みなさん、おはようございます♪
と、♪をつけるとこのように『るん』な感じを受ける。
人間、気持ちよくなるとつい歌っちゃうものだ。
そういうウキウキ感が現れているのかも知れない。
しかし、この音符、いや楽譜というものはこれでいいのだろうか。
音楽という目に見えないものを、見てわかるようにしようという試み、
はたして成功しているのだろうか。
たとえば、この音符、下にぶら下がっている玉は黒く塗りつぶしてある。
これが白抜きの音符もあるのだから塗りつぶさなくてはならない。
これはものすごい手間だ。
交響曲なんぞを作曲したら、いったいいくつ玉を塗りつぶさなければならないだろう。
鉛筆だってすごく減る。
現に、ひらがなカタカナ漢字に限らず、アルファベットにしても、
ほかの言語にしても、塗りつぶしのある字というものを私は知らない。
今の世で塗りつぶしなんて、マークシートかボーリングのスコアぐらいだ。
そして、この音符が五線に乗ることで音階を表すのだが、
なぜ、五本線にしたのだ。
全然足りてないではないか。
上にも下にも五線からはみ出すと、じぶんで『-』を書いてそこに音符を乗せる。
バイキング料理の店で、
「これ以上食べる方は自前のお皿をお使いください」
なんてことがあるだろうか。
ちゃんと全部納まるだけの線を用意しておかんか。
ちなみに五線に触れている音階は、
レミファソラシドレミファだ。
今試しに書いてみたのだから合っていると思うが、少なすぎる。
ピアノの鍵盤があれだけあるのになんでこれだけなのだ。
そもそも、学校で教わった最初の『ド』がはみ出ているってどういうことだ。
設定だけの問題なのだから、五線の中心に基準の音を持ってくるべきだ。
「後半声が出ないと困るから最初は低いとこにしときましょか」
という意図が見え見えだ。
それにしても、五線からはみ出るとは、弱気すぎるのではないか。
基準と言えば、楽譜の最初にあるあのマークなんだ。
ツノのある台風がよだれを垂らしているようなやつのことだ。
あそこまで複雑にしなければならないか。
あれ、渦がどっち巻きかとか、
下に垂れてるのが『し』だったか『J』だったかとかわからなくなる。
久しぶりに『くまさん』か『>まさん』か迷う幼稚な時代を思い出したわ。
幼稚と言えば『ドレミファソラシド』ってなんだ。
何でもいいんだからこれでもいいんだけど『ファー』ってなんや。
蚊のことを『蚊ぁ』手のことを『手ぇ』という関西よりに住んでいるから、
『ファ』のことも『ファー』と言うが、『ファー』ってなんや。
楽譜ってすごい昔から存在している。
日本に入ってきたのもかなり古い話だろう。
『トメイトゥ(TOMATO)』を『トマト』
『レイディオ(RADIO)』を『ラジオ』と読んでいた日本人だ。
絶対『ドレミファ』は『ドレミハ』だっただろう。
そういえば、私のうつろな記憶に寄ると、
ファのあたりとシのあたりだけ音の上がり方が半音だったはずだ。
なんで、上がり方が均一ではないのだ。
それならそれで『♭』やら『♯』やらを作るなよ。
万が一付けるなら『シャープ』は『サープ』やろ。
『ファ♯のあるミュージック』は『ハサープのあるムージック』やろ。
だいたいそもそも音楽とはやなあ
つづく

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