2008年03月

ここでは、2008年03月 に関する情報を紹介しています。
20080331123218
いやー、すいません。
今夜こそ更新を・・・
と思ったけど、みそか寄席だわ。
う~む、どうなることか。
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きのう、大人買いをした。
安物のウイスキーを一本とおつまみの大袋。
このおつまみ『幹事さん楽珍パック』という名前で、
いろんな種類のおつまみが小袋に入っている。

外袋の透明部分から見えているのは、
さきいか、一口カツ、イカ天、のしいか、ピーナッツ、柿の種・・・
一種類のおつまみでは飽きるので、思い切ってこれにしたのだ。
なんと968円もした。

家に帰ってワクワク開封。
何を食べようかな~
と探ってみても、でてくるのは豆ばかり。
バタピーにフライビーンズ、柿の種、
イカはどこへ行った!
カツは?

袋を逆さまにして全部出したらイカやカツも出てきた。
「・・・これっぽっちか?」
なんと、動物性たんぱく質系おつまみは、
透明窓から見えていたのですべてじゃないか!
先日の靴ヒモに続いて、外袋の透明窓にだまされた。

それにしても思うのは、よくぞこんなに上手に詰め込んだ、ということだ。
見えてる部分に高価なものというのは、商売のセオリーだ。
しかし、手作業にしろ、機械詰めにしろ、
その技術や労力にかけるコストを、なぜ内容の充実に向けられないのだ。

何が『幹事さん楽珍パック』だ!
こんなもの配ったら、幹事さんはクレームの嵐だ。


ところで、ここ数日、企業に対して文句ばっかり言っているが、
一番言いたいことを言っていない。
いつも書こうと思いながら、違うことを書き始めると忘れてしまうのだ。
今日はちゃんと覚えているぞ。
では言うぞ。

カップめんのメーカーに言いたい。
最近のカップめんは、麺も具も進化していて複雑になっている。
中にはいくつもの小袋が入っていて、
これは先に入れろだの、こいつは食べる直前にだの、
ふたの上で温めておけだの、やたらめんどくさい。

作り方は目立たない色で、小さな文字で、わかりにくく表示してある。
それらは別にどうでもいいのだ。
共通するのは、
『沸騰したお湯を線まで入れる』
ということだ。

それは何㏄なのだ?
大体でいいからその量を教えたらどうだ。
足りなかったら困るからいつも余分に沸かすことになるのだ。
必要な量が書いてあれば、それだけ沸かせば済むではないか。

それによってどれだけ余分に水道代、光熱費、
そして貴重な時間が奪われてると思っているのだ。
それこそが客サイドに立って考えていない証拠じゃないか!

これを読んで反省したカップめんメーカーよ。
なんかちょうだい。





↑3分以内にくりっくしてね







テレビでは、いま、クイズ流行、中でも『おばか』がブームだそうだ。
まあ、私もそんな番組を見て、げらげら笑っている。

しかし、ホントのおばかはいったい誰だ?
問題に答えられない彼らか?
そんなくだらないものを見ている視聴者か?
それとも、そんなレベルの製作サイドか?

いーや、本当のおばかは、スポンサーといわれる企業たちだ。
最近の企業コマーシャルのひどさはどうだ。

何がひどいって、あの注釈だ。
たとえば、お笑い系のアイデアCM。
隅っこには、
「実際はこのようにはなりません」
というようなことが小さい文章で表示される。

わかっとるわ!
お笑いに但し書きなんて無粋にもほどがある。


たとえば、デザイン系ビジュアルCM。
隅っこには注釈が、
「これはCM上の演出です」
と現れる。

わかっとるわ!
そんなこと、現実にあるか!

せっかく作った美しい映像に
どうしてこんな当たり前のことをわざわざ描いて傷を作るのか。
それはクレーマーが怖いからだろう。

誰でもわかることに難癖をつけて楽しんだり儲けたりしようとする輩。
そんなレベルの低い方に合わせる必要なはないのだ。

うっかり作り物を信じてしまったとしても、
常識人なら、
「あら、ホントかと思っちゃった」
で済んでしまうことだ。

それを、あげ足を取って、
「コマーシャルみたいにならへんだ」
なんていう奴らに対して、企業は毅然とした態度をとるべきだ。
「そんなこともわかりませんか」
といってやればいいのだ。
我々消費者はアホではないのだ!
そんなヤツ奴らにつき合わされるのは真っ平だ!


ここでひとつおもしろい話を。

私は紙関係の仕事に就いている。
つい先日、偽装でもめた業界だ。
再生紙の含有率を高く公表して売っていたのだ。
つまり、実物が表示より良いものであった、という妙な話だ。

なにしろ役場は贅沢だ。
再生紙を使いたいといいながら、
もっと白いの、もっと滑らかなの、と要求してくる。
再生紙を使う意味がわかっているのか!

メーカーは返品を受け付け始めた。
どんな古い商品でも引き取ると言ってきたのだ。
では、その引き取った紙をどうするのか?
もちろん再生するのだ。

再成立が70%なのに100%だといって売っていたメーカー。
その未使用の再生紙を引き取り、再生してしまえば、
それはすべて100%の再生紙。
このサイクルのどこが『エコ』やねん!
建前だけのエコはもうやめろ!





