2006年07月

ここでは、2006年07月 に関する情報を紹介しています。
夏場はほとんどTシャツで過ごしているので、
ポケットがなくて困っている。
ズボンにはいくつかポケットがついているが、
どうせ汗だくになるので物を入れたくない。
仕事中に必要なものは、エプロンのポケットに入れている。
しかし、私物が困るのだ。

私が普段持っているものは、
サイフ、メモ帳、目薬、リップクリーム、
ナイフ、ボールペン、鍵。
これだけのものをなんとか身につけていたい。

ウエストバッグを使えと言われたことがある。
しかしウエストバッグはあまり好きではない。
ウエストがないからだ。

話は横道にそれるのだが、
「ウエストがある」と言うのは「くびれている」ということだ。
なのに、ウエストは、数値が増えれば増えるほど、
「ウエストがない」状態に近づいていくのだ。
これをなんとかうまいこと言って、なぞなぞにできないものか。

で、
先日、いいものを見つけた。
シザーバッグと言うものだ。
「ヒザ」につけるものではない。
美容師さんがハサミや櫛を入れるのに腰につけているポケットだ。
こいつはいいと、さっそく安物を買った。

安物は安物だ。
ベルトを通すわっかが破れてきた。
持ち物がちょうど納まっていい感じだったのに。
やはり出っ張っている分、あちこちにぶつかったり、
ひっかかったりするのがよくないのだと思う。

そこで、再び安物を買ってきた。
今度のは、ベルトに通すタイプではない。
腰周りに巻くのだ。
それではウエストバッグじゃないか、と言うなかれ。
どうもヒップバッグと言うらしい。

ウエストバッグとヒップバッグのなにが違うのか。
ウエストと言うのは、ぐるり一周ウエストだ。
それに引き換え、ヒップはうしろだけ。
ウエストとヒップの高さの差ではなく、方向の問題なのだ。

もうひとつ違いがある。
ウエストバッグはウエストに締め付けるが、
ヒップバッグはもっとゆるく、腰骨に乗せている。
だからだらんと低い位置にある。

さっき、高さの問題ではないといったばかりなのに、
高さの問題にしてしまった。
それに、私の買ったものはヒップバッグじゃないような気がしてきた。
なにしろ、ぐるり一周どこにでもつけられるし、
帯の部分がゆったりするほど余裕がない。
やっぱりこれもウエストバッグなのか?

まあいいか。
胴回りにくっついてくれてたら。
いや、むしろこれのおかげで、
他人に「ここがウエスト」と主張できるかもしれない。





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私はコレクターではない。
今まで好きで集めたものも、ほとんど処分してしまった。
手放せなかったマンガや文庫本も全盛期の一割ぐらいに減らした。
もったいなくて使えなかったキャンプグッズも、
使えるものは仕事や畑で使うようにした。
そうなって考えてみると、ずいぶんいらないものを買っていた。

子供のころには宝箱があった。
入っているのは、ほぼ拾ったものだった。
金ノコ、五寸釘、スキムミルクのスプーン、雨どいを留める金具、
どうも金属モノが好きだったようだ。

もうちょっと大きくなると「小学○年生」の付録とか、
誰かにもらった文房具などが宝物になった。
それでもそんなものは、適当なときに捨てることができた。
宝物の中にはやっかいなものがあった。
集めているつもりじゃないのになぜか集まってきて、
捨てようと思ってもなかなか捨てられないもの・・・
それは「シール」だ。

雑誌に綴じ込まれてたり、なにかのおまけについてきたり、
どうかすると学習教材にもシールが使われていたりした。

シールは捨てにくい。
なぜなら、貼ってないシールは新品なのだ。
どんなものであれ、新品を捨てるのは気がひける。
かといって、貼ってしまうとはがすまで捨てられない。
だけどきれいにはがせないのだ。

実家のある柱にはシールがいっぱい貼ってある。
一番多いのは傘の絵柄だ。
小学校低学年の頃、夏休みの宿題の絵日記に貼るお天気シールがあった。
シールとは貼りたくなるものだ。
私は残ったお天気シールを、全部この柱に貼った。

たんすもえらいことになっていた。
手に入ったシールを全て貼った。
シールの耳、絵柄のない枠の部分まで貼った。
今はその上に木目調の壁紙が貼ってある。
しかし、最初に貼ったシールの形が立体になって浮き上がっている。

昔はいやなシールがあった。
ガムの包み紙になっていたシールで、
上からコインなどでこすると絵が移ると言うシールだ。
これを子供がやると必ず失敗する。
こすれてない部分があって、やり直そうとするとちょっとずれて、
勝手にモザイクみたいになってしまう。
そしてこれははがせないのだ。

