2007年05月

ここでは、2007年05月 に関する情報を紹介しています。
科学万能の世の中でも、まだまだ解明されてないことは山のようにある。
目に見えないものが写真に写ったり、
また、その逆であるはずのものがみえなかったり。

科学で解明されていても、見えたり見えなかったりするものがある。
人はこういう謎っぽいものが大好きだ。
でも、見えたり見えなかったりするものより、
見えそうで見えないものに人は関心を持つ。
キュロットスカートのことじゃないよ。

見えそで見えない一方通行の道路標識。
見えそで見えない足元の延長コード。
見えそで見えない畑のキャベツにいるアオムシ。
見えそで見えない台所のコマツナにいるアオムシ。
見えそで見えない食卓のおひたしの中のアオムシ。
見えそで見えない? 山下智久が岡田奈々に。


先日、ジムの更衣室で着替えている時、目の端にちらりと気になるものが映った。
それは、逆三角形を目指すティアドロップ型の私の体。
私の聞き分けのない体は、『つちふまず』は土を踏むクセに、
『くびれ』部分はくびれていない。
その『くびれず』の前方あたり、
滑らかなシルエットラインに、いびつな影が・・・

「腹筋か?」

腹筋といえば仮面ライダーの腹部についている肉球のような凹凸だ。
その気配というか予兆というか希望というか推測というか、
ともかくそのようなものが確かにあった。

洗面台の鏡に向かい合う。
つかんでみる。

・・・たっぷり。

そこは仕方がないじゃない。
そこよりもっと上、肋骨の下あたり。
一瞬だけど見えたのだ。

ああ、あの時どんなポーズをしてたっけ?
こうか? それともこうか?
腰をもっとひねったっけ?
ウデは上げてたか?
もっと斜めか? ねじったか? 伸びてたか?

なかなかあの影は現れない。
腹筋が見えるポーズを求めて、私は体をグネグネ動かす。
まるでアオムシのようだ。

人が来た。
アオムシダンスを見られるのもいやだが、
鏡に向かってポーズをとっていたと思われるのもいやだ。
そのつもりはなかったが、ざばざば顔を洗って着替えた。

仕方がない、家に帰って検査だ。
検査より腹筋の運動をしたほうがいいかも。





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20070529123101
いや~、面目次第もございません。
ちづるの寝病がうつったようで・・・
今晩からちゃんとやりますので、許してください。
午前中は畑。
お昼ごはんのついでに買い物。
夕方からたまってる録画の映画を見て、
そのまま、酔っ払って寝てしまう。

この生活を2日繰り返した。
どうもすいません。

でもおかげで畑ははかどった。
キュウリやゴーヤは植えつけたし、
トマトの支柱も立てたし、
トウモロコシとエダマメの第二弾は蒔いたし、
アスパラに追肥はしたし、
草取りもしたし、
ニラは植え替えたし、
・・・

アスパラとニラ以外にも収穫できるようになった。
いつもなら映画を見ながらお菓子を食べているのだが、
え~と、ビールも飲みながら・・・
お菓子の代わりに野菜をつまんでいた。

ミズナとコスレタスのサラダ。
タケノコハクサイのおひたし。
ダイコンの葉の炒め煮。
う~ん、ヘルシー。

でも、そのあときっちり夕食も食べてたんでは意味ないですな。


そして私は、2日ともニンニク臭い。




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慣れというのは恐ろしいものだ。
その行動が自然になればなるほど、落とし穴に落ちる可能性は高くなる。

こんな私でも、ちょっとばかりケータイに慣れてきた。
相変わらず電源は切りっぱなしだが、
ちづるに買い物を頼んだり、ジムの人と飲みに行く段取りをしたりと、
人並みの一割ぐらいは使うようになってきた。

当然、ケータイに関する会話も多くなってきている。
それが家やジムならいいのだが、つい会社でも話してしまいそうになるのだ。
上司TとO川がケータイの話をしていると、
「ワシのケータイは・・・」
と、うっかりしゃべってしまいそうになる。

この間も、ちづるにメールを打ったときの話をO川にし始めてしまった。
途中で気づき、無理やり軌道修正をしたために、
しどろもどろでオチがないという悲惨な事態になった。
聞いていたO川は、
「この人、何言うてんの?」
って態度だ。

先日、伊勢の祭りの写真を撮った時、
上司の奥さんに偶然出会い、しばらく世間話をしていた。
その間中、私はケータイを写真モードで手に持ったままだった。

幸いだったのは、上司の奥さんにとって、
ケータイを持っている人間が珍しくもなんともなかったということだ。
家に帰って、上司には、
「こみちゃんに会った」
としか言わなかったようだ。

今の世の中、
「○○さんがケータイを持っていた」
なんてことは話題のネタにはならないのだ。

ケータイを携帯して、およそ3ヶ月半。
そろそろ、いざという事態を想定しておいた方がいいかもしれない。





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 (とは言ったものの果たしてできるのか?)