↑このイラストはハメコミです。






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この昼休み用お絵描きノートも、あと二枚。
一冊描いてしまったなぁ。

これが終わったら、会社の紙を使うことにしよう。
夏に向けて荷物減らしだ。

そうなると、新しいペンセットが欲しくなるなあ。
深夜になり。


もう、寝リ。


カテゴリで前回の『寝る』を調べるのはやめり。


おやすめり。





↑クリり。






仕事中、靴のヒモが切れた。
ヒモといってもゴムひもだ。
脱ぎ履きが楽なようにそういうのを選んだのだ。

それにしたって縁起が悪い。
縁起以上に具合が悪い。
会社帰りにホームセンターに買いに行くとしよう。

夕方定時前、そんな話を会社でしていると、O川がやなことを言った。
「靴ヒモって結構高い。2本買ったら靴が買える」

そんなことはないやろう!
だいたい、2本セットで売っとるやろう。

「い~や、1本ずつ売っとる。しかも高い」

そんなアホなことがあるかいな。
と思いつつ、ホームセンターへ。
久しぶりに来たら、売り場が移動していたのでちょっとうろうろした。
でもすぐに靴売り場を発見。
その片隅に靴ヒモが並べられていた。

黒と白がある。
75、90、120、150センチと長さもいろいろある。
そのすべてが228円だ。

おかしいやないか!
なんで75センチと150センチが同じ値段なのだ!
量が倍やぞ!
どういうこっちゃ!

手にとって見てみる。
くるくると巻かれたヒモの中心に端っこが二つ。
二つ・・・?
ヒモというのは一本に付き、先端が二つある。
先端がひとつだったりすると、ちょっとしたSFだ。

ということは・・・1本売り?
なぜだ!
どうしてだ!
こんなものは左右セットで売らんかい!

まあ、文句を言ってもしょうがないので二つ買って帰った。
家に着くと、ちづるもちょうど帰ったばかり。
「遅かったな」
「靴ヒモを買いに行っていた」

レシートを見た守銭奴のちづるが叫んだ。
「靴ヒモが456円? 高すぎる!」
「それがねえ、1本売りだから二つ買ったのだよ」
「1本売り? そんなことないやろ」
「そんなことあるのだよ」

ちづるが私の買ってきたものの検品を始めた。
「2本はいっとるよ」
「いやいや、先端が二つしかないやろ?」
「先端が四つあるよ」
「なんだとっ!」

くるくる巻いた中心に先端が二つ。
そして、商品名が印刷されていて中身が見えないところに先端が二つ。
何じゃこりゃ!
O川とホームセンターにだまされた!

なんでこんなひどい目にあうのだ。
そうだ、今日は縁起の悪いことがあったのだ。
何があった?
靴のヒモが切れたのだ。
うぎゃー!





↑足元見ずにクリックしてね






いよいよ暖かくなってきた。
衣替えの季節だ。
いや、衣だけではない。
いろんなものが春用に替わる、
モロモロ替えの季節だ。

私の仕事場は寒い。
冬場はTシャツ、トレーナー、ベスト、ジャンパーと重ね着をしている。
さらに毛糸の帽子に手袋だ。

先日、仕事用のジャンパーを薄手の上着に替えた。
手袋はやめ、帽子もニットからキャップになった。
今日からは、中に着ていたベストをやめた。
Tシャツはノースリーブにした。
トレーナーは長袖Tシャツだ。

それでも仕事中には上着を脱いだ。
腕まくりもした。
『暑い』と感じることが増えてきた。


ありがたいことに、アカギレが治ってきた。
これでアカギレ用の薬を持たなくてもいい。
ハンドクリームやテーピングもいらない。
絆創膏も非常用だけでいいだろう。

その代わり、今は花粉症用のマスクを持つようになった。
蚊が現れてきたので、まもなくムヒが必要になるだろう。
さらに暖かくなれば、虫除けスプレーも持たねばならない。


ジム用の着替えはもう短パンでかまわない。
そのうち、Tシャツの替えが余分に要るようになる。
パンツの替えも要るようになる。

職場のインスタントコーヒーもまもなくなくなる。
そうなれば水やお茶を持ってこなくては。
お昼用のインスタントみそ汁ももうすぐ終わりだ。


もう持ち物はすっかり変わってしまった。
ということはどういうことか。
カバンを替えるということだー!

今のカバンはポケットなしの半月型巨大カバンだ。
さっき、押入れからお気に入りのショルダーバッグを出してみた。
このカバンにはポケットがたくさんある。

このポケットには本を入れて、
あれとそれはここに入れて、
またねじ回しも持とうか、
ペットボトルのスペースをあけて・・・

ああ、楽しいなあ、楽しいなあ。






↑心機一転、春用クリックしてね







よく言えば素直、
悪く言えば融通の利かない私。

子供のころ、図工で習ったとおり、
絵というものは画用紙目一杯描かなくちゃいけない、
白いところがあってはいけない、
下書きの鉛筆が見えてちゃいけない、
そう思っていた。

でも、自分で勝手に描く絵は、どんなんでもいいんだね。
色鉛筆と絵の具とクレヨンをごっちゃで使ってもいいんだね。

実は、ずいぶん前にパレットを買った。
ちょっと前にスケッチブックを買った。
つい最近、絵の具を買った。

今日はちづるは出勤で、私だけ休み。
おとついの雨で畑作業は無理。
先週と同じパターンだ。

先週はブロックタワーボールを組み立てた。
何時間も何かに没頭するのは楽しいものだ。
なので、今日は絵に没頭してみた。


先に言い訳。
昔から色を塗るのがヘタだった。
今回も案の定大失敗。

では下書きが上手かというと、これが雑。
我ながら悲しくなった・・・


スケッチブックのサイズがA3なのでスキャナでは読み取れない。
仕方ないので写真を撮ったのだが、これが暗い。
でも、あんまり大きくはっきり載せるとあらが見えてしまうので、
そのままにしておいた。
ヘタな上に見にくくてすいません。
最初の一枚ということでご勘弁を。




