2007年01月

ここでは、2007年01月 に関する情報を紹介しています。
インターネットの情報量というのはすごい。
しかし、そのほとんどは視覚によるものだ。
ニオイ、味、肌ざわりなどは伝わらない。
これをなんとか言葉で説明しようと、大勢の人が苦労している。

では、音はどうか。
これは可能だ。
でも、私には不可能だ。
動画や音楽を公開しているブログを、指をくわえてみているだけだ。
私にとっては、音や音楽も言葉で説明しなくてはならないものだ。

そう考えてみると、ベートーベンは偉い。

♪ジャジャジャジャーン

わざわざ言わなくてもわかるだろう。
これは彼の作曲による『運命』だ。
世界で唯一、カタカナで伝わる音楽といえるのではないだろうか。
ではこれを分解して考えてみよう。


ジャーン

これは、何かが現れる時の効果音だ。
ドラえもんがポケットから道具を出した時などに使われる。
アニメでそのシーンに流れる「♪トテトテー」に当たる。
ああ、やっぱり音楽は伝えにくい・・・


ジャジャーン

これも登場の効果音だが「ジャーン」よりインパクトが強い。
ドラえもんでたとえるなら、
スネ夫が親に買ってもらった高級なおもちゃを見せびらかす時に使う。


ジャジャジャーン

更に強烈になった効果音がこれだ。
こんなくどい登場をするのはジャイアンしかありえない。


♪ジャジャジャジャーン

ここまで来てやっと音楽になる。
勝手にメロディーが浮かんでくるではないか。
頭に『♪』も付こうというものだ。


ここまで書いて、ふと思ったのだが、
ジャイアンの「ぼえ~」もある意味すごいのではないか。
どんなメロディーかは皆目見当がつかないのだが、
どういうタイプのものであるかは、ものすごく伝わってくる。


さて、音楽は言葉で伝えるのは難しいと書いたが、
実際に耳で聞いても紛らわしい時がある。
よくネタに使われるのだが、

♪チャンチャンチャーン チャンチャンチャーン 

これは「青い山脈」の前奏だ。
「ジングルベル」の出だしと同じだ。
でも「ジングルベル」なら、

♪シャンシャンシャーン シャンシャンシャーン

と書いた方が雰囲気が出る。
言葉の方が伝わるという珍しい例だ。

先日、仕事中どこかから「YMO」の「ライディーン」が聞こえてきた。
どうも誰かのケータイの着メロらしい。
そのあと聞こえた電話に出る声は上司T。
「ライディーン」ではなく「北の漁場」のサビ部分だった。




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人類はがんばった。
ああしたい、こうしたい、と思ったことをどんどん実現した。
もっと便利に、もっと楽にを合言葉に、機械文明を発展させていった。
いまや全自動でできないのは、爪切りと耳掻きぐらいだ。

こんなに進歩した文明社会だが、ちょっとやりすぎたのかもしれない。
ほんの少しだけ後戻りした。

ガソリンスタンドがセルフになった。
今までのガソリンスタンドといえば、
車をつけるとわらわらと人が寄ってきて、
至れり尽くせりのサービスをやってくれた。

それがいまや「自分のことは自分でしなさい」といわれるのだ。
わざわざ車を降りていって、危険物の取り扱いをしなくてはならない。
これを文明の退化といわずしてなんというか。

ガソリンスタンド側にしてみれば、機械化が進んで手間が減り、
人員削減、経費節減ということになるのだろう。
しかし、民間の「便利」が少し減ったのは間違いない。


自動ドアが「やや自動ドア」になった。
今までなら、ドアの前に立てば勝手に開いた。
なのにいつの間にか「ちょっと触ってください」になった。

自動ドアの「自動」には二通りの意味がある。
「勝手に開く」と「勝手に閉まる」だ。
閉まるのは勝手に閉まってもらいたい。
ときどき、普通の戸を勝手に自動ドアだと思って、
開けっ放しにするやつがいて、店内が寒くなることがあるからだ。

開くのは、あんまり自由奔放に開かれても困る。
誰もいないのに勝手に開かれると、店内が寒いだけでなく、
店員がうっかりムダに「いらっしゃいませ」を言って、
店の空気を寒くさせることがあるからだ。

自動ドアの一番の問題点は「ドア」じゃないところだが、
その問題はまた別の機会にしよう。


そして、何よりも退化したのは「お米」だ。
今はみんな米びつか米袋から、一合のカップで米をすくう。
しかし、ほんの少し前までは「ハイザー」という機械があった。
中に米を入れておけば、一号でも一合半でもボタンひとつで、
欲しい量の米が下から出てくる。

この便利な機械を最近見ない。
電源も要らない優れものだったのに。

今でもまだ売っているのだろうか。
電源が要らないということは、電器店では扱っていないだろう。
ではどこで? といわれると、どこで売っていたのか見当がつかない。
ハイザーのメーカーというのも思い出せない。

若い人はハイザーを知っているのだろうか。
「え~、ウソ、なにそれ、しらなーい」
と言われるのだろうか。
そして、私が古いとか遅れてるだとか言われるのだろうか。
ふふん、いいさ。
慣れてるもん。




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先々週、畑を起こしていて、
冬眠中の蛙を掘り起こしてしまいました。

その呪いかたたりか、
眠らされてしまいました。

恐ろしいので逆らわないことにします。

ほな。




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まったく迷惑で不愉快なことに、
町のあちこちでスプレーの落書きを見かける。
公共、私有にかかわらず、白い壁やガードレール、
シャッターにまで平気でやっていく。
「やっていく」というのはヘンな言い方だが、
あんなものを「書く」とか「描く」とは言いたくないのだ。

こんなものにも流行があるのか、
最近の落書きは、丸くたいアルファベットが多いようだ。
迷惑度は一切変わらない。
しかし、不愉快度は断然アップだ。
何が不愉快って、これをやったロクデナシのフンコロガシ犯人どもが、
「アート気取り」でいることだ。

だいぶ前にこの問題をニュース番組で取り上げていたのだが、
捕まった低能ケジラミ娘がこう言った。
「自分の作品を人に見てもらいたかった」

サ・ク・ヒ・ン・・・?

ナニをぬかすか、この鍾乳洞アタマのオムツ野郎が!
作ってもいないし、品もないではないか!
オリジナリティゼロの猿真似で、
まっとうなコンテストに出品する能力もセンスも度胸もないくせに!
そんな世迷言吐く口は左前にひん曲がってしまえ!


はぁ はぁ はぁ


さて、迷惑はかけない芸術家もどきは案外身の回りにもいるものだ。
高校時代の知り合いに、靴の絵ばっかり描いているやつがいた。
絵と言っても、ノートの端っこに描く落書きで、どれもずんぐりむっくりだ。
「ヘタクソやの~」
というと、わざとそうしているのだと言う。
つまり「デフォルメ」しているつもりなのだ。

以前会社にいたおっさんはすごかった。
ともかく、字は崩せば書道っぽいと思っていたのだ。
「書き順が違うよ」
「ええのええの」
「線が一本多いけど」
「ええんやって」

要するに、この二人は「あえて」そうしている、と言いたいのだ。
この「あえて」が曲者だ。
「よけいな考えだとはわかっているけど、わざわざそうしているのだよ~ん」
まさに奇をてらって失敗した時の言い訳用のことばだ。

むかし、数人の監督によるオムニバス映画で『バカヤロー』というシリーズがあった。
主人公が最後に「バカヤロー」と叫ぶまでを描くのだが、一話だけそれがなかった。
「あえて言葉を使わず『バカヤロー』を表現した」
というような監督の説明がパンフレットに載っていたが、それはないんじゃないの。
(記憶違いだったらすいません)