大人になった今、シールはほとんど持っていない。
かわりに「ステッカー」という大きなものになった。
先日、持っていたステッカーのほとんどを、
キャンプ用品を入れているコンテナに貼った。
なんだか、肩の荷が降りたような気がした。

シールの緊張感は「一回貼ったら終わり」というところにある。
なので「どこに貼るか」で決断ができないでいたのだ。
しかし、全部のシールを貼ってしまって、やっとわかった。
「本当に必要なシール」なんてものはこの世にないのだ。
貼る場所が決まっているだけ「サロンパス」の方がましだ。




食欲は落ちないし、ジムにも通っているが、夏バテだ。
なぜか?
夜寝られないのだ。
「もともと寝るのが下手」+「暑いのが苦手」なのだ。
睡眠不足の上に腰痛が出た。
そんな理由で今日はジムを休んだ。

ジムを休むと、選択はふたつ。
まっすぐ家に帰るか、寄り道をして帰るか。
寄り道するとしたらどんな店か。
もちろんのれんの出ている店だ。

のれんには二つの意味がある。
「ライン」と「合図」だ。

「ライン」とはもちろん店の中と外を仕切るラインのことだ。
このラインが店の主人と客との駆け引きで重要になる。

客が玄関を開けると、店のものは「いらっしゃい」と挨拶する。
このとき、店からは客の下半身しか見えない。
それだけの情報で店側はいろいろな推理をする。
男か女か、金持ちか貧乏人か、人数は何人か。
客は客で、のれんの切込みから中を観察する。
うまいかまずいか、流行っているかどうか、高いか安いか。

主導権は客にある。
しかし、判定はのれんがするのだ。
客がのれんをくぐってしまったら、「しまった」と思ったとしても、
席について何かを注文しなければならない。
これがのれんマナーなのだ。
逆に、客がのれんをくぐらなかったら、
そのまま玄関を閉めて帰ってしまったとしても、
店主は「ちっ」などと舌打ちをしてはいけない。
それがのれんルールなのだ。

では、のれんの「合図」としての役目はどうか。

のれんが出ているかどうかで、店が開いているか閉まっているか、
遠くからでもわかる。
ただし、のれんが表現するのは「オープン」と「クローズド」だけではない。
もっと日本的で微妙でナイーブなのだ。

夜更け、カウンターには男の客がひとり、のれんをしまう女将。
「おや、もうカンバンかい」
「ううん、いいのよ、ゆっくりしてって」
「でもさ・・・」
「アタシも一杯飲もうかな。ねぇ、付き合ってよ」
「いいのかい?」
「いいからいいから、さ、カンパイ!」
そして、しっぽり。

このように
「お店はクローズドだけど、あなたにはオープンよ」
などの複雑な感情も表現できるのだ。

で、今日はどんなのれんもくぐらずにまっすぐウチに帰って来た。
あの店に行くほどお金を持ってなかったし、
あっちの店に遠回りするような元気もなかった。
何よりも、そんな小粋な女将さんのいる店を知らないのだ。





寝技

私は夢をよく見るほうだ。
眠りが浅いのかも知れない。
しかし、聞くところによれば、
眠りの深い人も毎日いくつかの夢を見ているのだそうだ。
違いはそれを覚えているかいないからしい。

夢の内容はいつもとりとめがない。
起承転結とか脈絡とか、筋道だったところはひとつもない。
伏線もない、オチもない、考えてみればストーリーもない。
人間という高度に進化した生物の脳が作り出すにしては、
あまりにも荒唐無稽だ。

なぜそうなってしまうのか?
それは、睡眠が想像力の枠を取り払ってしまうのではないか。
起きている人間ががんじがらめになっている「常識」から、
つかの間であれ、開放してくれるのではないか。

私の知り合いに強烈なハギシリをする人がいる。
初めていっしょに旅行したときは驚いた。
寝ていたら、突然「ぐいぃぃ」と過去への扉が開くような音がした。
しばらくそれが続いた後、
「こここかかかかけー」
ニワトリがキジに変身するシーンみたいだ。

その後も
「ぎゅいぎゅい」
「こかけか」
「きょきょきょきょきょー」
と、ポルターガイスト顔負けのにぎやかな夜だった。

これは声ではない。
歯と歯がこすれて出る音だ。
哺乳類や鳥類の声よりも、「虫の音」に近い原理だ。
これが起きている間は出せない。
やろうと思ってもできないことが、寝ている間はできるのだ。

「火事場のバカ力」という言葉がある。
普段人間の体は筋肉や骨が壊れてしまわないように、
ある程度以上力が出ないように抑制されているのだそうだ。
それが非常時に開放されると「火事場の~」になる。

