンを食べれば金運アップ』なんて見たらどう思うだろう。
『ラッキーアイテムはへその緒』なんて情報は誰にも必要ない。

占いにはありとあらゆるアイテムが登場する。
となれば、当然占いには『占い』が出る可能性もある。
『今日のしし座は占いが凶』
って場合もあるだろう。
ある意味当たってはいるのだが、これを見たしし座の人はどうしたらいいのだ。
占いを見るか見ないかの判断はこちらでするべきだ。


ただ、どの番組でもやっているところを見ると需要はあるのだろう。
ならば、番組後半でたっぷりやればいい。
初競りで最高値のマグロの刺身をレポーターが食べるところなんて、
見たいと思う人間は地球上に一人もいない。
だいたい情報番組の後半はつまらないのだ。

占いにはいろんな種類があるが、分け方が少ない。
干支や星座で12、血液型では四種類しかない。
億の単位でいる人間の運勢がこの程度の分類で納まるはずがない。
これらを全部ひっくるめるのだ。

『ねずみ年生まれのおとめ座のAB型の左利きで黄色を選んだ人』

ここまで分類すれば、色が五色あったとして・・・




            ・・・5760通りの運勢があることになる。
これだけあれば、たっぷり時間を使うこともできるし、占いの信憑性も増すだろう。

いっそ、占いだけで番組を作ればいい。
毎朝、5760通りの運勢を発表するのだ。
そうすれば、コメンテーターもレポーターもいらないし、
時代劇の再放送をしなくても済むではないか。

ただし、視聴率がとれるかどうかといえば、
当たるもハッケ当たらぬもハッケ。






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凶だな
この四日、献血センターはまだオープンしていなかったが、
病院内に『ドトールコーヒー』がオープンしていたので寄ってみた。
テレビなどで名前だけは知っていたが、私の生活圏内にはなかったコーヒースタンドだ。

ドトールより先に私が経験したのは『スターバックス』だ。
近くのショッピングセンター内のコーヒースタンドは何度か入れ替わったが、
名前を知っていたのは、この『スターバックス』が最初だ。

東京に行ったらもっといろいろあるのかもしれないが、
私はこの二つがコーヒースタンドの両巨頭だと思っている。
なにしろ「コンビニといえばサークルK」という三重県でのことだ。
間違っていても勘弁してもらいたい。


というわけで、ドトールデビューをした私たち夫婦、
評価の基準はスターバックスになる。
はっきり言おう。
私の好みでは格段の差を持って『ドトール』の勝ちだ。
両巨頭と言ったのに格段の差があるということは、
私にとってコーヒーはドトールオンリーといってもいいだろう。

ただ、私はコーヒーにこだわりがない。
正直なところなんでもいい。
だから選ぶ基準にコーヒーの味は含まれない。


私がドトールを選んだ理由。
その一番はメニューのわかりやすさだ。
これはとても選びやすくてありがたい。
今回私たちが注文したのは「ミラノサンドCセット、コーヒーはMで」だ。

これがスターバックスだったらどうだろう。
今、メニューを検索してみた。
当然ながらどちらもカタカナの商品が多い。
しかし、ドトールのカタカナは意味がわかるのだが、
スターバックスのカタカナはさっぱりあやふやなんのこっちゃだ。

まず開いたサイトの最初に、
「スターバックスのビバレッジは」
とあった。
“ビバレッジ”ってなんや?