料理人がその腕を競う番組「料理の鉄人」で、鮎がテーマ食材だったとき、
どんな料理が出来上がるかと衆人が見守る中、
「あえて普通の料理にしてみました」
という鉄人。
みんながっかりして、もちろん鉄人は勝負にも負けた。

このように「あえて」という言葉は、
「自分のセンスにおいて、その道を選択した」
と言いたいときに使われるのだが、結局は独りよがりで終わる場合が多い。

しかし、ここで考えてみなければならないのは、本当の芸術だ。
なんと言ってもピカソ。
あの絵は「あえてこう描いてみた」としか思えない。
私に良し悪しはわからないが、ピカソは認められている。
そこで私はこう考えた。
非常に微妙で危うくて確率の低い「あえて」の中から、
正しい「あえて」を見つけ出し、実行できるのが、真の芸術家なのだろう。
なんて偉そうなワシ。

今回、話の前半、中盤、後半と、内容が一貫していないように見えるのだが、
それは・・・ふふふふふ





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コンビニでおにぎりを買うとしよう。
最近は種類が豊富なので、けっこう悩んでしまう。
そういいながら、買うものは決まっているのだ。
鶏五目、梅シソ、鮭、のうちから選ぶのがいつものパターンだ。
それなら悩む必要なんかないではないか。
いや、悩みの肝はそこではない。
「定番」にするか「挑戦(チャレンジ)」するかの悩みなのだ。

それは、カラオケで十八番を歌うか、新曲を披露するかの悩みに似ている。
定番は心地いい。
なんとなく安心できる。
「やっぱりこれよこれ」という幸せを実感できる。

新曲には緊張がともなう。
「キーこんなに高かったっけ?」
「出だしのタイミングまちがえた~」
「英語が早すぎるー」
うまく行くかどうかはひとつの賭けだ。
それだけに成功した時の喜びもひとしおだ。

コンビニの棚の前で思う。
自分は保守派か、チャレンジャーか?
それでもおにぎりなら悩みは少ない。
いくつか買うことができるからだ。
一個は定番、一個はチャレンジ、もう一個カレーパンでもOKだ。
その点、お店で食べる時はメインは一つに絞らなければならない。

お酒を飲んだ後のシメにお茶漬けを食べることがある。
私の場合、まず「鮭」に決まっている。
ときどき「梅」を頼むことがあるが、このへんが定番だろう。
しかし、ほんのたまに「しぐれ」を注文してしまうことがある。
しぐれはしぐれでおいしいのだが、定番ではない。
食べ終わった後、
「やっぱり鮭がよかったかな~」
とわずかながら悔いが残る。
シメなのに。

昔よく通ったラーメン屋がある。
「あんたは塩バターチャーシューやったな」
と、覚えられるほど同じものばかり食べていた。
でも、毎回ちょっとずつ悩んでいたのだ。
15回に1回ぐらい「カレーラーメン」を食べた。
そして帰りには塩バターチャーシューが食べたくなっていた。

これが何度も通ってしまう店の魅力なのだ。
好きなメニューを食べ続けていると、他のものが食べたくなる。
そう思って違うものを食べると、やっぱり定番が恋しくなる。
焼肉を食べ過ぎたときの、
「もうしばらく肉はいいや」
の逆なのだ。
常に不足感があるのだ。

今、お気に入りのうどん屋がある。
いつもミニ丼とうどんのセットを頼むのだが、
4種ある丼でとても悩む。
天丼、牛丼、鉄火丼、かき揚げ丼。
どれもとてもうまいのだ。

そこで私は考えた。
ちづると別の丼を注文して、ちづるが残したらいただこう。
そうすれば少なくとも2種の丼が体験できる。
ところが、最近のちづるは残さない。
・・・一目瞭然。





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仕事中、ふと気づくとあちこちに血がついている。
見れば、右手中指の先が真っ赤だ。
「しまった、アカギレが割れたか」
と思ってよく観察してみると、傷口が二つある。
アカギレの横を紙で切ってしまったようだ。
見てしまったのが失敗で、痛さに気づいてしまった。

商品を汚してはいけないのでバンソウコウを貼る。
ついでにアカギレにも貼る。
両手の親指と中指がそんな状態だ。

指先にバンソウコウを貼るといろんなことがめんどくさくなる。
機械のボタンを押すにも気を使う。
ボタンを押すこと自体には問題はないのだが、
バンソウコウ指を使っていると、だんだんバンソウコウが破れてくる。
そうなると、ビラビラしたり、よけいなところにくっついたりして「きーっ」となる。

力仕事もしにくくなる。
かといって、繊細な仕事もやりにくい。
頭脳労働は指に関係なくできない。
対人仕事は嫌い。
じゃあ、何をしたらいいのだ。

仕事なんかどうでもいいのだ。
それよりも生活に支障が出ている。

さっき、歯を磨いた。
これが面倒くさかった。
バンソウコウはぬらすとよくない。
ガーゼの部分が水を吸っていつまでもシケシケすることになる。
そうすると、皮膚がぶよぶよになるのだ。

とっさにはどの指が使えないかわからないので、
いちいち目で確認して指を使う。
歯ブラシの先を人差し指で洗い、歯磨き粉をつける。
ここからが難しい。
私は歯磨き粉をぼだぼだたらしながら磨くタイプなのだ。

歯ブラシを伝って歯磨き粉が指先につかないよう、
顔を上に向けて、歯ブラシは上下運動だ。
磨き終わったら、またフリーの指で歯ブラシを洗う。
うがいにも一苦労だ。

さらに苦労が待ち受けていた。
薬塗りだ。
たとえば、小指は鼻の穴に薬を塗る時や、
残り少ないリップクリームをほじくるのに必要だ。
あんな部分にそういう薬を塗るためにはこの指をキープしなければならない、
なんて自体もたまにある。

中でも一番困るのが、アカギレの薬を塗る時だ。
普段はチューブタイプのオロナインを、アカギレの患部に注入し、
その上にバンソウコウを貼るのだが、寝室のオロナインはボトルタイプだ。
うっかり広い範囲に薬がつくと、バンソウコウのシール部分が引っ付かなくなる。

どうせ寝るんだからいいや、とバンソウコウ無しで、
オロナインをハンドクリームのように手全体にすり込むことがある。
もちろん、手やアカギレのためにはそれでもいいのだが、
たまに、お昼のおにぎりがオロナイン臭いことがある。
オロナインは内服にはむかないのだ。





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むか~しむかしのネタ帳より。




「ああ~、ペットのナメクジがあぁ~!」

「あらまあ、手塩にかけて育てたのにねえ」




みなさん、おやすみなさい。








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一月も末、もうすぐ給料日。
本来なら「わ~い、やっと給料日だ~」と喜ぶところだが、
今は、むしろ焦りの気持ちの方が強いぐらいだ。
なぜなら、今月はまだ家計で飲みに行っていないのだ。

ローンという鉛のリュックサックを背負ってからというもの、
家計子さんが飲みに連れて行ってくれるのは、せいぜい月一回。
しかも、この一回を、
「臨時の支出があったから」
という理由で、簡単に反故にしようとする勢力がある。
ちづると家計子さんだ。

こんな理不尽なことがあるか!
この月一のイベントは、私が休まず会社に行っていることに対するごほうびだぞ。
ごほうびがなかったらアシカだって逆立ちしないぞ。
イルカだって握手しないぞ。
犬は「お手」をしないし、オウムは「こんにちわ」って言わないぞ。

だいたい「臨時の支出」がどんなにしょっちゅうあると思っているのだ。
冠婚葬祭、車検、保険、税金、節分、台風、七夕、お中元、
お歳暮、旅行、病気、大掃除、大安売り、誕生日、海の日、日曜大工・・・
月に一度のイベントは、年に12回しかないのに、
臨時の支出は無限にあるのだ。
これを相殺されたんじゃたまらない。

しかも「臨時の収入」はほとんどない。
ありえないと言ってもいいぐらいだ。
万が一、臨時の収入があったとしても、臨時に飲みに行きはしないではないか!

