2010年04月

ここでは、2010年04月 に関する情報を紹介しています。
いよいよ明日から五月。
みそか寄席に行くのでカレンダーです。


元絵はこれ↓
s-05月元絵

マット系の紙にコピックの1ミリで描き、色鉛筆で塗りました。
何度も何度も同じことを言いますが、色が出ない・・・
薄すぎてスキャナで読み取れないようです。

腹の立つのは、一枚描き終わった段階で試していれば、
次からは対処できたはずなのに、
全部描き終わってからまとめてスキャナしたから、軒並みやり直しになりました。


で、完成品がこれ↓
s-5月の 005

色鉛筆の塗りを濃くしてみてもダメだったので、
影の色に近い紙をこいのぼり型に切り、
その上に絵を描きました。

でもこれが同じ顔に描けなくて、
十数回、描き直しました。
裏からライト当てて、透けた線を鉛筆でとめて、そのあと清書。
まあ、うまいことできたかな~と。




↑ちまき食べ食べクリックしてね。
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小さい字が見えなくなってきた。
階段の上り下りが辛くなってきた。
モノや人の名前が出てこなくなってきた。
これみなオトロエである。
『衰え』という漢字が怖いのでカタカナにしてみた。

想像では、一番衰えているのは持久力だと思う。
持久力を維持するには、持久力を使い続けることが必要だ。
だが、私はもう数年間、持久力を使ったことがない。
そして、持久力がどのぐらい落ちているか試すほどの持久力がない。
だから“想像”ではと言ったのだ。

実際に衰えを実感しているのは瞬発力だ。
とっさの事態にカラダが反応しない。
いや、脳が反応しない。
“至急”という情報にあわててしまい“相応”がおろそかになる。
で、ヘンなことを口走ってしまう。


◆急な変化に対応できなかった私

仕事中、手作業をしながら上司Tに別の仕事の説明をしていた。
ところが、上の空で聞いていた上司はどこかへ行ってしまい、
ちょうどそこへO川が来て作業を始めた。
わたしが「な」と顔をあげると、上司のつもりがO川だ。
とっさにこう言ってしまった。

「誰や、おまえ!」

普通に仕事をしていて、いきなり「誰や、おまえ」と言われたO川。

「どういうこと?」

たぶんこの反応は正しい。



◆立場を間違ったちづるの母

ちづるのお母さんから電話がかかってきてちづるが出た。

ち「もしもし」

母「はいはい」

ち「はいはい、って、そっちがかけてきたんやろ」



◆うまくツッこめなかった上司T

最近、また腹が出てきたのだが、それを上司に指摘された。

上司「なんや、その腹は!」

ワシ「チャームポイントや」

そこで上司T、本当なら、
「何がチャームポイントや!」的なことを言いたかったのだろうが、
口を突いて出た言葉は、

「チャームポイントならもっといいとこがあるやろ!」

思わず照れてしまいそうなほめられ方だ。






↑私の魅力にクリックしてね。






s-100428homerare.jpg
時計が欲しい、と思って買いに行った。
別にブランド物の腕時計や砂時計が欲しいと思ったわけではない。
普通にデジタルの目覚まし時計が欲しかったのだ。

私の寝床とちづるのベットの間にはベッドサイドテーブル・・・
のつもりで置いた、プラスティックの引き出しがある。
ホームセンターで売っている、A4が入る4段の引き出しだ。
本来なら机の上に置くものだ。
当然背が低い。

その上に乗っている目覚まし時計。
ベルが鳴るから目は覚める。
頭をたたけば音は止む。
だけど時間は分からない。
水平線、地平線ならぬ、ふとん平線より文字盤の位置が低いのだ。

そこで私は考えた。
暗闇でも光って見えるデジタルの目覚まし時計を買おうと。
それをベッドの反対側にある本棚に置こうと。


はじめて知ったのだが、目覚まし時計って、
『イヤンマダヨ電気』や『毛ぇズ電気』には売っていないのだなあ。
そこで、ちづるの勧めでホームセンターに行った。

あるある、いっぱいある。
何も考えず、一番いいと思った時計は3980円。
目覚ましにそんなに払うぐらいなら一生眠っておるわ。

お手軽なところでは980円のが三種類あった。
だが、あと1000円出せば『電波時計』というのがある。
使っている時計の全てが狂っている私からすれば、
狂わない時計というのは魅力的だ。

しかし、これらはボタンを押したときだけ画面が光るタイプだ。
夜中にふと目を開いただけでは時間が分からない。
探してみるとひとつだけ暗闇でも光ってるタイプのがあった。
一応オンオフのスイッチがついている。
ということは光っている間は電気を使っているということだ。

夜中に目を覚まして「今何時だろう」と思うのは、
月に一回、あるかなしだ。
そのために、常に電気を使っているなんてもったいない。

そこで急浮上してきたのが、アナログタイプだ。
文字盤が蛍光塗料なので電気を使わず光って見える。
これも1980円だ。
しかしなあ、デジタルを目指して来たからなあ。


するとちづるがこう言った。
「針の電波時計は電源を入れると時刻を合わせるのに針がビューっとまわって面白いよ」
なに、それはぜひ見たい。
そのためならデジタルでなくていい。
だいたい、デジタル表示より針の方が一瞬で時間が分かるのだ。

が、考えてみたら針がビューっとまわるのは最初の一回限りだ。
そのために1000円余分に出すのはどうなのか。
そうなると、電波時計であること自体どうでもよくなってきた。
時計を見たとき、それが電波か電池かぜんまいかなんて考えない。

