2009年11月

ここでは、2009年11月 に関する情報を紹介しています。
うすうす気づいてはいたけれど、
世間ではどうも『白いタイ焼き』てなものが流行っているらしい。
テレビで見たことはあったけど、
こんな田舎にまで『白いタイ焼き屋』ができ始めている。
もともとあった普通のタイ焼き屋が次々と店を閉めていると言うのに、
白いタイ焼き屋には、結構お客さんが来ているようだ。

スーパーのお惣菜売場に並んでいたので現物を見たことはある。
まあ、確かに、白い。
話によると、粉にタピオカがまぜられているらしい。
タピオカ自体が何なのか、私にはよくわかっていないのだが。

普通のタイ焼きと比べると色白ではある。
しかし、白というよりは半透明っぽい感じがした。
イメージとしては片栗粉を思い出す。

そのせいでおなかのあんこが透けて見えている。
見るからに腹黒い。
鯛というよりは、はらわたの透けている熱帯魚のようだ。


それにしても、どう考えても、一時の流行りだと思うのだが、
あんなにぽこぽこ店をオープンしていいものだろうか。
この先、世の中の甘いもの業界に定着するのだろうか。

だとしたら『白いタイ焼き』ではだめだ。
これだと“タイ焼き”という一族の異端扱いになる。
タイ焼き屋が白いタイ焼きを置くようになるのはいいが、
白いタイ焼きの専門店って、間口が狭すぎる。

何かいいネーミングはないものか。
たとえば
『はらわたの透けている熱帯魚焼き』
はどうか。
無理か。


考えてみたら、どうして鯛の形をしているのだろう。
あんこを入れて粉を練った生地を焼いたお菓子は山のようにある。
タピオカという新しい素材をつかった焼き物が誕生したのだ。
どうしてオリジナルな名前をつけなかったのか。

鯛の形をしていれば、材料がなんであろうとタイ焼きだ。
アタマに形容詞がつくだけだ。
せっかくの新製品を、従来品の亜流にしてしまったのはなぜか。

売れっ子のタイ焼きに便乗したのだ。
あのうすら白い生地をまるく焼いたらどうなるか。
そう、クラゲ焼きになってしまう。
何かを暗示した形でない限り、イメージできるのは軟体系の生物ばかりだ。
それを阻止するために、あえてあからさまな形のタイ焼き一派に属したのだ。


この作戦は成功だった。
だから、こんなに売れているのだ。

しかし、もうひとつ良い販売方法がある。
それは『タピ焼き』と名付けることだ。
こうすれば、何人かにひとりがタイ焼きと間違って買って行くはずだ。
しかもタピオカを使っているのだから嘘はついていない。
むしろ「鯛だ」と名乗っている方がウソだ。

家に帰って買ってきたタイ焼きの包みを開ける。
すると中身はまるでクラゲみたいなものだ。
なんだこれは?
え、なになに、タピ焼きだって?
やられたー。

どうだ、これこそが簡易詐欺の王道ではないか。






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もうすぐ十二月。
ついこの間正月を迎えたと思ったら、あっという間に年末だ。

年末といえばジャンボ。
グリーン、ドリーム、サマー、オータムなどの、
日本中に落胆をまき散らす宝くじの大トリだ。
もうそろそろ冬の季語に認定されているのではないだろうか。

私は宝くじがきらいだ。
買い物というのは等価交換だ。
店側が商品を渡してもいいと思う金額を提示し、
それだけのお金と商品を交換したい人がやりとりする。
宝くじにおいては、とても価値が釣り合っているとは思えない。


もちろん買う買わないは個人の自由だ。
とはいえシーズン真っ盛り、人が集まれば話題にのぼる。
買わない派に対抗して、買う派の人にこう言われた。

「夢を買うんだ」

夢ぐらい自分で作れ。
本棚や花壇は自分で作るのにどうして夢が作れないのか。
DIYブームではないのか。

それに、宝くじが夢だったとしたら、
当たろうが当たるまいが、当選発表とともにその夢は終わりだ。
お金か紙切れになり下がってしまう。
その夢、短すぎないか。


もうひとつ、よく言われることに、

「買わなきゃ当たらない」

というのがある。
つまり、宝くじ代は参加費だ。
当たる可能性、当たる権利を買うといってもいいだろう。

なにに参加するのかといえば、宝くじ事業だ。
この事業には運営費がかかっている。
印刷代、人件費、コマーシャル費などは、
宝くじの売り上げでまかなわれているのではないか。

ほーら、買った夢がこんなところで目減りしている。
買えば必ずどれだけかは損をしているのだ。
宝くじが当たる可能性はすごく低い。
宝くじを買わないのは、このすごく低い可能性がゼロだということだ。
ただし、買っていない人は運営費も払っていない。
損はしないのだ。


最後にもうひとつだけ、
「宝くじは買わなきゃ当たらない」
と言った人に言いたいことがある。

私が当たっていないとどうして言える?