↑進歩するかもしれないのでクリックしてね







漢字というのは、書けなくても案外読めるものだ。
人はこの能力をどうやって手に入れているのか。

まずは基礎。
脳が容量も吸収力もある子供のうちにいろんな漢字に出会い、
たくさんの知識のストックを作っておく。

そして応用。
大人になると、その経験から、
「部首が違っても、つくりが同じだと読みも同じ場合が多い」
なんてことがわかり、知らない字でもとりあえずは音読みができる。

しかし、まったく初対面の漢字に出会ったとき、人は途方に暮れる。
成長に従い、そういうことは少なくなっていくのだが、
子供のうちは途方に暮れまくりだ。
出会い、途方に暮れ、吸収していく。
これが、漢字力になるのだ。

ただし、子供の脳はやたら吸収する。
おかしな出会いがあるとおかしな吸収をしてしまう。
そしてそれはいつまでもつきまとう。


『高騰』
これは「こうとう」と読む。
たとえば物価が大幅に上がったとき、
「物価が高騰している」というような使い方をする。

こいつとの出会いは失敗だった。
細かいことは忘れたが『沸騰(ふっとう)』の『騰』だということがわかった。
この『沸騰』がクセモノだった。

『沸騰』という単語は『騰』よりも『沸』の方がイメージが強い。
そりゃそうだ。
お湯は「フツフツ」と沸いているが「トウトウ」とはしていない。
なので私は『高騰』を、ほんの一瞬だが『こうふつ』と考えてしまった。

もちろん、もう大人なんだから、ちゃんと「こうとう」と読んでいる。
でも、頭の中では『高騰』という漢字を見て、
「こうとう」という読み方にたどり着くまでの道中で、
遠くに「こうふつ」という看板がちらりと目の端に入るような気がするのだ。


『老朽化』
これは「ろうきゅうか」だ。
建築物などが古くなっていくことを言う。

確か、この語句との出会いも建築物だったと思う。
これは推測だが、
「この建築物は老朽化のため・・・」
などと書かれた看板だったのかもしれない。

問題は『朽』だ。
これが「くちる」だということは知っていた。
「きゅう」と読めることは知らなかったのだ。

このとき、私の頭の中でとんでもないことが起こった。
「建築物 朽ちる 老朽化」
「建ちく物 くちる 老朽化」
「建ちく物 くちる・・・ろうちくか」

どうしてこんなことが起こったのかはわからない。
でも、そうなってしまったものは仕方がないじゃないか。

しかも、そのときには解答の発表がなかったので、
私はしばらくの間『老朽化』を勝手に「ろうちくか」と読んでいたのだ。

もちろん、大人になった今ではちゃんと「ろうきゅうか」と読んでいる。
たぶん、一度は恥をかいたのだろうが、読めるようにはなったのだ。
ただ、いまだに『老朽化』を見ると、
「ろうちくか」が飛蚊症のように視界から遠ざかっていくのがわかる。


それにしても、漢字というのはたいしたものだ。
読めなくても形でなんとなく意味がわかるのだから。

あ、そうそう、
『意味』って書こうとするとき、一瞬『意見』という字が出てきません?





↑カタカナ読めたらクリックしてね






昨日は地元中小企業団体のボーリング大会だった。
ボーリング・・・なかなかなじみがないスポーツだ。
前回やったのは、去年のこの大会だ。
要するに、年に一度のボーリングだ。

ボーリングってヤツは、どうも腑に落ちないところが多い。
私は高校時代、陸上部だった。
陸上部にはボーリングにおいて納得できないところがある。

それは、全部ストライクだったら満点になってしまうところだ。
つまり、パーフェクトをとってしまえば、それが最高得点なのだ。
陸上競技ではパーフェクトはない。
新記録が出ても、さらにそれを破る記録がでる可能性がある。
最高得点が頭打ちって、妙なスポーツだ。

しかも、そのパーフェクトのレベルが低い。
あの大きくて重い玉で、高々10本のピンを12回倒せばパーフェクトなのだ。
そんな甘い世界が他のどこにあるだろう。

技術って磨いて磨いてすれば、そのぐらいできるのではないか。
たとえば、サーカスのナイフ投げ。
毎回がパーフェクトでなければならない。
うっかり『ガーター』なんてことがあったらえらいことだ。
ボーリングなら笑い事だが、ナイフ投げなら大惨事だ。


『スプリット』という言葉がある。
一投目で二本以上のピンが離れて残ることだ。
これは倒すのが難しい。
なのに、これを倒しても得点には反映されない。

たしかに、残したのも自分のせいだろう。
しかし、だからといって倒しても何もなしってことはないんじゃないか。
それなら『スプリット』だという必要がない。
スプリットの存在意義ってなんなんだ!


さあ、それより何より、一番の不満をぶつけよう。
私がボーリングの何が気に入らないかって、

『いっしょにゲームしている仲間が投げたボールの行方が、
 そいつの後姿で見えないこと』

だ。
ファインプレーなら拍手をしよう、
失投だったら肩を叩いて慰めよう、
こちらはそう思っているのに、
投げ終わった後の妙なポーズで立ち尽くしているそいつに隠れて、
結果がどうなったかわからないのだ。

隣のレーンはよく見える。
なのに、自分のレーンはちゃんと見レーン。
これはいったいどういうこっちゃ。

とはいえ、左右では他人さんがゲームをしている。
右や左にカラダを逃がすわけには行かない。
上に飛び上がるなんてこともできないだろう。
すると答えはひとつしかない。

これはいい案ではないか。
プレーヤーが投げ終わると、床下にすとんと落ちる。
あれだけのシステムが完備されているのだ。
そのぐらいの設備の追加はサービスでしてもらえるだろう。