もっと考えてみたら、時計の針が見えないほど暗かったら、
まだ寝てていい時間なのだから、見えなくてもいいのではないか。
起きなければいけない時間には窓から明かりがさしこんでいるはずだ。

そう考えると、980円の時計でも、
いや、今使っている時計でもいいのではないか。


というわけで、寝室の時計が私のベッドの左から右へ移動した。







↑あと五分寝たいときはクリックしてね。







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ボツ


ゆうべは書きかけのネタを破棄した。

そう、陶芸家が気に入らない作品を割ってしまうように。

すいませ~ん

ゆうべは持病の仮病で。
私はちょくちょくゴマを食べる。
会社にいるときは常備していて、腹が減ったら少しずつ食べている。
数粒を口の中に入れ、一粒ずつ前歯や犬歯の先ですりつぶしていく。
よく野球選手がガムや噛みタバコを噛みながらプレイしているが、
ゴマの方が精神集中にいいですよ、とお勧めしたいぐらいだ。

しかし、さすがはゴマ。
おそらく世界最小の食べ物だろう。
よく行方不明になる。
いや、行方は分かっているのだが帰れなくなる。

一番いやなのが、上クチビルの裏。
前歯とクチビルの間の奥深くに入ってしまうと舌が届かない。
あんなに小さいのにちゃんと存在が分かる。
靴に小石が入っているような違和感が不愉快だ。


小さいのが入ってしまうのもいやだが、
さらに腹が立つのが貼りつき系だ。
なぜか緑色のものが多い。
ネギ、アオノリ、ニラ、ワカメ、

こいつらは悪質だ。
歯に貼りつき、舌で取ろうとするとどんどん奥に行き、
やがて舌の届かない範囲にまでいってしまい、
舌を極度に疲労させる。

また、ときには歯に張り付いているのを感じさせず、
ニッコリ笑ったとき表舞台に現れ、人を笑い物にする。
まったく、たかがあれだけのことなのに、人はすごくアホ面になる。
悪い奴らだ。


ここに、新たな刺客が加わった。
スライスチーズだ。

さて、発表した段階で、この記事を読んでくれるみなさんの反応が、
「あー、あるある、そうそう、そうなのよー」
なのか、
「そんなことはないやろ~」
なのか、私にはわからない。
だが、これは今朝、実際に私の身に起こったことなのだ。



私の歯に貼りついたスライスチーズは結構大きかった。
幅は犬歯あたりの歯の二本分、
長さは、歯と歯茎のかなり奥まで達するほどだった。

貼りつくといっても、緑グループと比べてもずいぶん厚みがある。
そしてこの大きさ、かなりの違和感だ。
ただ、ものすごくフィットしている。
歯と歯茎の境、歯と歯の間の溝もくっきりわかる。

そして表面が滑らかだ。
舌でなぞってみても、歯茎と感触が変わらない。
歯の治療にこのようなものが発明されたらいいのになあ、と思うほどの一体感だ。
むしろ、一体化しているといってもいいだろう。
貼りついた後、圧力と温度で密着させられているのだ。

ただ、常にチーズの味がしている。
これでは歯の治療には使えない。
舌ではがそうとしてもうまくいかない。
すでに溶けかかっているため、ペロンとは剥がれない。
こそげ落とす感じだ。

しかし、舌というのはあんなに器用だがこそげ落とすという作業には向いていない。
角がないしやわらかすぎるのだ。
舌だけでなくアゴまで疲れてきて、つい人差指を使ってしまった。
もはやスライスではなく練りチーズ状態だ。

で、これをどうするかなのだが、適当な処理法が思いつかなかったので、食った。
そのあと舌先で、チーズ味を拭き掃除。
いやあ、本当にしつこい奴だった。

みなさん、歯に貼りついたスライスチーズは落ちないですよ。
なので、この話にもオチはないです。






↑鶴を折ったりクリックしてね。






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なんだか暖かくなったり寒さが戻ったり、妙な気候だ。
野菜は高いわ、火山は噴火するわ、新党は乱立するわ、
よい話がなにもない。

身近でも、いやな話ばかりだ。
いやな話にいやな話が重なって、いやな話の二乗だ。
まったく納得できない。

①蚊が出た
②アカギレ切れた

私は大きい声で言いたい。

「どっちかやろー!」

蚊もアカギレも季節モノだ。
暖かくなって蚊が出るか、寒くてアカギレが切れるか、
ちょうど良ければどっちも無しだろう。
こんな複合技をされては対応ができない。

蚊に食われて、アカギレの指でムヒが塗れるか?
ムヒで痛む指先に、別の指でオロナインを塗るのか?
爪でバッテンをつけようとしてアカギレが裂け、
あたりを真っ赤に染めるのか。


相反する二つの状況が重なったとき、良い影響が出るか悪い影響が出るかはわからない。
夏と冬が一緒に来て、ブリ大根とアユそうめんを並べて食べられるのか、
あるいは雪台風が来るのか、この差は大きい。

たとえば、ゾウとキリンが結婚して、
首も鼻も長い動物が生まれると思ったら、
首も鼻も短くて、足が太くて迷彩柄の生き物が生まれたようなものだ。
う~む、どちらもいいように聞こえない。

