2008年02月

ここでは、2008年02月 に関する情報を紹介しています。
数ヶ月前に、通勤路にお店ができた。
ちょっと奥まっているので、お店の中は見えないが、
歩道沿いに立て看板が出ていた。

この看板が小さくて目立たない。
私は目がいいので車からでもちゃんと見えるが、
残念なことに読めない。
ロゴが筆記体なのだ。


私は常日頃から、看板はわかりやすくなくてはならないと思っている。
わかりにくい看板を掲げている店は、
自己満足が優先で、客観的な目線が欠けているのだ。
そんな店にお客さんを満足させることができるのか。


まず、店名は店名らしくなくてはならない。
『いんさつや』という名前の印刷屋。
『さかなやさん』という魚屋。
『町のでんきやさん』という電気屋。
こういうのは会話で困るのだ。

「あのさかなやさんの角を曲がって・・・」
「さかなやさんって、どこの魚屋さんやねん」
「あの、ほれ、さかなやさんっていう魚屋さんさ」
「ああ、あのさかなやさんっていう魚屋さんか」
と、これだけ余分に会話が長くなる。

同じような理由で、
『おっちゃんの店』
『あ~い~ね』
『雨のち晴れ』
なんていう店もめんどくさい。


店名が普通でも読めなくては意味がない。
最初にあげた筆記体の店もそうだが、
崩しすぎた字の看板にはうんざりする。

以前、出張で毎月通っていた道沿いに、困った看板があった。
筆で書いたような崩した文字で、字の大きさも配置もでたらめ。
しかも、どうやら店名は方言らしく、なんて書いてあるのかさっぱりわからない。

オーナーは、
「味がある」
なんて思っているのかもしれないが、見る側からしたらアラビア語と変わりない。
ついに店の名も判明しないまま閉店してしまった。
私はあの看板のせいだと思っている。


そして私の苦手な外国語の看板。
先日、お出かけ中に大きな看板を見つけた。
『ボンジャー』だか『ボンジョー』だか書いてある。
あまり気にもせず、2キロも走っただろうか。
突然、答えがポンと出てきた。
「うわぁっ、そうか。さっきのは『ボンジュール』か!」

時間がたちすぎていて、もはやちづるには『さっきの』では通じなくなっていた。
まさかフランス語が出現しようとは。
ここは日本だ!
外来語はカタカナで書けー!

何でもありにしていたら、そのうちアラビア語の看板とか現れるぞ。
字だか柄だかわからないぞ。
で、オーナーのアラビア人にたずねて、
「アー、あれは日本語で『おっちゃんの店』という意味デス」
なんて言われたら腹が立つぞ。

「アー、あれはアラビアの方言で『オッチャンノミセ』と発音シマス」
なんて言われたらもっと腹が立つぞ。

「アー、あれはフランス語で『ボンジュール』という意味デス」
なんて言われたらもっともっと腹が立つぞ。
それでもいいのか日本人。





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字も小さいのは心の表れ。






そういえば、実家が初めて買ったビデオは『ベータ』だったなあ。
結婚したときには『レーザーディスク』買ってしまったなあ。
カセットの時代は終わったと『MD』でそろえてしまったなあ。
デジタルカメラは『コンパクトフラッシュ』選んじゃったなあ。
パソコンはソニーだから『メモリースティック』だもんなあ。

こうやって考えると、なかなかステキなラインナップだ。
こうなると、もう『買い物がヘタ』ということではないような気がする。
おそらく『買い物運がない』のだ。



さて、先日以前にも書いた話なのだが、
私はノートパソコンを使っているにもかかわらず、別売りのキーボードを買った。
ペンタブレットを使って絵を描くときに、
いちいちパソコンをむこうに押しやって、
タブレット用のスペースを作るのはめんどくさいのだ。

後付キーボードがあれば、パソコンを手前に引き寄せなくても打てる。
絵か文かで、タブレットとキーボードを置き替えればいいのだ。
そうだ、私は今、コタツでネットをしているのだが、
キーボードだけをひざに乗せたら、座椅子にもたれてタイピングができるじゃないか。
なんて賢いワシ。



ってなことを書いて浮かれていたのだが、
すでにシアワセ状態は破綻している。
ビックリしてガッカリしてトックリを重ねた。

キーボードを買おうと大型電器店に行き、
最初に目をつけたのは、3480円だった。
テンキーは必要ないので、なるべく小さくて扱いやすいのがいい。
キーの山が高くてカチャカチャするのより、
ノートパソコンで慣れた、全体が平面でプチプチする感じの方がいい。

にもかかわらず、テンキーのついたカチャカチャタイプを買ってしまった。
1480円だったのだ。
「どうせ『サブ』なのだから安物でいいや」
という、いつものビンボー精神が出てしまったのだ。


作戦は成功だったが、品定めは失敗だった。
確かに別キーボードを使うと、お絵かきにもコタツにも腰にもいい。
しかし、この安物は気に入らなかった。
コタツでひざに乗せて使うとき、テンキーがある分バランスが悪い。
手を離すと右に傾いていく。
しかも、プチプチキーに慣れている指は上に上がらないらしく、
カチャカチャキーだとやたら打ちそこなう。

そこで、別の大型電器店に行ってみたら、
なんと、テンキーがなくて、プチプチタイプのキーボードが、
1980円で売っているではないか。
これこそチャンスだ、即決だ!