このブログを読んでいただいている皆さんには想像もつかないかもしれないが、
実は私、かなりのおしゃべりだ。

会社であった面白い話は家で話し、
家での楽しい出来事は会社で話題にし、
それでも足りなくて、こうやって全世界に配信したりしている。

残念なのは、最近記憶力が衰えてきていることだ。
面白いことがあったのだが、それがなにか忘れている。
だからときどき、家でちづるに、

「あんたに言いたいことがあったのだが忘れた」

と告げることになる。
思い出してからしゃべり始めればいいのだが、
まずしゃべりだしてしまうところがおしゃべりたる所以だ。

また、以前こんなこともあった。
誰かから聞いた話を弟に意気揚々と話していると、
「それはワシがお前に教えた話である上に、微妙に脚色されているぞ」
と言われたのだ。

もし、弟がこの文章を読んだら、
「いや、そんなことはなかった」
と言うかも知れない。
相手は弟じゃないかもしれないが、そんなことがあったのだ。

そんな私であるので、テレビや映画や音楽や本で感動したら、
それについて報告せずにはいられない。
特に、本は何日もかけて読むので、
読み終わらないうちから報告を始めてしまう。

「今読んでる本がおもしろくてね~、○○が××を△△で・・・」
すると、ちづるが、
「待て!」をかける。
「そんなに面白いなら読むから言うな」
というわけだ。

これが困る。
辛い。
歯がゆい。
息苦しい。

私は、その本をちづるが読んで感動して欲しい訳ではない。
私の述べるストーリーや論評や感想を聞いて、
「へぇ~」と感心して欲しいのだ。

しかも、ちづるは私のオススメ本をなかなか読まない。
勝手に自分で買った本を読んだりしている。
やっとのことで私のオススメを読み終わって、
「どうだった?どうだった?どうだった?」
とたずねると、
「お前がしゃべりすぎるから面白くなかった」
などと抜かすのだ。

私のオススメはたっぷりたまっている。
だが、奴はなかなか読まない。
なぜ読まないのか。
「お前がしゃべったことを忘れるまで読まない」
こんなことを言うのだ。

ただし、この件についてちづるにたずねたら、
「そんなことは言っていない」
と言うかも知れない。

そんな私です。





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いつも起きるのは7時ごろ。
なのに今日は1時間早起きした。
畑に行ってアスパラを採ってきた。

普段なら通勤途中で畑に寄るんだけど、
そうすると遅くなるし荷物が増えるし・・・
なので早起きしてみたのだ。

眠い・・・

ほんの1時間ですごく違う。
なのに昼休みに本を読んでしまった。

眠い・・・

スタミナドリンク飲んでも、眠いものは眠い。
あーさっきから文章打ち直しばっかり。
もう寝ます。
2時だし。




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八咫烏さんからバトンをいただきました。


『題名にお名前がのっている人が びっくりして受け取るバトン』

題名に名前を載せなくてごめんなさい。
恥ずかしいんだもん。

 ◆其の壱:回ってきた5文字を携帯の記憶している変換機能で1文字ずつ変換
 ◆其の弐:その変換候補に出る上位5つを惜し気もなくさらす
 ◆其の参:そして次に回す人に新たな5文字を指定

八咫烏さんからのお題は【パリジェンヌ】でした。

『ぱ』 パン、パソコン、パパ、パンフ、パートナー

『り』 了解、理由、旅行、料理、両方

『じぇ』 Jスルー、時ぇ、じぇ、ジェ、ジェ

『ん』 ん、んだもんで、んで、ン、ン

『ぬ』 ぬ、奴、怒、濡、「如」の下に「馬」の字だけど探せないのよ。


メール機能をあんまり使ってないので面白くないですね。
修行が足らんというわけです。
誠に申し訳ないです。
これからはもっとケータイ使います。




1、回してくれた人の印象をどうぞ。

 八咫烏さんのイメージは『知性派がんこロマンチスト』です。
 怒らないで~

2、大好きな人にバトンタッチ(五人)
 
 みんな大好き。
 挙手してください。

3、タイトルに回す人の名前を入れてびっくりさせてください。

 いやん、はずかち。

4、お題

 では『エビフライ』で。
 「やってやろうじゃん」という人。
 お願いします~。





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お昼は初めてのうどん屋に入った。
化粧の濃いおかみさんがひとりでやってるらしい。
店のつくりも、常連たちがテレビを見てにわか評論家になっているのも、
なんだか居酒屋っぽい雰囲気だ。

ちづるはかやくうどん、私はカツ丼セットを注文した。
テレビには背を向けて座ってしまったし、待ち時間に雑誌を読むのは嫌いだ。
ちづると話す事はない、というより、
ちづるとの会話は、とても人に聞かせられない。

なんとなく常連さんのニュースに対する論説に耳を傾けていると、
「チャッチャッチャ」と、麺の湯きりをする音が聞こえてきた。
おお、もうすぐだ。

ちづるのかやくうどんが先に運ばれてきた。
揚げやら麩やらゆで卵やら入った、ちづるの好きそうなかやくうどんだ。
これを見て私の食欲に火がついた。
カツ丼セットはまだかいな。