買う派、いや“買うと言う派”の人は、当選発表の後、
「どうだった?」
と訊かれるだろう。
もし当たっていたら、ウソをつくか、おごらされるか、ケチ呼ばわりかの三択だ。

“買わないと言う派”の人間が“もう買う必要がない”人であるという可能性、
これって、宝くじが当たる可能性と似たり寄ったりではないですかな。







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すびばせん・・・

定期的な・・・メンテナンスです。

明日はちゃんとします。








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先週、ちづるが車を買い替えた。
ちづる自身は“重”だが、車は“軽”だ。
“軽”が“重”を十年も乗せたのだから十分だろう。

納車は先週の大安。
だから、車が来たのは知っていたが、初めて乗ったのはこの日曜だ。
慣らし運転でお出かけしたが、いやはや、新しい車には驚くような機能がある。

一番びっくりしたのは、ウインドーウォッシャー液だ。
私の知っているのはぴゅーっと出るタイプだが、
この車はびゃーっと出る。
えーとね、扇形に噴射して、一気に窓中に広がるのだ。
いやー、これは感心したけど、どうでもいいですか。


2番目に驚いたのは、なんと、キーを差し込まなくてもいいということだ。
キーはポケットにでも入れていればいいのだそうで、
車に近づけば勝手にロックが解除され、
エンジンもそのままかけることができる。

すごいとは思うのだが、なんだか物足りんというか、肩すかしを食ったみたいだ。
一番不安なのは、駐車して車から離れる時だ。
初乗りはスムーズだったが、初降りのとき問題が起きた。

エンジンを切り、車から降り、ドアを閉め、車から離れてみる。
なにも動きがない。
半ドアかと思ってドアを締め直し、キーを持っているちづるに少し離れてもらう。
でもロックはかからない。

なんだかんだでわかったのは、エンジンの始動スイッチを戻した後、
奥に押し込んでも言う一段回さなければいけないのだった。
ちづるが説明しないからいけないのだ。
このせいで、車から離れる時、ロックされたかどうかがやたら気になるようになってしまった。


そもそも、私はあまり機械を信用できない。
ボタン一つでちょうどいい湯量になるはずの風呂が、時々あふれてることがあった。
ビデオのタイマー録画がうまくいかないことがあった。
目覚まし時計が私を目覚めさせないことがあった。
冷蔵庫が自然に止まっていて、冷凍していたものが溶けたことがあった。
パソコン、ケータイ、デジタルカメラなんぞは私の思い通りに動いた試しがない。

こんなことで良い信頼関係が築けるはずがない。
人間同士だって、めったに信頼なんてできないのだ。
それが生物の系統樹にさえ含まれていない機械。
どこをどう信用しろというのか。


では機械の側はどうだろう。
ある意味、人間を信用しきっているような感じを受ける。
だが機械ってやつは、犬のように従順に見えて、猫のようにマイペースなのだ。
動きたくないときは動かない。
ちょっとしたことですねたり不機嫌になったりする。

こうなると従順な部分も嫌味に見えてくる。
明らかに間違っていることを、
「人間さんが指示したんだから」
と、間違ったまま物事を進める。

例えば電子レンジ。
一杯の牛乳を温めるのにうっかり二杯分の設定にしてしまったとして、
中に一杯しか入ってないんだからわかるだろう。
あんなに沸騰させなくてもいいではないか。

たとえばDVD。
録画時間がほんの2~3秒足りないからといって、
「できん!」
ってことはないだろう。
そのぐらいチャチャッとごまかせや。

たとえば、パソコン。
『今日は、草刈りしたから一杯飲みたい』
と打ったのを、わざと、
『今日は、臭かりし宝いっぱい飲みたい』
などと間違う。
考えたらわかるじゃないか。