みなさん、くれぐれも安物には気をつけていただきたい。
最初はいい感じで使っていた。
小型だからとりあつかいもしやすいし、プチプチキーは打ちやすい。
でも、私はあるとき、気づいてしまったのだ。

パソコンのキーボードって、みんな共通だと思っていた。
写真が見にくいので申し訳ないが、よく見てもらいたい。

s-P1000296.jpg



まず、右手手前の『Alt』と『Ctrl』のあるべきところに、
『Delete』と『Insert』がある。
そして右奥にはなんだかわからないものが来ている。
まあ、この辺はあまり使わないからいい。
『Enter』が小さいのも大目に見よう。

だが、右側に『Shift』がないというのはどうだ。
『!』や『#』を使うときにはどうするのだ。
左手で『Shift』を押しながら『!』や『#』を押せというのか。
腕がつるわ!

そして、何よりも驚いたのは、
本来『Enter』の横にあるはずの『む 」』が、
左側の『Shift』の位置にあることだ。

そんなことしていいのか!
『」』が違うところにあるから、
会話分を打つたびにあたふたしてしまうじゃないか。
ましてや、カナ打ちしてる人はどうなるのだ。
『む』がよそに行ってしまっているのだぞ。

『むかしむかし、村の向こうのむっちり武蔵がムキムキムカデと無駄毛むしり』

なんて文を打とうとしたら、どんなにうろたえることか。


ああ、やっぱり最初から3480円のキーボードを買っておけばよかった。
「買えばいいじゃん」
と、ちづるは気楽に言うけれど、
安物キーボード2台で、すでに3460円使っているのだぞ。
この微妙な値段差が不愉快。





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20080226122121
いよいよ手抜きも極まってきました。

ゆうべは寝てしまったんじゃないんですよ。
更新を失敗してしまったんです。
許してね。
ああ、どうしよう。
今日も眠い。

なんだか最近、更新率が悪いような気がする。
左の欄にある『月間アーカイブ』なるものを見てみると、
今日2月24日現在で、2月は21回更新している。
この数字だけ見ると、あんがいがんばっているように見える。
しかし、その内訳はボロボロだ。

やたら「寝るカテゴリー」が多い。
眠いからと言って、手抜きの絵でごまかしているのだ。
なんとあざとい手法だろう。

さらに、夜、更新をせずに、翌日の昼休みモブログでごまかしている。
「こみカルタ」なんて安易なネタに逃げて、その場をしのいでいる。
それを引っ張って、ことわざがらみの絵だけの日もある。
しかもネタはカキコミからのいただき物だ。
おっと、ちづるの落書きだけの日もあるではないか。

それどころかまったく何もしてない日もある。
これは、
「明日の昼休みにケータイで更新したらいいや」
と考えて寝てしまい、結局昼休みも寝てしまった日なのだ。
なんと言うサボり、フルネームでサボタージュ。


ちょっと自虐的に反省してしまったが、
トータルで考えると粘っている方ではないのか。
『月間アーカイブ』を見て気づいたのだが、
この3月の末で、このブログも丸3年になる。
よくもまあ、続けたことだ。

ためしに全部で何回書いたか足し算をしてみた。
すると、今回が第868回目になる。
逆に「偉いぞ、ワシ」と思うようになってきた。
確か、イラストも800ぐらい描いているはずだ。

800といえば、江戸の橋か、人のつくウソに匹敵する数だ。
「寝るカテゴリー」が40回もあるが、
良い方に考えれば、40回も眠いのに更新したということじゃないか。
誰かほめてくれ。

このペースで行けば、夏には1000回を迎えられそうだ。

3年・・・
1000回・・・

きっとそのときは忘れてて、
「寝た」なんて書いてるんだろうなあ。





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お風呂が沸くまで、
と思って突っ伏したのに、
目が覚めたら2時。

なぜ、起こしてくれないのか。

それはあんにゃろがゲームにはまっているからだ。
うー。




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真実

20080223010303
ちづるが私のホワイトボードに描きました。
毛はもうちょっとあるやろ!
仕事というのは腹が減るものだ。
会社側が考える働きとは関係なく、
仕事場にいるだけでやたらと腹が減る。

弁当ってヤツは、あって当然の呼吸みたいなものだ。
だから、これは野生の欲求を満たしてはくれない。
カラダが欲しているのは、そう、おやつなのだ。

わが社では夕方4時半過ぎにおやつが出る。
これは遅い。
空腹を満たすより、夕飯や晩酌に支障が出るぐらいだ。
いえ、ありがたくいただいてますけど。

そこで、私と上司Tは、ときどき自前でおやつを用意する。
ほとんどがコンビニのパンだ。
いつもひとつのパンを半分こしている。
しかし、事前に打ち合わせをしたことはないので、
うまい具合にはいかない。

