私は趣味で野菜を作っている。
今日も、畑を耕してきた。
興味のない人には、
「よくそんなことやっとるなあ」
と言われるが、趣味だからやっていられるのだ。
これが職業だったらまっぴらだ。
絶対続けられない。
同じ様に、私はブログにダダクサな絵を描いている。
ここんとこサボり気味だが、トータルで400ぐらい描いた。
飽き性な私にしては、よく続いていると思う。
これも、仕事じゃないからできるのだ。
これが職業なら、とうの昔に音を上げているだろう。
世の中には絵を描くことを職業にしている人が数多くいる。
数多くいるということは、ピンからキリまでいるということだ。
ピラミッドのてっぺんにいるのは『画家』と呼ばれる人たちだろう。
もちろん、自分で『画家』だと名乗れば『画家』なのだが、
問題はそれで食っていけるかということだ。
『画家』は好きなものを描いて、その作品を売る。
絵を商売にしていて、好きなものを描けるのは『画家』だけだ。
あとの人たちは、描く対象かテーマかお題が決まっている。
デザイナー、漫画家、イラストレーター、看板屋、挿絵画家、
銭湯に富士山を描く人、トラックにマリリン・モンローを描く人、
背中に昇り竜を描く人、交番の前に張り出す似顔絵を描く人。
描く人あれば、描かれる人あり。
モデルだ。
ここでもトップは『画家』書かれるモデルだ。
ただ『画家』てな人種は何を描きたがるかわからない。
某もな田りざ子さんのように、後世まで名が残ることもあるし、
ヌードまで披露した挙句、出来上がった絵のタイトルが
「太った女」
なんて、犯罪のきっかけになる場合もある。
とはいえ、絵に描かれるというのは大抵よいことだ。
名前が売れているとか、魅力的だとか、憧れの的だとか。
例外は指名手配のモンタージュぐらいか。
あれは本人も描かれたくないだろうし、
発表する側もできたら写真を使いたいだろうから、別物だろう。
ただ、こいつらだけは描かれたくないという職業がある。
法廷画家、という奴だ。
写真撮影が禁止されている裁判の様子を、
ニュースなどのために描く職業だ。
もちろんそういう状況に陥るというだけでも遠慮したいが、
それよりも、あの描かれ方はひどいと思う。
あれだけの絵が描けるなら、もっと似せられるだろうに、
何もあんな描き方をしなくても、と思ってしまう。
被告には先入観というか、テレビ的イメージがあるのだろうが、
これも刑罰のひとつか、と言うほどの描かれ方だ。
あんなに悪意のこもった絵はなかなかないだろう。
決してそういう状況にはなりたくない。
もし私がそうなったら、あいつらのことだ。
毛を三本に描くかも知れない。

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