このように、機械というやつはホントに信用できないやつらなのだ。
だから私はジェットコースターに乗らないのだ。






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なぜだかネットにつながらなくなってしまいました。

なので、ケータイ更新です。

ちづるが懸賞でこんなCD当てました。

♪やぁっぱり~おぉれは~ああ~

何に応募しとるやら。
今日は珍しく県立美術館に行った。
来月の6日で終了する大橋歩展をちづるが見たいと言ったからだ。

大橋歩、
わが三重県出身のイラストレーターで、
長く『平凡パンチ』の表紙を描いていたらしい。
私は名前は知らなかったが、年代順に展示されている絵を見ているうちに、
「ああこの絵の人か」とわかる作品があった。

いろんな雑誌の表紙や挿絵、企業ポスターなども手掛けているので、
見たらわかるという人も多いのではないだろうか。
有名なところでは、宮部みゆきの『模倣犯』の表紙絵。
エッセイなども出版されているようだ。
興味のある人は検索してみてね。


さて、
大橋歩展を楽しんだ後、当然ながら常設展示室も鑑賞する。
まず、古い時代の油絵や水彩画のコーナーだ。
その次は掛け軸や屏風絵。
そして、次のコーナー・・・

さっぱりわからん。

なんというのだろう。
現代アートというやつか。
白と黒の対で、ただの壁みたいなもの。
発泡スチロールを割ったみたいなの。
何かをこぼしたみたいなの。
アートです、といえば何でもアリなのか。

こういうのに限って、やたら大きくて、
タイトルが『沈黙』とか『飛翔』などと小難しいか、
たとえることはできないが、ずいぶん長い横文字で、
『PART2』やら『№432』てな設定がついていたりする。

何かを表現するために究極まで突き詰めていったらこうなった、
というようなことだろうか。
しかし、こんなに理解できなくて意味があるのだろうか。


昔テレビで見た天丼、
あまりにエビ天が大きすぎて、丼から角のように飛び出していた。
お客さんのことを考えて大きくしていったらそうなってしまったのだそうだ。

だがこれはもはや天丼ではない。
てんぷらが丼に収まっていないのだ。
ごはんとのバランスも悪くなってしまっている。

芸術だってそうだ。
究極まで突き詰める前に、ちょうどいい塩梅のときがあったはずだ。
そこで止めておけよ。

名のある芸術家がそういうものをアートだと言ってしまうと、
基礎もへったくれもないシロートがマネをして、
ともかくわけのわからんものを
「アートだ」
と言いだすのだ。

そして何よりも、
今日私が払った入場料に、ソレの分も入っているということを忘れるな。
作りたいやつが作り、買いたいやつが買うのならそれは勝手だ。
しかし、不特定多数が来場する有料の展示場に、
触っちゃいかん、撮影しちゃいかんという立場で置いておくな。
見張りがいなかったらその上に四本毛を描いてやるぞ。






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テレビでニュースや健康番組を見ていると、
空気中にイガイガした何者かがウヨウヨしていて、
健康な人でもなにやら気分が悪くなるような気がする。

手洗いやらうがいやらにいそしみはするのだが、それは事後策。
とはいえマスクはうっとうしいので、花粉の季節までガマンして、
今はのど飴に頼っている。

頼れば頼るほどたくさんのど飴をなめるわけで、
当然同じ味では飽きてしまう。
買うときはなるべくいろんな種類の味が入ったのを選ぶようにしている。

ところが、ひとつの袋に入っている中には、
必ず、これハズレって感じのがある。
つまり、おいしくない奴がいるのだ。

ひょっとしたら、このおいしくない飴を何とかさばくために、
他のおいしい飴とセットにしているのではないかと、
夢と虫歯を売る製菓メーカーを疑ったりしてしまう。


そんな中、三種盛りであるにもかかわらず、
三種ともが飴界のトップリーダー的力量を備えたスーパー飴がある。
それは『明治 チェルシー』だ。

チェルシーは、バター、ヨーグルト、ロイヤルミルクティーの三つの味がある。
これがまた、三つが三つともスペシャルにデリシャスでありゃーす。
この意見には、かのO川も賛成している。

「三つのうちでどれが好き?」
なんて聞かれたら、こいつはとても困ってしまう。
それほどレベルが高く飴力が拮抗しているのだ。
たとえるなら
「ナウシカとラピュタとトトロのどれが好き?」
みたいなものだ。


またこのチェルシーってやつは形がいい。
スーパージェッターの流星号のような、キャプテンウルトラのシュピーゲル号のような、
角のない滑らかで薄っぺらい形をしている。
うっかり口に放り込むとのどの奥までぴゅーってすべっていって、
「んがくく」てな羽目になりかねない。
で、すべっていく時には、舌の上にステキな味のシュプールを描いていくのだ。