二人のパンが重なって、
「よし、お前のパンは明日食おう」
ってことになったり、
「なんで今日はパンを買うてないんじゃー!」
と相手の不備を攻めあったりしている。

この二人に共通のごちそうが、ゆで卵だ。
コンビニで売っているゆで卵は、
たまご自体に塩味が効いていて、
ねっとりと具合のいい半熟だ。

その日は私がゆで卵を買っていた。
「今日、パンはないんか」
と言う上司に「ない」と答えると、
「なんでパン買うてないんじゃ、アホボケカス」
とののしられた。
「じゃあ一人でゆで卵食~べよ」
というと、
「なんでゆで卵あるって言わへんのじゃ、アホボケカス」
とののしられた。

さて、二人でゴミ箱をかこんでゆで卵の殻をむき始めて気づいた。
私の指先は、左手親指人差し指中指、右手親指中指薬指が、
アカギレのためにテーピングされている。
これではゆで卵の殻をむく事ができない。
技術的にも衛生的にも。

なので左手親指と人差し指のテーピングを取った。
これで万全、と思っていた。
しかしまあなんというか、人間経験ですな。
いきなり語り口調になってしまった。
私はこのとき始めて知った。
ゆで卵の殻をむくには中指も必要なのだと。

なるほど、人間の指とは良くできている。
言い方を変えれば、使っていることに気づかないほど使いこなしているのだ。
私は左手中指のテーピングを取った。

半分までむくと、右手が問題になってきた。
卵を固定するには三点が必要だ。
しかも、卵を全部むくと、裸の卵に触れることになる。
しかし、右手のテーピングは真っ黒だ。

私はむきかけの卵をいったん置き、
右手の親指と中指のテーピングを取った。
よし、これで卵がむける。
置いてある卵を持とうとして気づいた。
テーピングを取った親指中指と比べ、
テーピングを巻いてなかった人差し指が黒い。

考えてみたら当たり前だ。
テーピングが黒くなるような仕事を、
人差し指は裸でしていたのだ。
私は右手薬指のテーピングを取った。
私はこのとき知った。
ゆで卵を三点で固定するとき、
人差し指は必ずしも必要ではないことを。

結局、すべてのテーピングを取ってしまい、
やっとのことで卵の殻をむいた私。
とっとと私の買った卵を食べてしまった上司に、
「たまごひとつ食うのにいつまでかかっとるんじゃ!」
とののしられた。






↑きれいな指でくりっくしてね






なぜだか、こみカルタにリクエストがあったので、
ちょいとお答えさせてもらいました。

アカギレが痛くて、キーボードがつらいってのもありますが。
文章を書くネタがないってこともありますが。
さらに、味をしめたってこともありますが。


まずは、ラク太母さんのリクエスト『こみの川流れ』です。



そのまんまですいません。



次は、rinさんのリクエスト『こみの目にも涙』

s-080219namida.jpg

もう今は涙と言ったらこれです。



最後に、モチゾー先生のリクエスト『こみが通れば道理が引っ込む』

s-080219douri.jpg

「道理」ってどう描いたらいいんですか。



こんなザマですいません。
もうちょっとましをめざします。




↑普段より余計に描いたのでクリックしてね
最近、年齢を感じるようになってきた。
体力の衰えとか、機能の低下とか、毛根の減少だけではない。
なんと言うか、キモチが熱くならなくなってきたのだ。
若いときは、何か好きなものができると、熱狂的に好きになったものだ。

たとえば音楽。
まだCDもパソコンもビデオもケータイもなかった時代。
好きになったアーティストのレコードは、
すべてそろっていないと気がすまなかった。
FM雑誌などで出演番組を知ると、カセットテープに録音した。
楽譜を買ってきて、ろくに弾けないギターでわめいたりした。

若いころにそれだけ熱中したせいか、
今でもそのころの歌はよく覚えている。
友達の影響でフォークが好きだった。

しかし、その熱中が大人は気に入らないようだった。
親父は、文句ばっかり言っていた。
「こんなつまらん歌」
「みんなおんなじような」
「みっともない格好」

当時は、わからずやめ、と思っていたが、
今はなんとなくわかる気がする。
文句を言うつもりはないが、本当に区別がつかないし理解できないのだ。
考えてみたら当然の話で、若い脳で熱中して聞くのと、
酒で薄まった脳でなんとなく聞いているのでは、頭への収納のされ方が違う。
いつの間にか、すっかり冷めた大人になってしまった。

こうなると、ちょっと気に入ったアーティストがいても、
全CDを集めようとは思わない。
むしろ、昔「なんとなくいいなあ」レベルに好きだった人の、
ベスト盤を買うようになった。
その人自体が好きじゃなくて、好きな歌が2~3曲ある、なんてときにとてもいい。