たとえるなら、ラーメンとカレーライスが結婚して、
カレーラーメンになるかと思いきや、
汁ライスが出来上がったと・・・
なにか違う気がする。

たとえ話だが、孫の手と耳かきが結婚して・・・
いや、やめておこう。
考えてみたら、蚊とアカギレが結婚したわけではないのだ。


しかし何ですな。
満腹と暖房は睡眠を生みますな。






↑永遠に誓ってクリックしてね。






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ちゃんちゃらんちゃらん でれてててれて
ちゃんちゃらんちゃらん でれてててれて
ちゃんちゃらんちゃらん でれてててれて
つーーつるつ つーつるつ
てんててんてんてんてんて でてれててれっててれっててれて


もちろんみなさんおわかりだろう。
『銭形平次』の前奏だ。
このあと、
♪お~と~こだったあら~ ひっとつにかぁけ~る~
と続く

この最後の一節、
♪でてれててれっててれっててれて
が心地よい。

歌にはこのように、歌詞の前後や間に小粋なフレーズが入ることがある。
あと、私の好きなのは、「キャプテンウルトラ」のオープニング、

♪月も火星もはるかに超えーてーええー

のあとの、

♪てれてててれててー

などがある。


しかし世の中には上には上があるものだ。
この間奏的フレーズをたった一つの音でやってしまう楽器がある。

♪与作は木~を切る~   へいへいほー   か~~
                              ↑
                             これだ

これはすごい。誰が発明したのかは知らないが、
なんという存在感。
これだけで強烈なインパクトを与え、曲間を埋めることができる。
これに対抗できる音を私はひとつしか知らない。

♪セブーン セブーン セブーン セブーン 
 セブンセブンセブン ほえ~  セブンセブンセブン ほえ~  
              ↑                  ↑
             これだ               これだ


これも素晴らしい。
あまりにここで効果を出し過ぎて、他で使いにくくなったぐらいだ。
作者もこれを気に行ったのだろう。
この後もたびたび出てくる。

はーるかな星がー ほえっほえ~  ふーるーさーとだー ほえっほえ~
ウルトラー ほえ~ セブーン  ファイターほ~セブーンえ~
ウルトラー ほえ~ セブーン  ほ~セブーンえ~セブーンえ~


やり過ぎだと思う。






↑ウルトラホークでクリック!






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サウナに行ったら、

ぽーっとなりました。

よく眠れました。

今年だったか去年の暮れだったかに入社した新人君は競馬好き。
休日には隣の県までいったりするらしい。
そして月曜、いつも言うのが、
「おしかった~」

“おしい”というのは、ちょっと違った、ということだ。
だが、「ちょっと違う」はけっこうある。

私は競馬をしないのでよくわからないが、
たとえば当たりが『2-7』だったとしよう。
2の一番違いは1と3だ。
7は6と8。
つまり、一番違いだけで四つもある。

ところが、「おしい」と言う人の「おしい」は一番違いだけではない。
両方の数字が一番違いだとか、両方の数字が倍だったとか、
妻の誕生日ではなく、じいさんの命日だったとか、
「ヨシエ」じゃなく「ニーナ」のようだったとか、
ありとあらゆる関連付けをして、おしかったことにしてしまう。

ただ、この「おしかった化」の努力は、まったくの無意味だ。


この「おしかった」をなんとかしようとしたのが宝くじだ。
噂に名高い『前後賞』というやつだ。
なんのことはない、これは「おしかった~」の範囲を広げただけだ。
俗に言う『前後賞の前後賞』の出現だ。

しかしこれはとても曖昧な表現だ。
ここは前賞と後賞に分けて考えなければならない。
なぜなら『前賞』の『後賞』ならど真ん中当選だ。
でも『前賞』の『前賞』なら当選から考えれば前後賞ですらない。

この往生際の悪さが気に入らない。
馬券も宝くじも買わない人間にとっては、
おしかった話など聞きたくもない。
だから、JRAや宝くじ運営委員会は、
『当たり』以外は、はっきり『スカ』だと公言してもらいたい。


さて、この新人君、競馬のほかに食べ歩きも趣味らしい。
ところが、こちらでも「おしい」っぽいニュアンスでモノを言う。

「あの店のラーメン、スープはよかったんだけど・・・」
「あそこの定食は量がもうちょっと多かったら・・・」
「これで、もうちょっと安かったらここのパスタは・・・」

こういう言い方をすると、良い点までが悪く聞こえてしまう。
こんな時こそ「おしい」の出番だ。
たとえば、最初の例で挙げたラーメン。
『スープはいい味なのだが、麺が悪いからイマイチ』
ではなく、
『スープがいいからこそ、おしい!』
と考えたい。

そしてそれを声に出して言うべきだ。
「おしい!」と。

普通、飲食店で「おしい」というやつはあまりいない。
たぶん「おいしい」と聞き間違えてくれるだろう。
これは調理人を一番喜ばせる言葉だ。

「おしい」と「おいしい」はちょっとの違いだ。
どうせ、わずかな違いなら、誰か喜んでくれた方がいいじゃないか。






↑ああっ、もうちょっとだけ左をクリックしてね。





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寝たんじゃないですよ。

汗で毛が一本貼りついてたのを鏡で見間違ったから、


気絶したんです。








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↑意識をしっかりクリックしてね。
先日、自転車に乗ろうとしたら前輪がぺったんこだった。
パンクだ。
車に乗せて修理に出した。
800円で直った。