今、会社ではあられのカンカンにいろんなのど飴が入れてある。
ほとんどは私が買ったか、配達の連中がもらってきたやつだ。
残りが減ってきて、種類が少なくなると買ってきて足しておく。

だが、チェルシーだけは別格だ。
あの、高貴なチェルシーを無条件でやつらに与えることはできない。
チェルシーが飴カンの中にあったら、みな先を争ってそればかりを食べてしまうだろう。

だから私はチェルシーを買った時は、必要量だけをポケットに忍ばせておく。
そしてこっそりいただく。
その時は見つからないようにすばやく口に入れる。
おかげでぴゅーっとすべっていって「んがくく」となったりする。

O川が私の言いつけを守ったときは一個与える。
なぜなら、
「あ、このひとは今日チェルシーを持っている」
とわからしめておくと、その後の言いつけをへはへはとよく守るのだ。


結論、
「アナタニモ ちぇるしー アゲタイ」
とは、なかなか思わない。





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孫にタバコを隠された上司T。

「見つけたらこんなこと書いてやがった」

だそうです。
三日間、お酒をガマンして、
今日は飲みにいきました。

なので寝ますー


『ウエポン』って、酔っぱらってるみたいだねえ。






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まあだいたい上司と私は「コノヤロー」「ナンヤネン」と言い合いながら仕事をしているのだが、
余裕のあるときはさらに調子に乗って悪ふざけは佳境に入る。

今日も私が悪態をつきながら仕事をしていると、
上司が私を竹べらで突いてきた。
自分は手が空いたかもしれないが、こっちはまだお仕事中だ。
「テメー、ユルサン!」とついてきた右手をはっしとつかみ、
そばにあったカッターナイフでずんばらり。

とは言っても、ホントに切ってしまってはいろいろ書類やハンコが必要になってくる。
ちょいと脅かすためのみねうちじゃ。
カッターの背で、つまり刃と逆の方でずんばらりのまねごとだ。

突然ですが、人間、頭の中はシンプルでいなくてはいけない。
ちょっと私の頭の中は足し算で乱れてた。

『背で』と『逆の方』が足し算されて、
ついうっかり、背の逆の方を上司の腕に当ててしまった。

いつものパターンのつもりの上司、
刃の方が当たったもんだから、
「ひゃあ~、切れとる切れとる」
と大騒ぎ。
ちなみに、やった本人もびっくりだ。

突然ですが、人間、とっさのときにはおかしなことを考えるものだ。
上司の腕を切った私、これはいかんと思った瞬間、
サッとカッターナイフを持ち帰ると、
刃とは逆の背の方で上司の腕をスーッと。

上司は一言、
「やり直してどないすんねん」

幸い使いすぎてナマクラになっていたカッターナイフだったので、
ガマの油レベルの浅い傷ですんだ。
ま、私も上司に煙草の火を当てられたことがあるからアイコってことで。

そこへO川が帰ってきて、さっそく上司は私のことを「犯人犯人」と告げ口する。
ことの詳細を聞いたO川は「おー、ヤッター!」

「ヤッターとはどういうことね」
「なんだコノヤロー」
「ナロー!」
「テメー!」


と、こんな感じの会社です。






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最近、財布とは別に小銭入れを持つことにした。
先日開封した貯金箱から大量に出てきた一円玉を効率的に使うためだ。
この方法は案外うまくいって、かなり減らすことができた。

この小銭入れには、常に30枚ほどの一円玉を入れている。
それとは別に小さなポケットがあるのだが、そこに五百円玉を一枚。
これで、コンビニぐらいの買い物ならOKだ。
支払は五百円玉プラス額に応じた一円玉。
十数円の端数なら一円玉で払ってしまう。

スーパーに行く時は、レジをする前に千円札を必要なだけポケットに入れておく。
金額が出たら、まず小銭入れから出せるだけ出して、あとで千円札を出す。


昨日のスーパーで支払ったのは1852円だった。
五十円玉があったので、2052円払って200円のおつりをもらった。
このときの買い物は、おかずだ。
当然、支払いの責任は家計子さんだ。
私は、家計子さんの代理人であるちづるに支払いを請求する。