どうせボールは下から出てくるのだ。
プレーヤーは下に落ちて、
玉といっしょに上がってくればいい。

しかもこのやり方だと、ファウルをした選手は、
あの硬い床板であごをぶつけるという制裁を受ける。
なんと行き届いた計画だろう。


さて、今大会の私の順位だが、
57人中51位というすばらしい記録だった。
なにしろ50を抜いたら1位なのだ。
ああ、オヤジなセリフ・・・

商品はそうめん。
バナナやマグカップやペン立てやせんべいや洗剤やタオルの人たちには、
たいそううらやましがられたのであった。





↑ここで一発くりっくしてね







20080319123141
最近、家でも会社でも、
「なにブツブツ言うとる」
と言われる。
今、独り言のピークなのだ。

先週が区の大総会で、
再来週が初総会。
ドブ掃除と念仏行事のことで、キィー!ってなってます。
20080318123106
今日も花粉がひどいのか、朝からたくさんくしゃみが出た。
なのでハナをかんだら、
ティッシュからあふれたうえに、
パジャマのえりをはさんでた。
本日、第三土曜日。
ちづるは出勤だが私は休み。
天気は花粉まみれの上天気。
昨夜はどっぷり降ったから畑仕事は無理。
さぁて、今日は何しよう。

ちづるが家を出てから、洗濯物を干して着替え。
昨夜サボったから午前中にブログを書いた。(きのうのやつね)
書き終わったらもうお昼前だ。
ひえ~。

生ゴミを畑に捨てに行って、
ホームセンターへ買い物に行って、
コンビニでお昼を買って、
自宅でテレビを見ながら昼食。

ちょっと休んでから、CDの整理をした。
前からやりたいと思っていたのだ。
やりたいと思っていたことができる休日っていい。
ちづるも休みだと、つい出かけてしまったりする。
だから、こんな日はこんな日しかできないことをするのだ。

こんな日しかできないこと。
それは、これだ!

s-P1000254.jpg


以前に書いたことがあるので、覚えてくれている人もいるだろう。
『ブロックタワーボール』だ。
管と溝を基本に、羽や階段やじょうごといったパーツを組みあわせ、
上からビー玉を転がすという、心奪われるおもちゃだ。

『セリア』という百円均一のチェーン店で売っているのだが、
A~Eという5種類のセットのうち、DとEがなかなか見つからず、
インターネットで検索して、三重県中の『セリア』を制覇して、
ついに全パーツをそろえたのだ。
セリアはなんかくれ。

しかし、こうなると量が多すぎてなかなか組み立てる時間がない。
結局コンテナにしまいっぱなしになっていた。
今日こそが、このブロックタワーボールを組み立てるに相応しい日だ!



そして、完成したのがこれ。






s-P1000307.jpg


組み立てるのにおよそ4時間かかった。
いいのだ。
人間、たまには無意味なことに時間を費やすことも必要なのだ。
蔑みの目で見られてもかまわない。
このてっぺんから玉を転がす喜び。
至福、恍惚・・・

シロートにはわかるまい。




↑ころころしたり、くりっくしてね







あなたの身の回りにこんな人はいませんか。

初めての場所に行って、
「ここ、なんかイヤ」

誰もいない空間に向かって、
「助けてあげられないの」

いっしょに歩いていると突然振り返って、
「ついてこないで!」

こういう怖い人はほったらかしにしよう。


最初から何もないのに何かを感じるというのは怖いことだ。
しかし、そういう能力がない人でも、似たようなことが起こる。
最初何かの体験があって、それが終わっても着いてくるような感じ。

たとえば、救急車とすれ違ったあと、
いつまでも遠くにサイレンの音が聞こえているような気がしたり、
地震のあと、なんでもないときに揺れているように感じたり。
そういう経験はないだろうか。

あの女の人は行ってしまったのに、いい香りが残ったり。
きのう食べたはずのニンニクの匂いを今日感じたり。
おっさんが過ぎたことをいつまでもくどくど言っているような気がしたり。


最近、そういう現象の新バージョンに悩まされている。
その元凶はケータイだ。
あのバイブ機能の感触が突然よみがえるのだ。

私は服装によってケータイを持つ場所が違う。
なのでそのときにより、胸だったりわき腹だったりふとももだったりで、
「ヴーン」と振動しているような錯覚が起きる。
もちろん、実際のケータイのバイブと比べるとかすかなものなのだが、
そのつど、ハッとしてしまう。


こういうことがちょくちょくあると、
実際に何かが振動しているのではないかと考えてしまう。
つまり、私はアンドロイドなのではないかと。

そういえば、思い当たる節がないでもない。
どうも下半身のバネが弱ってきているようなのだ。
ヒザの稼動部分も油が切れている気がする。
保存したはずの記憶が消えてたりするし、
消化、分解の機能も衰えている。
何よりも、起動に時間がかかるし反応が重くて・・・


妄想であるにもかかわらず、
最新機能を搭載していないワシ・・・





↑オネガイダカラくりっくシテネ






わーいわーい。
当たった当たった~。
なんだかよくわからんけど、銀行の懸賞に当たった~、
って、ちづるが言っていた。

とはいえ名義は私。
ということは手柄は私。
なんにせよ、ただでなんかもらえるのだ。
夫婦で手を取り合ってうれしい合戦だ。

送られてきたのはカタログ。
最近流行の「この中から選びおろう」ってやつだ。
こんなの誰かの結婚式の引き出物以来だ。
いや、葬式だったかな。

ともあれ、このカタログほどうれしいものはない。
お金は払わなくていい上に、
掲載されているすべての商品が、この手に入る可能性があるのだ。

この懸賞の趣旨であろう、カタログに載っているのは食べ物ばかりだ。
OK、私は食べ物が大好きだ。
そしてこの中から、マイベストオブ食べ物を選ぶのだ。

まず、果物、漬物、干物の三物は却下だ。
お菓子やアイスクリームなどの甘モノもいやだ。
カレーやお茶漬けのようなレトルト、インスタント系もないな。
米もダメ、はんぺんはありえない、ジュースは許せん。
やはり、肉一族か海鮮グループだろう。

ちづるが重要なことに気づいた。
海鮮グループに『明太子』がないのだ。
常に我が家では海鮮グループ筆頭に上げられる明太子・・・
ええい、こうなったら肉だ肉だ!
それも、ハムベーコン系でなく生肉だ!
そこまで決定して、最終判断はちづるにゆだねた。


ちづるは会社にカタログを持っていき、思案を重ねていた。
すると、ちづるの上司も同じ懸賞が当たったというではないか。
そこで、二人で何を選ぶかで話が盛り上がったそうだ。

「わしは『イベリコ豚』にしようと思う」
「え、そんなんあったっけ?」
ちづるは焦った。
ない!
ウチのカタログには『イベリコ豚』がない!

