わが家は実質的には二人暮しだ。
経済的第三者「家計子さん」や
かんたんマイペットの「しまじ」と「こーた」もいるが、
実質的には二人なのだ。
こういう関係を世間では夫婦という。
夫婦は何でも分け合っていかなければならない。
でないと殴られる。
この分け方のルールというのが、その家によって違う。
わが家にはわが家の分け方があるのだ。
たとえば、サンマの塩焼き。
背中側の身はちづるで、お腹側と内臓と骨は私のものだ。
なんだか、ちづるの食べ残しを私が食べさせられているみたいだが、
サンマの場合は、これがお互いの好みなのだ。
ブリの照り焼きは皮と血合いと腹に近い方が私の分け前だ。
私の唱える「ブリ照り南米説」にたとえると、
ブラジルがちづるで、チリ、ペルー、アルゼンチンが私だ。
状態で分けるものもある。
目玉焼きは、お皿をゆすってみてブルンブルンする方、
つまり、生っぽいほうが私の分だ。
なんとなく、わが家の基準がわかってもらえただろうか。
汁物の場合はちょっと難しい。
ここにはルール以外の駆け引きが存在する。
先日、クリームシチューを作った。
何の計画性もなく、ごく普通によそうのだが、
一方に鶏肉がたくさん入ってしまったりする。
できることなら、そちらを食べたい。
でも、これをお盆に乗せて食卓に運ぶのはちづるだ。
そこで、一計を案じる。
鶏肉の少ない方に、ニンジンやブロッコリーを目立つようによそう。
量もそちらが多く見えるようにする。
こうすれば、ちづるがこちらを選び、私が鶏肉をたくさん食べられる。
と、ほくそえんで食卓につくと、私のシチューにニンジンが目立ってたりする。
ちづるは、私がシチューをよそうのを、こっそり見ているに違いない。
家ではそれでいいのだが、外食の時はかんたんにいかない。
このあいだ飲みに行ったときのことだ。
その店でいつも注文する「ブロッコリーの芽とエビのサラダ」
これはブロッコリーのスプラウトの上に大きなエビのてんぷらが乗っている。
このエビが、ボリュームがあって、とてもうまいのだ。
ただ、残念なことに、エビはいつも三つなのだ。
ちづると私は性格が違う。
うまいものは先に食べて、他人の分を狙うちづると、
うまいものは残しておき、他人に見せびらかす私。
第三のエビは常に争いの種となる。
とはいえ、二人ともおとなだ。
店で争っていては恥ずかしい。
わたしは「半分かじってもいいよ」と言った。
がぶりっ
ちょっと待て。
エビの形状というものを考えてもらいたい。
普通、というか絶対、エビというのは頭のほうが太く、
尻尾に近づくにしたがって細くなっていく。
もちろん、エビを・先に・一口・かじってもいいと言ったのだ。
尻尾からかじれとは言わない。
オトナなんだから。
でも、太さが違うものを長さで半分かじってどうする。
量的に半分を考えんかい。
いや、最初にかじる権利を譲ったのだ。
これには最初の歯ごたえをも譲ったことになる。
エビ独特の「ぶりりょ」というあの食いちぎり爽快感。
それを得た分、量を控えるというのが、
大人の礼儀、常識、分別、思慮というものではないか。
それでも大人の大女か。
オトナゲないじゃないか。
ちくしょー!

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