睡眠は、人間の何らかの能力を一時的に開放しているのではないか。
それが、いうなれば「想像力の背伸び」みたいな意味で、
リフレッシュになっているのではないか。
人間が眠くなるのは、堅苦しい覚醒状態に、
いたたまれなくなるからなのではないか。

いつだったか、昼休みに車で寝ていた上司T。
「ウチに帰ってからな」
と寝言を言った。
どうやら夢の中で孫を連れているらしい。
人間、歳を取ると睡眠中も開放されなくなるのかもしれない。





再び「ぬ」を追求してみた。
ただし、今回は前回のように思いつきだけではない。
統計学的に「ぬ」を検証してみようと思う。
参考資料はたった一つ、「広辞苑」だ。

あの分厚い広辞苑の中で「ぬ」の項目はほんのわずかだ。
2772ページのうちの、たった8ページだ。
数えてみたら552項目しかない。
20万語のウチの552語なのだ。
割合でいうと・・・・・・・・ほんのちょっとだ。

さて、この広大な言語界の片隅の「ぬ」区域では、
どんな言葉が幅を利かせているのだろうか。
どの漢字ではじまるかを、クラス委員を決めるときのように、
「正」の字を書いて数えてみた。

まずは予想。
「ぬ」で始まる言葉を素直に思い出した順に挙げると、
1、盗む 
2、脱ぐ
3、ヌード
だった。
すいません。

とりあえず、二位以下を発表しよう。
2位、塗る   77票
3位、縫う   54票
4位、濡れる  46票
5位、布    40票

以下、「温い」「沼」「糠」「貫」と続く。
期待された「盗む」は11票、
「脱ぐ」は12票という散々な結果だった。

では、いよいよ一位を、スクロールする暇もなく発表しよう。
じゃじゃん!
「抜く」  ダントツの91票。
これは「抜き○○」と「抜け○○」があったのが勝因と見られる。

特筆すべきは、この少ない語句の中に、
「ぬっぺらぼう」「ぬらりひょん」「濡れ女」と。
妖怪の名前が三つも入っていることだ。
特筆したが、だからなんなの?状態だ。

さて、せっかく「ぬ」を掘り下げたのだから、
「ぬ」の項で一番好きな言葉に「ぬ大賞」をあげようと思った。
一応、有力候補はすでに頭の中にあった。
なのに、ない!
「ぬ」の項にない!
「脱ぎっぷり」がない~!

しかも、よく見たら「ぬ」より「る」の方が少ない。
349項目しかない。
「ぬ」のこじんまりしたとこが好きだったのに、
「る」の方がこじんまりとしているじゃないか。
もう、「ぬ」なんて、顔を洗って出直して来い!

今、顔を洗いにいってきた。
鏡に移った自分の顔に、
「おい、そんなにヒマか」と言っておいた。




夏、私はくさい。
なにしろ汗っかきなのだ。

本当は「汗かき」なのだが、
「汗っかき」と「っ」を入れたほうが、
かわいげがあるような気がして入れてみた。
「ピノキオ」より「ピノッキオ」の方がディズニーっぽい、
という迷信を参考にしてみたのだ。
自分で言い出したことなのだが、
少しでも「くさい」と言うイメージを緩和したいのだ。

さて、
私は朝から汗をかいている。
出勤前に植木に水をやろうと考えただけで汗をかく。
こんな体質なので、仕事中の私の体は、
まるで爬虫類のように常にしっとりしている。

昨今、ペット界では爬虫類ブームが起こっているらしい。
静かで餌代がかからなくてニオイのないのがその理由だ。
やかましくていっぱい食べて、しかもくさい私は、
ペットとしては爬虫類に数段劣るようだ。

再び、さて、
仕事中の汗臭さは時がたつに連れ、どんどん増していく。
そして、あるタイミングでニオイの質が変わることに気がついた。
ニオイが
「サナギマンからイナズマン」
といえばわかりやすいだろうか。

これはなぜか、だいたい見当はつく。
おそらく、最初にかいた汗が変質してきたのだ。
思いつく単語は「発酵」?
牛乳を拭いた雑巾がくさくなる原理だ。

先日聞いた嫌な話を思い出した。
かかわる菌が違うだけで「発酵」は「腐敗」と同じなのだそうだ。

さてさてさて、
あんまりくさいので、シャツの胸元を引っ張って、
中のにおいを嗅いでみた。
たいしたニオイじゃない。
脇の下も嗅いでみた。
これも違う。
くさいのはくさいが、サナギマンレベルのニオイだ。
この時々鼻をつく、イナズマンのニオイはどこのニオイだろう。

Tシャツを脱いで、刑事のように、
どこが現場か嗅ぎまわってみた。
腹、胸、背中、違う、Tシャツじゃない。
もしや・・・

うわー、鉢巻だ。
汗止めに頭に巻いている手ぬぐいがくさい~。
そうか、人間の汗で一番くさくなるのは、頭の汗だったのか。


はっ、まさか・・・これって「加齢臭」?