そういうわけで、日曜日のきのう、飲みに行く話が持ち上がった。
「そうまで言うなら行くか?」
と言われたのだ。
しかし、昨日はあいにくの天気。
車で飲みに行くわけにはいかないので、天気は重要な事項だ。
しかし、今日行っておかないと、次の給料のクールに入ってしまう。

そこで私が選んだのは、
「キープ」
今月分の「飲みイベント」を来月に持ち越す案だ。
つまり、今月行かなかった分、来月二回飲みに行こうというのだ。
もちろん、普段ならこんな案は認められない。

だから私はごねた。
これが認められないなら、雨が降っても本日決行するぞ。
冠婚葬祭を無視するぞ。
ちづるが寝ている間に暖房を切るぞ。

こうやって、ちづるに「キープ」を認めさせたのだ。
案外簡単に認めたちづる。
私がうっかり忘れるとでも思ったら大間違いだ。
私は、これだけは忘れない。
決して忘れないのだ。
来月は二回飲みに行くのだ、家計で!





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朝は、仕事をしながらブログのネタを考えている。
昼休みは、ごはんを食べて、ネタを練る。そのあと寝る。
ジムでウォーキングする日は、歩きながらネタを考える。
夜は風呂でどんな絵を描くか考える。
そうすれば、パソコンの前に座ったら、ささっとブログを書き終えることができ、
年始に誓った、一日一時間の勉強の時間が確保できる、
・・・はずだったのに。

今週はアタマからつまづいた。
気がついたら、2時を過ぎていた。
翌日は睡眠不足だ。
仮眠を取ると寝過ごし、新聞配達の音を聞く。
眠いからテレビを見ながらうたた寝する。
夜中にブログを書く。
眠いから頭が働かない。
時間がかかる。
夜中になる。

まさに悪循環。
睡眠不足がどんどん積み重なっていくのだ。

ゆうべは、9時半に仮眠しようとベッドに入った。
11時にタイマーをセットしたのに、目覚めれば1時。
「明日は休みだから、朝から書けばいいや」
と、風呂に入って寝てしまった。
ところが、日曜は時間の進み方が早い。
もうこんな時間になってしまった。

何がいけないのか。
理由のいくつかは判明している。

1、毎日酒を飲む。
2、部屋が寒いので、テレビの前から離れにくい。
3、ジムでべらべらしゃべっている。
4、昼間、勤めている。
5、書くのが遅い。

特にひどいのが、5だ。
ともかく、書くのが遅いのだ。
以前も書いた入力の遅さもあるが、
書く段取りになってからの考え事が多過ぎる。
気がつくと、関係ないことを考えているのだ。

たとえば、コメントの返事を考えているはずなのに、
いつの間にか、冷蔵庫の残り物のことを考えてたり、
昼間腹が立ったことを思い出して怒ってたりする。
ちづるにも言われることだ。
「集中力がなさすぎる!」


なんだかんだとグダグダ言っているが、
要するに、今書いているこれは「言い訳」なのだ。

そういうわけで、先週は書くものは雑だわ、
コメントへのレスは遅れるわ、
常連さまにはコメントをもらうばっかりで、訪問できずにいるわと、
失礼のオンパレードでした。
今週からは心を入れ替えて、ちゃんとしますので、
どうかやさしく見守ってやってください。
寝てしまったときも、やさしく見守ってやってください。





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人間の性格には、本人でもわからない要素が潜んでいるものだ。
それを確かめるための性格判断というものをよく見かける。
簡単なものでは、いくつかの質問に○×をつけたり、
YESとNOの数で診断したりする。

以前、描いた絵で子供の精神状態を知る、というのをテレビでやっていた。
食器が顔の形に並んでいるから愛情に飢えているとか、
描いた人の体が小さいから人間関係が希薄だとか診断していた。
一枚の絵から、いろんなことがわかるものだと感心した記憶がある。

ちょっとまてよ。
私は、ほぼ毎日絵を描いて、おおっぴらに公開している。
ひょっとすると、わかる人には私の性格が読まれているのではないか。
そういった道の専門家なら、一目で
「ああ、こいつはこうだ」
ってわかるだろう。
知らぬ間に知らぬところで、私は心まで裸にされているのではないか。

毛が四本しかないのは頭髪にコンプレックスがあるからです。
黄色いネクタイはエリートへの劣等感の現れです。
空を背景にしたがるのは束縛されている証拠。
バックにクリーム色が多いのはクリームシチューが食べたいから・・・
そんな風に思われているのではないだろうか。

そういえば「バトン」なんてものもあった。
あれこそまさに、格好の判断材料ではないか。
いくつもの妙な質問に答えさせられるバトン。
案外、配信元は性格判断マニアのサイトなのではないか。

それならそれで、よくある単純な質問では、判断しにくいのではないか。
血液型や職業や好きな食べ物を聞いて、何が判断できるのか。
もっと、その人の内面が現れる質問をするべきなのではないか。

そこで、私がいくつか考えてみた。
名付けて「さあ私の性格を判断してお見せっ」バトン。

1、あなたが長年夢見ていて、やっとオープンした専門店。
  さて、どんな名前をつける?

2、あなたが大企業の開発部であみだした新しい中華マン。
  ピザまんほどではないが、紅しょうがマンよりは売れる、一体何マン?

3、魚ヘンに「弱」でイワシ、木ヘンに「春」でツバキ。
  では、あなたはヒトヘンになに?

4、町外れの古い洋館に棲む、恐ろしいモンスター。
  でも、一部分だけくすっと笑える部分があるんだけど、それはなに?

5、すぐ熱くなる友人が「おまえはことなかれ主義だ!」叫んだ。
  「違う!私は・・・」さて、あなたの答えは何主義?

6、「大きくなったら何になる?」という質問に「意外な犯人」と答えてたU君。
  28歳になった今、何になっている?

7、お母さんが昔から「これだけは煮ちゃだめ」と言い続けていたのに、
  ついうっかり煮ちゃいました。それはなに?


バトンといいながら「ボケましょう」みたいになってしまった。
こういう方法で隙間を埋めようとする人間は○○な性格だ。
なんて判断されてるんじゃないだろうなあ・・・

ちなみに、答えたり廻したりしないように。





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先日、久しぶりにアンパンを食べる機会があった。
甘いもの、特に「アン」系が苦手な私は、自分で買って食べることはない。
とあるパン屋さんに配達に行った者がもらってきたのだ。

スーパーで売っている安物ではなく、
パン専門店で売る、いわば高級品だ。
見た目は小ぶりでもずっしり重い。

まずは一口。
うまい。
苦手なつもりでも、たまに食べるとおいしく感じるものだ。
以前もらったクリームパンも、上司が買ってきたジャムパンも。
一口目は。

大抵の菓子パンは、このあと不愉快な思いをすることになる。
それが偏りと空洞化だ。
アンパンを食べているはずなのに、後半「パン」を食べるはめになる「偏り」
かじった部分から中を見て驚かされる「空洞化」
菓子パンの「プチ詐欺」的一面だ。

しかしさすがは高級アンパン。
重みだけのことはあって、空洞なんてない。
ただし、偏りはあった。
逆の意味で。
つまり、後半、アンの鉱脈に当たったのだ。

まんじゅうの場合、内部はほぼアンで満たされている。
皮の厚いタイプでも、アンはちゃんとセンターにある。
アンマンはうまく均一にアンが入っている。
おかげでアン量の予想がつく。
しかし、アンパンは、アンの目測を誤りやすい。