この自転車がパンクするのは二度目だ。
一度目に修理に出したとき、会社でその話をしたら、
「自転車のパンクぐらい自分で直さな」
と、あるおっさんに言われた。

なのに今回も修理に出した。
私はパンクを直さない。
なぜなら・・・


①道具を持ってないから。
 百円ショップで売っていたが、そこに行く自転車が乗れない状況だ。

②やり方を知らないから。
 なんとなくは聞いている。
 しかし、私は手取り足とり教わった事でないと覚えないのだ。

③たぶん、部品をなくすから。
 これは経験から言っているのだ。

④どこかに手をぶつけたりはさんだりと、痛い目にあうから。
 これも経験だ。

⑤ちづるが私のウデを信用してないから。
 それみたことかと言われたくない。

⑥家の中でできないから。
 ご近所の人に見られて、
 「結局直せなかったようだ」
 なんて噂が立ったら恥ずかしいではないか。

⑦万が一、上手に直せたとしよう。
 そうしたら、次からも自分で直せと言われるだろう。

⑧私が直すとしたら、最低二時間はかかるだろう。
 すると、時給400円・・・安すぎる。

⑨きれい好きだから。
 どこかでうんこを踏んでいるかもしれないではないか。

⑩そのおっさんの言い方が偉そうだったから。

⑪この文明の進んだ世の中、
 こんな原始的なシステムを取り入れてる自転車側が悪いのだ。

⑫パンクでない可能性がある。
 開いてみて、もっとひどい状況だったとき対処できない。

⑬自転車を直す男の背中マニアの仕業かもしれない。
 そうすると修理に没頭するのは危険だ。

⑭もしマニアの仕業だった場合、
 ひっかかってしまったら、カモにされるおそれがある。

⑮タイヤの空気が抜けている原因がパンクではなく、
 空気を吸う虫の仕業かもしれない。
 タイヤのゴムを開いたとたん、虫がびゃーっと出てきたらいやだ。

⑯パンクだったとして、その原因がチューブをかじる虫の仕業かもしれない。
 タイヤのゴムを開いたとたん、虫がびゃーっと以下同文。

⑰パンクの原因が、触れる者を全て不幸のどん底に突き落とす、
 呪いの釘が刺さっているのだとしたら・・・

⑱タイヤから空気が漏れる音が、聞いた者を全て不幸のどん底に突き落とす、
 呪いのメロディを奏でたとしたら・・・

⑲初パンク修理大成功記念写真を撮り、
 その後ろに謎の人影が写りこんでいたら・・・

⑳私以外の人に、この自転車が見えていなかったとしたら・・・


悪ふざけ、というカテゴリ、作った方がいいですか?






↑ちりんちりん、クリックしてね。








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私はときどき、
「考えすぎや」
とちづるに言われる。
それは、アインシュタインやエジソンがそうであったように、
学問について深く考察しすぎる、ということではない。

たとえば、ブログにこんなことを書いたら、
こういうとらえ方をする人もいるのではないか。
ということを考える。
それは、不特定多数の人たちに対して配慮し過ぎる、ということでもない。

「そういうとらえ方をする人はいない。考えすぎや」
とちづるに言われる。
だが、私がそういう風に考えたということは、
そういう考え方があるということだ。
その考え方を選ぶ人が全くいないとは言えないはずだ。

「それが考えすぎや」
だが、私が考えすぎたということは、
そういう考えすぎ方があるということだ。
他に考えすぎる人がいないとは言えないはず・・・

「考えすぎや!」


   ※


実は、私の職場でも最近パソコンを使っている。
とはいっても、商品に貼るシールを出すだけだ。
品名、サイズ、数量などを入力してシールを作る。

この使い方を私が社長に教わり、上司に伝授している。
しかし、パソコンシロートの上司T、
覚えない。

基本形は幾種類かできていて、数字や言葉を買えるだけだ。
キーボードのよく使うボタンには、わかりやすくひらがなで書いたシールを貼ってある。
私がいるときはいい。
聞かれたらいつもすぐに教えている。
かなり使えるようにはなってきたが、ときどきごっちゃになるようだ。

困るのは私がいない時だ。
適当にいじってぐちゃぐちゃになり、やがてあきらめる。
それは仕方ないと思う。
説明したから、二~三回やったから覚えておけ、というのは無理だ。


だがしかし、一つだけ口を酸っぱくして言っていることがある。
データはムチャクチャになってもいいから、閉じるときに保存するな、ということだ。

「もうやめじゃ!」
とさじを投げ、終了するとき、画面には『保存しますか』と出る。
その下には『はい』と『いいえ』という文字が現れ、
どちらかを選べるようになっている。
これは日本語だ。
しかもけっこう大きな文字だ。

なのになぜ『はい』をクリックしてしまうのだ。
おかげで次にパソコンを開いたときには、データがぐちゃぐちゃだ。
どれだけいじっても、最後で『いいえ』を選べばもとのままだ。
何度も何度も何度も何度も説明した。
普段あんなに素直じゃないのに、どうしてこんなときだけ『はい』なのだ。

だから私は叫ぶ。
「少しは考えろー!」






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反省


また 寝てもうたの。

どうしたらいいのでしょう。
最近、家庭内の会話が減っているそうだ。
テレビやらゲームやらネットやら、ひとりでの楽しみが増えたせいだろうか。
しかし、我が家は会話が豊富だ。
なにしろ、ちづるが聞く量よりも私がしゃべっている量の方が多いぐらいなのだ。
めったに他人にモノを教える立場にならないワタシ。
偉そうだが、ここはひとつ、会話が増える方法を伝授しよう。


会話が少ない、の代名詞と言えば、
「メシ、フロ、ねる」
だろう。
レッスン1として、ここから増やしていくことにしよう。

まずは『メシ』だ。
男子高校生が家に飛び込むなり、
「メシメシメシー!」
と叫ぶのは満ち溢れる食欲を感じるが、
辛気臭い顔でぽつりと、
「めし」
では、食べる前からまずそうだ。