ジムに通い始めて6年目に突入。
常連さんとも顔なじみになり、
どうかするとトレーニングより話に花が咲く。
まったくの世間話もあるけれど、やはり健康面の話題が多い。
トレーニングの仕方やプロテインの効果について。
ダイエット法とか健康食品も話が盛り上がる。

いつも帰りの時間がいっしょになるたーさん(仮名)。
トレーニングのあと、マットでストレッチをする頃いっしょになり、
必ず食べ物の話になる。
なにしろ夕食の時間帯、しかもカロリー消費後。
お腹はぺこぺこ、のどはカラカラなのだ。

「この後のビールが格別ですなあ」
これはすでに話題ではない。
挨拶、と言うよりも合言葉だ。
ここからトークのフルコースが始まるのだ。

「調子はどうですな」
「ちょっとバテ気味で」
「精のつくものを食べなあきませんな」
こうやってうなぎの話になっていった。

「明日は休み?」
「畑の草取りですわ」
「いいじゃないですか、夏野菜が採れて」
ここからカレーの話になっていった。

「あー、急にカツ丼食べたくなった」
助走無しでカツ丼の話になった。

そのままロッカーに行き、着替えながらも話の続き。
いつもなら、どこのラーメン、そこのお好み焼きとなるのだが、
今日は違う方面に話しが進んだ。
店で食べる料理もいいが、自宅のごはんの友はなにか。

やはり味噌はいいということになった。
山奥育ちの母が作ったシイタケ味噌はいいごはんの友だった。
たーさんは漁師町出身なので「うに味噌」だそうな。
うにといえば「うにくらげ」もいいなあ。
明太子もたまらん。
シャケフレーク、味付け海苔、のりたま、ハクサイ漬け、
なめたけ、ザーサイ、削り節、マヨネーズ、佃煮、
じゃこ、納豆、大根おろし、とろろ、キムチ、生卵・・・

駐車場で別れるところまで来たとき、
「そういえば、前日『ホイコーロー飯』というのを食べました」
「どんなんです?」
「豚肉とピーマンとキャベツの味噌炒め丼です」

ふたりで「ああ」と空を見上げたあと、
顔を見合わせて、へへへと笑ってから
おやすみなさいの挨拶をした。





この世に生まれてきたからには、
一度は行っておきたいところ、見ておきたい風景がある。

私の場合、南米のマチュピチュやギアナ高地。
万里の長城、エアーズロック、グランドキャニオン。
イスタンブールやスペインやモロッコの町並み。
砂漠も氷河もビッグウェーブもオーロラも見たい。

でも、遠方には行きたくない。
危険と困難と疲労はイヤなのだ。
「隣の県」ぐらいが性に合っているのかもしれない。
いまだに「時差」は未経験だが、きっと性に合わない。

さて、カネさえ出せばなんでも手に入る日本。
今までの旅行はどんなに遠くても地球の裏側までだった。
しかし、いまや旅行はSFの世界に足を踏み入れようとしている。
食を極めてゲテモノに行くように、
ゲテ旅がいよいよ実現されようとしている。

たとえば、「深海」
まっぴらだ。
絶対行きたくない。
私の三大「乗りたくない乗り物」は、
ヘリコプター、富士急ハイランドの新コースター「ええじゃないか」
そして「潜水艦」だ。

せまいし、景色は見えないし、温泉はないだろうし、
ずーっと
「ごんごんごんごん、ぴきーん、ぴきーん」
とか聞こえてそうだ。
動力をビールを冷やすことに使ってくれないような気もする。


「宇宙」もイヤだ。
ロケットは私の「四大乗りたくない乗り物」のひとつだ。
無重力はちょっと魅力的だが、夕食にお膳は望めない。
飲んだら悪酔いしそうだし、
吐いたらとんでもないことになる。

どこまで行っても同じ景色だし、
チップを払わないと酸素をくれないかもしれない。
万が一の事態が起こったとき、
飛行機のように落ちるでもなく、船のように沈むでもなく、
「どうにかなっちゃう」という、わけのわからなさが怖い。

「未来」も勘弁して欲しい。
タイムマシンは私の「五大乗りたくねー」のひとつだ。
何よりも「未来」がどんなところなのかわからない。
「外国へ連れて行ってあげる」
と言われても、目的地がわからなければ、
「いくいく、連れてって~」
とは言えないだろう。