中島みゆき、柳ジョージ、加藤登紀子、ジプシーキングス・・・
最近ではRCサクセションを買った。
ジャンルとして好きな、フォルクローレやカントリーのベスト盤もたくさん買った。

しかし、気をつけなくてはならないことがある。
ベスト盤がベストじゃないときがあるのだ。
「なんでこんなおまけみたいな曲が入っていて、あの名曲がないのだ!」
と腹を立てたことはないだろうか。

ベスト盤第二弾、なんてのもある。
じゃあ一枚目はベストじゃないじゃないか。
その極め付けがある。
アルゼンチンタンゴの巨匠、アストロ・ピアソラのベスト盤を買った。
なんと10枚セット、箱入りだ。

驚きはそれだけではない。
10枚セットで1500円という破格の安値だったのだ。
こうなると、別の意味でベスト盤だ。
もちろん、安かったから買ったのだが、多すぎてまだ聞いていない。




↑ベッドでタバコは吸わないで






20080218122645
えー、昨日は寝てしまいまして、こんなことです。
いいパターンを作っておいたものだと、自分に感心してます。
「晩ご飯には帰る」
と言って飲みにいき、
深夜になってしまいました。

怒っている人がいます。







↑腫れ物に触るようにクリックしてね






昨日から左手の親指が痛い。
今はだいぶ楽になったが、ひどいときはファスナーがつまめなかった。
見るからに腫れていて、まるで足の親指みたいだった。

仕事柄、指に力を込めることが多いので、
使いすぎで関節を痛めたのだと私は思っていた。
しかし、ちづるはアカギレにばい菌が入ったのではないかと言うし、
上司は痛風に違いないと言う。

これは困った。
関節痛とばい菌と痛風ではつける薬もちがうじゃないか。
とりあえず冷やすと楽なので、シップを巻いて寝た。
朝、だいぶ調子が良くなっていたのでシップで攻めることにした。
親指全体を包むようにシップをあて、テーピングで固定する。

ところがここで右手の親指。
私の手における、ベストオブアカギレは右手親指なのだ。
オロナインをつけ、絆創膏を貼ってテーピングする。
これが厄介なのだ。

両手とも、親指の具合が悪い。
だからテーピングをする。
でも、テーピングするには親指が必要だ。
まずは巻き取られているテープをはがさなければならない。
ガムテープやセロテープと同じだ。
人差し指の爪で角を立たせ、つまんで引っ張る。
これができない。

まあなんとか端っこが確保できたとして、
巻き終わったらテープを切る。
これは親指の爪を当てて、ピッと引っ張って切る。
これがまたできない。

しかも、親指にテーピングしてしまうとなおさらやりにくい。
右手から巻くか左手から巻くか、どっちにしてもあとで困るのだ。
きー!



で、これ以上広がらないと思っていた親指の話だが、
ふと昔の話を思い出した。

中学のとき、学校のホールで折りたたんだ紙を拾った。
手紙だった。
書き出しはこうだ。

『わたしのおやゆびくんへ あなたのこゆびより』

ぎょえー、恋文ではないか。
なんでこんなものを落とすのだ!

おやゆびくんとこゆびさんはおおっぴらに付き合っていたので、
特別『スクープ!』ということはなかった。
しかし、これは人に見られたら恥ずかしいだろう。

困ったのは私だ。
この手紙をどうしたらいいのだ。

元の場所においておく訳にはいかないし、
本人に渡すのも、なにやら気まずい。
こっそり机にでも入れておいたらいいかとも思ったが、
あとで二人の話が食い違ったらまずいだろう。

そうだ、これはどちらが落としたのだろう?
一旦はおやゆびくんの手に渡ったのだろうか。
それとも手渡す前にこゆびさんが落としたのだろうか。

こゆびさんが落としたのなら、おやゆびくんはこの手紙の存在を知らない。
おやゆびくんが落としたのなら、こゆびさんは手紙の紛失を知らない。
おやゆびくんが受け取りはしたが、まだ読んでないという可能性もある。
どちらにせよ、落とした方の狼狽はいかばかりか。
こんな場合、落とした方は相手にそのことを伝えるだろうか。

ああ、まったく関係ない恋の悩みに翻弄される中学生男子。





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20080215123437
こみカルタを作りました。
欠点は、全部『こ』で始まることです。
暖冬だとあれだけ聞かされてきたのに、ここ数日の寒いこと。
先日、積もったばかりだというのに、今日も雪の舞い散る一日だった。
これだけ寒いと体が縮こまり、動きたくなくなる。
しかし、相変わらず上司Tとは戦っている。