再び「チャッチャッチャ」と湯きりの音。
近い近い。
すぐに「カチャカチャカチャ」と卵をといている。
うひひひ。

「お待ちどう」とカツ丼セット登場。
カツを揚げる音は聞こえなかったけどまあいいか。
肉は厚いし、うどんもなかなかだ。

別のお客が入ってきた。
「ビール」
うらやましい~
飲むなら断然生ビールだけど、音だけだとビンビールの栓を抜く、
「しぽっ」
ってのがたまらんなあ。


視覚嗅覚だけでなく、聴覚というのも食欲に作用する。
お店で聞こえて一番がっかりする音は、
電子レンジの「チン」だろう。

もちろん、使い方によっては電子レンジがふさわしい場合もあるだろうし、
自分の料理以外に使っているのかもしれない。
でも、やっぱりあの音は聞きたくない。
あの音を聞いたとたん、全ての料理にインスタント感が漂い始めるのだ。
お店であの音が許せるのは、ショーケースから自分でおかずを選ぶ食堂だけだ。
「あっためましょか」と言ってチンしてくれるのはありがたい。

かなり昔の話だが、ある居酒屋で熱燗を頼んだら、
電子レンジで燗をつけていた。
カウンターだけの店で、客からも丸見えだ。
熱燗を追加するごとに「チーン」
やっぱりその店はすぐ閉めてしまった。

タイマーの「ぴぴぴ」ってのもいやだ。
料理人の勘とかタイミングとかないのか、って思ってしまう。
材料を切る時、定規で測らないだろう。
お湯を沸かすのに「ピーピーケトル」は使わないだろう。
ね。

ま、「チン」も「ぴぴぴ」も風情的な問題なんだけど。


ちづるのかやくうどんと、私のサラダに入っていた半割りのゆで卵は、
元一個だったものらしい。
よっぽど皮がむきにくかったらしく、表面がデコボコなのだ。
もっと耳を澄ましていたら、
女将さんの「ちくしょっ」ぐらいは聞こえたかもしれない。





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20070519204400
今、伊勢は祭中。
先日、実家で明太子をもらった。
親父が食べた残り物で、あと2本しか残っていなかったが、
大好物なのでありがたい。
2本あれば2日食べられる。
新品の一パックだったらもっとありがたいのだが。

大好物ではあるが、わが家では明太子は買わない。
理由はカンタン、家計子さんが「ウン」と言わないから。
明太子は、メロン・牛肉・マツタケなどとともに、
『もらったら食うリスト』に名を連ねているのだ。

あんがい安いのもあることはある。
しかし、文句言いのちづるがそんな明太子は許さない。
「色が悪い」
「形がいびつ」
「まずそう」
横で聞いている塩辛が気を悪くするような悪口雑言の言い放題だ。


ともかく、いい明太子が手に入ったのだ。
明太子のよい部分をクローズアップするべきだろう。

まずはあのフォルム。
未来的流線型と言ってもいいのではないか。
空気抵抗とか少なそうだ。
そういえばあの表面のツヤも、まるでワックスの効いた新車のようだ。

なのになぜ?

明太子には必ずキズがある。
どの明太子も『少々難あり』なのだ。

明太子は2本で1腹、つまり一匹分だ。
この2本が引っ付いていた部分の皮が破れている。
ふとんだったら大変って状態だ。
中身がそこから出たがっている感じがする。
あー、縫いたい。

でも、このキズがあるからこそ、包丁で切ることができるのだろうなあ。
もし完璧に全体がつるりとしていたら、もったいなくて刃物なんて当てられないだろう。
食べるためには切らなくては。

明太子は切りにくい。
中身がやわらかすぎるのだ。
要するに切るのは皮だけ。
それもよく切れる刃でないとつぶれてしまう。

何とか切っても一切れが大きくなってしまう。
「ええっ、この一切れを一口で?」
とたじろぐような大きさだ。
だから、一切れを何口かで食べるように、夫婦で話がついている。

小さく切れるのは、細い方のはしっこだけだ。
袋状になっているので中身の逃げ場がない。
だから小さくて「ぷりっ」って感じの一切れができる。
そこが好き。
なんか好き。





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呼吸は鼻でした方がいいらしい。
大きなゴミは鼻毛でブロックし、
鼻粘膜が細かい異物や細菌が肺に入るのを阻止するのだそうだ。
更に、外気に適当な湿り気を与え、
温度調節をして肺に送りこむ。

口呼吸だと、そういうクッション無しで、
ダイレクトに外気が肺に入ってしまう。
おまけに喉は渇くし、見た目も悪い。
もともと口は食べるためのアイテムなのだ。

そういった豆知識並の理由で、鼻呼吸を心がけている。
だから、ジムでウォーキングをしている時も、
よほど息が切れてくるまで、口呼吸はしないようにしている。

いつも30分歩くのだが、5分も経つと呼吸が荒くなってくる。
鼻の穴は広がり、行き来する空気の風圧も増してくる。
いまや鼻の中は暴風域だ。

異変が起こったのは、ウォーキングの半ば、15分過ぎだ。
おそらく鼻粘膜が捕らえた微細な異物の集合体だろう。
何かが鼻の内壁から剥離した。
しかし、完全にはがれた訳ではなく、一部はつながったままのようだ。

言わば、鼻の中に小さな扉ができて、それが空気の出入りにあわせて、
あっちへこっちへヒラハタヒラハタしているのだ。
これはなんとも気持ちが悪い。
早急に何とかしたい。

とはいえ、駐車場や道路から丸見えのこのマシーンの位置。
隣では若い女性がペダルを踏んでいる。
こんな状態で鼻に小指を突っ込んで掘削作業をするわけにはいかない。

まずは顔面筋による解決を試みた。
この方法は変な顔になる。
丸見えの位置で、となりが女性で、そうは変な顔もできない。
本当はもっとヘンな顔もできるが、実力の7割ぐらいでやめた。