そして、時間旅行の一番気に入らない点は、
どんな大旅行、どんな大冒険をしたとしても、
結局「日帰り」なのだ。






「くつした」は気の毒だ。
手を覆う袋状のものは「テブクロ」と言う。
だから足を覆う袋状のものは「アシブクロ」でいいはずだ。
なのに「くつした」
これは「アシブクロ」と言う名称を
「足袋(たび)」に奪われたからだ。

だからといって「くつした」はないんじゃないか。
靴の下に履くから「靴下」
これでは「靴」あってこその「靴下」ということになる。
まるで「靴より下の立場だから靴下」みたいだ。

「手」はずいぶん優遇されている。
アレだけいろんなことに使われるのに「手ぬぐい」
目的は別のことなのに「お手洗い」
人間の行動の中心は「手」なのか。

確かに「手」は重要だ。
だがもっと重要なはずの「頭」を考えてみよう。

「帽子」

意味がわからん。
「帽」の子ってなんだ?
「帽」ってなんだ?

「鉢巻」

なぜだ?
なぜ「頭巻き」じゃないのだ。
腹に巻いたら「腹巻」なのに、腰に巻いたら「腰巻」なのに。

そういえば、首に巻くのに「エリマキ」ってなぜだ?
これも「エリ」あってこその巻物なのか。
靴下と同じ苦汁をなめているのか。

「鉢巻」が少しずれると「目隠し」になる。
目を隠すから「目隠し」・・・正解だ。
類語に「キンカクシ」と言うのもある。

それがもう少しずれると「さるぐつわ」になる。
なんでや。
「くちかくし」と言うのは確かにおかしいと思うが、なぜ猿?
意味はわからんが、いっそ「くつわ」でもいいじゃないか。

話がそれた。

「靴下」同じような言い方に「ズボン下」と言うのがある。
ズボンの下にはくモモヒキやステテコのことだ。
これもズボンあってこその命名だが、
ちゃんと「モモヒキ」「ステテコ」と言う正当な呼び名がある。

ただし、これも意味がわからない。
「モモ」を「ヒク」から「モモヒキ」なのか?
「ステ」を「テク」から「ステテコ」なのか?
さらにその下、ズボン下下には「サルマタ」がある。
また「猿」だ。
だから「サルマタ」なのか?

まったくなんでこんなにめんどくさいネーミングなのか。
外人が理解できないじゃないか。
手にするものは「手○○」
頭にするものは「頭○○」でいいじゃないか。

あ、
ひょっとして「くつした」って、
足にするから「足す(ソックス)」なのか・・・?





ここしばらく読書量が減っている。
パソコンをいじる時間が増えたのが一番の理由だが、
毎晩酔っ払っているとか、
昼休みに中華そばを食べに出かけてしまうとか、
要するに、時間の使い方が悪いのだ。
おかげで読みたい本がたまっている。

都筑道夫と言う私の好きな作家が去年亡くなった。
追悼企画で古い作品がたくさん復刻したのだが、
買わないうちにどんどん書店から姿を消している。
この人は何でも書く人で、本格推理からホラー、SF。
ショートショートにコメディ、スパイ、時代物と何でもありだ。
逆にそのせいであまり興味のないジャンルの本を買いそびれている。

実は、この作家に興味を持ったのはテレビがきっかけだ。
むかし「EXテレビ」という深夜番組があった。
ある日の企画で「推理クイズ」をやっていた。
普段は見ない番組だったが、タイトルにひかれてチャンネルを合わせた。

ところがこれが期待はずれ。
番組が用意した破天荒な謎を、推理作家やタレントがむりやり解き、
どの答えが一番面白いかを競うものだった。
推理と言うよりは、大喜利に近い企画だ。
がっかりしながらも、お笑い番組として最後まで見た。

問題は3問あり、最後に司会者がこう言った。
「尚、本日の問題は、都筑道夫さんの本を参考にさせていただきました。本当の解答を知りたい方はこちらの本をご覧ください」

なんと!
この問題に解答があったとは!
私はその答えがモーレツに知りたくなり、
次の日からその本を探しまくったのだ。

その問題とは、

1、内側から施錠されたマンションで殺された女性は、
  男物のブリーフ一枚だった。なぜか?
2、ひとつの小屋の中で面識のない四人の男が首を吊っていた。
  なぜか?
3、離れで寝たきりの老人が巨大な庭石に押しつぶされていた。
  なぜ? どうやって?