レシートを差し出すとき、一緒に148円を添えておく。
もちろん、8円は一円玉だ。
これで千円札二枚を受け取る段取りだ。


ちづるがキレた。

「きいぃぃぃーーー!!!
 私で一円玉を消費しようとするなー!」


そういえば、つい二日前もスーパーに行った。
1214円のうち、なんと14円を一円玉で払い、
レシートに6円を添えて差し出したのだった。

「ちょっと財布をよこせっ!」

検閲だ。
だが、この日は本当にうまいこと小銭が使えて、
五円玉どころか十円玉も五十円玉もない状態だった。

「きいいいいー! がおおおおー!」

だってないんだもの。

「五百円玉があった。
 私の百円玉五枚と交換する!」

 
それは私の小銭大作戦で使う五百円玉だ。
百円玉五枚だと、小銭入れのポケットに入らないではないか。

でも、何も言わなかった。





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『ポメラ』という商品をご存じだろうか。
モニターとキーボードのついた電子メモで、
折りたたむと文庫本サイズになる。
私はこういう、コンパクトになるぞ、というものが大好きだ。

メモ以外の機能はないが、開いたら2秒で起動し、
保存をしなくても、次に開いたときにはその画面が出ている。
単4電池2本で20時間作動し、USBやメモリーカードが使える。
なんだかとってもステキなおもちゃだ。
だけど、これで27300円。

もう少し出せば、今はやりのネットブックパソコンが買える。
これなら、どこででもネットができるのだ。
更新もちょちょいのちょいだ。

でも、ちづるとこの話をしていると、必ずこう言われる。
「いつ、どこでするんや!」
その通り、私はしない!
そもそも持ち歩かない。

じゃあ、やはり、ポメラがいいのか。
でも、ポメラは絵や図を描けない。
文字が打てるだけだ。
しかし、私はキーボードを打つのが苦手だ。

ということは、紙とペンが一番いいのではないか。
思いついたまま、字でも絵でも折り紙でもほぞんできるのだ。
これこそが、一番安く、便利で、使い勝手がいいのだ。

・・・こういう堂々巡りを今まで何度やってきたことだろう。



iPodが欲しい。
あんな薄っぺらい板に、何千曲もの音楽が入ると聞いた。
たぶん、アレひとつに私の好きな曲は全部入ってしまうだろう。
そうなると、部屋の上座を占めているラジカセなんぞは要らなくなるのだ。

実は欲しい機械がある。
壁にかけられるほど薄いCDプレーヤーだ。
大型電器店に行くといつもアレを見て指をくわえている。
なんだかかっこいいなあと思うのだ。

しかし、私が最も音楽を聴くのは車の中。
車の音楽再生機能はMDだ。
コンパクトMDも持っている。
MDの録音ができるラジカセを処分するわけにはいかない。

MDとCDが使えるラジカセがありながら、薄型CDプレーヤーを買うわけにはいかない。
部屋で音楽を聞くときはラジカセだ。
車ではMDだ。
では、外に持っていく用に、iPodを・・・

いや私は聞かない。
私は何かをしながらヘッドホンで音楽を聴くことなどない。
むしろ歌う側だ。
だから、今ある機械が使えなくなってからiPodのことは考えるとしよう。

・・・こういう堂々巡り、いったいいくつあるのだろう。






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ちづるが出勤で私が休みの土曜日。
だけど、朝から大降りでとても畑には行けそうもない。
まあ、今はそんなに草も伸びないし、虫も少ないから焦りはしない。
むしろ、土砂降りの方があきらめがついていいのだ。
明日は晴れるということだし。

で、午前中は少しパソコンをいじって、
録画してあった映画の中で、ちづるが興味のないものを一本消化した。
昼ごはんを食べて、のんびりしていたら、
なんだか空が明るい。
窓から外を見たら、雨はずいぶん前にやんだようだ。

どうせ土はどろどろで作業なんて何もできない。
ただ、ごはんのおかずだけは確保せねば。


長靴にはき替えて畑に入る。
来れば何かと仕事はあるものだ。
アオムシを50ほど取った。

とりあえず今晩と明日の朝のおかずがあればいい。
朝食用のリーフレタスを少々と育ちすぎのチンゲンサイ。
それと大きくなってきたダイコンを試しに一本引いてみた。


やっぱりまだ小さいが、二人で一食分のおかずには十分だ。
冬のダイコンは葉っぱもきれいでいい。
あげと炒めものにしよう。
本体は丸ごとダイコンおろしだ。


先日、実家でジャココンブをもらった。
ちりめんじゃこに削り昆布を混ぜたものだ。
これの食べ方に困っていた。

母は湯で戻してポン酢をかけると言っていたが、
湯が少ないとやわらかく戻らないし、多いとだしが出てしまう。
ごはんにそのまま乗せてもおいしいし、豆腐にも合うのだが、
なんだかしっくりこない。


