まったく世の中機械だらけだ。
昔なら当たり前に手でしていたことを、
少しでも早く、楽に、きれいにするために、何でも機械化されてきた。
人は、そのことを恥じるように、機械の機械的な部分を隠した。
プラスティックや金属の滑らかな皮膚で覆ったのだ。
そして、世の中はボタンだらけになった。
たとえば、昔は自動車にボタンなんてついてなかった。
ヘッドライトやワイパーはつまみを引っ張ったりまわしたりした。
エアコンなんて、ふたをあけるか閉じるかだった。
クラクションでさえ、ハンドルの内側にあったバーを押したものだ。
それが今では、ドアロックもリモコンのボタンで操作する。
ボタン一つでエンジンがかかる車もあるそうだ。
アルファベットのついたボタンで、
ジャンプしたり、回転のこぎりが出たり、ハトが飛び出したりするという話も聞いた。
世の中のボタン化はとどまることをしらない。
なにからなにまでボタンでしている割には、
今の機械にはボタンが少ない。
見た目がすごくすっきりしている。
何かボタン界に変動があったに違いない。
私の車にはMDが付いている。
メインのボタンを押すとMDとラジオが切り替わる。
でも、どうやったら電源が切れるのかわからなかった。
どちらも聞きたくないときは、ボリュームをゼロにするか、MDの盤をとりだすしかなかった。
それが、ある日説明書を見て判明した。
“長押し”
メインのボタンを長く押していると電源が切れるのだ。
つまり、ひとつのボタンを押しようで複数の使い方をしようというのだ。
これでボタンを減らしていたのか。
これはとんでもない大きな事件だ。
なぜなら、このことによって、
『機械の中にちっちゃい人は入っていない』
ということが証明されたのだから。
誰でも、機械の中で小さな人が働いているということを疑ったことはなかっただろう。
「うちのプリンターの中の人は色を塗るのが早い」とか、
「電子レンジの中の人は何をやっているんだろう」とか、
「この薄っぺらいペンタブレットにどうやって人が入っているのか」とか、
考えなかった人はいまい。
しかし、機械の中に人はいなかった。
もし、人が入っているのだとしたら、どうやって長押しとそうでない押し方の差を見分けるのだ。
『人』という優柔不断な生物が、あんなに素早く的確に判断できるはずがない。
スポーツ中継の審判の様子を見ていたらわかるではないか。
マウスでもそうだ。
今のがダブルクリックだったのか、あるいは普通のクリックを二回したのか。
こんな微妙な判定を、人が瞬時にできるのか。
いや、逆に人だったらわかるはずのこともある。
「そりゃあ、ワシはどんくさいよ。
年取ってからパソコンを始めたから、右手人差し指がうまく動かないよ。
でも、今の状況で二回クリックしたら、ダブルクリック以外ありえへんやないか。
なんでそれをわかってくれへんねん!」
機械ならではの冷酷さである。
ってなことをわめいている間にも機械界はどんどん進化し続けている。
最新のケータイからはボタンが消え、画面を触れることで操作できるらしい。
写真を拡大縮小したり、アドレス帳をめくったり、縦横が入れ替わったりする。
いまさらなんだけど、アレはちょっと『ちっちゃい人』が入ってるっぽい気がする。

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