当時、これらの本は書店に置いてなくて、
復刊されて解答を読むまでに何年もかかった。
やっとのことで作品を読んだあと、
よくぞこんなことを考え付いたと、感心したものだ。

解答?
もちろん、ここには書けませんな。





暑い季節が来た。

目覚めてから出勤の用意をするまでに、
寝巻きのランニング①は汗だくだ。
仕事着に着替える前に、しぼったタオル②で体を拭く。

自転車で出勤すると、会社に着いたときにすでに汗まみれだ。
でもそのまま仕事。
昼休みにTシャツ③を着替える。

午後の仕事も暑い。
汗押さえにバンダナ④を巻いている。
それでもタオル⑤は手放せない。

夕方、再びTシャツ⑥を着替える。
靴下⑦を脱ぐとさっぱり。

仕事を終えてジムへ。
1時間ちょっとでスポーツタオル⑧も手ぬぐい⑨も汗だくだ。
トレーニングを終えてTシャツ⑩を着替える。
ここでも靴下⑪を脱いでさっぱり。

自宅について、ジム用のズボン⑫とパンツ⑬を替える。
シャワーを浴びるか、タオル⑭で体を拭く。
作業ズボン⑮もべとべとだ。

テレビを見たりネットしたりで過ごしたあと、風呂に入る。
Tシャツ⑯とパンツ⑰を脱ぐ。
タオル⑱で体を洗ってさっぱり。
バスタオル⑲姿でしばらく涼む。
寝巻きのランニングとパンツを着る。

このように汗かきの私は、日に19アイテムの洗濯物を作り出す。
もちろん、これは一番ひどいパターンのはなしだ。
とはいえ、ほかにも寝汗用タオルだとか、
ネット用汗拭きだとかを使う場合もある。
しかし、こうなると1枚や2枚増えたってどうということはないのだ。
ちづるもそのことをどうこうは言わない。

ただ、バスタオルをその辺に置きっぱなしにすると、
まるでなまはげのように怒るのだ。





去年ぐらいからか、自転車でうろうろするようになって、
知らない道に突入、なんて素敵な探検をするようになったが、
街中では探検どころか、お散歩程度だ。

それでも知らない路地に入っていって、
思いもかけないところに出ると、
なんつーか、「やったぞ!」というか、
知識を得たというか、グレードが上がったというか、
ともかくちょっとうれしかったりする。

子供のころは、もっともっと探検欲が旺盛だった。
私の住んでいた町は、山を切り崩してできた住宅だった。
海沿いを国道が走り、山に向かって町が広がっていた。
ぐるりは山と海ばかりだ。

中でも特に魅力的だったのは「商船学校」だ。
町と同じぐらいの広さがある全寮制の高専だ。
この敷地内に山が残っていた。
周囲はグラウンドや学生寮、校舎、職員宿舎などで、
まるで離れ島のように、松とシダの森が残っていた。

その中心あたりにぼろぼろの建物があった。
2階建て+屋上の小さな建物だ。
これがわが町の「オバケ屋敷」だった。
その上、いろんなグループの秘密基地でもあった。

そこを中心にけもの道が張り巡らされ、
探検しまくっていた。
傷だらけになったり、服を破ったり、かぶれたり、
まあ、今となっては思い出の遊び場ってとこだ。
探検家度って、成長にしたがって磨り減っていくものなのだ。

その森は今でもある。
実家から徒歩で2分。
玄関から見えている。

先日、実家に帰ったとき、そんな昔話に花を咲かせた。
そのとき、山育ちのオヤジが一言、
「あそこにはマツタケがあるに違いないがのう」
磨り減っていたはずの探検心が、ムラムラムラムラ・・・






おはようごぜあーす。

暑くて目が覚めました。
普段なら、リビングにいって板間でもう一眠り。
今朝はこんなことしてます。

カンフー使いの四人の子供にゲンコツを食らわして、
北欧の人の行き先を超能力で占っている夢を見ました。

ゆうべは風呂に入る前にちょっと転がったら、
1時半まで爆睡。
なんだか乱れた睡眠生活です。
ちづるはもっと寝乱れています。

さて、そろそろ弁当を作り始めよう。
今日も暑そうだなあ・・・






朝の情報番組を見ていたら、なんとかと言う歌手が新記録だとか。
そんな話題をやたらしょっちゅう聞く。
どれだけ新記録の種類があるのか。

たとえば、
「女子で最も若くデビューシングルが一位になった」だとか、
「グループでベスト10に入った曲が最も多い」だとか、
「発売してから最も長くベスト100にいる」だとか、
よくもまあ、そんな記録を探してくるものだ。

一番腹が立つのが、
「初登場第一位が連続何曲」
というヤツだ。
どう考えても売れっ子同士が譲り合っている。
同じ週にバーンとぶつけていかんかい!

