急に涼しくなった。
朝晩は寒いぐらいだ。
ちづるがこんなことを言い出した。
「そろそろお風呂につかりたい」
我が家では、夏場はシャワーだ。
私は夏でも湯船につかりたい方だった。
しかし、ちづるはシャワー派。
浴槽に湯を張っても、つからないらしい。
そこで言われたのが、
「つかりたかったら自分で風呂を洗え」
風呂というのは洗いにくいものだ。
なにしろくぼんでいる。
洗われるべき位置にない。
洗われたかったら、こっちに出っ張れ、と言いたい。
だからといって、出っ張られると湯が入らない。
世の中、不便なものだ。
結局、ふろを洗うのが嫌で、シャワーで済ませることが増え、
やがてシャワーだけで平気な人間になってしまった。
順応したのだ。
いや、ちづるの策略で、順応させられたのだ。
だが、計算高いちづるにも誤算があった。
やつは寒がり、私は暑がりだ。
季節が冬に近づくにつれ、先に湯船につかりたくなるのはちづるの方だ。
そんなとき、私はこう言う。
「つかりたかったら自分で風呂を洗え」
今日、この暗黙のルールを無視して、私は風呂を洗うことにした。
テレビは特番ばかりで面白くないし、健康診断が近いからいつまでも酒を飲んでいられない。
それに私もお湯につかりたいと思ったのだ。
ほら、あの、温めた方がいい部分というか、患部というか、ケッ点というか、門というか・・・
ともかく私は風呂を洗い始めた。
風呂というのは洗いやすいものだ。
風呂のふたと比べたら。
ウチの風呂のふたは、シャッターみたいなクルクル巻くタイプだ。
これがまた、洗いにくいのなんの。
断面は台形をつないだような形になっていて、くぼみ部分に汚れがたまる。
これを押し開くようにして洗わなければならない。
一枚板のタイプならどんなに洗うのが楽だろう。
しかも風呂は狭い。
浴槽にふたをした状態でないと洗うスペースがない。
向こう側は壁に当たっている。
だから端っこまで洗おうと思ったら、向きを変えなければならない。
そして裏返して、また向きを変えて。
そのくせ、浴槽を洗う段になったらとてもじゃまだ。
洗い場に巻いて立てておいても、びらんびらん開いてくるし、
ちょっと当たるとすぐ倒れるし、
倒れるとやかましいし。
シャワーで洗剤を洗い落としていても、ちゃんと流せてるかわからないし、
隙間からお湯が入って、いつまでもジビジビ漏れてくるし。
やっぱりやり始めなかったらよかった。
これからはこう言おう。
「つかりたかったら風呂のふたを洗え」

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