後半現れたアンの鉱脈は辛かった。
もちろん「からかった」ではなく「つらかった」だ。
空洞がないのはいいけれど、中身が多ければ高級というものでもない。
やはり、適量というものがあるのだ。

ジャムパンだったらどうか。
具の偏りやジャムの量が、アンパンよりも問題になる。
なぜなら「ジャムサンド」というジャム適量均一化された商品があるからだ。

クリームパンは中身の粘度が違う。
子供のころは、中のクリームを指ですくって食べてしまったものだ。
もちろん、パンも食べるのだけど。
つまり、クリームはとろんとしているから、
無クリーム地帯に分配することが可能なのだ。

カレーパンは?
中身がどんなに多くても問題ない。
好きだからだ。

さて、ではアンたっぷりアンパンに救いはないのか。
ある!
へその部分に散らしてあるゴマだ。
あのゴマの風味がアンのくどさを軽減してくれる。
まさに一粒の清涼剤だ。

これが安物のアンパンにはない場合がある。
でも、安物はアンが少ないからゴマはいらないのか。
どちらを選ぶかは、その人の好みと経済力が影響するであろう。





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許可

例文
「もしもし、アタシ」
「なに?どうしたの、こんな時間に」
「急に会いたくなっちゃった」
「ええ?もう夜中だよ」
「今から行っちゃダメ?」
「う~ん」
「ねえ」
「ダメって言っても来るんだろ」
「うふ」


例文の女子のように、私が言いたいことがある。

「寝ちゃだめ?」

つまり、ダメと言われても寝ます。




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ウチの目覚ましは二段構えだ。
小さい音からだんだん大きな音になる目覚まし時計と、
ベートーベンの「歓びの歌」をけたたましく奏でる、ちづるのお古のケータイ。
このコンビのおかげで寝過ごしたことはない。

しかし、一発で起きたこともない。
なぜなら、何回も鳴ることがわかっているからだ。
最初に鳴るのは6時40分、実際に起きるのは7時前でいい。
もちろん、最初のアラームで目は覚めている。
そこから起き上がるまで、頭の中ではいろんな考えが渦巻いている。

最初のアラーム。
この目覚ましはてっぺんを押さえるといったん止まる。
手探りでストップスイッチを押し、ここにあるなと場所を覚える。

最初の「歓びの歌」
ケータイのどのボタンでもいいから押せば止まるらしい。
手探りで音楽を止め、こいつはここだなと場所を覚える。

二回目のアラーム。
場所を覚えたので、腕を伸ばしててっぺんのボタンを押す。
元の位置に戻った左腕が、ふとんの温かさを確認する。

二回目の「歓びの歌」
手探りでケータイをつかんで、音楽を止める。
今日は日曜じゃないかな、そんなはずないな、とあらためて認識。

三回目のアラーム。
薄目を開けて、時間を確認。
ああ、そろそろ決断しなきゃいけないな。

三回目の「歓びの歌」
弁当のおかずは何にしよう。
確かアレとアレがあったはず・・・

四回目のアラーム。
そろそろ起きないとやばいな。
次の合図で起きるとしよう。

四回目の「歓びの歌」
それにしても、こんなにやかましいのに、
どうしてちづるは起きないのか。

こうして、徐々に覚醒していくのだ。

昼休みはまた状況が違う。
寝ると言ってもほんの15分。
上司Tのように、真剣に寝るわけにはいかない。

小さいデジタル時計を前に置いて寝る。
ときどき薄目を開けて見る。
12時50分なら
「ああ、あと10分寝られる」
と幸せになる。

辛いのは、時計が1分きざみの表示だということだ。
薄目を開いた時、12時59分だったら、
あと1分近いのか、数秒しかないのか、わからない。

「あ、59分だ」
と思って目を閉じた瞬間、
「ぴぴぴぴぴ」
って鳴り出すと、まったく不愉快で、午後が台無しになるのだ。
ぴぴぴぴって鳴るんだから、薄目を開けなければいいのだが。





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挨拶は難しい。
礼儀や言葉使いももちろんだが、
その距離とタイミングが難しい。
その目測を誤るととんでもないことになる。

今年は休日に堤防沿いを歩いたりした。
するとけっこう同じように歩いている人に出会うのだ。
すれ違う時に軽く挨拶をするのだが、このタイミングに悩む。

何しろ堤防は見通しがいい。
遥か彼方からお互いを認識する。
しかも分かれ道はない。
顔もわからないぐらいはなれている人と、近い将来、挨拶をするのだ。
という、緊張感が生まれる。

準備期間というのは長すぎるとだれる。
でも、早すぎると「こんにちわ」と言ってからすれ違うまで、
目をあわすようなそらすような、妙に気まずい時間ができてしまう。
で、距離を測り、間を読んで「こんにちわ」と言おうとした瞬間、
タンがからんで意味不明の言葉を交わしたりするのだ。

先日、ジムに行ったとき、ある常連さんに今年初めて会った。
私が更衣室からトレーニングルームに向かうと、
その人がケータイをいじっていた。
まだ距離が離れているとき、その人がこちらをチラッと見た。
会釈するにもあまりにも短い瞬間。

その位置に到達するまでにトイレがある。
まあ、挨拶はあとでじっくり、と思ってトイレに寄った。
用を済ませて出てきたら、もうその人がいない。
ほんのちょっとの間なのに、その人は帰ってしまった。
今年最初の挨拶をしそこなってしまった。
なんとタイミングの悪い。

このように、間がありすぎると、タイミングを逃すことがある。
だからと言って、突然の出会いも困りものだ。
急すぎるとあらぬことを口走ってしまうことがある。

古い話だが、家にいるとき誰かがチャイムを鳴らした。
「は~い」と玄関に出ると「○○ですが」という声。
いつもいろんなものをくれるご近所の人だ。

そんなことが頭にあったので、玄関を開けたとき、
「こんにちわ」というつもりが、
「ありがとうございます」と言ってしまった。
そのときも何かを持ってきてくれたのだが、
これではまるで、何かくれるのをてぐすね引いて待っているようではないか。

逆のこともある。
出勤途中の信号に、交通安全当番のPTAの人たちが立っていた。
その中にお向かいの奥さんがいた。
目があった瞬間、その奥さん、
まるで同窓会でなつかしの親友に合ったように、
「おお~」っと両手を振ってくれた。

もちろん、そんな挨拶を交わす仲ではない。
おそらく、子供たちに接するテンションで私に接してしまったのだろう。
さすがに手を振り返すことはできなかったが、
できる限り明るく「おはようございま~す」と答えたのは、
挨拶以上の私の優しさだ。





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ブログを始める前に、日記を書いていた。
先日、それを読んでいて、
「このまま消えてしまったらもったいないな」
と思ったので、気に入ったのを保存した。
せっかくなのでいくつか見て下さい。


2002年5月11日 メガネをどうぞ

人にはいろんな自慢話があるけれど、
「俺は人を見る眼があるよ」ってなことをいう人がいる。
言うのは自由、でもこれはかっこ悪いと思う。
なぜなら、「自分は人を見る眼がある」という人をかっこ悪いと思っている私に対して、
「自分は人を見る眼がある」というのは、人を見る目がない証拠じゃないか。
「人を見る眼がある」というセリフで人を見る目がないことを証明するような人は、
かっこ悪いに決まってる。
まず、自分を見る眼が必要でしょう。