誰それがギネス記録だとかいうけど、
業界がそうなるようにしてるんだからなって当然。
自ら値打ちを下げているようなものだ。

私の住む三重県にも世界一がある。
世界一短い駅名「つ」だ。
これは発音で短い世界一らしい。
つづりでは「つ」は「tsu」で、
どこかにある「Y」と言う駅に負けるのだそうだ。

これに勝つために「Z」と書いて「つ」と読むことにしよう、
と言うグループがあるらしい。
この計画は頓挫している。
なぜなら「Z」と書いて「つ」とは読めないからだ。
仮に認定されたとしても、これじゃ全然値打ちがない。

「カスタードクリームを長靴に入れて100メートル走」
と言うのがあるらしい。
これと陸上競技の100メートル走では明らかに値打ちが違う。
「世界記録を目指す」より
「世界記録になることを探す」という安易な考えが情けないのだ。


さて、実は安易ながら「世界一短い川柳」を考えた。
川柳は五七五と決まっているので、見た目が短いと言うことだ。

  「古の@の心太」(いにしえのアットマークのところてん)

ところてんを突いたら、そのうちの一本が「@」のようになった。
ああ、昔から「@」のような形は存在したのだなあ、の意。

さあ、挑戦する人がいるかな。





いまや、人生80年。
いやなニュースが多い中、
なんとか平穏無事に暮らしたい。
そう考えるのは当然だ。
しかし、はたしてそれだけでいいのだろうか。

波風立たぬ平凡な人生。
もちろんそれもいいだろう。
ただ、その中にも多少の刺激は必要なのだ。
刺激があって初めて、平和を平和と感じられるのだ。

人間はそのための臓器を持っている。
突発性精神刺激用臓器、「盲腸」だ。

世間では、何の役にも立たないと言われてきた盲腸。
迷惑をかけるだけの厄介者だと思われていた盲腸。
なくなったら何グラムかでも体重が減るのにと嫌われた盲腸。
そんな盲腸にもちゃんと役目はあったのだ。

盲腸を切ってないと宇宙飛行士にはなれないと聞いたことがある。
宇宙で盲腸が痛くなったら困るからだ。
そりゃ、あのせまい生活空間で、
ひとりがお腹を抱えてうんうんうなっていたら、
ほかのメンバーの気が滅入ってしまう。

一般生活でも、盲腸が痛くなったら困るパターンはいくらでもある。
たとえば飛行機、たとえば船旅、
たとえば9回ウラツーアウト満塁、
たとえば指名手配中・・・
いつそのときが来るかわからない、
まさに盲腸とは、拾った時限爆弾。

そうは言っても、長い人生を振り返る段になったとき、
盲腸騒ぎなんて、ほんの些細な出来事になっているだろう。
爆弾だなんてとんでもない。
せいぜいスパイスぐらいの刺激だろう。

人生のスパイス「盲腸」
「薬味を散らす」と「薬で散らす」の違い。
いかん、眠くて頭が「盲脳」になってきた。




え~、続きでバトンやってます。





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人間のおしりには尾骨と言う尻尾の名残があるという。
どうして「名残」てなことになってしまったのだろう。
使わなかったのだ。
進化とは、進むばっかりではない。
要らない部分は処分されてしまう。
なんてもったいないことをしてくれたんだ、ヒトの祖先。

ほかの生物の尻尾を見ると、
なかなか個性的で、便利で、面白そうだ。
ウサギのようにかわいいの。
トカゲのように切れるの。
ビーバーのように平たいの。
馬のようにふさふさなの。

実際、人間についているパーツでもほかの動物にたとえられる。
カモシカのような足。
シラウオのような指。
猫のような額。
カラスのような行水。
ヘビーな体重。
では、実際人間に尻尾がつくとしたら、
なにのようなシッポがいいだろう。

犬みたいに感情がすっかりばれてしまうようなシッポは困る。
豚みたいな粗末な尻尾じゃ、わざわざつける意味がない。
ワニみたいに強力なのもいいかも。
やっぱりクモザルみたいな便利なのがいいか。
ゴクラクチョウみたいなおしゃれなのがいい人もいるだろう。

私のオススメはちょっと地味。
やはり、見てくれよりも使い道だと考えた。

それは、カンガルーのシッポ。

先日、テレビで見たのだが、
カンガルーはシッポで体を支えて両足でキックができるのだ。
これがあれば、ジャイアント馬場の「32文ドロップキック」も、
もっと長くファンに見せることができただろう。

しかも、椅子がいらない。
そうなると、椅子取りゲームも、ブーブークッションも、画鋲も、
この世からはなくなることだろう。

更に、これは確約はできないが、
神様が「人間にもシッポをやるぞ」と言ったとき、
カンガルーのシッポを選んだとしたら、
おまけに「ふくろ」もついてくるかもしれないよ。





