冬、私には手放せないものがある。
リップクリームだ。
何番目かのビタミンが不足しているのか、
放置しているとクチビルがビシバシに割れる。
リップクリームのなかった子供のころは苦労したものだ。
今は目薬とともに常に持ち歩いている。
ケータイや免許証を忘れることがあっても、リップクリームだけは忘れない。
とてもありがたいとは思っているのだが、ひとつだけ不満がある。
最後まで使い切れないことだ。
これだけ文明の進んだ世の中でも、この分野では問題が山積だ。
最後まで使いきれなくてイライラするものがいったいどれだけあることだろう。
マヨネーズ、歯磨き粉はもちろん、
紙パックのお酒は、もうひとしずく残っているような気がするし、
ビン入りのジャムは、肩のところについている分がどうしても取れない。
そんな中でも、リップクリームのもったいなさは際立っている。
使ったとき、クチビルがプラスティックの枠に当たると、
ああ、使い終わったな、と思う。
でも、その先には、まだまだリップクリームが詰まっているのだ。
マヨネーズやジャムと違うのは、残り物感がないことだ。
真正面から見れば、新品と何も変わらない。
表面は美しい平面で、これがカップのアイスクリームだったら、
「今からいただきます」の状態だ。
成分も何も変わらない。
いわば土台、
電柱で言うなら、土に埋まっている部分だ。
これを捨てると言うことは、
カレーパンを食べて、手で持っていた部分を捨てるようなものだ。
そこで私はいったん使い終わったリップクリームを枕元においている。
恥ずかしながら、寝る前にはこれを小指の爪でほじくって塗っている。
誰も見てないし、同じ効能があるのだからいいと思っている。
ところが、小指には限界がある。
なにしろ、先端が丸い上に、普通の人より太い。
何回かほじくるとすくい取り作業はできなくなる。
しかし、リップクリームは残っている。
悩むのはここだ。
つまようじでも使えばもっと深く掘れる。
しかし、半ば廃棄物であるこのリップクリームを取るために、
毎回、新しいつまようじを使うのは余計もったいないのではないか。
だからといって、使ったつまようじをその辺に置いておけば、
埃まみれになるのは目に見えている。
つまようじ再利用のために、容器を用意するのもどうかと思う。
そんなことをすれば、今度はつまようじの捨て時を見失いそうだ。
いまだに結論は出ていない。
なので、寝室の私の小物入れには、
小指でほじくられたリップクリームが4本も入っている。
いったいどうしたらいいのだろう。
今、この文章を読み返してみて、
私は自分のあまりのみみっちさに驚いている。

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