どうやらこの懸賞、当たりにはランクがあるらしい。
上司が1等ならウチは2等。
上司が2等ならウチは3等。
いや、ひょっとしたら、もっと差は開いているのかも。
ただ、はっきりしているのは、決して追いつくことはないということだ。

その差を思い知らしめる商品があった。
沖縄しま豚ロース肉。
ウチのカタログでは5枚なのに、上司のカタログでは10枚だ。

はっきり倍。
見方を変えたら、ウチは半分。
うあ・・・


ちづる「そんなこと、知りたくなかった・・・」

上 司「当たらなかった人もいるんだから・・・」





↑半分以上クリックしてね







お絵かきをしている皆さんにお尋ねしたいことがある。
絵を描いているとき、描いている絵と同じ表情になりませんか?

私は、絵と同じ表情をしてしまう。
喜怒哀楽よりももっと細かい分類でだ。

たとえば、
相手を見下してほくそえむとか、
昔を思い出して涙ぐむとか、
「ははぁ~ん、こいつが犯人なのにとぼけてやがるな」とか、
いわば、一人芝居をしているようなものだ。

以前、ちらりと私の部屋をのぞいたちづるに、
「なに変な顔しとる」
と言われたことがある。
自分では、ずっと男前のつもりなのだが。

人に言われたり、自分でふと気づくとけったいな顔をしている。
一度は、大魔神が怒ったような顔を描いているとき、
自分の顔がその表情に疲れて、そんな顔をしていたと気づいたことがある。
昔の絵を見ていると、どんな顔でこれを描いたんだろう、
と気恥ずかしい気分になる。

よし、この気恥ずかしくなっている姿を今日のイラストにしよう、
と思って、気恥ずかしくなっている顔を描くとしたら、
きっと、気恥ずかしい顔で描くのだろうなあ。



さて、それで思ったのだが、着ぐるみの中の人はどんな顔でいるのだろう?

着ぐるみといえば、表情は一定で動かない。
それを体の動きだけで表現するのだ。
中ではどんな顔をしているのか見てみたい。
やはり芝居にあわせた表情なのだろうか。

たとえばガチャピンは、陽気でテンションの高い声とは裏腹に、
陰気で不景気そうな表情をしている。
中の人は、やっぱり声にあわせた表情なのだろうか。
いや、中の人なんかいないのだが。

ムックはあごが動く。
あれは中の人のあごと連動しているのだろうか。
だとしたら、中の人もムックと同じ常にビックリ顔なのだろうか。
いや、中の人なんかいないのだが。

キティちゃんはどうだろう。
なにしろサンリオが誇る、世界一の無表情キャラだ。
初めてサンリオショーで踊っているキティちゃんを見たときはビックリした。
とてもそんな人柄じゃないと思っていたのだ。

無表情で踊り、手を振り、はしゃぐキティちゃん。
子供相手のショーにおいて、表の顔が無表情で、
外に見えない裏の顔が笑顔だったとしたら、まさに本末転倒だ。
ま、中の人も無表情だったら、もっと怖いけど。
あ、いや、中の人なんかいないのだが。


え~と、ディズニーのキャラに触れないのは、
私のささやかな良心です。





↑指差さないでくりっくしてね






20080312124557
ゆうべは久しぶりに飲みにいきました。
熱燗じゃなくて冷やでうふふ~。
家に帰って、またうふふ~。
なので寝てしまったのよ。

夜中には暑くて目が覚めました。
なので、今は眠くて・・・

あー、目かゆい。
3月も半ば、まもなくホワイトデーだ。
バレンタインデーをチョコレート業界が当ててしまったため、
ホワイトデーはいろんな業界が奪い合いの状態だ。

おかげで男子は困っている。
クッキーだのキャンデーだのマシュマロだのケーキだの、
どうしたらいいんだか途方にくれている。
いっそ『肉』だとか『寿司』だとかに決まってくれるとありがたいのだが。

私はホワイトチョコに一票入れたい。
「チョコ業界の一人勝ちにする気か!」
とお叱りを受けそうだが、
これが一番ふさわしいのではないか。

第一に、チョコはチョコで返すのが礼儀だろう。
男子はこぶしはこぶしで返すものなのだ。
私にそんな気はないが。

第二に、これは私の推測だが、
女子はチョコが一番好きなんじゃないか?
バレンタインがチョコに決まったのも、
女子の意向が色濃く反映されているんだと思うのだが。

そして、何よりも重要なのは『ホワイト』なところだ。
『ホワイトデー』という名称は決まっているようだし。
無垢な感じがするからなあ。



先日、スーパーでえらいものを見つけてしまった。
『不二家ミルキー ココア味』
箱もココアっぽい色使いをしてある。

でも、ミルキーって『ホワイト』のイメージが強すぎる。
おかげで、このココア味のデザイン、
誰がどう見ても『悪のペコちゃん』だ。


もうひとつ、
『雪見大福チョコ味』

これも『悪の雪見大福』だ。
いや、大福に善も悪もない。
というか、黒かったら雪でも大福でもないじゃないか。
強いて名づけるならば、
『都会の雪見おはぎ』


やはり白いものは白のままでおいといてもらいたい。
『イカスミカルピス』とか、
『昆布甘酒』とか、
『うな肝うどん』なんて、絶対やめてもらいたい。

もちろん、ホワイトデーだからといって、
黒いものを白くされるのもお断りだ。
『お好み焼きホワイトソース』とか、
『海苔のミルク佃煮』とか、
『ホワイトコーヒー牛乳』とか・・・





