私はコレクターではない。
今まで好きで集めたものも、ほとんど処分してしまった。
手放せなかったマンガや文庫本も全盛期の一割ぐらいに減らした。
もったいなくて使えなかったキャンプグッズも、
使えるものは仕事や畑で使うようにした。
そうなって考えてみると、ずいぶんいらないものを買っていた。
子供のころには宝箱があった。
入っているのは、ほぼ拾ったものだった。
金ノコ、五寸釘、スキムミルクのスプーン、雨どいを留める金具、
どうも金属モノが好きだったようだ。
もうちょっと大きくなると「小学○年生」の付録とか、
誰かにもらった文房具などが宝物になった。
それでもそんなものは、適当なときに捨てることができた。
宝物の中にはやっかいなものがあった。
集めているつもりじゃないのになぜか集まってきて、
捨てようと思ってもなかなか捨てられないもの・・・
それは「シール」だ。
雑誌に綴じ込まれてたり、なにかのおまけについてきたり、
どうかすると学習教材にもシールが使われていたりした。
シールは捨てにくい。
なぜなら、貼ってないシールは新品なのだ。
どんなものであれ、新品を捨てるのは気がひける。
かといって、貼ってしまうとはがすまで捨てられない。
だけどきれいにはがせないのだ。
実家のある柱にはシールがいっぱい貼ってある。
一番多いのは傘の絵柄だ。
小学校低学年の頃、夏休みの宿題の絵日記に貼るお天気シールがあった。
シールとは貼りたくなるものだ。
私は残ったお天気シールを、全部この柱に貼った。
たんすもえらいことになっていた。
手に入ったシールを全て貼った。
シールの耳、絵柄のない枠の部分まで貼った。
今はその上に木目調の壁紙が貼ってある。
しかし、最初に貼ったシールの形が立体になって浮き上がっている。
昔はいやなシールがあった。
ガムの包み紙になっていたシールで、
上からコインなどでこすると絵が移ると言うシールだ。
これを子供がやると必ず失敗する。
こすれてない部分があって、やり直そうとするとちょっとずれて、
勝手にモザイクみたいになってしまう。
そしてこれははがせないのだ。
大人になった今、シールはほとんど持っていない。
かわりに「ステッカー」という大きなものになった。
先日、持っていたステッカーのほとんどを、
キャンプ用品を入れているコンテナに貼った。
なんだか、肩の荷が降りたような気がした。
シールの緊張感は「一回貼ったら終わり」というところにある。
なので「どこに貼るか」で決断ができないでいたのだ。
しかし、全部のシールを貼ってしまって、やっとわかった。
「本当に必要なシール」なんてものはこの世にないのだ。
貼る場所が決まっているだけ「サロンパス」の方がましだ。