ここは「メシゴハンライス」ということにしよう。
『めし、ご飯、ライス』ではない。
食事のことを「メシゴハンライス」という単語にするのだ。
これだけでもかなり口数が増える。
もちろん我が家では実施している。


『フロ』は当然「ニューヨクブロ」だ。
その家庭によっては「ニューヨクブロシャワー」でもいい。
なにしろ「風呂」というのは家の中の場所だ。
たとえばいきなり「和室」とか「押し入れ」と言われたら困るだろう。
それより気持ちが悪い。

だから「風呂に入る」という意味を込め「ニューヨクブロ」にしよう。
当然、その日によっては、
「ニューヨクユズブロ」や「ニューヨクショウブブロ」になる。
なんてわかりやすく、口数が増えるのだろう。
ちなみに、これは我が家では実施していない。


『ねる』はよくない。
「ごはん食べたい」や「お風呂入りたい」は個人の希望だが、
「ねる」は本来「おやすみ」という挨拶だ。
この挨拶を短縮したくて「ねる」になっているのではない。
「おやすみ」という普通な挨拶がこっぱずかしくなっているだけなのだ。

だから、この「おやすみ」をあいまいにしたうえで口数を増やそう。
「おやすんでみたりする」
ほうら、こんなに長くなったうえに眠い感じがするではないか。
我が家ではたまに使うことがある。


ま、私が今、教えられるのはこのぐらいだ。
なに? 少なすぎる?
そうだろう。
我が家は会話の量はとても多いのだが、ほとんどはちづるにボツにされる。

実は、今日のこのネタも、会話上ではボツにされたのだが、
苦しまぎれに使っちゃったのだ。
そしてまた怒られるのだ。





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きのう、“TOKIO”という男前が8割を占めるグループの番組の、
ソーラーカーで日本一周をするコーナーのダイジェストを見ていた。
七年にもわたる企画がほんの数分にまとめられていたので、
わが三重県など、ほんの一瞬しか映らなかった。

うらやましいのは『稚内』だ。
この番組にかぎらず、稚内は特別扱いだ。
到着したタレントは、必ずと言っていいほどハイテンションになる。
(どうして『必ず』と言い切らなかったかと言うと、
 東海地方の方ならご存知の、ワッキーの地名しりとりの例があるからだ)


理由は簡単、稚内は日本の最北端の地だからだ。
いや『最端』と呼んでもいいだろう。

東西南北は同レベルではない。
“東端”“西端”は端っこであるというだけだ。
しかし、南北の端っこは、最も暑い、最も寒いという強みがある。

さらに追及すると、南端はあいまいだ。
沖縄方面かと思いきや、沖ノ鳥島などと言うただの岩らしい。
もちろん人は住んでいない。

その点、稚内は最果て度が高い。
広い大地からぴゅーっと土地が細くなりとんがっている。
まさにあふれんばかりの先っぽ感。
特に何があるわけでもない。
ただ、そういう位置だ、ということに人が集まり興奮するのだ。


もちろん、タレントに限らず、訪れるすべての人が興奮し浮かれるだろう。
自分は今、日本最北端にいるという高揚感。
もし私が稚内を訪れたら、と想像しただけで恥ずかしいぐらいだ。

では、稚内の人から見たら、どんな感じなのだろう。
来る人来る人ハイテンション、逆にいえばハイテンションな人ばかり来る場所。
日本の端っこで愛を叫んだり、『最北ターン』といって回転したりする。
なんとも不思議な光景ではないか。


私の住む、伊勢という町もけっこうな観光地だ。
もちろんメインは伊勢神宮。
稚内とは逆で、浮かれる要素がない。
むしろ、みんな落ち着きに来ているようなものだ。

いまや日本中に観光地はある。
各観光地は目玉となるものを必死で売り出す。
その目玉を求めて観光客はその土地を訪れる。
となれば、各観光地を訪れる観光客には共通点があるはずだ。

たとえば、東京を訪れる人はみんなおのぼりさんだ。
横浜中華街に行く人は、みんなお腹が減っている。
沖縄を目指す人は、いい天気だと思っているし、
名古屋へ行くのは、変ったものを食べてみたいと思っている。
秋田観光をしている人はどこかでなまはげに会えることを期待しているし、
滋賀に行く人は陸地がどのぐらいあるか興味津々だし
博多好きは屋台が目当てだし、
長野善光寺に参る人は牛にひかれている。


ぎゅ

ああ、もう絞っても出ない・・・






↑ハイテンションでクリックしてね。





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たとえ私が身長190センチで運動神経抜群で、
160キロの剛速球を投げたり、思うままにゴールキックを決める才能があったとしても、
私は決して、プロのスポーツ選手になることはないだろう。
野球だろうがサッカーだろうが、プロレスだろうがオリンピックだろうが、
『試合』というものには出たくないのだ。

たとえ私が流し目で女性を気絶させるほどの美貌を誇り、
歌や踊りで世間を魅了したり、見事な芝居で観客を泣かせる腕があったとしても、
私は決して、芸能人になることはないだろう。
コンサートだろうが笑点だろうが、歌舞伎だろうがブロードウェイだろうが、
『舞台』というものには立ちたくないのだ。

たとえ私が親の七光りと潤沢な資金を持っていて、
二枚舌と鉄面皮を操ったり、秘書や支援者を思うがままにする魔法を持ってたとしても、
私は決して政治家になることはないだろう。
マスコミの前だろうが観衆の前だろうが、バスの屋根だろうがミカン箱の上だろうが、
『演説』なんてことはやりたくないのだ。