↑苦労をしろと、クリックしてね






誰かのエッセイで読んだのだけど、
お酒のトックリは注ぎ口のないほうがいいそうだ。
つまり『ここ』という決まりのない注ぎ口、
どこからでも注げるトックリのことだ。

なにがいいのかというと、注ぐときの緊張感が違うのだとか。
注ぎ口があると、そこをお猪口に向けて傾ければ酒が上手に注げる。
しかし、どこから注いでもOKのトックリは、
酒の表面張力や酒が出始める角度など、緊張感がたっぷりだ。
この話、なるほどなあ、と読んだ記憶がある。


でも、本当に緊張感が必要なのは、当然料理を作る側のはずだ。
料理人にとって最高の緊張感、
それは、厨房がお客から見えていることだろう。

私は料理を待っている間、あまり雑誌を読んだりテレビを見たりしない。
厨房が見えているお店なら、ずっと料理を見ている。
そして、厨房が見えるお店はとりあえず尊敬している。

ずいぶん昔の話だが、とある中華料理店で昼食を摂ったときだ。
店主が中華なべに放り込むはずだった豚肉を少しこぼした。
彼はそれを捨てて、私の中華飯が出来上がった。
私に出された中華飯は、規定より豚肉の少ない中華飯だ。
でもいい。
許す。
それはこちらの運が悪かったのだ。

さらにもっと昔。
とある居酒屋で『うなぎの肝焼き』を注文した。
周りの注文状況は耳に入っている。
あの肝焼きは私のだ。

その肝のひとつを店主が網から落としてしまった。
彼はそれを捨てて、私の『うなぎの肝焼き』は出来上がった。
その『うなぎの肝焼き』は、規定より一個少ない。
これは中華飯よりきびしい話だ。
なぜなら、出てきた肝焼きは、全部で七個。
八分の一が、消えて失せたことになる。

でもいい。
それは許す。
なぜなら、それを私が知ったのは、厨房が公開されているという、
料理人の勇気の上に成り立っていることだからだ。
しくしくしく・・・


もし、これが厨房の見えていない店だったらどうだろう。
豚肉やうなぎの肝が減ったのを気づかないで済むだけだろうか。
それとも、量は減らないで・・・

特におそろしいのは、回転寿司だ。
回転寿司は環状線になっている。
この環状線の内側にいる職人さんがすべてをまかなっている店はいい。
でも、環状線の一部分が地下鉄のように見えなくなっているお店がある。
別室から小さな暖簾をくぐって寿司が出てくるシステムの店だ。

別室の厨房で寿司が作られ、コンベアにのってどんどん出てくる。
これは、工業的ではあるけれど、未来的でもあり、
安さの秘密なんだな、と考えることができる。

しかし、先ほども言ったとおり、このコンベアは環状線だ。
小さな暖簾をくぐって出てきた寿司の内、
お客さんに選ばれなかった寿司は、再び暖簾をくぐって別室に戻っていく。
これがこわい。
戻っていった寿司にはいったい何が施されているのか。
誰も見ることがないあの部屋は、いったい何室なのか。

ああこわいこわい。
でも寿司食いたい。
寿司食えるなら気にしない。




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仕事を終えて、定時を待つまでのまったりタイム、
O川が「今月の小遣い、あといくら残っている」
という話題を提出したおかげで気がついた。
財布に残ってるはずの5000円札が見当たらない。
そうだ、この間の床屋代をちづるにもらってないじゃないか。

もちろん、我が家のルールでは、床屋代は家計の支払いだ。
もし小遣いから払うのだったら、ひげも眉毛も四本毛も、
1mmたりとも切るものか。

危ない危ない。
うっかりヤツの術中にはまるところだった。
ヤツは
『握力ないけど、命綱は離しても小銭は決して離さない』
というタイプの守銭奴なのだ。

家に帰って、床屋代3000円を請求した。
ちづるは「ちっ」と舌打ちをして、
「こないだのみそか寄席代の不足分20円を請求したかったんだけど、
 これがあったから請求できずにいたのに」
と歯軋りをした。

ちっ、あの20円は忘れてると思ったのに。
仕方ないので、3000円もらって、20円払った。


このように、ちづるとの駆け引きは、日々熾烈を極めている。


どこかへお出かけしたとき、昼食に何を食べるかで、
家計へのダメージが違ってくる。
そのときのちづるの感情は目の色を見ているとよくわかる。

たとえば、牛問屋へはいったとしよう。
私がみそ汁でなく、トン汁のセットを注文したとき、
ちづるは、おとつい死んだサバのような目で私を睨む。
「大盛りで」と聞いたとたん、チタン製の般若の面の目に変わる。
そして、温玉をトッピングすると、
寝不足の死神の目で私を威嚇するのだ。


だから、私も自分のスキは見せないように心がけている。
連休前だからと酒を飲みすぎ、二日酔い気味だったとしよう。
でも、そんなそぶりを見せてはいけない。

もし、私が二日酔いだと感づかれたら、
今晩は酒飲むな!
今週は禁酒しろ!
今月は酒買わん!
と、ひとりシュプレヒコールがやかましい。

なので、少々の二日酔いはなんでもないフリをして、
休日の朝の定番、トーストをいやいや食べるのだ。
少々胸焼けがしようが吐き気がしようが、平穏を装う。
これも、駆け引きの一場面なのだ。