「パンや菓子のゴミをその辺に捨てるな!」
「うるせえっ!」
「うるせえとはなんじゃ!」
「うがー!」
「しゃーっ!」
ちなみに、パンを食ったのは上司だ。

上司との戦いは壮絶を極める。
わき腹を突いたり、雑巾をぶつけたり、
ほっぺたをつねったり、輪ゴムでぱちんとしたり。

しかし、今、最も効き目のある攻撃は、
首筋に冷たい手を突っ込む攻撃だ。
お互い、隙あらばと相手の出方を伺っている。

この戦い、双方の能力は拮抗している。
腕力なら私のほうが強いし、耐寒力も私のほうが上だ。
だが、上司の方が手が冷たい。
何しろ、糖尿で痛風で五十肩、
血の巡りが悪いのだ。

この攻撃のつらいところは、接近戦になることだ。
こちらの手を相手の首筋に入れようとすると、
相手の手もこちらの首筋に届くところにあるということだ。
こうなるともはや泥仕合、
はた目にはつかみ合いのように見えるだろう。

こんな二人をそばで見ていて、
「あほや~」
と笑っているやつがいる。
後輩O川だ。

あほなのはO川のほうだ。
このあと必ず二人がかりで首筋や背中に冷たい手を突っ込まれ、
「やめてー!」
と泣き叫ぶ羽目になるのだ。


え~、ここまでが1サイクルで、
これが日に何度も繰り返されるのだった。
そういう職場にいます。




↑戦う勇士にクリックしてね






音楽ってすばらしい。
もはや音楽なしに人間の生活は考えられない。
原始の人類において、言葉よりも音楽の方が先だったという説もあるぐらいだ。

確かにそれはそれはありえる。
心臓の鼓動も打ち寄せる波もリズムだし、
鳥のさえずりも風の音もメロディなのだ。

音楽はDNAに認められている。
コンピューターで作られた最新の音楽が氾濫する世の中でも、
懐かしい音楽、昔の音楽、古代の音楽が廃れて消えることはない。
流行はあるにしても、過去の音楽が捨て去られることはない。
だから、私がこの年になってRCサクセションハマっても不思議はないのだ。


音楽のすばらしさは、大まかにふたつに分けられる。
ひとつは、音楽が『数学的』であるところだ。

たとえば、一小節に入る音の数は決められていて、
音の数が増えれば、音の長さは半分や4分の1になり、
総量は一定に保たれる。
音程でも、音の上がり下がりは半音、一音と数学的だ。
そういえば譜面はなんとなくグラフっぽい。

では、例として『野球拳』を挙げてみよう。

野球拳a)
 1 2 3  4 5 6 7 8
♪や あ きゅ う う ぅ ぅ ぅ
♪す う る  な ら あ ぁ ぁ

このように『野球』という3音節の言葉をわざわざ8音にのばす。
この律儀さがいかにも数学的だ。
数学的ルールを壊しては音楽はなりたたない。

では、もうひとつの音楽のすばらしさとは何か。
それは、音楽の『数学的でない』ところなのだ。
なにやら矛盾することを言っているようだが、
それを証明するために『野球拳』に数学的でない要素を取り入れてみよう。
 
野球拳b)
 1 2 3  4 5 6 7 8
♪や あ きゅ う う ぅ ぅ 
うす う る  な ら あ ぁ ぁ

どうだろう、実際はこう歌っているのではないか。
リズムや音程は数学的ルールにのっとって、
それでいて奔放に歌う。
これこそが音楽の醍醐味だ。
私の言いたいことは皆さんに伝わっているだろうか。

では、もっとわかりやすい例として、演歌の名曲『天城越え』で説明しよう。
まずは、数学的な『天城越え』

天城越えa)

♪あなたとーこえたいー
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ かぽん
♪あまぎーごえー

ああ、なんとつまらないことだろう。
じゃあ、数学的束縛から逸脱した、本来の『天城越え』はどうなるだろう。

天城越えb)

♪あな~たと~~ぉお こえたぁい
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ かぽん
・・・(うん)hあまぎぃ~~~~~~ ご(鼻濁音のgo)ぅお~~ぃえぇぇ~
(※不必要な文字がありますが、これは演出であり間違いではありません)

いかがでしょう。
私はこう思います。
音楽ってむずかしい。      





↑   かぽん  ♪クリックしてね~







あと3行まで書いた今日の記事・・・

うっかり、消してしもた・・・

こんなことがないように『メモ帳』に下書きしてたのに・・・



これが3連休の締めくくり・・・?






↑なぐさめて・・・






まったくこの三連休は散々だ。
去年は丸ポスト探しをかねて、温泉に行った。
今年もどこかに旅行を、と思っていたのだが、
間際になって、なんだかんだでつぶれてしまった。

なので、日帰りでどこかへ行こうと、
あれやこれや計画を立てていたら、
何だ、この雪は!
暖冬じゃなかったのか!