次に空気圧による方法を試した。
わざと鼻息を荒くし、扉をどこかへ飛ばしてしまおうという魂胆だ。
だが、この扉は思ったより頑丈だ。

仮に扉が飛んで行ったとしよう。
そのとき、隣でペダルを踏む女性はどう思うだろう。
たぶん飛んでいく扉には気がつかないと思う。
でも、一時だけ急に鼻息が荒くなったオヤジに対してどんな想像をするか。
作戦は中止だ。

仕方ない、手を使おう。
ただし、外からだ。
ちょいと鼻をつまんでみた。
変化があった。
たとえるなら、扉の蝶番が片方こわれた、って感じだろうか。
ただ、気持ち悪いことには変わりない。
うう~ん。


30分歩き終わった時、いつの間にか扉はなくなっていた。
いや、なくなったのではない。
動かなくなっただけだ。
洗面所に行って鼻をかんでみよう。

ぷぷっ、
変化なし。
でも、どうやらまだあるらしい。

ぷぷっ、
あるある。
もっと強くかんでみよう。

ふんがっ!

すぽーん



(すいません、下品で)





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誰でも自分の歴史を持っている。
育った場所の歴史。
出会った人の歴史。
吸収した知識の歴史。

でも、一番思い出しやすいのは、音楽の歴史ではないだろうか。
子供の頃、初恋の頃、入試の頃、
そのときどき聞いていた音楽の記憶っていつまでも残っているのではないか。

童謡、アニメソング、歌謡曲・・・
小学校高学年の時、友人に吉田拓郎を教わった。
年代的にはすごく遅れてフォークのとりこになった。

やがて、友人たちは洋楽に移っていった。
私はどうもその方面に乗れなかった。
だって、何を言ってるかわからなかったんだもん。

カラオケが8トラからLD、通信に移り変わり、
田舎から名古屋までコンサートを見に行き、
自分の音楽観はどんどん変わっていった。

今、私は世界の民俗音楽が好きだ。
素朴で情熱的で何を言ってるかわからない民俗音楽。
ヒラヒラする布をまとい、チャラチャラしたネックレスをつけて、

踊る踊る。
どんたたどんたた、踊る。
うほっほうほっほ跳ねる。
しゃんしゃん手拍子足拍子。
地肌に近いリズムほど、ハイになれるのだ。

昔から音楽に県境はないという。
賛成だ。
音楽は広がっていく。

スペインの情熱のフラメンコはすばらしい。
インカを制圧したスペインの音楽は、南米に根を張っているのではないか。
だってアルゼンチンタンゴはフラメンコにそっくりだ。

そして、ペルーやボリビアのフォルクローレはタンゴに似ている。
楽器が単純になり、悲哀が含められてはいるが。
それが陽気になるとメキシコのマリアッチになる。
一番の変化は、バイオリンが入ったことだろう。
このまま流れはブルーグラスからカントリーウェスタンに移り変わる。

アメリカでは、カントリーはロカビリーからロックへと変わっていく。
では同じアメリカ領土のハワイアンはどうだろうか。
やはりカントリーの影響を受けていると思う。

一番有名な「アロハ オエ」をバンジョー風に弾いてみよう。
♪タンタカタンタカタンタカタン タンタカタンタカタンタカタン
どうだ、いかにもカントリーじゃないか。

で、日本の初期フォーク、
高田渡や加川良、なぎらけんいちの歌ははっきりカントリーだ。
おーなるほど、心が躍るわけだ。

ええと、今回、まったく自分の好みだけでしゃべってすいませんでした。
でも、誰かその方面にはまらないか、楽しみにしてますのよ~






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20070516123854
昨日は飲みに行った。
家計で。

予定の店に行ったら、
『まことに勝手ながら休みます』
仕方がないので、別の店に。
そしたら、そこも、まことに勝手ながら休みだった。

どうやら、連休の振り替えみたい。
で、以前行ったことのある店に行ったんだけど、ちょっと欲求不満だわ。

そんなに気取らなくていいから、軽いおつまみもおいといてほしい。

というわけで、サガミでまた飲んじゃったよ。
最近、忘れっぽくなった。

ひょっとしたら、昔から忘れっぽかったことを忘れてしまって、
最近になって忘れっぽくなったと思っているだけかもしれない。

誰だったかは忘れたが、私のほかにも、
「最近忘れっぽくなった」
と言ってた人が、いたような気がする。
人間はどんどん忘れっぽくなっていくのだ。
だから、世の中の『忘れっぽい』の総量は増える一方なのだ。

土曜日、畑仕事で日焼けをしてしまった。
去年の夏のことをすっかり忘れて、
「今日はあったかいから半袖でいいや」
って感じで、紫外線予防をまったくしなかったのだ。

で、日焼けしたことはすっかり忘れて、
夜、いつものようにお風呂に、たぷん・・・

 ぎゃー!

日焼けでお風呂で悲鳴、
久しぶりの感覚だ。
よし、これをブログに書こう。
と思って、すっかり忘れていた。

で、翌日、日曜日の夜、
日焼けのことはすっかり忘れて、お風呂にたぷん・・・

 ぎゃー!