このように緊迫感あふれる二人暮らし。
中でも一番緊迫するのは、私がちづるのネタをブログに書いたときだ。
そのときのちづるの目。
その冷たさを表現する術を私は持たない。






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実は、今とても忙しくて・・・


今日、寝たのとは関係ないけどね。




↑すびばせん






20080306125048
伊勢神宮外宮のまがたま池にきました。
何をしに?
たぶん、花粉を浴びに。
どうやら私は健康だ。
毎朝、快食快便、プラスアルファ。
期待に胸を膨らませるのでなく、
気体で腹を膨らませている。

私はどちらかというと、あまり噛まずに丸呑みする方だ。
それがいけないのだとちづるは言う。
いっしょに空気も飲み込むのだと。
それがめぐりめぐって・・・

リズムがちゃんとできているらしく、よく出る時間が決まっている。
だいたい、午後の3時ぐらいがピークだ。
きっちり測定したら、少しからだがしぼんでいるんじゃないか、
と思うぐらい出る。

これにうるさいのが上司Tだ。
それを聞きつけると、必ずドツキに来る。
しかもたちの悪いことに、フェイントをかけてくるのだ。
つまり、聞こえてないフリをして、私に近づき、
間合いを詰めてから「がるるっ!」と襲い掛かるのだ。

このフェイントが私には辛い。
ホントに聞こえてないのか、フェイントなのかが判断できないのだ。

なぜなら、音は後ろに出るが、私の耳は前を向いている。
これは人類の進化がその音を聞くことを必要としなかったからだ。
なのに上司はその音を聞きつける。
その音をごまかすためにフォークリフトを動かして、
「ウィーン」という音にまぎれさせたつもりでも、
周波数の違いか、きっちり聞かれていたりする。

ひょっとすると、犬笛のように人には聞こえない音を上司の耳は拾っているのか?
なんといやな耳だろう。
本人にとっても。

なので私はなるべく上司の方を見て、する。
そうすると、音が反対方向に行くはずだからだ。
方向はそれでいいが、もうひとつ問題がある。
距離だ。

案外近くても周りの音にまぎれてしまうことはあるのだが、
もし聞こえた場合、すぐに手が届いてしまうのだ。

さらに、近すぎると音以外の要素でばれる恐れがある。
その場合、タイムラグがあるため、上司の意思に関係なくフェイントとなる。
私が「しめしめ」と安心したころ、突然「こらー!」と、どつかれる。
しかも普通よりきつくどつかれる。
まったく、困ったものだ。



え~と、こんな話ですいません。





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『形あるものは、いつか壊れる』

とはよく言われる格言だ。
実は、その前段階がある。
というか、私が数多い自分の経験から発見した。

『形あるものは、まず接触が悪くなる』

電気ってヤツは厄介なもので、
ちらっとでも触れるとドババっと流れ、
紙一枚分でも離れるとプッツリと途切れる。
そのくせ、ときどき離れた空間を飛んだりもする。

この、ドババとプッツリがどっちつかずのとき、
世間では『接触が悪い』というのだ。


私が昼休みをすごす休憩室には、電気ポットが置いてある。
昼休みにはすでにお湯が沸いていて、保温状態になっている。
このときの温度は、90度だと表示されている。

お茶やインスタントのみそ汁なら十分だ。
しかし、カップめんを作るときは、100度でいてほしい。
そこで『再沸騰』というボタンを押す。
このとき、なぜか毎回電源が切れてしまうのだ。
数秒で電源は復帰するのだが、再沸騰するには何回かトライしなければならない。

「これは接触が悪いのだな」
と思った私は、ポットとコンセントとの接続部を調べてみた。
このポットは、コンセントと一体型ではなく、
ポットの方も差込みになっている。
抜いてみると、どうやら磁力で引っ付いているようだ。

試しにその差込み部を触りながら、再沸騰ボタンを押してみた。
あ、差込みが少し動く。
これが動かなければ再沸騰になるのだな。
そう思って、差込みを押さえながら再沸騰していた。

しかし、何回かそうしていると、差込みを押さえていても切れてしまうようになった。
なので、おさえる力具合をかえてみたり、角度を探したりしていたが、
そのうち、電源を復旧させるにも手間取るようになってきた。
なんと言うか、これは不愉快だ。
腹は減っていて、目の前には弁当が広げられている。
でも、弁当に手をつける前に、カップめんのお湯を入れておきたい。

そこで、休憩室に入ると、まずその作業をするようになった。
差込みはポットの後ろ側だ。
右手をポットの後ろに回し、差込みが動かないように手を添える。
その状態のまま、再沸騰ボタンを押す。
社交ダンスか!

この対処法が悪かったのか、日に日に再沸騰が難しくなってきた。
ある日、ポットの腰に手を回す体勢がしんどくて、
『もう!』って気になって、普通に再沸騰ボタンを押すと、
普通に再沸騰が始まった。

これが接触ってやつの腹の立つところだ。
むかっ腹が立って、乱暴にカップめんの用意をしていたら、
うっかり熱湯に接触してしまった。
うぎゃー!