2002年5月28日 ワールドカップ

サッカーで頭を使うのはヘディング。
これは「ヘッド+ing」つまり「あたみんぐ」だな。
11人中10人は「あしんぐ」だけで戦っている。
ゴールキーパーだけは手を使っていいのだが、だからといって「てんぐ」になってはいけない。



2002年8月1日 どこでもドア

科学の進歩は目覚しい。
やがて「どこでもドア」も発明されるだろう。
だが、その前の段階で「どこかドア」ができるであろう。
その実験には参加したくないものだ。



2004年6月23日 くまさん

♪ある日(ある日) 森の中(森の中) 
 くまさんに(くまさんに) 出会った(出会った)
 日帰り出張の帰り道出会った

♪くまさんの(くまさんの) 言うことにゃ(言うことにゃ)
 「あなた25キロオーバーだから18000円払いなさい」
 トホトホトホホノホ トホトホトホホノホ



手抜きだとかサボりだとか言わないように。
リサイクルですよ。




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どうも休日がからむと緊張感がなくなる。
金曜の夜書くはずだったブログが、土曜の朝になってしまった。
で、土曜の夜書くはずのブログが・・・
もう、日曜も夕方だ。

昨日の夜は、酔っ払って9時半から2時半まで寝てしまった。
今朝は平日どおりに起きなければならなかったので、
風呂だけ入って寝室へ。

7時に起きて、8時半から消防の出ぞめ式。
とは言っても、防火用水とポンプの点検だ。
これで、班長の消防の仕事は終わりだ。
最後の仕事が「出ぞめ式」って・・・
なぜか弁当とお茶をもらって家に帰った。

予定をこなし、もはや緊張感はナッシング。
しかし、今日は更に気がゆるむ理由がある。
ちづるがお泊り新年会なのだ。
久々の「ほろ一人暮らし(参照)」だー。

それはいいのだけれど、冷蔵庫がかなり寂しい。
いつも食料は日曜に買いだしに行っている。
これは私が買い出しに行かなければならない。
ふふふふふ。
万が一のために、家計子さんをちづるが置いていった。
やつは温泉に入ってご馳走を食べるのだ。
少々のゼイタクは認められるはずだ。

買い物前に、いらない本とCDを売りに行った。
2340円。
ちょいとばかし「飲みに行こうかな」という気が起こったが、
いやいや、飲みに行くのは自腹だ。
これは温存しておいて、今日は家計子さんを活用せねば。

ちょっと高い刺身でも買おうか。
お惣菜をバイキングしようか。
それともやっぱり肉か。
昔から気になっていた「アンキモ」の缶詰を買うチャンスかも。

浮かれ気分でスーパーへ。
なんだか知らないがすごい混雑。
特売日だ。
売り場は人の波、レジは行列。
普段ならレジに並ぶのはちづるだ。
しかし、今日は・・・

カゴを元の場所に戻して家に帰った。
もらった弁当をひとりで食ったバチか。
今日は残り物を食べよう・・・





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金曜日はパソコンの勉強だ。
しかし、こいつが困った。
何を勉強したらいいのか、さっぱりわからないのだ。
いま自分が何がわかっていないのかもわかっていない。
面倒なことを全部ちづるに任せてきたツケがまわってきたようだ。

本屋で、パソコンの勉強をするための本を買おうとしたことがあった。
ところが、本屋のパソコンコーナーの分類してある言葉がわからない。
たとえば・・・って、書こうと思っても書けない。
とりあえず、プログラマーでも目指したらいいのだろうか。


こんな私に、パソコンのことをたずねる男がいる。
上司Tだ。
この人は私よりもわかっていない。

数年前、新しいパソコンを買った話をしたら、
「やったぁ!」と喜んでいた。
古いパソコンを、当然のように自分がもらえると思っていたのだ。
もちろんやらなかった。

あるとき、上司Tがステキな情報を持ってきた。
「きのう通販で、年賀状が作れるパソコンを3万円で売っていた」
というのだ。
たぶん、それはパソコンじゃないと思う、と言っておいた。
どうやら、パソコンは欲しいのだが、お金は出したくないようだ。

そんな上司に夢のような話が舞い込んだ。
社長が会社で使っていたパソコンを買い換えるので、
古いのをあげるというのだ。
上司はウキウキ、
「プリンターもくれるかな~」
と、夢は膨らんでいる。
ちなみに、年賀状作りにはプリンターが必要だと教えてやったのは私だ。

それ以来、上司のパソコンに関する質問が増えた。
彼は「インターネット」「ホームページ」「ブログ」「チャット」
の区別がついていないので、話がわかりにくい。
しかも、どこかで情報の破片を仕入れてくる。

Q、「まず、ADSLに入ればいいのか?」
A、「好きにしたらいい」
Q、「デジカメをプリンターにつなぐと年賀状ができるのか?」
A、「そんなに年賀状が重要か!」
Q、「月に100万円儲かるのか?」
A、「それならなぜワシがこの会社にいる?」
Q、「知らない人に突然誘われたりするのか?」
A、「する」

こんな会話を繰り返しているうちに、ふと思ったことがある。
「Q」が私で「A」がちづるの場合も、こんな感じなのだろうか。
だとしたら、とても恥ずかしい。
やっぱり、勉強しなくてはいけない。
何を勉強したらいいか、ちづるに教えてもらおう。


上司T、「ところで、社長はいつになったらパソコンをくれるのか?」
ワタシ、「それは、社長に質問しなさい」 




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私は英語が苦手だった。
過去形で書いてしまったが、じつは「ing」だ。
今の私の英語力は、誰かの言葉を引用するなら、
「アメリカのしゃべる犬」レベルだ。

これは誰が悪いのか。
日本人だ。
日本人は日本人の英語に厳しい。
英語がわかりもしないやつが、他人の英語を批判する。
「発音が悪い」だの「カタカナ英語」だの「ヘタクソ」だの・・・
じゃあ、どう発音するのかと聞いても答えられはしないのだ。

英語には訛りが多いと聞いた。
それなら「日本訛り」の英語でもいいではないか。
アメリカのニュースキャスター並にしゃべれなければ、
英語じゃないというつもりか。

おそらく、そういう人たちは、私が完璧な英語をしゃべったとしても、
「なんか違う」
などというに決まっている。
そんな奴らは置いていく。


さて、ホントは英語なんて簡単なんじゃないかと思っていた矢先、
英語に関する面白い本を発見した。
幻冬舎文庫の「爆笑問題・パックンの読むだけで英語がわかる本」だ。

内容は、爆笑問題とパックン(漫才師パックンマックンの外人の方)
の会話形式になっていて、ギャグも満載だ。
10の項目に分かれていて、英文法の基本が紹介されている。

では、本当にこれを読んだだけで英語がわかったか?
さっぱりわからん。
でも、ひょっとしたらわかるようになるかもしれない、と思った。
いわば、分厚い雲の隙間から、一筋の光が差し込んできたようだ。
あとは雲を吹き飛ばす術、つまり勉強法だ。

今、別の英語関連の本を読んでいるのだが、
英語は聞くことが一番肝心だと書いてあった。
鵜呑みにするわけではないが、納得できたのでその方法を取り入れよう。

英語を聞くにはどうしたらいいか。
手っ取り早いのは、映画を観ることだと思う。
DVDだと、吹き替えも字幕も自由自在だ。
英語を聞き、聞いたとおり書いてみて、字幕と答えあわせをするのはどうだろう。

その場合、映画を慎重に選ばなければならない。
暴力的な映画や、犯罪モノはよくない。
下品な英語を覚えそうだ。
ホラーもよくないだろう。
「ヘイ、ユー、何をおびえてるんだい?」
なんて言われるかもしれない。