他にもいろいろ言いたいことがあるが、理解できないので言えない。
ひとつだけ、声を大にして言いたいのが、コーヒーのサイズだ。
ショート、トール、グランデ、ベンティってどういうことだ。
わざわざわかりにくくしているとしか思えない。

これならいっそ、ミニ、並、特盛り、メガにしてもらいたい。
ドトールは、S、M、L、だ。
なんてわかりやすいのだろう。
おっさんに親切だ。


そもそも店の名前にしてからがそうだ。
言ったこともないドトールはいつでもスッと名前が頭に浮かぶ。
スターバックスはそうはいかない。
「えーと、あのホレ、ドトールじゃなくて、黒い湯を飲むところ」
とちづるに訊ねなくては思い出せない。

このネタを書くにあたっても、文章を書くことより、
『スターバックス』という単語思い出すのに時間がかかったぐらいだ。

『ドトール』は『トド踊る』と覚えておけばすぐ思い出せる。
それにひきかえ『スターバックス』は『星が後ずさり』だ。
この『が』が入るだけで、おっさんは思い出せなくなる。
「ナニがナニやったかな~」
となる。

だから、もし『ドトール』が『トドガオドール』だったら同じように思い出せないだろう。
ああ、ドトールで良かった。






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モーニングには油田たまご
うふふ、うふふ、
よく行くショッピングセンター内のファンシーなお店の商品が入れ替わっていて、
ソーダスプーンとブイヨンスプーンとティースプーンを買った。

ちづるには、
「スプーンに興味のある人はあまりいないからネタにするな」
と言われているのだが、自分の趣味をブログに書いてなにが悪い。
ひょっとしたら熱烈なスプーンファンがいるかもしれないではないか。
第一、ファンシーなお店で売っているのだから、そこそこの需要はあるはずだ。


だからこそ、どういうファンであるかをはっきりしておこう。
たとえば鉄道マニアに、撮り鉄だの乗り鉄だのNゲージマニアだのがいるように、
同じスプーンファンでもジャンルが違う場合がある。
「なーんだ、私とは目的がちがうわ」
なんて言われないためにも、私をさらけ出しておこう。


まず、私が買うのはスプーンだけではない。
フォークとバターナイフも買う。
フォークとセットのナイフはギザギザしたところがあるので買わない。
全体がぬるりとした感じのが好きだ。
だからフォークもあまりとんがっていないタイプが多い。

選ぶ基準は三つ。
全体がひとつの金属でできていること。
彫刻や装飾がしてないこと。
重さがあること。
この条件を満たした中で、形の気にいったものだけを買う。

ただし、私はコレクターではない。
いろんな種類が欲しいわけではないのだ。
だから、スプーンとフォークのセットがあっても、片方しか買わないことがある。
もちろん買うのは一本だ。
人数分そろえようという気はない。
使うのが目的ではないので、ちづるの分もない。


この日、スプーンに合う色の布を買った。
これを使い、合理的に鑑賞できるように考えてみた。

布の替えもあるよ

撮影用に移動したら、雪崩式にくずれたではないか。
どうしてくれる。


さて、私はこの正月にやってはいけないことをしてしまった。
決して手を出さないと決めていた木製のスプーンを買ってしまったのだ。

色の濃いところがステキ

元々木製の物も好きだった。
しかし、木製のモノには木目やら色やら材質がいろいろある。
一旦買い始めたらとんでもないことになりそうな気がしたのだ。

では、なぜ買ったのか。
安かったのだ。
ファンシーなお店で5百円台だったものが、
年越し参りで寄った竹細工のお店で3百円台で売っていたのだ。
もちろん木目の一番好きなのを選んで買った。

ここからコレクションが始まってはいけない。
そう考えた私は、この木製のスプーンは使うことにした。
つまり趣味ではなく、実用と決めたのだ。

長々と語ってきて、最終的にたどり着いたのは、
木のさじを使うようにした、ということだ。
しかも、まだ使っていない。
こんなことですいません。






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ふんぞりっ
気がつけば正月休みも今日で終わり。
明日からは出勤だ。
体はすっかり休みに慣れてしまって、ダラダラブヨブヨを極めている。

休みには慣れてしまったが、新年にはなかなか慣れない。
なにしろ休みは七日目、新年は四日目なのだから当然だ。

私はここに描いている絵を保存するとき、日付をファイル名につけている。
これが、年越しを境に大きく変化した。
・・・111229 111230 111231
120101 120102 120103・・・
これに慣れることができない。
去年の経験でわかっているが、だいたい慣れてきたころに月が変わるのだ。