昨日土曜日、北へ行きたかったのだが雪の予報。
出先で降られたりしたらたまらないのでこの日は中止した。
南は先日行ったばかりだし、西は山なのでやはり雪。
東は海だから、どこにもいけない。

これが正解で、お昼ごろから降り始めた雪がだんだん積もってきた。
この辺で雪が積もるのは一年に一度あるかないかだから、
すでに三回も雪を見た今年は、やはり異常なのだろうか。

おかげで午後から、ちづるに誕生日に買ってもらった、
『吉田拓郎&かぐや姫、つま恋コンサート』3枚組DVDを、
一気に見ることができた。
でも、こんなことでいいのか3連休。


今朝、やっぱり雪は残っている。
うちの近くの道でも、溶けてぐずぐずになっていた。
国道なら車は十分走れるだろう。
でも、今日も出かけない。
渋滞することがわかっているからだ。

先ほども言ったように、伊勢ではめったに雪は積もらない。
なので、積もったときはパニックだ。
出かけたらひどい目にあうのがわかっている。
なので今日も近場の買い物ですました。
ああ、さびしい3連休だ。

ゆうべは雪がどすどす落ちる音でろくに眠れなかった。
しかも、鼻の中にできものができた。
痛くて考えがまとまらない。
もう寝よう。





↑浮かれ気分でクリックしてね






万物の霊長、なんて偉そうなことをいっているが、
人間ってのは案外うかつにできている。
だからときどき『とりかえしのつかないこと』をしでかすのだ。

人間以外の生き物で、
「ああ~、しまった、とりかえしのつかないことをした」
なんて話は聞いたことがない。
自然界で、とりかえしのつかないことといえば、
天敵に食われてしまうことぐらいだろうが、
これとてそんなに「とりかえしがつかない」という感じがしない。
『とりかえし』とは、人間特有の感情なのだ。


とりかえしのつかないことは、主に人の目に付かないところで行われている。
だからこそ、露見するまでの時間を、悩み、もがき、あえぐのだ。
いっそ、衆人環視の中でしでかしてしまえば、
「しまったぁ~」ぐらいですんでしまうのだ。

では、とりかえしのつかないことが行われている、
人の目に付かないところってどこだろう。
それは、ポケットやカバンの中だ。


☆ポケットの中でリップクリームのふたが取れてホコリまみれ。
ちょくちょくある。
しかし、これはとりかえしが利く。
書いてみただけの、助走みたいなものだ。

☆ポケットにボールペンを入れたまま洗濯
これはとりかえしがつかない。
他の衣服にも被害が及ぶ。
そしてちづるにとてつもなく怒られる。

☆ポケットの中でオロナイン破裂
何かで圧迫してしまったのだろう。
オロナインのチューブがつぶれていた。
ポケットに手を入れた瞬間、背筋が冷たくなった。

☆リュックサックの中で生卵崩壊。
昼休み、会社でラーメンを作って入れるつもりだった。
でも、普通リュックサックに生卵なんか入っていない。
なのですっかり忘れて乱暴な扱いをしたのだろう。
チャックを開けてタマゴの殻を発見したときは鳥肌が立った。

中の荷物をそ~っと出していくと、
なんと、黄身が割れずにリュックの底に!
だが、どうすることもできないのだ。
結局無理にとろうとして、リュックは卵とじになったのだった。


どうです、あなた。
ポケットやカバンで取り返しのつかないことは起こっていませんか。
ビスケットを増やしてみようなんて思っていませんか。
今ならまだとりかえしがつくかもしれませんよ。





↑とりかえすつもりでクリックしてね







20080208122710
仕事のやり方で、上司Tに意見したら睨まれた。
そこで一言。
「ハナミズたれて睨んでも怖ないんじゃ!」
今日はジムを休んで買い物に行った。
後輩N岡の友人が経営している魚屋へ。

いや、特に目的があったわけではない。
みんなで話をしていて、ふとそんな話題になったら魚が食べたくなったのだ。

いつものスーパーへ行かず、魚屋に行ったのはささやかな贅沢。
たまにはちょいといいものを食べてみたい。
それも刺身なんかじゃなくて、煮魚で。

お店はもう閉店間近なので品物は残り少ない。
その中に、いいメバルを見つけた。
「いくら?」
ときくと、
「結構大きいからねえ」
といいながら重さを計ってくれた。

お値段、890円。
フライパンで煮よう、と思ったら入らなかったので、
胴体で二つに切った、
と言うような大きさなのだから、安いと思った。


で、それはそれはうまかったよ~。





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志摩地方出身の後輩、O川とN岡が妙なことを言い出した。
うなぎといえば『うなぎめし』だというのだ。

私はこれを聞いて愕然とした。
うなぎとご飯の相性は最高だ。
同じくご飯と相性抜群のうめぼしと三角関係になるほどだ。
なのに、こんなにストレートなネーミング、
『うなぎめし』を今まで聞いたことがなかったなんて。

うなぎというのは不思議な食材で、その名前は器で決められる。
丼か重箱か、はたまた最近流行のおひつか。
うなぎ弁当も器だと考えると、全流通量の8割は器系の名前ではないか。
残るのは、蒲焼、定食、寿司、ぐらいだろう。
ちなみに私は「白焼き」は認めない。