それはなぜか。
緊張するのがいやなのだ。
できることなら一生ドキドキなんてしたくない。

今の仕事でも、たまに小ドキがある。
お客さんが現場に来たり、電話を取らなきゃならなくなったときだ。
そんな時は心からお客さんを憎む。
でも、愛想良く、
「いらっしゃいませぇ~」
などと挨拶しなければならない。

それを考えると農業はいいなあ。
ほぼ、野菜相手に緊張することはない。
イライラしたりビックリしたりガッカリしたりはあるけれど、
ドキドキはないのだ。


さて、そんな私が緊張感たっぷりで出かけた。
夜の7時から区の初総会だ。
ドブ掃除やら大念仏やら言いたいことはいっぱいある。
それを周りが敵ばかりの状態で発言するのはかなりの緊張だ。
ああいやだ。


農業にドキドキはないといったが、農村に問題はいっぱいある。
役員の選出方法、
飛び地の扱い、
繰越金の使い道、
借地の借り賃、
ゴミ箱の設置、
災害時の対応、
無縁墓の整理、
消防ホースの乾燥法、
子供会の予算、
安全委員増加に伴う手当の問題・・・

気がつけばもう9時。
ドキドキはしたくないし、お腹はペコペコだ。
ドブ掃除や大念仏の話題はほとんど何もない。

最後に議長が、
「他に何か言いたいことがある人」
と問うたが、もうみんな帰り支度をしている。
なのでそのまま帰ってきた。

ふん、今日のとこは勘弁しといたる。






↑心が弱いけどクリックしてね。






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まことに恐縮だが『う○こ』の話だ。

私は毎朝ポンポン生み出している。
ただ、微妙なリズムのずれで、長い周期で朝のやりようが変わってきている。

一番スムーズな時は、
『座ってぽん』だ。
ひと固まりを水に沈めておしまい。
トイレに入ってから出るまで一分もかからない。
こんな時期が長く続いた。

その後『残ってる感』を感じるようになった。
だから、ひと固まりのあと、おまけを待つ。
この待ち時間がわずらわしい。
朝はいろいろと忙しいのだ。

で、二度便方式をとった。
ひと固まりのあと、おまけを待つ時間が惜しいので一旦トイレを出、
朝の用意をした後、残りをだしに行く作戦だ。
我が家ではこれを『二便』と呼んでいる。

もったいないようなめんどくさいような感じだが、
時間の節約のためにはこれが一番の方法なのだ。


さて、4月から出勤が30分早くなった。
そのため当然30分早く起きる。
眠いとか、お昼前に腹が減るとか、そんなことはどうでもいい。
一番の気がかりの合言葉は、
『デルモンダサントオチツカン』だ。

30分のずれは、確実にリズムを狂わせた。
一回目の量が減り、
二回目の波が来ず、
三回目に至ることもしばしばだ。

ああ、スポンといきたい。
そして「さらば」と言いたい。

「あとから弟が参りますんで」
なんてセリフは聞きたくない。
出るもの後を追わず、で、
リレーのバトンのようにすんなり次に行ってもらいたい。


しかも、これはあんまりおおっぴらに発言しにくい事柄で、
できたら公表したくない。
たとえば忍びの者のように、誰にも知られず控えていて、
「いけ」というひと言で
「はっ」と言って、すっと消える。
これが理想ではある。

じゃあどうしたら、出がすんなりになってくれるのか。
とりあえず、早く寝よう。





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しばらく会っていない得意先の人の話を、上司Tとしていた。

ワシ「そういえば、あの人どうしとるやろ」

上司「あの人は前にアレを壊したやろ」

ワシ「え、何を?」

上司「あの、ほれ・・・カラダ」



大丈夫か、上司T。







↑壊れる前に寝るのでクリックしてね。






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私の体型を説明しよう。

ウエストを測ったメジャーをぴんと伸ばして縦にすると、けっこう背が高い。
全身の入った写真を撮ると、背景はあんがいスリムだ。
常識からはみ出した分を考えなければ、体脂肪率も思ったより少ない

髪は見た目が細面で、
お尻のミゾはキュッと締まっていて、
くるぶしは骨が浮いて見えるほどだ。
舌は筋肉質で、骨と皮は骨と皮ばかり。
言動はとても軽い。

こんな私は、当然暑がりだ。
すぐに脱ぎたがる。
しかし、こんな私だからこそ、薄着になるのがはばかられる。
本格的に脱ぐ季節が来るまでに何とかしなくては。


なんとかするにはどうするべきか。
汗をかくべきだ。
ああ、私は偉いなあ。
○○を食べたら痩せる、という安易な方向に行かないところが偉い。
でも、最近ウォーキングをする公園の方向に行かないところが偉くない。

実は、私は簡単に汗をかく。
これは“やせる”に向いている性質だ。
しかも、私には痩せる余地たっぷりある。
たっぷり汗をかいてたっぷり痩せればいいのだ。

だのに なぜ

私のかく汗は、洗濯ものを増やすことだけに費やされる。
そういう私の衣服は生地が大きい。
生地が大きくて数が多いのだから、すごく量が増える。
量が増えるの二乗だ。

なんと世の中うまくいかないことか。
衣服を少なくすませたいと思っている人種ほど、
たくさんの洗濯ものを生産するのだ。

では、痩せている人はどうだろう。


痩せている人は長袖を着ている。
堂々と公表できるすらりとした体型であるにもかかわらずだ。
たとえ、通勤のバスや電車がギュウギュウ詰めで蒸し暑くてもだ。

なぜなら、通勤ラッシュのバスや電車にも、簡単に汗をかく人種が乗っているからだ。
もし、肌を露出していて、そういう人と密着することになってしまったら、
じゅんじゅんに汗を吸った生地の多い衣服がむき出しの生肌に吸いつくように・・・