二日目でもかなりしみた。
よし、このことをブログに書こう。
と思っていて、すっかり忘れていて、今に至る。


中学一年のとき同級生に『オリエント急行の殺人』を紹介されてから、
推理小説が好きになった。
ファンによるランキングやガイド本を読んで、
「死ぬまでに有名なトリックは全部知っておきたい」
と思うようになった。

かなり売ってしまったが、名作と思った本はたくさん置いてある。
が、内容はすっかり忘れてしまっている。
若い頃読んだインパクトの強い作品、有名トリックはさすがに覚えているのだが、
後になって読んだ本ほど記憶がなくなっている。
中には面白かったかどうかさえ覚えていないので置いてある本さえある。

おかげで再読ができそうだ。
老後にもう一度、一から読み直そう。
ひょっとしたら、もう本は買わなくていいのかも。


ところで、『忘れっぽい』ってどういうことだろう。
普通「っぽい」って動詞につくだろうか。
魚っぽい、油っぽい、子供っぽい・・・
白っぽい、哀れっぽい、色っぽい・・・

『動詞』プラス『っぽい』だと、
蹴りっぽい、食べっぽい、耕しっぽい、鍛えっぽい・・・
なんだかおかしいじゃないか。

あ、「飽きっぽい」ってのがあるか。


どうも最近、理屈っぽくなった。





↑もちろん、忘れずクリックしてね







五月の私は貧乏だ。
なぜか出費の重なる月なのだ。

なんと言っても菜園シーズン。
苗やら種やら肥料やら、野菜を収穫しても元が取れないだけお金がかかる。
なので、なるべく家計子さんに援助してもらおうと思うのだが、
鬼のサイフ番、ちづるの防御はきびしい。

そしてゴールデンウィーク。
たいしたイベントは無いのだが、
それでも、ちょいとお出かけすると、なにかしらお金は出て行くのだ。
「お金に羽根が生えたように」というたとえがあるが、
おそらくこの季節がお金の羽化の時期なのだろう。

さらに、GW明けの週。
ちづるの誕生日、オヤジの誕生日、母の日、と、
理不尽な記念日が目白押しだ。

今日は、私の実家に行った。
ちづるが私の母にカーネーションをくれた。
私はオヤジに島の写真集をプレゼントした。
要するにお祝いコラボにしたのだ。

オヤジの写真集の感想は、
「中途半端やの」
それよりも、手土産の饅頭のほうがうれしかったようだ。
で、肉やら明太子やら、食べ物をいっぱいもらって帰った。


夜は、ちづるのお母さんと食事に行った。
なんにしようか考えた挙句、選んだのがうなぎ。
久しぶりのうなぎ、うふふ。

お店は大盛況でずいぶん待たされた。
私はうなぎは大好きなのだが、待つのは大嫌いだ。
だがうなぎで待つのは覚悟のうえ。
うな重の味は、待った甲斐があったってものだ。
日本人でよかった。
うなぎを生クリームで煮るような国に生まれないでよかった。

そのうなぎをお母さんにおごられてしまった。
母の日なのに。
「何を言います、おかあさん。ウチが払いますがな」
「ええのええの、ちづるの誕生日の祝いにごちそうするんやで」
ちづるは早々と「ごちそうさま」
さすがは鬼のサイフ番。


なんだかんだで、結局利益を得ているワシら。





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一服

20070512124159
朝から畑で働いて、お昼ご飯を食べたとこ。
近くの食堂で焼きそばとおにぎりを食べました。
トマトの植え付け前に、ちょっと一服。
暑いなあ。
11時から30分間テレビを見て、

風呂に入って、ブログを書くつもりだったのに、

目が覚めたら、1時半。


1時半だということよりも、

なぜ、目が覚める、というような事態になったのか?


「寝てしまった・・・」

と茫然自失の私。

「アタシも」

と答えるちづる。


風呂から上がると、ちづるは寝転んだままテレビを見ていた。

おそらくもう一眠りするのだろう。







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どうしたものか、私の鼻の中には時々デキモノができる。
なんだかムズムズするのでつい手をやってしまうのだが、
これが触るととても痛い。
最近は慣れてきたので、
「あ、またデキてきた」
と思ったら、すぐ軟膏を塗って、大事には至らない。

でも、たまにこいつが育ってしまうことがある。
そのときはもう本当に不愉快だ。
気になるし触れないし、ずんずん痛むし見た目も悪い。
それでも、だいたい2~3日で治るので、
「あさってには楽になっている」
と、唱えてガマンする。

そういうときに備えて、なんでもないときに鼻を触って、
なんでもないときのなんでもなさを体感しておく。
そして、痛くなったときは、
「あさってには、あのなんでもない状態に戻っているのだ」
と、自分を励ますのだ。


だんだん痛くなっていくときはそれでいい。
だが、瞬間的にド痛い目にあったとき、そんな余裕はない。

角vs足の小指
角vsむこうずね
輪ゴムvs冷たい手
指先vs圧力
すり傷vsレモン

今回、私が戦ったのは、人類最大の敵『とげ』だ。
通称『とげ』だが、バラなどの植物が持つ『とげ』ではない。
刺さったから『とげ』と呼んでいるが、本当は『木のささくれ』だ。