やはり最初は子供向けの映画がいいだろう。
ディズニーとかアニメモノとか。
101匹ワンちゃんなんかよいのではないだろうか。
なにしろ、犬並みだし・・・





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国語と言えば、読み書きだ。
でも「読み」は朝のトイレと、昼休みと、寝床ですでにやっている。
必要なのは「書き」だ。

私はけっこう書き上げ魔だ。
読んだ本や観た映画、好きな曲の演奏時間。
市内の中華そば、余裕ができたら買いたいもの。
ブログのネタに、野菜の種蒔き時期。
メモやらノートにやたら書いてある。
いったん書いてみないとよく理解できなかったりするのだ。

そんな私が書き上げてみたかったものがある。

「広辞苑」

日本を代表する辞書だ。
およそ20万語の言葉が掲載されているという。
とても分厚く重い。

しかし、本当に20万語も必要なのか。
いらない項目がいっぱいあるんじゃないか。

ためしに適当なページを開いてみた。
出たのは「と」の項。

ドアマット
問い合わせる
対子(トイツ>麻雀用語)
トイレ
トイレットペーパー

こんな言葉が辞書に必要だろうか。
もちろん、必要不必要は人によって違うだろう。
しかし、要らない言葉を削除すれば、かなり小型化でき、
使いやすくなるのではないか。
広辞苑から、すでに知っている言葉と知りたくもない言葉を除いたら、
完璧な「マイ辞書」ができるのではないか。

実は、バインダーとリフィル用紙はすでに用意してある。
これは15年ほど前に思い立った計画なのだ。
その頃私は漢字辞典を作った。
作ったと言っても、広辞苑の巻末の漢字辞典を書き写しただけだ。
画数別になっていたのが不便で、部首別に並べ替えたのだ。
そのとき調子に乗ってこんなことを思いついたのだ。

今日、新品のリフィル用紙の封を切った。
なんと200枚も買ってある。
とりあえず、ためしに書き始めてみよう。


20分経過。
5ページまでで、16の言葉を写した。
で、
すっごくつまらん!




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さて、今日は音楽の日だ。
楽器を演奏が生活の中にあるというのは、いかにも魅力的だ。
まるでモーツァルトか布袋寅泰だ。
とりあえず、わが家にはどんな楽器があるだろう。

まずはフォークギター。
中学の時、買ってもらったギターだ。
ジャンガジャンガかき鳴らして、吉田拓郎の歌をわめいていたものだ。
練習嫌いだったので、技術は全然ない。
ご近所に恥ずかしくて、とても鳴らせない。

ハーモニカもある。
ギターといっしょに使うときのホルダーもあるところが恥ずかしい。
ブルースハープなんて呼び名もあるが、
童謡を演奏する時は「ハモニカ」と呼びたいものだ。

オカリナが二つある。
「コンドルは飛んでゆく」が吹きたくて、安物を買ったら、
出だしの音、低い方のシを出すための穴がなかった。
仕方がないので、もうちょっといいのを買ったら、
子供のころ習った縦笛と指使いが違うということを知り、挫折した。

おもちゃのアコーディオンがある。
ボタンが七つと三つの、間違いないおもちゃだ。
仮に本物があったとして、演奏は絶対無理だ。
鍵盤とボタンとジャバラを同時に扱うなんて、
あやとりとトランプ手品とエキスパンダーをいっしょにするようなものだ。
私の能力を超えている。

あと、竹細工屋で買ったケーナや横笛があるが、
夜、笛を吹くとヘビが来るという。
ドラムもスティックだけではどうしようもない。
なぜかメトロノームがあるが、これは演奏するものではない。

やはり練習するなら、高校の時バイトして買ったベースギターか。
これならそんなにやかましくないし、いいのではないか。
ただ、アカギレ症の私にはちょっと辛いかも。

とりあえず、バンド活動をするわけでもないので、
練習曲は大好きな民俗音楽になるだろう。
個人の趣味でやるのだから、ベースのパートに決める必要もない。
主旋律を好きなようにやればいいのだ。
楽譜もいらない、聞こえたようにやろう。

しかし、残念なことに今日は飲みにいってしまった。
ベースを出すのは来週になりそうだ。
掃除がめんどくさくなると言って、ちづるが怒るであろう。




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インターネットを通じて、いろんな人と出会うことができました。
このつながりもなにかの縁だと思います。

あるブログを大勢の人に知ってもらいたいという話がありまして、
協力させていただきたいと思います。

桃香さんのブログです。

ウチのようなふざけたブログで紹介するのはなんですが、
よかったら訪問してあげてください。






今までの生活では時間を無駄に使いすぎていた。
ダラダラ酒にダラダラテレビ、ダラダラインターネットもよくない。
ガマンするとか禁止するとかではなく、効率を上げるべきだ。
そうすれば時間的余裕が出てくる。
その時間を何に使うか。
もちろん、勉強だ。

子供のころの勉強はいやいやだった。
なぜ勉強するのかとか、何を勉強するのかとかわからずに、
ただひたすら、授業中に指名されないことを願っていた。

しかし、オトナになってから、
「なあんだ、これはこういうことだったのか」
と、目からうろこが剥がれ落ちたり、
「これって案外おもしろいじゃないか」
と、開眼したりすることがある。

歴史や考古学に興味を持ったり、
英語や漢字の試験を受けたり、
絵や音楽を習い始めたり、
大人になって勉強をはじめる人も多い。
なにしろ大人の勉強は、自分の好きなことだけやっていればいいのだ。

人間の脳は本来の能力の数パーセントしか使っていないという。
これはこれでもったいないことだ。
残りの眠っている脳を使わない手はない。
時間効率を上げ、勉強によって脳を活性化すれば、
頭がよくなって、時間効率を上げる方法を考え付くかもしれない。

今年の目標、
毎日1時間、勉強する!

時間割を決めよう。

月曜日はちづるの帰りが遅いので、ジムのあと飲みに行く可能性が高い。
だから記憶することの少ない勉強がいい。
美術にしよう。
毎日絵は描いているが、基礎ができていない。
これを何とかしよう。

火曜日はジムが休みなので、飲みに行く可能性が高い。
だから、音楽にしよう。
案外トリップできるかもしれない。
楽器で指先を使うのも脳にいいと聞いた。

水曜日はジムが休み明けで混むので、家で飲む可能性が高い。
国語にしよう。
実は、けっこう漢字好きなのだ。
筆ペンも好きなのだ。

木曜日は飲む可能性が高い。
英語にしよう。
これからの時代には必須の科目だ。
学生時代には最も嫌いだったから、しらふではやっていられない。

金曜日は花の週末、飲まずにはいられない。
あと、やりたい教科ってなんだろう。
そうだ、パソコンだ。
私の学生時代にはなかった教科だ。

土日は休むとして、これで5枠がでそろった。
果たしてどの教科が生き残るのか。
乞うご期待。




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最近、悪いクセがついてしまった。
多少前後はするが、だいたい午後10時から深夜1時までふとんで寝て、
そのあと3時過ぎまでネットをするのだ。
正月でリズムが崩れたが、12月の半ばごろからだろうか。

ブログも夜中に書いている。
というか夜中に書く羽目になっているのだ。
日記の更新時間を変更したりしていたが、
私のテンプレートは日付関係なかったわ。

二度目にふとんに入ってしばらくすると、
新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。
そのたびに、
「ああ、こんな音を聞くような生活をしていちゃいけない」
と思うのだが直らない。

たぶん、ブログを書こうとすると眠くなる条件反射が身についてしまったのだろう。
食べ物を見るとよだれもたれる。


でも、今日は仮眠をとってない。
なのでとても眠い。

日付は変わってしまったが、もう一月七日だ。
神様でも、この世を創造したとき七日目には休んだというではないか。

それに「そろそろだろう」と思っている人がいっぱいいるはずだ。
いいや、そうに違いない。

だから、声高らかに言わせてもらおう。

初「寝る」カテゴリーだ!