考えてみれば、うなぎ料理はほとんどが『うなぎめし』なのだ。
なのになぜか入れ物にこだわってしまっていたのだ。

もうひとつ『うなぎめし』に思うこと。
それは、なぜ『うなめし』ではないのか、ということだ。

うな丼、うな重、うな弁、うな玉、うなコーワ。
みんな『ぎ』をはぶいている。
『ぎ』は、かぶらの『ら』や、なすびの『び』みたいなものか。
あるいは「トーマス」を「トム」と呼ぶようなものか。

考えてみると、うなぎは卵で巻くと『う巻き』
キュウリと酢の物にすると『うざく』という。
うなぎ屋の看板は『う』だけだ。
ときどき昔の字で『うふぎ』って読んでしまうのもあるが。
するってぇと『なぎ』がかぶらの『ら』やなすびの『び』か。
大鶴義丹を「ぎぃ」と呼ぶようなものか。

さて、では志摩の彼らがいう『うなぎめし』とはどういうものか説明しよう。
細く切ったうなぎがたれといっしょにご飯にまぜてあり、
錦糸玉子と刻み海苔がふりかけてあるらしい。
入れ物は桶で、店に注文しても5~6人前が一盛だそうだ。

志摩地方は郷土料理に『てこねずし』というのがある。
漬けにした魚(主にかつお)をシソやゴマなどの薬味といっしょに、
酢めしにまぜたもので、手でまぜるので『てこねずし』というらしい。
これも桶にいっぱい作って人が集まるときにふるまわれる。
これのうなぎ版が『うなぎめし』なのだろう。

これで『うなぎめし』には納得できた。
もう驚きはしないぞ。
でも、万が一『うなぎ麺』がどこかに存在するのなら、早めにお知らせください。




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昨日の話題の続きではないが、年齢とはおそろしい。
普段はめったに鏡など見ないのだが、
先日、ジムの姿見に接近して立ったら驚いた。
目の周りが親父に似てきているのだ。

親子だからパーツの形が似ているのは当然なのだが、
そうではなくて、目の周りのしわが似てきたのだ。

うちの親父は船乗りで、若いころからむやみに日焼けをしていた。
遊びに来た友人に『赤鬼トム』と名づけられたほどだ。
そのせいで、今の親父の目の下あたりはまるでレンガのようになっていて、
「ムッシュメラメラ」とか言わないか心配なぐらいだ。

これはいかん!
人は年齢を重ねると味が出るといわれているが、
早々にニボシみたいになってしまってはつまらない。
ケアだケアだ!

日曜日、ホームセンターで男性用の洗顔料と化粧水を見つけた。
見つけたって、そういう売り場を見てなければ見つかるわけはないのだから、
そういうものを探していたということなのだが。
とりあえず顔やお肌のメンテナンスについては初心者だ。
この辺から始めてみよう。

実は私、めったに顔を洗わない。
いやいや、水洗いはやたらしょっちゅうしている。
水に触れたら顔洗う、というぐらいだ。
ただ、風呂でも石鹸や洗顔料はめったに使わない。
たぶん、月に一度あるかなしだ。

それでも脂性ではない。
むしろ石鹸などを使うと、次の日顔がカピカピして気持ちが悪いのだ。
これは洗顔グッズ選びが間違っていたのかもしれない。
なので、今回買ったのは「アミノ酸入りお肌すべすべタイプ」だ。

化粧水ってのはなんだかよくわからない。
しかし、昔、ひどい日焼けになったとき、ちづるに塗ってもらったら、
なんだか気持ちよかったのを覚えている。
いっしょの売り場に並んでいたのでそれも買ってみた。

さて、困ったのは置き場だ。
風呂には髭剃りのジェルやらボディシャンプーやら、
ちづるの得体の知れない乳白色の半液体がいっぱいある。

洗面台はもっと深刻だ。
歯磨きセットのほか、髭剃りあとのケアもの。
大切な髪のケアもの。
歯槽膿漏防止のケアもの。

さらにリビングの私の陣地には、
耳のケアもの、歯のケアものと、頭皮マッサージ用の通称『ぞわわ~』がある。
なんだか身の回りがケアケアしている。
ひょっとすると、私はケアマニアなのか?

ただ、自分で言うのはなんだけれども、
私が顔ケアをしている姿は、ちょっと気持ち悪い。





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禁!

私の暮らす紳士の世界では、女性に年齢を尋ねるのは失礼だとされている。
体重を尋ねたら刺されても文句は言えないことになっている。
体重はともかく、女性はどうして年齢を隠したがるのだろう。

これはたぶん、返ってくる言葉が確実に不愉快だからなのだ。

「おいくつですか」
「○○才です」
「それはお若い」

この三番目のセリフが問題だ。
『お若い』には二通りの解釈がある。

「あらまあ、○○才にしては若く見えますね」
「あらまあ、まだお若かったんですね」

これはどちらも具合が悪い。
どちらも別の言葉に言い換えられるからだ。

「あらまあ、見た目よりお年なんですね」
「あらまあ、ふけてますねぇ」

つまり、実年齢と見た目のどちらが上であっても、
相手を怒らすことになってしまうのだ。

だからといって、
「ああ、予想通りです」
なんて言ったら、恐ろしい思いをすることになるだろう。
結局、年齢には触れないのが一番だ。


ここでひとつ注意点がある。
年齢さえ口に出さなければいいというものではない。
年齢を推測させることは慎重に避けなければならない。
たとえば干支、入学や卒業の年度、同じ年の芸能人などだ。