普通、とげが刺さったら「痛っ!」となる。
ところが、刺さる場所によっては、微妙に違うニュアンスの感情が表れる。
もちろん痛いのだが、それよりも「しまった!」に近い感じだ。
瞬間的だから、言葉にはならないが、そんな信号が発信される。
そして、少し背筋を冷たいものが走る。
とげが刺さったのは、右手薬指の爪の間。

長さは5ミリ。
大げさではない。
爪に沿って刺さったらしく、とげが爪に透けて見えている。
刺さったままでとげの長さが測れるというまれな例だ。

そんなことはどうでもいいから、早く抜きたい。
用意のいいことに、私は常に毛抜きを持ち歩いている。
待ちに待ってた出番が来たぜ。
でも、問題はもっと厄介なことになっていたのだ。

このときの私の手は、爪が伸びていた。
とげの頭は爪と身の間にすっかり収まっている。
毛抜きでとげの頭をつかむには爪を切るしかない。
果たして、とげの頭を切らずに爪だけ切ることができるのだろうか。

まず、爪を端から切っていき、とげの手前で止める。
反対側からも同じように切っていき、止める。
ちょうどとげの位置だけで爪がつながっている状態になる。
あとは爪を曲げ、ぐるぐる回してちぎった。
現れたとげの頭を毛抜きでつまんで抜く。

ここで私はしくじった。
抜いたはずのとげを落としてしまったのだ。
いや、落としたとわかっているならいい。
無い、ということだと、落としたのか抜けてないのかわからないのだ。

爪にはまだとげの後が透けている。
でも、とげがあるのか抜けた跡なのか判断できない。
んがー、じれったい。


三日たった。
特に痛くないところを見ると、どうやら抜けていたらしい。
よかったよかった。
でも、やっぱり抜いたとげは一目見たいものだ。





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予定通り、ジムを休んで畑へ。
でも、なんだかそんなに乾燥してないなあ。
でもまあ、せっかく来たんだから、水遣りをしていこう。

で、用水に行ったら、流れてる水が少ない。
いつもならふちぎり流れてるのに。

今は植えてある野菜も少ないので、二往復もしたらことが足りてしまった。
うー、なんだか物足らん。

早めに帰って、植える前の苗にも水をやった。
家に入って、テレビをつけた。

ちょうど天気予報。
三重県・・・明日は・・・雨・・・

なんだとっ!

今週はずっと晴れるんじゃなかったのか!
次の雨は来週の月曜じゃなかったのか!
何が『まとまった雨になるでしょう』じゃ!
何が『お出かけの際には傘を忘れずに』じゃ!

予測する能力がないのなら、週間予報なんか公表するな!
新聞の番組欄に『天気予報』と書くな!

『天気占い』にしろっ!
あるいは『お天気toto』にしろっ!
もしくは『晴れたらいいな』にしろっ!

わからんときはわからんと言え!
まったくこのてるてる予報士どもが!


ちづるが帰ってきた。

味噌を買ってきてくれただろうか。
今朝は味噌がなくて味噌汁の代わりにワカメスープ。
畑に来る前にいつもの味噌屋に寄ったのだけど、今日は休みだった。

そこで(ふふふ)畑からケータイでちづるにメールをしたのだ。
もし、買い物に行ったら味噌とネギを買ってきて、と。
こういうときだけはケータイを持ってよかったな、と思う。
さすがは文明の利器だ。

でも、ちづるは手ぶらだった。
「買い物は?」
「きょうは行かへんだよ」
なるほど、行かなかったのなら仕方ない。
私は「もし買い物に行ったら」と送ったのだ。

するとちづるがこう言った。
「いや~、今日はまいったわ。ケータイ忘れてって」





なんだとっ!





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20070509124837
昨日はジムが休みだったので飲みに行った。
今日はジムを休んで畑の水やりだ。
少し離れた用水からバケツで水を運ばなければならない。
これがけっこうな重労働なのだ。
だから、ジムの代わりになるかなあ、と思って。
ダメかしら?
時代は今、浅尾美和だ。

あの笑顔、あのスタイル、あの衣装。
・・・たまらんっ!

と言ってはいるが、特別ファンというわけではないのだ。
では何が私をこんなにも駆り立てるのか。

浅尾美和、三重県出身なのだ!

地味でマイナーで影の薄い三重県。
美人系の出身者と言えば、
あべ静江、渡瀬マキ(リンドバーグ)、加藤紀子、水野美紀。
スポーツ系なら、
野球の沢村栄治、マラソンの瀬古利彦、野口みずき、
レスリングの吉田沙保里。

なにしろトータルで有名人が少ないからムキになってしまう。
そこでこの人の登場だ。
なんだか華やかでいいなあ。


だがしかし、ビーチバレーって、それでいいんだろうか。
ビーチじゃなきゃダメって、おかしくないか。
傾斜とか風とか、ビーチって厳格なスポーツに向かないんじゃないだろうか。

実は私、スポーツはほとんど見ない。
球技は苦手だし、格闘技は嫌い。
タイムを競う陸上競技や水泳、モータースポーツは退屈だし、
華麗さを競うフィギュアスケートや体操は、
失敗しやしないかヒヤヒヤするので見たくない。

昔はプロレスが好きだった。
いろんなキャラクターのレスラーが戦っているのは面白かった。
でも、K1やらプライドやらが台頭してきてつまらなくなった。
だって、みんな真剣なんだもん。