おお怖い。

こんな理由で、痩せた人は蒸し暑くても長袖を着ている。
蒸し暑いほど、簡単に汗をかく人種は汗だくになる。
で、なぜ蒸し暑いかと言うと、簡単に汗をかく人種が発熱しているからなのだ。

なんと世の中うまくいかないことか。






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先日、夏野菜の種をポットに蒔いた。
トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、ゴーヤ。
家で苗づくりをしている間に、畑を耕す算段だ。

最近は楽なもので、種蒔き用の土が売っている。
だから、何も考えずポットに土を入れ、種を蒔いて水をやるだけだ。
何が一番難しいか。
それはどの種を買うか、選ぶことだ。


私は何冊か野菜作りの教本を持っている。
それらに載っている野菜作りの第一歩は『種を蒔く』だ。
種の選び方は載っていない。

もう一つの野菜作りのお手本は、種袋に書いてある説明だ。
ただしこちらは、その種を買ったという前提で説明が書かれている。
当然、種の選び方は書かれていない。
結局、その種袋に記されている、その品種の特性を見比べるしかないのだ。


ただし、種袋に書かれている説明は、どの種でも驚くほどのベタほめだ。
芸能事務所のグラビアアイドルのプロフィールや、
結婚式での仲人の新婦紹介にも負けないほどだ。

たとえば、今年私が買ったナスの種。
『早生系のナスでは代表的品種。
 光沢のある黒紫いろの中型果で着果が早く多収型。
 丈夫で作りやすく家庭菜園に最適種』

ピーマンは
『早生で多収型のピーマンです。
 果皮は光沢のある鮮緑色、果肉厚く品質が良い。
 丈夫で作りやすく、以下同文』

そして、トマト。
『一代交配の大玉完熟トマトの最高種。
 大病性抜群の強健種。
 草勢強く、下段から肥大力に優れる。
 果実は豊円、腰高の大玉で濃桃色で照りがあり、肉質、食味共にすぐれ、糖度が高く、
 完熟果でも裂果はほとんど出ない。
 パイプハウスの無加温、雨よけで低農薬、省力栽培に最適』

たかがトマトをよくぞこれだけほめたものだ。
私もこのぐらい粘って書けるようになりたい。
そしてこのぐらいほめられたい。

たいていの種にはこんな感じで表記されている。
いったい何を比べ、何を基準に種を買ったらいいのだろう。

私は決めた。
一番安いのだ。
採れたての野菜ならなんでもうまいはずだ。
それに、高いのを知らないのだから、
比べることすらできないのだ。
うはははは。






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会社で仕事中にマスクが欲しくなり、
そうだ、確かあそこに、とマイコンテナを久しぶりに開けた。
個人のロッカーのないわが社、
自分の荷物用にホームセンターなどで売っているコンテナケースを使っている。
中にはマスクとケータイの充電器、
そしてレジ袋に入ったTシャツが一枚。

うおー、まだあったのかー。

私はとても汗かきだ。
なので夏場は着替えをもってたのだが、何枚あっても足りない。
そこで、このコンテナに一杯Tシャツを入れておいた。
汗をかいたらここから出して着替え、
Tシャツが少なくなったら家から補充する。
こうすれば着替えを毎日持ち歩かなくてすむ。

それが一枚だけ使われずに会社に残っていたらしい。
このまま夏まで置いておくのもなんだし、
こんな辺鄙なところでひとりでいたのかと思うとかわいそうになってきて、
家に持ち帰って洗濯することにした。


Tシャツ、と書いたが、実際はノースリーブだ。
冬場は半そでTシャツにトレーナーが多いが、
暖かくなるとずっとノースリーブしか着ない。
先にも書いたように、汗かきな私は夏場、かなりの枚数を消費する。

洗濯すれば生地は痛む。
ゴムは伸びる。
縫い目はほころびる。
新品がだんだん肌になじんできて、
なじみ過ぎ、使い過ぎ、
二軍に落ち、やがて会社のウェスとして使われる。
このサイクルは早い。

数か月の空白を経て帰ってきた彼。
「よお、久しぶり」
「お、おまえ、無事だったのか」
「あたぼうよ」

洗濯カゴ、物干し場、押し入れとあちこちで懐かしい顔とめぐり合う。
みんなずいぶん年を取った。
色あせている奴もいるし、裾の伸びてしまったやつもいる。
逆に新顔も増えている。

「なんだい、あの生地の変わったやつは」
「ああ、あいつはもらいもんでね、ワシらのような3枚千円とは違うのさ」

「おや、いつの間にか親父の中国旅行土産のTシャツがいばってるじゃねえか」
「なあに、あいつらは畑作業用さ。あのプリントじゃお出かけには着られねえ」

「あいつの姿が見えねえな。確かまだ若かったはずだが」
「いきがってたからなあ。タグがちくちくするからってお払い箱さ」


ほんの少しの間、と思っていても、世間の変化は想像以上に早い。
ちょっと通らなかった道路の風景がすっかり変わっていたりする。
でも押し入れの引き出しの変化はそれよりずっと激しい。