実は私は分かっていた。
ちょいと固めのちりめんじゃこと、とろみの出るコンブ。
こいつらを上手に丸めこめるのはダイコンおろしだけだということを。
だから、ダイコンの収穫を待っていたのだ。

ダイコンの汁でじゃこはふやけ、全体にコンブのとろみがついた。
ネギと醤油を入れて完璧だ。
そのままのときよりも、はるかにごはんにも酒にもマッチする。


なぜだろう。
自然の状態では決して出会うことのない、海と陸の素材がこんなに合うなんて。
これはもう赤い糸でつながれていたとしか言いようがないだろう。

そして人間。
昔の日本人。
よくぞダイコンをおろしてくれた。
おろし金なんかない時代に、どうしてそんなことをしようと思ったのだろう。
これはもう、やけくそだったとしか言いようがないだろう。
事情はわからないけど。






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百円ショップに置いてある商品には三種類ある。

「ええっ、これが百円でっ!」
「百均にもあるんじゃないの」
「なんやこれ?」

の三種類だ。
また、百円ショップで買った商品にも三種類ある。

「やっぱ百円は百円やな」
「百均ので上等やな」
「こ、これは!」

ちなみに「こ、これは!」と感じたのは、
人生の中でたった二回だ。
そのうちの一つが、耳栓だ。

私は雑音があると本が読めない。
なので、耳栓の愛用者なのだが、
今、一番のお気に入りは百円ショップで買ったモノだ。
粘土のような感触で、細くつぶして耳に入れると、
中で元の大きさにふくらみ、耳の穴にぴったりフィットする。

これは本当に性能が良くて、ちづるの小言が聞こえないふりができるほどだ。
以前使っていたのは、三重のヒダがついている工業用のやつで、
700円もしたのだが、結構音が聞こえてくるのだった。
しかも、装着しにくくて耳が痛くなる。

偉いと思うのは、これを発明した人だ。
高性能で低価格なのはすごい。
つまり、お金を出せばうまいものは食えるということだ。
安くてうまいものを作るのが『ウデ』なのだ。


最近、もうひとつ感動した発明がある。
発明というよりは創意工夫か。
テレビでも宣伝している、ゼリー状の納豆のたれだ。

納豆といえば、百円で三つぐらいついててお釣りがくる。
これも低価格な世界だが、この新製品はありがたい。
今までの納豆の何がやっかいだったって、あとしまつだ。

わずか数十円の納豆をひとパック食べると、
あとには容器のほかにからしとたれの小袋、かぶせてあるフィルムと、
めんどくさいゴミがいっぱいできる。
アレがなくなったのは本当に画期的だと思う。

しかし、感動的なのは別の部分にある。
はじめて新製品の納豆パックを開けたとき、
「ああ、自分は今まで納豆を知らなかったのだ」とため息が出た。

以前の納豆は、まず、上にかぶせてあるフィルムを取らなくてはならなかった。
その時に最初の糸を引くのだ。
それは納豆の崩壊が始まったということなのだ。

フィルムのない納豆の表面はネバついていない。
納豆菌の働きで、大豆の表面にうっすら霜が降りたように見える。
まさに、無垢の納豆だ。

その光景を見たとき、まず思い出した言葉は“静謐”
そして、目に浮かんだのは屋久島の原生林。
地表を地衣類に覆われた手つかずの大自然だ。

皆さんもこの納豆を買ったら、ぜひこの間隔を味わってほしい。
結局、ぐちょぐちょに混ぜて食べるのだが。









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よゆう ないです。
しまったー!
ホットカーペットでうたた寝してしまったー!

あ、なんか、鼻つまっとる。

これは早く寝ねば。
ヴェポラッヴを塗って、ネバネバで寝ねば。

こんな時は一発ネタ更新だ。
えーと、何かいいネタは~
ペラペラペラ。
よし、これにしよう。


 『敵は本能寺にあり』
 を省略しました。

 『敵はほんのり』


おやすみなさいませ。





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社長から始まり、事務所の女子4人がのどが痛いと言っていた。
新人君の妻が体調を崩し、新人君も一日休んだ。
O川が日曜日に寝込んだ。
ちづるも微熱が出たりしていた。

ここ数日、いやな気配を感じている。
昼間は普通なのだが、
夜、鼻やのどが不快で、
朝方には頭が重いような気がする。
唇には、何やらボロができた。

ともかく、風邪をひくのはすごくいやなので、
葛根湯とのど飴とヴィックス・ヴェポラッヴで対抗している。
栄養面も、青汁、豆乳、シジミエキス、トマトジュースなどで補充しているつもりだ。