↑もう寝るから。





今日、仕事場の蛍光灯が点滅を始めた。
まったくあのリズムにはイライラさせられる。
消えるなら消える、点くなら点く、
点滅するならリズミカルにしろ!
消えたと思ったら点き、点くかなと思ったら半点きになり、
チカチカってしたら、ぶぶぶぶって、ああーもう、きぃー!

で、さっそくつけかえた。
新品の蛍光灯はいい。
潔く「すぱかっ」と点き、白い光はフロリダの太陽のようだ。
唯一欠点があるとすれば、他の蛍光灯が薄ら貧乏くさく見えることぐらいだ。

なんでも新品はいい。
たとえば車。
あからさまに新車のニオイがする。
実際は酔いそうな嫌なニオイだ。
でも、そのニオイが新車の証拠であるために、
いいニオイであるかのような錯覚に陥ってしまう。

ニオイといえば、食べ物の開封一番はたまらない。
削り節パックの開けたて。
あの香りだけで、ダシをとらずにおつゆが飲めそうだ。
お茶、海苔、コーヒー、あられ、
みんなあの新鮮な香りは一瞬で、決して保存はできないのだ。

新品は音もいい。
ウイスキーは、最初の一杯だけ注ぐ音が違う。
よくコマーシャルで使われるあの音だ。
ボトルの形状が織り成す、液体と空気のアンサンブル。
最初の一杯の感動は、振動として右手にも伝わってくる。
あの音とパソコンが出す音だけは、言葉で表すことはできない。

他にも、効き目のあるものは開封一番に限る。
目薬のスキッ感、シップのカ~ッ感、ムヒのムヒ~ッ感、
これらは開封してから長く使うだけに、
開封一番の感動はなかなか味わえない。
それだけに感激もひとしおだ。

だがしかし、やはり何においても例外というものはある。
不愉快な新品、新しさゆえの不快感。
そう、それは「タオル」だ。

おろしたてのタオルで顔を拭いて、嫌な気持ちになったことはないだろうか。
え?なぜ?どうして?と理解不能状態に陥ったことはないだろうか。
「タオルのクセになぜ水分を拒絶するのだ!」
と叫んだことはないだろうか!

あの気持ち悪さったらない。
水分を吸収する能力は十分持っていながら、
表面の何らかの科学的な物質のコーティングで、水分をはじく感じ。
あれはむしろ、そういう物質で汚れていると言えるのではないか。
やっぱり、タオルと女房だけは古いほうがいい。




↑古いやつだとお思いでしょうがクリックしてね。





かつて、夢物語だ、絵空事だと言われていたことが、どんどん現実になっている。
まるでSF小説のような生活が当たり前のように身近にある。
中でも宇宙への進出は、人類史上でも特筆すべき偉大な出来事だ。
ただ、月面着陸のシーンを一般人がテレビ中継で見る、
ということを予見したSF作家はいなかった。
これはSF界の恥とされている。

では、今のブログ界を予見した人はいただろうか。
世界中の大勢の人がインターネットで日記や小説を書いている。
人類の歴史の中で、こんなに人が文章を書いた時期があっただろうか。
人類とは、作文が嫌いな生物ではなかったのか。

私はそんなに作文が嫌いではなかった。
書いてさえいれば、
「それは間違っとる!」
と怒られることはないからだ。
でも、みんな作文の授業は嫌いだと言っていた。
夏休みの宿題も、読書感想文はいつも最後まで残っていた。

なのにどうだ、この現状は。
ネコも杓子もミミズだってオケラだってブログを書いている。
更に、それを見せ合って、コメントしたりランキングをつけてたりしているのだ。
こんな状況を誰が予想しえただろう。

これはきっと文章が書きたかったわけではないのだと思う。
発表の場がほしかったのだ。
新聞の読者欄に投稿したり、同人誌を発行したり、
壁新聞を作ったり、街角でパフォーマンスをしたり、
人は、考える葦であり、考えたことを発表したい葦なのだ。

だが、発表したいことって、そんなにたくさんはない。
あっという間に発表しつくしてしまう。
だからと言って、同じことばかり繰り返していたら、自分でも飽きてしまう。
俗に言う『ネタ切れ』だ。
全てのブロガーが毎日吐き出す情報量を考えたら、
世の中の言いたいことなんかあっという間に尽きてしまうだろう。

そう考えていると、毎日ネタを作り続けている人たちはすごいと思う。
4コマ漫画家、ラジオのパーソナリティ、各種連載を持つ人たち。
中でも大変だと思うのが、新聞のコラムを書く人だ。
朝日新聞をとっているわが家で言うなら「天声人語」
毎日ほとんど同じ字数で、しかも「学」が入っている。

それを考えると、次数制限もなく、ためになる「学」もなく、
酔っ払ったらゴメンナサイで、かんたんな落書きでごまかせる「いぢわるこみ箱」
1月の5日や6日で挫折している訳にはいかないのだ。





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流行語というのは、生まれた段階で廃れる運命を背負っている。
年々、そのサイクルは短くなっているようだ。
だいたい私たちオヤジが
「こんなのが流行っているようだ」
と思って使ってみると、
「おっくれってる~」
と笑われるのだ。

たとえば『ナウい』
当時のニュースで『ナウい』を取材していたら、
取材陣に向かって若者が、
「『ナウい』なんてもう古い。今は『イマい』っていうんだぜ」
と言っていた。

今になって分析して見ると『イマい』より『ナウい』の方が断然流行った。
私の周りには『イマい』なんていうやつは一人もいなかった。
でも、『イマい』が現れた段階で『ナウい』はナウくなくなっていたのだ。

そんな厳しい世界で、妙に息の長い流行語がある。
「とても」という意味の『チョー』だ。
いまや口に出すのも恥ずかしい『チョベリバ』の『チョ』も
今使われている『チョー』なのだ。
これはちょっと長すぎないか。
そろそろ代わりが必要なのではないか。

なぜ『チョー』がこんなにも重宝がられているのか。
それはこの言葉の短さと単純さだと思う。
かんたんで使いやすいのだ。
だったら、もっと短くて単純なものにすればいい。

私のオススメは『カッ』だ。
「車を飛ばす」より「車をかっ飛ばす」の方が言葉が強い。
「飯を食らう」より「飯をかっ食らう」の方がはげしい。
他にも「腹をかっさばく」「荷物をかっぱらう」「えさをかっさらう」などがある。

これを利用して、
「チョーむかつく」は「かっむかつく」
「チョーだりい」は「かっだりい」
「チョーかっこいい」は「かっかっこいい」
とするのだ。

では、逆はどうか。
「少し」という意味だ。
こちらは「これぞ」という定番がない。
「プチ整形」「ちょい悪オヤジ」「豆知識」「ミニモニ」といろいろだ。

ここはどうだろう、若者ではなくおとなの側から発信してみては。
そこで私が考えたのが 

『ほろ』

そう「ほろ酔い」の『ほろ』だ。
「ほろ整形」「ほろ悪オヤジ」「ほろ知識」「ほろモニ」
オトナの風情が感じられるではないか。

ちょっとみんなで集まる「ほろパーティー」
その辺をささっと片付ける「ほろ掃除」
ちょっとだけ流行る「ほろブーム」

どうだ、これ。
いけるんじゃないか?
え、チョーダメですか・・・




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お正月のベストスリーと言われる三が日も今日で終わり。
気がつけば、初日の出よりも初出勤に近い。
だいたい正月休みは短いものだ。
年越しまではあわただしく、年を越したらぼーっとするからだ。
いつまでも浮かれているわけにはいかないので、
正月の話題は今日でおしまいにしたい。
というわけで、正月総集編。


わが家はおせちをしない。
どうせ、実家でいただくのだ。
とはいえ、元旦の朝、雑煮だけではちょっとさびしい。
それでいつもかまぼことだて巻だけ用意する。

暮れの買い物で、ちづるがだて巻を選んでいた。
ヤツはだて巻が好きなのだ。
「年に一度しか買わないんだから、思い切っていいのを買えよ」
と、太っ腹なところを見せた。

「それもそうやな」
ちづるが選んだのは、なんと980円。
もう、千円やないか!
思い切り過ぎやろ!
どうせ年に一度のシルシやないか!