「で、オレと3枚セットで売られてた兄弟分はどこだい」
「そ、それが・・・」
「なんだ、まさか区の資源回収小屋に出されたんじゃねえだろうな」
「いや、あいつはスナフキンの服みたいに裾が伸びちまって、
 機械を拭くウェスとして会社に持ってかれちまったんだよう」
「なんだって。じゃあ・・・オレのいたコンテナのすぐそばに・・・」
「うわー」


何でもいいけど、Tシャツには名前をつけてないのでセリフモノはやりにくい。






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きのうから30分早い出勤になった。
これは本当だ。
30分早くなるんだから、起きるのも30分早くすればいいようなものだが、
なんだかリズムが狂ってしまってあたふたしている。

目覚ましを止めて、文字盤を見ると6時半。
起きる時間だ。
そんなに辛くはないが、ゆうべは夜更かしになってしまった。

寝室から出て外を見る。
今日は天気が悪い。
出勤が早い分、道路はすいているが、
天気が悪いと混むかもしれない。

トイレに入って時計を見る。
時計の針は6時半。
ゆうべの強風で交通が乱れたせいか新聞がまだ来ていない。
顔を洗ってリビングの明かりとテレビをつける。
時計は・・・5時40分。


なぬーーー!


一時間早く起きてしまった。
ゆうべが夜更かしだったのに。

なぜ目覚ましが鳴ったのだろう。
音を止めるときに、目覚ましダイヤルを動かしてしまったのだろうか。

それにしても腹立たしい。
5時半と6時半、
長針と短針が6の字を境にあっちかこっちか。
寝ぼけた頭と目では判別がつきにくい。

そもそも、長針と短針の差が微妙すぎるのだ。
文字との重なり具合や、デザイン、針自体の影などの状況で、
とても見にくいことがある。
もっとかけ離れた針にしろ!

たとえば、赤針と青針。
太針と細針。
和針と洋針。
手針と足針。
飯針と麺針。

いやもっとかけ離れてなければいけない。

ピカチュウ針とドラえもん針。
瓦針と畳針。
スカンジナビア針とシンジビューム針。
つまみ食い針とうたた寝針。
オロナイン針とヴェポラッヴ針。

もういっそ、違いすぎて似てきたりして。

ヤン針とマー針。
金針と金メッキ針。
ウルグアイ針とパラグアイ針。
パラグアイ針と腹具合針。
針と釘。

そうだ、
四本針と太黄色針なんてどうだろう。
これが爆発的ヒットになってバカスカ売れたら・・・


こんなことやっとらんと、早く寝よう。





↑少しクリックしてね 長~くクリックしてね。





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上司Tが昨年末で定年になり、
今までやっていた30分の早番が今日から私の役目になった。
やつは出勤してはいるのだが、孫を保育園に送った後、悠々の重役出勤だ。
その代わり、私は30分早く帰れるようになった。
家に着くのは6時前、まだ結構空は明るい。

我が家は河口近くにあり、3キロほど上流にさかのぼると、地元の桜の名所がある。
堤防道路を行けば、ほぼ一直線だ。
その途中に私の畑もある。
せっかくの30分の余裕ができたのだ。
桜を見に行ってやろう。

あまり天気はよくないのに桜の土手は結構な賑わいだった。
目の保養はできるけど、焼肉の香りで鼻は惑わされっぱなしだ。


桜の楽しみ方は三種類ある。
まずは遠目に楽しむ桜。
満開のころには、桜色の霞がかかった景色に見える。

次は桜の木の下を通る。
咲き誇る桜と散りゆく桜がまるで自分を覆っているような錯覚に陥る。

そして最後は、散った桜の花びらを手に取ってみる楽しみだ。
一枚一枚をよく観察してみると、予想外の発見がある。
私も老眼鏡をかけるようになって、その一枚一枚に字が書いてあるのが分かるようになった。
みなさんもレンズを使ってよく見てみるといい。
細く小さいけれども、上手な字で『ちりぬるを』と書いてある。


これをを書いているのはアオ婆という小さい婆さんだ。
小指の爪ほどの大きさで、背中に二本のペンをクロスさせて背負っている。
そのうちのうすべに色の一本で、桜の花びらに『ちりぬるを』と書いて回っているのだ。

桜の花は本来とても丈夫で決して散ることはない。
アオ婆が『ちりぬるを』と書いて初めて散るのだ。
そうやって桜を散らせないと、青葉が出てくることができないのだ。

だからアオ婆は忙しい。
この数日が忙しさのピークだ。
風の強い日に桜がたくさん散るのは、
アオ婆が風に乗って桜の木から木へ飛び移りやすいからだ。


今日はそのアオ婆を見つけた。
ちょうど目の高さの枝にいたからわかったのだろう。
この珍しい発見に、ちょっといたずら心が湧いてしまった。
長く桜を見ていたいという欲求だ。

私はアオ婆がはみ出たうすべに色の墨をスポンジで吸っている隙に、
ペンの先を指先で折ってやった。
これでいつまでも桜が楽しめるはずだ。
アオ婆はキーキーと怒っていたが、そのうちあきらめたのかどこかに行ってしまった。
これで桜は散ることがない。
もうずーっと咲きっぱなしだ。


家に帰り、自分の部屋に行くと、窓ガラスに親指の爪ほどの穴が開いていた。
あ、こいつはしまった、とあわてて辞書を開いてみると、やっぱりやられた後だった。
アオ婆が持っていたもう一本のペンのわかくさ色の線で、
『桜吹雪』という項目が消されていた。






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