ハッカ水のスプレーも使っているし、
うがい手洗いは徹底している。


しかし、何よりも一番大事なのは睡眠時間だ。
なので今日も風呂に入って葛根湯飲んで、
ヴェポラッヴ塗ってハッカ水しゅしゅってして、
寝ます。






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みなさんに報告しておかなければならないことがある。
私とちづるの生活において、変化があったということだ。
別に公表するようなことではないと思うのだが、
「あれ? 以前と言っていることが違う」
などと思われるのは心外だ。
だから、とりあえず訂正させていただきたい。


『このたび、ワタクシこみとその妻ちづるは、
 お昼ごはんにおにぎりをやめました』


つい最近まで我が家のお昼ごはんはおにぎりだった。
しかし、例年より暖かいとはいえ、気温はどんどん下がってくる。
温かいものを食べたくなるのも仕方ないではないか。

そこで、おにぎりに毛の生えた程度の弁当を持っていくことにした。

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これはちづるのある日の弁当だ。
ごはんはおにぎりよりちょっと多いぐらい。
そのかわり、バナナをやめたそうだ。

おかずもほんのわずか。
なるべく畑で採れた野菜を使う段取りだ。
いまのところ冷凍食品のお世話にはなっていない。


私の弁当は、ランチジャーだ。
残念ながら、私の会社には電子レンジがないので家からホットを持っていく。
持っていくのはごはん容器だけだ。
これを探すのには苦労した。
ごはん容器だけで保温ができ、容量の少ないものはなかなか売っていなかった。

しかも形は筒型だ。
おかずを入れるのに不向きだ。
そこで私が考えたのは、二層方式だ。

まず、ごはんを半分ぐらい入れる。
そこに、味付け昆布や佃煮を乗せる。
さらにごはんを入れ、ふりかけや漬物をトッピングする。

これにインスタントのみそ汁でOKだ。
脂っ気もほとんどない。
ヘルシーでダイエッティーなお昼と言えるだろう。
少ないようだが、慣れるとこれで結構まかなえてしまうものだ。


ただ、この生活は欲求不満がたまるようだ。
時おり、ガウガウガウと腹にたまるものが食べたくなる。
脂っ気が多く、味が濃く、いかにも体に悪そうな食べ物を体が欲するのだ。

ひょっとして、これが私に残っている“野性”なのだろうか。
怖い。
ちづるの野性が!






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朝晩は冷えるけれども、お日さまの出ている日中はけっこう温かい。
こんな季節は、アオムシ取りの絶好のシーズンだ。
ただし『取る』であって『採る』ではない。
収穫ではなく、駆除なのだ。

朝、畑に行ったら、まずピンセットを持つ。
キャベツとブロッコリーの点検だ。
なにしろやつらの一番の好物だ。
点検はお日さまを背にして行う。

変温動物であるアオムシは、寒い夜が明けると、
体温を上げるために日光の射す表面に出てくる。
それを見つけるのは太陽の方向から見るのが一番だ。

おそらく、擬態にはかなりの自信があるのだろう。
堂々とその姿を現している。
しかし、こちらとて昨日今日のシロートではない。
先日の健康診断でも、視力だけはパーフェクトだったのだ。

アオムシ探しにはアオムシよりも目印になるものがある。
もっと色の濃い“フン”だ。
フンのある所にアオムシあり。
やつらはそれに気づいてないらしい。
あるいは気づいてもどうしようもないか。
人間だって出るモノは出るのだ。

フンのあたりを探すと必ずアオムシがいる。
それをピンセットでひょひょいとつまんで確保する。
キャベツ、ブロッコリーのあとは他のアブラナ科だ。
ダイコン、チンゲンサイ、ミズナ、ハクサイにもやつらがいることがある。
一番の大好物に産み付けられなかった、かわいそうなやつらだ。

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ところで、アオムシの性格には二種類ある。
寒い時、日向ぼっこに出てくるアウトドアタイプと、
毛布にくるまってしまうインドアタイプだ。

厄介なのはインドアタイプだ。
この場合の毛布とは、畑の巻きモノ。
そう、キャベツとハクサイだ。
やつらはこの中に入って、好物に囲まれながらぬくぬくと冬を越そうという算段なのだ。

