仕事終わりの定時ごろ、ちづるからメールがくることがある。
「スーパーに行くが欲しいものあるか」
「おかし」
たまに私からメールを送ることもある。
「買い物行くのなら豆腐ともやしと卵とおかし買うてきて」
「いかへん」
このように、内容はたいていが買い物がらみだ。
メールの困るところは、返事がすぐ来るとは限らないところだ。
こちらからの質問に回答がないからといって、じっと待っているわけにはいかない。
終業時間を過ぎれば帰路につく。
車を発進させたとたん、メールの着信音が鳴ると言うのはよくあることだ。
そうなると、車を止めやすいところをみつけるまで返信はできない。
こうして、会話はどんどん間遠になる。
車の場合はまだいい。
たいして交通量の多い都会ではないから、停車場所にそんなに困るわけではない。。
でも、自転車だとこうはいかない。
交通ルールだけの問題ではなく、精神的、物理的、人道的問題をはらんでいる。
たとえば、自転車で会社を出た後、メールを着信したとしよう。
私はこう考える。
「次に信号ででも止まったら見てみよう」
自転車は、ペダルを踏むという労力を費やして進む。
下り坂でもない限り、ブレーキに手をかけるというのは、
自分の労働を台無しにする行為だ。
止まらなくてはならない理由もなしに止まりたくはない。
だが、こんな時に限って、信号も踏切もノンストップでラクラクスイスイになる。
大通りの信号で止まってメールを見て、
返信しようとすると、車道の信号が黄色になったりする。
こうしてちづるへの返事はどんどん遅くなる。
今夜のディナーがラーメンだったとしたら、ぜひともモヤシは欲しい。
『何買う?』メールだったら、ちづるが買い物を終えるまでに返信しなくてはならない。
気が焦れば焦るほど、タイミングは合わなくなる。
仮に信号でうまく返信できたとしよう。
「もやし買うて来て」
ホッとして、青信号を渡った途端、返信の返信がきたりする。
今度はなんだ?
確認したいのに、ここからしばらく信号のない直線道路だったら・・・
やはり、どこかで止まらなくてはならない。
しかし、長いまっすぐな道だと、止まるきっかけがない。
もちろんブレーキはかけたくない。
こんなときは、とりあえずこぐのをやめる。
自然停止なら、きっかけもいらないし、ペダルを踏んだ労力も無駄にはならない。
惰性で進める限り進む。
徐々にスピードが落ちてきて、バランスがとりにくくなってくる。
こうなったらあとは意地だ。
自転車が止まるまで足はつかんぞ!
ねばってねばって、もうどうしようもなくなって、
でもどうせ足をつくのなら車道と歩道の仕切りの上に~。
こうやって、労力の代わりに時間を大幅に無駄使いするのだった。
しかもメールの内容は、
「了解」
だったりするのだ。

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