そんなことより困るのは体のリズムだ。
年越しで夜更かしをして以来、ずっと遅寝遅起き遅更新になってしまった。
しかも、そのあと動き出すまでグズグズしている時間が延びた。
まず、ひと眠りしてしまうのだ。

昨年も出発前の仮眠はあった。
更新したあと、6時30分のアラームで朝の準備を始め、
朝食後、用意ができたら7時42分のアラームまで目を閉じる。
ところが、そのアラームの設定はそのままで朝寝をしているので、
毎朝ケータイはフルスヌーズで鳴りまくる。
おかげですぐに充電不足になってしまう。

新たに始めようと決心したこともまだ始まっていない。
去年の暮れにコタツを出したとき、物を片づけて運動スペースを作った。
腹筋用マットにダンベル、腕立て伏せ用のバーも用意してある。
だが、一度も触れていない。
うっすらホコリ化粧しているような気配もある。

そういえば、今年になってまだ畑に行っていない。
年末に作りすぎた煮ダイコンがあったので、収穫にも行かなかったのだ。
毎年、意識的に畑仕事初めをしてきたのにすっかり忘れていた。

そういえば、今年はまだ自転車にすら乗っていないのではないか。
乗り方を覚えているだろうか。
補助輪なしで乗れるだろうか。

そういいすぎているが、この休み中はお出かけの帰りには酔っ払っているので、
運転はちづるに任せて助手席にいた。
車の運転さえ普段の半分しかしていないということだ。

このようにだらけている時は、しっかりした目標を決めて・・・
と思ったが、去年の目標『履物はそろえて脱ぐ』は達成できなかった。
元日に『今年は無駄遣いはしない』とちづるに宣言したが、
昨日フォークを2本とスプーンを1本買ってしまった。
年越し参りで買った老眼鏡を入れるポーチも、
老眼鏡を入れるとフタができないことが判明した。


こうやって書き上げてみると、私は楽な方へやりたい方へ流されているようだ。
楽なこと、やりたいこと、ひょっとしてこれが煩悩?
大みそかに鐘をついて抜くという煩悩なのか?
暮れまでに108溜めるはずのものを私はこの四日でこんなに溜めてしまったのか?
ああ~誰か、あの鐘を鳴らして。





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二階と一階
三が日も今日で終わり。
たっぷり肉付きをよくして、明日はいよいよ四日だ。
今年の一月四日には、早くから計画があった。

昨年末に完成した伊勢赤十字病院は、外来受付が四日から始まる。
つまり、新店舗移転オープンだ。
よく利用するショッピングセンターの横に、早くから建物は完成していた。
市民はこの病院に興味津々だったのだ。

そして、ここに一月四日と記されたカードがある。
私の献血カードだ。
献血は一度すると、次回まで何日か空けなくてはならない決まりがある。。
献血カードには、次に献血が可能になる日が記載される。
それが一月四日なのだ。


こんな偶然があるだろうか。
病院のオープンと私の献血可能日が同じだなんて。
これは、私にこの日に血を差し出せという天の采配が振るわれたに違いない。
よっしゃ、新病院オープン初日に献血に行ったるぞい、
と、私は血気盛んになっていた。

ところがある日、ちづるから新しい情報が寄せられた。
新病院の献血ルームは、病院横のショッピングセンター内にできるというのだ。
見に行ったら本当だ。
靴屋の裏の空いていたテナントのガラスに『献血センター』と貼られている。
なんと、こんな偶然に支配されているというのに、新しい病院に入ることはできないのか。


そんな風に嘆き悲しんでいた私だが、
幸いにも、いやいや幸いではないわ!
親父が入院したため病院内は飽きるほど見ることができた。

居酒屋でその話題を出すと、
「え、あの病院に行ったの?どんなだった?どんなだった?」
とちやほやされる。
それほど市民の興味はこの病院に集まっているのだ。

こうなると、病院の離れともいうべき献血センターも入れるということは、
別のステイタスとなるのではないか。
よっしゃ、献血ルームオープン初日に献血に行ったるぞい、
と血が騒ぐのであった。


そんな私に年賀状が届いた。
差出人は三重県赤十字血液センターだ。

『一月の四日・五日の二日間、イオンモール明和において献血を実施します。
 このハガキをご持参されれば、粗品を進呈いたします』

なんと、隣町のショッピングセンターで献血すれば粗品がもらえるというのだ。
ぐおおお~
なぜこの日なのだ!
なぜ隣町なのだ!

