買い物に行って、目的が一致しないちづると解散すると、
つい、おもちゃ売り場に行ってしまうことがある。
ワクワクのプラレールにドキドキのプラモデル。
もうひとつ、私の心に爪痕をつけるジャンルがある。
バラバラのジグソーパズルだ。
パズルは好きか、と問われると返事に困る。
好きと嫌いがはっきり分かれてしまうのだ。
クラスワードは好きだけど、数字系のは嫌い。
図形モノは楽しいけど、知恵の輪は不愉快。
では、ジグソーパズルはどうなのか。
これが、とても微妙。
ジグソーパズルの持つ二つの特徴が、両立しない気がする
おもちゃ売り場で、ついジグソーパズルに誘われるのは、
あの完成図だ。
美しい風景や素敵なイラスト、愉快なキャラクターたち。
展示されている見本はすばらしい。
しかし、仮にこれを購入したとして、
飾るためには組み立てなければならない。
パーツの数は数千にも上る。
この一つ一つを『ピース』と呼ぶ。
でも、とても平和でなんていられない。
はっきり言って、この作業は嫌いだ。
風景写真の空のピースなんてみんな同じじゃないか。
もうなんというか、やたらめんどくさい。
肩はこり、目は疲れ、腰は痛むだろう。
私には12ピースぐらいがちょうどいい。
それが好きな人にはたまらないらしい。
でも、私は思うのだ。
パズルって、完成した時点で終わりじゃないか。
あとに残されたものは、パズルを達成した証。
つまり、釣りで言う『魚拓』みたいなモノではないのか。
いやいや、魚拓はすばらしい。
でも、ジグソーパズルで言うなら、その魚拓は全面ひび割れじゃないか。
あのおもちゃ売り場で見つけた素敵な作品たち。
フランスのなんとか寺院も、白川郷の藁葺き屋根も、
ラッセンのイルカも、ディズニーもドラゴンボールも、
みんなヒビヒビだ。
素敵な作品+パズル的楽しみ=ヒビヒビ作品
これが納得できないのだ。
飾るという目的だけなら、ポスターの方が断然いい。
なに、それはひがみだって?
そうさ、その通りさ。
おもちゃ売り場で遠めに見た素敵な作品群。
私の家のどこに、ヒビヒビが気にならないほど、
遠目に作品を見ることができるスペースがあるというのだ。

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