先日、ジムで仲良くなった人がボディビルの本を貸してくれた。
今まで知らなかったトレーニング法を試してみると、これがけっこう効き目があった。
こうなると、うれしくなって、調子に乗って、ガンガン鍛えて、
今日、肩を痛めた。
そんなこととはまったく関係なく、自然とついてくる力がある。
『忘却力』だ。
数年前、赤瀬川源平氏が書いた『老人力』という本で紹介されていた。
私はその本を読んでいないので、本と同じことを書いてしまうかもしれないが、
そこのところは忘却していただきたい。
つい最近、ちょっと気になることがあって、前に読んだ推理小説を開いた。
ミステリーのトロ、探偵の説明のシーンを読み返したのだが、
犯人はもちろん、ストーリーもトリックも全然覚えていない。
何たることかと思いつつ、これはありがたいことだと気づいた。
もう一回読めるじゃないか。
ということは、新しい本を買う量が減り、経済的に助かる。
利益が出るのなら、これはただの「忘却」ではなく「忘却力」だ。
まったく赤瀬川氏はうまいこと言ったものだ。
買い物でもよく忘れ物をする。
肝心のものを買い忘れるのはしょっちゅうだ。
それどころか、まだ在庫があるから買っちゃだめなものを忘れて、
在庫を増やしてしまう。
買い置きがあったのは、ワサビとカラシ、どっちだったけ?
切れたのは、料理酒とみりん、どっち?
タマゴは無くなったんだったか、買ったんだったか・・・?
で、家に帰って見てみると、きっちりダブっている。
仕方がないので今日も明日も同じものを食べる羽目になる。
でも、きのうなにを食べたか覚えていないので、それでいいのだ。
話の途中で、何の話をしていたのかわからなくなる。
本来の話の中心からどんどん離れていく。
最終的に関係のない話になっている。
こういうことは誰にでもあることだろう。
実は、これがこのブログでも起こっている。
書こうと思ったことが途中からそれていき、
言いたいこととまったくかけ離れた内容になってしまうことがあるのだ。
そこで、
「○月○日の『○○』という話は、実はこう書きたかったのです」
ということをネタにしようと思ったのだが、
それがどの話で、どうしたかったのかをすっかり忘れてしまった。
なにを忘れたのかを思い出す作業を忘れてたことを忘れてた。
悔しいのは「何かを忘れてしまった」ってことは覚えているのだ。
そして、忘れてしまったネタは、とてもすばらしいネタだったような気がするのだ。

↑これをどうしてもらいたかったんだっけ?
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