もうずいぶん昔、何回か前のオリンピックだ。
夜中にチャンネルをひねったら、偶然やっていたのが女子高飛び込み。
これがとても面白かった。

この競技、空中でグネグネ回ったりひねったりするが、
着水の時水しぶきを立てないことが一番重要なのだ。
私はこれを見て「着水」という職人技を競う競技だと思った。
それが、観客が見ててもわかるのだ。

しぶきが上がると観客席から「OH~」と落胆の声が、
成功するとやんやの喝采が送られる。

どこかの国のなんとか選手が見事な技を披露した。
「ちゅぽっ」って水にはいったのだ。
観客は割れんばかりの大拍手。
アナウンサーは、
「まさに針を水に落としたかの着水です」
と叫んでいた。

というわけで、私が一番好きなスポーツは「女子高飛込み」だ。
でも、なかなか観る機会がない。
その後のオリンピックでも、ぜんぜん中継してくれない。
なので、浅尾選手は「女子高飛び込み」に転向してくれんかなあ。

なお、なぜ「女子」限定かというと、
そのとき偶然見たのが女子だったからですよ。
だけど、男子はいいや。





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食べ物に対するこだわりはいろいろあるが、
夫婦でも、それはなかなか一致しない。

たとえば、私はごはんのおかずは何種類か欲しい方だ。
外食の時も、セットものを注文することが多い。
ラーメンでも、タンタンメンみたいに具が一種類なのは頼まない。
チャーシューとか玉子とかメンマとか、いろいろ乗っているのが好きだ。

それにひきかえ、ちづるは淡白だ。
私がいないときは、ごはんとみそ汁だけ、なんてこともある。
自称「なんでもいい派」だとか。

先日は焼きそばを作ったそうだ。
具はハムとタマネギで味付けは塩コショウ。
なんとシラシラした焼きそばだ。
私ならそれは認めない。
なぜ、紅ショウガを入れてソースの味付けをしないのだ。

以前、お好み焼きを食べに行った時は驚いた。
薄いソースをさらっと塗っただけで食べていたのだ。
なんとシラシラしたお好み焼きか。
お好み焼きはこってりソースにマヨネーズ、
削り節とアオノリをふるのが当然じゃないか。

そういう点を追求すると、必ず同じ答えが返ってくる。
「焼いてくれるならそれでいい」
要するに、一番重要なのはめんどくささなのだ。
ごはんとみそ汁だけ、というのも洗い物を減らしたいだけなのだ。

こんな何でもいい派を標榜しているちづるだが、
私は「こいつは食べ物にうるさい」と思っている。

初めて入った店への評価はちづるのほうが厳しい。
店を出るなり
「ここはもう来んでもいいな」
と宣言する。

塩辛や漬物を私が買おうとすると、
「色が悪い」
と言って却下する。

保存料や着色料にもビンカンだ。
賞味期限にもかなりビンカンだ。
景品が当たる得点シールのある商品には更にビンカンだ。

このようなちづるが特にうるさいベストスリーを発表しよう。

  第3位 おはぎ
ちづるはおはぎが嫌いだ。
甘いものとごはんの組み合わせが許せないらしい。
餅も甘いものを好まない。
ただの酒飲みか。

  第2位 茹で方
ちづるは茹で方にうるさい。
茹で過ぎを異常に恐れている。
麺類にしろ野菜にしろ、ちょっとでも茹で過ぎようものなら、
まるで人間失格といわんばかりに白い目でにらみつける。
やっかいなのは、私の母が一旦茹で過ぎなければ気がすまないタイプだということだ。

  第1位 イカ
ちづるはイカがとても好きだ。
スーパーの寿司パックも、イカを選択の基本にしている。
それがゆえに、イカには特に厳しい。

居酒屋などに行った時、わたしが
「今日のイカはよかったな」
と思ったときでも、せいぜい、
「まあまあ」
という評価しか得られない。

私の記憶では、ちづるがイカをほめたことは一度しかない。
で、そのことをちづるに言ったが、
ちづるは覚えていなかった・・・
うまかったとこは覚えておけよ。





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今日も、ちょいとお出かけをしていた。
その道中、妙に気になる看板が目に入った。

大きな白地の背景にたった一文字『ゆ』というひらがな。
これを外国人が見たら何と思うだろう。

『ゆ』はひらがなの中では飛びぬけてややこしい。
たとえば『ほ』は画数は多いが理屈がわかりやすい。
『む』は複雑だが、形状をつかみやすい。
『な』や『み』は骨格がしっかりしている。

『ゆ』はなんだか相手を惑わそうとしている。
今、見えている『ゆ』は省略されているだろうが、
実際書かれているのは一筆書きで全部つながっている『ゆ』だ。

書き方は上から下へいって、上で下で上で下だ。
たとえるなら・・・


夢見がちなやすよは恋する乙女。
授業中も浮かんでくるのはたかしのことばかり。
ふと気がつくと、いつの間にか教科書のはしっこに、
「たかし」と書いてしまっていた。
そこへ、隣の席のともこが、
「あら、やすよ。なに書いてんの?」
「えっ、なんでもない、なんでもない」
「なによ~、見せなさいよ」
「ダメー!」
あわてて「たかし」の文字をグジャグジャグジャ・・・