これが、年をまたいで一番悔いに残ったことだ。


正月の新聞は重い。
暮れに出した古新聞じゃないかと思うほど、重い。
チラシの重さがほとんどだが、テレビ欄も多い。

暮れに「年末年始の番組」というのが四日分ぐらいあった。
元日には「三が日の番組」が来ていた。
でも新聞が休みなのは、2日だけだ。
正月は曜日も関係ないので、何がなんやらわからなくなる。
何日分も一度に見ると、一日分に対する集中度が薄くなり、
大事な番組を見落としていたりするのだ。

栄養ドリンクが「一日一本」であるように、
テレビ欄も「一日一日分」がいい。
それ以上見ると、くどくて胸が焼けるようだ。
せめて、ウチには映らない衛星放送分は見ないようにしよう。


今日、靴を買った。
2980円のウオーキングシューズだ。
運動不足にならないように、大みそかと今日はその辺を歩いたのだが、
普段、大き目の靴を履いているので歩きにくかったのだ。

外を歩いてわかったのだが、アスファルトと土の道では足への負担がずいぶん違う。
走るとすぐひざが痛くなるので、ほとんど歩くだけなのだが、
芝生のところへ来ると、走れるんじゃないかと思えるほど楽になる。

そういうわけで、ふだん靴には無頓着なのだが、
軽くてクッションの効いた、足に合った靴を買った。
「これで走っても、ひざ痛くならんかな」
と、ちづるにたずねたら、
「おまえ、どんないい靴買うたつもりや」
だそうです。





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素質

私は待つのが嫌いだ。
どんなにおいしいと聞いても、ラーメン屋の行列になんか並びたくない。
並んで席についてから、ラーメンが出てくるまで、また待たされる。
この待ち時間があることでラーメンがうまくなる、
なんて説をテレビでやっていたが、私にとってはとんでもない話だ。
時間がもったいないじゃないか。

人生は短い。
ムダに時間を浪費している暇はないのだ。
たとえば、病院の待ち時間。
会社への通勤時間。
渋滞、乗り物の時間待ち、カップ麺の3分、テレビのCM前のヒッパリ。
酔っ払ってなんとなくテレビを見ながら寝てしまう時間。
みんな、もったいない!

もっともったいない時間がある。
同じことのくり返し、つまり何かをやり直している時間だ。
一回でできることを失敗して二回すると、かかる時間は倍だ。
しかも、自分の失敗だと誰にも文句が言えないので、よけいに腹が立つ。


本年はいろいろとお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


この年末年始、これらの文章を何回打ち込んだことだろう。
まるで集中的に特訓をしたようなものだ。
だったらうまくなってもよさそうなものだが、なぜか全然上達しない。
むしろ、一回で成功しなくなってきた。

「あけmしておmでとうごさいmす」

なぜか「m」のあと子音を打ち忘れるクセがあるようだ。
これはまあ、無理に読めば、
「あけむしておむでとうございむす」
と読める。
これなら、方言だと言えば通じるかもしれない。

「よろしく尾根が思案す」

なんでこんなことになるのかわからない。
ひょっとして、私はローマ字打ちが苦手なのか?
あるいは、山が私を呼んでいるのか?

「あけまして恩でd等ございます今年mのちょろしくのおねがいsmすた」

いま、ためしに新年の挨拶をなるべく早く打ってみた。
そうしたらこのざまだ。
なんで最後が「た」なのだ。

このように私はタイピングが苦手だ。
日記を書くのも実はすごく時間がかかっている。
上に挙げた例文は(例文か?)何度も同じ文を打つので、
何度も同じ間違いをするように。なってしまった
悪いクセがついてしまったのだ。

しかも、打ち終わってから画面を見て間違いに気づき、
ビューっと消して書き直すという、手間なことをしている。
一文字間違っただけなら、その一文字を直せばいいのに、
「あっ」と思った瞬間、ビューっと消してしまうのだ。
これも悪いクセだ。

これらの打ち間違いがなかったら、どんなに時間が節約できただろう。
年末年始に、どれだけの余裕ができたことだろう。
ま、一番悪いのは、手元を見て打つクセなんだろうな・・・





↑気をつけるからクリックして尾根






あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとってすばらしい一年になりますように。



宣言どおり、夕方、伊勢神宮近くに住む友人の家に行った。
8時半から、年末おおみそか寄席。
たっぷり笑い納めをさせてもらって、終わったのが10時半。
いろんなお店を冷やかして、まずは白鷹。
伊勢神宮御用達のお酒を一合、ゆで卵でいただく。

いつもこうやって、つまみ食いしたり酒を飲んだりしながら、
だらだら歩いて帰ってくるのだが、今年は違う。
実は、ひとつの目的を持って行動していたのだ。

宇治橋を渡り、神宮の敷地内に入ると、すぐに大きな火が焚かれている。
直径5~6メートルの穴に丸太が山積みにされて燃えていて、
参拝に来る人が遠巻きにこの火にあたっていく。
これが「どんど火」だ。

神宮の参道には、かがり火ぐらいの小さなどんど火があちこちにあって、
そこでいろんな人が餅を焼いている。
このどんど火で焼いた餅を食べると、一年間風邪をひかないといわれている。
そう、我々の目的はこれだ。

一昨年は、格好だけでもまねをしようと、マシュマロをあぶって食べた。
去年は、友人が網を用意したが、私が餅を忘れた。
いわば三年越しの計画なのだ。

どんど火は餅を焼くことは設定していない。
だから、焼く人たちはいろんな工夫をしてくる。
薪をもらって、どんど火の下に置く人。
網に長い柄をつけてくる人。
二枚の網で餅を挟んでいる人。
けっこう大人数のグループもある。

友人が用意したのは15センチ角ぐらいの百均の網。
これに丸餅を三つ乗せてどんど火の下に置いた。
魚は金持ちに、餅は貧乏人に焼かせろという。
魚は1回ひっくり返すだけ、餅はしょっちゅう裏返さなければならない。
百均網は柄が短いので、こちらに網を引っ張り出して餅を裏返し、
また火の中に入れるという作業を繰り返す。

このやり方は成功だったのかもしれない。
柄の長い人たちは、火の近くで焼くのですぐに焦げる。
私たちの餅は、強火の遠火。
薄茶色の焦げ目がほんの少しついただけで、餅全体がふっくらとした。

「あんたら、それいいねえ」
と、となりのグループの人がしょうゆと海苔を分けてくれた。
神宮の火で焼くのに、しょうゆや海苔は怒られると思っていたが、
みんな当然のように味付けを用意していた。
なんだか餅焼きグループの連帯感みたいなものを感じた。

目標は達成したが、反省点はいくつもある。
やはり餅はひとつじゃ足りない。
そうすると大きな網が欲しい。
柄も長いほうがいい。
しょうゆと海苔は必要だ。
忘れた人に分けてあげる分も要るだろう。
こうして、荷物はどんどん増えていくのだ。



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