先日、ちょいと失敗をした。
ジムの数人で、子供の話になったとき、あるご婦人に、
「ところで、上のお子さんはおいくつでした?」
と訊いてしまったのだ。

その人は
「うぐっ!」と言葉を詰まらせたあと、
「高2」と教えてくれた。
その人はかなり若く見えていたので私が驚いていると、
「子供の年を訊かれたら、下の子の年を言うことにしとるんやけどな」

下の子は小6なのだそうだ。
紳士たるもの、そういうところにも気を配っていなければならない。





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今、世の中には機械がいっぱいある。
文明ってヤツが進歩して、人がしていたことを機械が代わりにしている。
逆に言えば、機械がしていることは、必ず誰か人間のためにしているのだ。
その割に機械の働きは報われていないのではないだろうか。

さんざんこき使った挙句、あの扱いはどうだ。
映りが悪くなったテレビをバンバン叩き、
首の具合の悪い扇風機をけっとばし、
熱を持ったコタツに臭い足をつっこむ。
そりゃあ心も命も持たない道具かも知れないが、
こんなことを続けていたら、いつか機械がキレる日がくるんじゃないか。

その筆頭が目覚まし時計だ。
目覚まし時計は、人間に言われたとおりきっちり時間を計り、
人間が起きたいと思った時間になったらそれを知らせる。

穏やかな目覚めを演出するために音楽を流したり、
目覚めにくい人のために大声で叫んだり、
二度寝してしまう人を何度も起こしたりと、
役目を果たすために誠心誠意働いている。
なのにそれに対する人間の態度はどうだ。

「♪朝よ、朝だよ、るらららら~」
と、歌う時計を、親の仇とばかりにわしづかみにし、
寝起きのまなこでその顔を睨みつけると、のどを締め上げて放り出す。

「朝だ朝だ!起きる時間だ!はよ起きて!はよはよはよはよ」
と一生懸命に起こす時計はいきなりビンタで飛ばされる。

頭のボタンをポチッと押せば止まる時計にはげんこつだ。
「朝ですよ~」
 ゴツッ!
「起きる時間ですよ~」
 ガツッ!
「そろそろ起きんと~」
 ゴキッ!
「遅れますよ~」
 ドガッ!
「もうええかげんに~」
 ゲシッ!

これが毎朝だ。
しかも、起こす時間も、起こし方も、
音の大きさも、回数も、すべて人間が選んだのだ。
こんな理不尽なことがまかり通っていていいのか。


以前、母が私にウソをついた。
寝ている私に、
「はよ起きな、雪が積もったよ」
なんですと!と飛び起きた私。
しかし、外の景色は普段どおり。
呆然とする私に母が言った。
「ほうら、飛び起きた」

私は母を憎んだ。
そんな私に母は、
「そんならもう起こしたらへん!」
と言った。
高校二年の冬だった。


時計には鳴るという能力しかない
だからといって、彼らが我慢の限界を超えたとき、
やたら鳴りわめいただけでは人間への仕返しにならない。
彼らが仕返しをしたいのなら、こう考えるのではないか。
「もう起こしたらへん」


ある日、あなたは静かに目覚める。
ああよく寝たと伸びをして時計の顔を見る。

ぎゃー!

何だこの時間は!
あなたは目覚まし時計の胸ぐらをつかみ、
「お前、ちゃんと起こしたのかー!」
と問い詰める。
時計は何も答えない。




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年が明けて、早ひと月。
今月も最終日は、毎月恒例『みそか寄席』だ。
ただし、今月は普段とはちょいと違うよ。
なんと、200回記念寄席なのだ~。

7時と9時半の2回公演を200回。
つまりは400回の落語会。
毎月開催でこんなに長く、
しかもこんな遅い時間の落語会はほかにないとか。

ちなみに私は第31回から皆勤~。
つまり、170回、15年目に突入だ。
なんであれ、自分の中でこんなに長く続いたものはないぞ。


今回は出し物も派手だった。
まずは、ざこばの弟子による手品。
次に、米朝と三枝の弟子の滑稽日本舞踊。
そして本格ジャグリングが続き、大抽選会。
休憩後、落語が三席あって、曲ゴマがあって、
最後はメインの噺家さんの大ネタ『子別れ』
トータル3時間半の大笑い大会となりました。

というわけで、今日は家に着いたのがもう夜中。
なのでもう寝ます。

その前に、せっかくの落語三昧の日。
今日、思いついた小噺を一席。


「このお餅、うす味やねえ」
「そう? 私のはキネ味やわ」


すいません。




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