はっ、さては私と同じ考えを持つケンケツァー達による混雑の緩和策か?
私の頭の中では、好奇心と物欲が血で血を洗う大乱戦だ。
まさか正月早々、こんなケツ断を迫られようとはー。


ところで、年賀状のイラストで、
『けんけつちゃん』というキャラクターが言っているセリフ、

「あいはたいせつっち」

の「っち」って・・・






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立体感はムシ
年末、私はちづるから指令を受けた。
年賀状用の絵を描けというのだ。
それも、何枚かの中から自分が選びたいと。
そんなことしたら、その残りは『ボツ』ってことになるではないか。

私は普段の更新ではボツを作らない。
描き始めたら必ずそれを使う。
出来が悪いから描き直すなんて、そんなもったいないこと出来ない。
余裕も情熱もない。
ボツを作るぐらいなら、出来の悪い日があった方がナチュラルだ。


というわけでちづるが選ばなかったボツを使おう。
使いまわしだとかリサイクルだとか言ってはいけない。
最初からそのつもりだったのだ。


その1 出初式
よっ

その2 出初式2
はっ

その3 双六
とおっ


ご覧の通り、出初式がカブっている。
私の予想、いや、予定ではこの出初式のどちらかが選ばれるはずだった。
そして残った三種類の絵で、一日分の更新ウハウハ、のつもりだった。

しかし、これでは二種類半ではないか。
中途半端だ。
なぜ、ちづるはどちらかの出初式を選ばなかったのだ。
どうして後のことを考えないのだ。

三つのうち二つが似ているというのは、なんだか安定感に欠ける。
キャラクターが三人いれば、それぞれ個性がなくてはいけない。
ドラキュラ、フランケン、オオカミ男とか
ロプロス、ポセイドン、ロデムとか、
ミクラス、ウィンダム、アギラーとか。


この年末年始、私たちは、
友人宅、ちづるの実家、私の実家
と三軒でごちそうになる。

理想は、すし、すき焼き、カニだ。
本当はこれでも「すしとすき焼きが“す”でカブってる」と思うぐらいだ。
それはいいとして、三日間あるならば、
やはりこのように三種バラエティーに富んでいてほしい。

二日を終えた段階で、すし、すき焼き、と具合よく来ている。
しかし、三日目は私の実家であるため、事前に情報が入っている。
どうやら今年は、すし、すき焼き、すしとなりそうだ。
ま、これなら逆に“す”でそろったからいいか、って感じだ。

いかんいかん。
“す”がどうとかより、すし、すき焼き、すしでは二種類だ。
出初式の例えはこれとは違う。

すし、すき焼き、手巻きずし、が近いだろうか。
すし、すき焼き、しゃぶしゃぶ、の方が当てはまっているか。
すし、カニ寿司、カニ、はかなり微妙だ。
すし、すし焼き、カニすき、も辛い。
すし、すし、すし、のスシーカードはどうだろう。
すしすし言いすぎて、すしがなんのことだかわからないくなってきた。

一番恐ろしいのは、おでん、おでん、おでん、と来ることだ。
この場合だけ、おでん、おでん、おでん、おでん、とフォーカードになる。
ウチでおでんを食べているからだ。


おでんにも一点だけありがたいことがある。
昨年末のおでんネタに「つづく」と書いたのだが、
それを続けられたということだ。
ああ、一月二日にしてこの達成感。






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タイマーズ?