この「グジャグジャグジャ」のかたちが『ゆ』なのだ。
漢字以外で、こんなに複雑な一文字は『@』ぐらいしかないだろう。
この『ゆ』がどーんと一文字。

一文字で看板、といえば『P』があるが、これは「パーキング」の頭文字だ。
いわば省略形だ。
それにひきかえ『ゆ』はこれがひとつの単語だ。
漢字で『湯』
英語で『HOT WATER』

これが看板に書かれたとたん『風呂』という意味になる。
会話の中でも、普通は『ゆ』といえば『お湯』のことだが、
「湯に行く」
という場合だけ『風呂』の意味になるという、ユニークな使われ方をする。
これを外人にどう伝えたらいいのか。

さて、我が三重県の県庁所在地は『津』だ。
駅の表示板には、大きく
『つ』
と書いてある。
これを外人が見たら何と思うだろう。





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まったくこのチラシの量よ!
まるで新聞が電話帳みたいな重さだ。
配達の人の握力が心配だ。

新聞の折込チラシとは宣伝だ。
だから、その内容は、
「安いですよ~」
「いいモノですよ~」
「はじめますよ~」
のどれかに当てはまる。

最近は、パチンコ店の、
「出ますよ~」
各種大型店の、
「ポイントがいっぱいつきますよ~」
ってなのもある。

ひっくるめると、
「ウチの店に来るとお得ですよ~」
と言っているのだ。
そりゃそうだ、損は売り物にはならない。

ウチの近くのスーパーがチラシを出していた。
スーパーと言っても、同じ建物の中にいろんな店が入っている。
本屋、写真屋、薬屋、靴屋、おもちゃ屋、めがね屋、百円ショップ。
その全ての店が何らかの「お得ですよ~」を発表している。

その中に、マッサージやさんがあった。
マッサージ料がお得に、つまり安くなっていた。

なんとひどい話だろう。
商品を売る店はいい。
値段を下げても、お客さんが増えればトータルの利益は上がる。
しかしマッサージやさんの商品は労働力だ。
お客さんが増えれば、それだけ労働も増える。
いわば、安くこき使われることになるのだ。
多少収入が増えても、ヤケ酒に消えてしまうに違いないじゃないか。

マッサージ屋さんは割引なんかしたくないと思う。
ただ、ショッピングセンター全体が安くするイベントをするので、
参加しない訳にいかないだけなのだ。
つまり、グループの圧力で安くさせられているのだ。


昔、勤めていた会社では、残業が8時を過ぎると夜食が出た。
遅くなりそうな人は、数種類のメニューから選んで注文した。
話によると、お店と会社との契約では、一品300円までだったらしい。
古い話だが、当時でもこれはきつかったと思う。

ある日、ラーメンからチャーシューが消えた。
店としては苦肉の策だったに違いない。
しかし、こんなに悲しいことがあるだろうか。
ラーメンから、チャーシューが消えたのだ。
「悲しみはボクの丼に」だ。
元ネタはなんだ?

作るのは店、食べるのは社員、払うのは会社。
このゆがんだ三つ巴が、悲劇を生んだ。
会社は悲しまない。
300円で納まりさえすればいいのだから。
しかし、社員の心にはチャーシュー1枚分の穴がぽっかり開いてしまったのだ。


安くするというのは、こんなにもダメージの大きいことなのだ。
みなさんにも、そういう一面を考えてもらいたい

ただ、ラーメンでもマッサージでも、値段が上がるのもとても悲しい。
それはもう、台風の強さで言うなら、猛烈に悲しい。
ああ、何もかもずっとこのままでいてくれたらいいのに。





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暑い。
それもそのはず、もう五月だ。

目が覚めたらふとんがあっちの方にいっていた。
パジャマの袖がうっとうしい。
私は暑がりなのだ。

連休の谷間の出勤日。
だらりん具合最高潮のこんな時こそ、
身を引き締めるためにも衣替えだ。
カバンじゃなくて、コロモを替えるのだ。

朝っぱらから押入れの衣装ケース引っ張り出し、
冬用の紺の作業服と、夏用の薄いグリーンの作業服を入れ替えた。

今までは、
Tシャツ、トレーナー、上着、
だったのだが、今日からは、
ノースリーブ、半そで作業服、上着、
になった。

やっかいなのは持ち物だ。
これからは上着を脱ぐ機会が多い。
今まで上着に入れていたものを、半そで作業服に移動しなくてはならない。

だからと言って、全て移動する訳にはいかない。
夏服のポッケは小さいのだ。

とりあえず、肌身離さず持っていたい、サイフとメモ帳が移動した。
車のキーや、目薬、リップクリームは上着でもいい。
軍手とバンダナは上着の腹ポケットのままだ。
手ぬぐいはオシリだから問題ない。

しかし、仕事中につけているエプロンとシザーバッグの小物も、
できることなら、なんとかしたい。
ナイフとヘラは必需。
マジックとメジャーは、まあいいか。

それにしても、移動初日はあたふたするものだ。
何がどこやら、とっさにも熟考しても思い出せない。
慣れるのは、冬服に衣替えする頃だろう。

それにしても、いまだにケータイがカバンの中だ。
先日、ジム仲間の人に、
「ケータイの電源はいつ入っているのか」
と訊かれた。

「昼休みの15分間」
と答えたら怒られた。
ごめんなさい。
それも毎日じゃないんです。





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