それを阻止できるのは今の時期だけだ。
すっかり巻いてしまったあとは、中を見ることはできない。
巻きかけの今、徹底的に駆除する必要がある。

一番大きなハクサイの入口にフンを発見した。
巻いている葉の隙間を探すのは厄介だ。
やっとのことで一匹を発見。
かなり肥えている。

しかし、私にはわかる。
もう一匹いるはずだ。
このフンの量、分布、範囲、
なのに見つからない。
もう、奥の方に行ってしまったのか。

あとの作業も控えている。
こればかりに時間を割くことはできない。
そう、きっともう一匹なんていなかったのだ。
あの一匹が大食いで、出すものもたっぷり出したのだ。

私はこうやって自分を納得させた。
このままこの葉が巻いていけば、
このハクサイが料理されるまでやつに会うことはないだろう。

わたしは隣のハクサイの点検に移った。
「グッナイ、アオムシ」
こうつぶやいて。





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こないだの日曜は大学駅伝。
愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮まで、
人が半日ぐらいで走ってくるんだからすごいものだ。

ゴールが近づいてくると、もちろん風景は伊勢。
見慣れた風景がテレビに映る。

でもなんだか、わかりにくい。
魚眼レンズで見ている感じだ。

ということは、テレビで見るよその風景も、
実際とはけっこう違うんだろうなあ。







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また汚してしまった・・・




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寝ている新人くんの横でコッソリ更新してます。

シャッター音にドッキリ。
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雑ですいません。

文字は違うペンの方がいいな。

汚れているし・・・

こんなレベルですが、


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絵描き場、作ってみました。

このスタンド、今日買ったのです。

3980円ですぞ。

1980円のもあったのに、ですぞ。






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20091104123118
新人さんが風邪で休んだので、
休憩室はワシひとり。

だから更新できるわーい。

ところで、今までいっしょにいたけど、
うつってはないかいな。
落語を聞いていて違和感を感じるのはお金の単位だ。
江戸時代の噺の“両”だの“文”だのはまだいいのだが、
明治以降の噺には“円”が出てくる。
ただし、今の“円”とはレートが違う。
一円が大金としてあつかわれている。

時代が進むに従って、金額の単位はどんどん上がっていく。
一昔前の『百万長者』は、今では『億万長者』に出世した。
今や“兆”でさえ耳に新しい単語ではない。


小学校の頃は、そんなことを調べてはヘラヘラ喜んでいた。
兆の次は“ケイ”で“ガイ”で、
最終的にはナユタ、フカシギ、ムリョウタイスウなんてところにたどりつく。
小学生は、こんなことを調べるのが大好きだ。
とはいえ、実生活でこんな単位を実際に使うことはないと思っていた。

ところが、別方面からこんな大きな単位が使われ始めた。
それがメガ、ギガ、テラだ。
パソコンと牛丼のおかげで、これらの言葉はよく耳にするようになった。

逆に小さい単位もたまに聞くことがある。
物理学だのノーベル賞だのがからむニュースでは、
ナノメートルとかピコグラムなんて小さい単位が使われているようだ。


この言いようも小学生の頃にはよく調べたものだ。
たとえば長さだと、基本は『メートル』
その千倍は『キロメートル』で、逆に千分の一は『ミリメートル』となる。

めんどくさいのはこの間だ。
10ミリメートルは1センチメートルでその10倍は『1デシメートル』だ。
10メートルは『1デカメートル』でその十倍は『ヘクトメートル』だ。
つまり『デシリットル』とか『ヘクタール』なんてのはそこから来てるのだ。


イライラするのは、これがきっちり採用されてないことだ。
どうして『1000キログラム』は『1メガグラム』でなくて『1トン』なのか。
なぜ、騒音基準は『6ベル』でなくて『60デシベル』なのか。
なんで、カロリーの話題では『キロ』を言い忘れるのか。
「私のプリンはデカプリン」はどのへんからが『デカ』なのか。

一番気に入らないのは『気圧』だ。
今まで使っていた『ミリバール』をやめて『ヘクトパスカル』になった。
これは言葉は違うが同じなのだそうだ。
つまり、

 1000ミリバール=1000ヘクトパスカル

なのだ。

これは言いかえると、

 1バール=100000パスカル

ということだ。
気圧ってのは、これでいえば1000ぐらいなのだから、
こんなに都合のいい『バール』をどうしてやめたのか。
替えるとして、どうして『キロパスカル』にしなかったのか。

これは私の勝手な推測なのだが、
学問の世界って、絶対に『貧乏症』がかかわっていると思う。






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もっと表情のあるキャラをだしとけばよかった・・・

こんなのですいません。






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