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まったく、世の中の科学とか文明といったものは、
まるで畑の雑草のようだ。
私のやることに関係なく、いつの間にか勝手に成長している。
その速さに私はビックリさせられるばかりだ。

先日、ちょっとした買い物がしたくて、
会社帰りに車で20分ほどのところにあるホームセンターへ買い物に行った。
平日の夕方に行くのは初めてで、さすが休日のような混雑はなかった。

ところが、買うものを持って、いざレジに向かうと結構な行列だ。
お客が少ない分、稼動しているレジも少ないのだ。
さて、並ぶのが大嫌いな私、
人が少ないのをいいことに、ちょっとしたチャレンジをした。
いやいや、万引きじゃないよ。

わたしが向かったのは『無人レジ』
専用の機械が6台ほど並び、自分で清算をしなければならない。
ガソリンスタンドが軒並みセルフになっているが、
スーパーやホームセンターにもその波は押し寄せてきたのか。
都会ではこういうのは当たり前なのだろうか。

さて、普通のレジは並んでいるのに、無人レジには誰もいない。
田舎にチャレンジャーは少ない。
幸い今日の買い物は、同じものが六個だ。
私が先陣を切ってやるぜ。

昔はレジといえばガチャガチャチーンだった。
それがレーザーガンみたいなのでピッとやるようになって、
そのうちレジのガラス窓の上を通っただけでプポッってなるようになった。
お釣りも、店員さんが数えるのではなく、自販機みたいに勝手に出てくる。
しかし、まさかこの作業を自分でやるようになろうとは。


そういえば、先日カラオケに行ったときも、この進歩ってヤツにやられた。
部屋に入って見渡しても、リモコンがない。
店員さんを呼んでたずねたら、モニター横にあったガラス板みたいなものを教えられた。
カラオケ機本体の一部だと思っていたら、なんとタッチパネル。
付属の棒で画面に触れたら50音が現れた。

曲名でも歌手名でもOK。
全部打ち込まなくても、途中で検索ができる。
なんだか未来みたいだ。

思えば、昔はカラオケといえば8トラだった。
歌詞カードは自分で探したものだ。
それがレーザーディスクになり、有線カラオケになり、
マイク型の機械で、自宅やアウトドアでもできるようになった。
進歩だなあ。


しかし、進歩はいいことばかりではない。
最近のカラオケは曲数がやたら多い。
新曲もすぐに登場する。
聞いたところによると、最近のカラオケは絶対音感を持った人が曲を聴き、
すぐにコンピューターで音を作ってしまうのだそうだ。

曲目が多い、新曲の登場が早いってのは大歓迎だ。
でも、音が悪いんじゃないか?
実際の演奏と比べると、迫力がないというか、平べったいというか・・・
私は音にうるさい方ではないが、間奏のギターソロなんか味気ないと思う。
もっともっと進歩したら、コンピューターの音楽にも魂が入るのだろうか。

これもコストダウンなのだろうが、
あの得体の知れない映像はいらないから、もっと音の質を上げてもらいたい。
でないと、なんだかノリノリになれないのだ。


ホームセンターで無人のレジを終え、帰路に着いた。
レジは問題もなく使えたが、お金を払いレシートをもらったあと、
きっかけがなくて、もうレジを離れてもいいのかな、と迷っていたら、
使用方法の説明文が出る窓に『ありがとうございました』と出ていた。
本当にありがたいと思っているのかい、機械君。


通勤のように信号もなく、休日のように助手席にちづるのいない帰り道、
好きな歌をガンガン鳴らして、号歌しながら車を走らせた。
もっちろん、家に着くまでノリノリさ!





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昨日は四年に一度の2月29日。
うるう年でも月末は月末だ。
毎月恒例、みそか寄席に行ってきた。

この一月二月三月は、みそか寄席200回記念公演ということで、
毎月なんらかのイベントがある。
先月は順レギュラー大集合の余興大会。
今月は打って変わって、浪曲大会だった。


構成は、まずは前座の落語。
二番手に春日恵子さんという若い女性の浪曲。
次に主催の桂文我さんの落語で、
トリはベテラン、京山幸枝若さんのいぶし銀の浪花節だ。

この会は2部構成で、7時の部と9時半の部に分かれていて、
私はいつも遅い方の部なのだが、
今回は9時半になっても7時の部が終わらない。
「おはよう浪曲」という関西ローカル番組の公開録音も兼ねていて、
予想外の大盛り上がりなのだ。
結局、9時半の部が終わったのは、日が変わって0時20分だった。


浪曲というとオヤジ系のイメージが強そうだが、
これがなかなか、私たちが見ていてもおもしろいものだった。
オヤジだからかな・・・

若手女流、春日恵子さんは、源平物の外伝を大熱演。
京山幸枝若さんは、左甚五郎と狩野派宗家の登場する、
痛快無比の演目で、大爆笑を奪っていった。


さて、ここでひとつ意外な話。

この春日恵子さん。
知らない人は知らないけれど、知ってる人は知っている。
数年前、一世を風靡したテレビ番組『進め!電波少年』で、
坂本ちゃんというお笑い芸人を大学に降格させるという企画で、
家庭教師役をしていた「恵子先生」その人なのだ。

「そんなん知らんわい」
という人もまあ聞いてくださいな。

この恵子先生、そんな企画に採用されるぐらいだから、
学歴は最高、東大卒で、もちろん若くて美人だった。
人気番組にレギュラー出演していて、人気もあったのだからタレントでもいけただろう。
これだけの学歴なら他の仕事にも就けただろう。
なのに選んだのは浪曲の道。

はっきり言って、いまや斜陽の業界だ。
売れたとしても狭い範囲。
そんなに儲かるとも思えない。

ベテラン幸枝若さんと比べたら、私たち素人の目から見ても、
まだまだだな、と思えてしまう。
だけど、ものすごく楽しそうなのだ。

私はうらやましい。
恵子先生は、自分が本当にやりたいことを見つけ、
その世界への道を歩きはじめた。
この幸運、勇気、行動力。

損得抜きで自分のやりたいことをやっている人に出会うと、
自分はなんてうすらぼんやり生きているんだろうかと反省してしまう。
いっそ、一生を賭けてうすらぼんやりしてみようか。





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