ふと見ると、ノートに髪の毛が落ちている。
これがつまみ取ることも払い落とすこともできない。
考えてみると、私の頭髪はこんなに長くも健康でもない。
鉛筆で描かれた線だ。
なにかの弾みで鉛筆の芯がノートに触れたとき、
偶然、このような自然な線が引けるときがある。

先日、メモ帳の上に鉛筆を突き立ててしまった。
鉛筆を持ったまま何かを取ろうとして目測を誤ったのだ。
メモには鉛筆による無残な傷跡が残った。
これがまた偶然にも、見事に「虫の足」に見えるのだ。
ひょいと見るたびに、何度びびったことか。

これらは描こうと思っても描けるものではない。
描いた、というよりは、むしろ「事故」だ。
私は、自分の事故作「虫の足」を眺めて思った。
これを意図的に描けるのが「絵描き」なんだなと。

小学校の時の写生で、ほんの一部分だけなのだが、
雲が写真のように描けた事があった。
おそらく、描けたと言うよりは、塗りむらやにじみだろう。

写真のような油絵を、ぐっと近づいて見ると、
乱暴に絵の具を塗りたくっただけのように見えることがある。
それと同じような効果が偶然得られたのだ。
ずぅ~っと偶然が続けばいいのに。


さて、私が描いている↓のような絵。
「ペイント」を使って「ペンタブレット」で描いている。
この世界には偶然はないらしい。






区の出合い(区民の共同作業のこと)と言えば、
問題になるのはにっくきドブ掃除なのだが、
ほかにも公民館の掃除と、公園の草取りがある。

この草取りは数年前まではなかった。
業者が除草剤を散布していた。
どこかの誰かが
「除草剤を撒いたあと、子供たちが遊べないのはかわいそうだ」
と言い出し、出合いで草取りをすることになった。
ウチは子供はいないし、公園なんて使わないのに・・・

公園に行くと、草の生えているところと生えていないところが、
くっきりと分かれている。
中心あたりからブランコとすべり台の周りは土がむき出しだ。
周辺部にはたっぷり草が生えている。

そのままでいいじゃないか。
公園の草は子供の遊びのバロメーターだ。
子供が遊ぶところは草が生えない。
草が生えているところは、子供が遊ばないところなのだから、
草が生えていてもいいのだ。
むしろ、寝っ転がるためにキープしておいたらどうか。

月に二度、大人がうじゃうじゃ集まって草取りをする。
「ホントに草にはかなわんなあ」
なんていいながらガリガリやっているのだ。
ガリガリやらなくてもいいところは、
「ホントに子供にはかなわんなあ」
って、草が思っているのだろう。

だから子供は公園中を使って遊べ。
あるいは草取りをしろ。





小学校三年のとき、スポーツ少年団へ入部する権利をもらった。
入らなくてはならないという決まりはないが、
入ってもいいよ、といわれると入ってみたくなるものだ。

それ以前から、剣道をやっているやつらはいた。
スポーツ少年団とは別に、道場に通っていたらしい。
習い事みたいなものだと思う。

友だちがはかまをはいて防具や竹刀を持っているのを見て、
ちょっとかっこいいと思っていた。
そんなやつらに誘われもしたので、
「よっしゃ、ワシも剣道をやるぞー」
と意気込んでいた。

で、結局入ったのは「陸上」だった。
一番の仲良しがそう言ったからだ。
確か、剣道と野球が双璧で、ほかの競技はマイナーだった。
当時は「陸上」が何かすら知らなかった。
こんなにも人に流されやすかったのだから、
水泳の方がよかったのかもしれない。

しかし、大人になって客観的に自分を見つめることができるようになると、
この選択は正解だったと思えるようになった。
小心者で緊張しいの私は、試合が嫌いだったのだ。

簡単に言えば闘争心がないのかもしれない。
ほぼ強制的に出場させられた相撲大会。
土俵に上がって、
「うわー、こんな目に合うならとっとと負けたほうが楽かも知れん」
と思っていた。
一対一で誰かと戦うなんて、まっぴらだ。

球技は苦手、格闘技は嫌い。
結局、高校卒業まで陸上部だった。
最終的にやっていた競技はハンマー投げ。
何かをなるべく遠くに投げるという、
「勝手にやっとれ」的競技が、私には合っていたようだ。





たとえば、口には出さず、ほんの一瞬心の中で思っただけなのだが、
すごくバカなことを考えていたことはないだろうか。
私のようにクールな人間でも、
「あ、ワシってバカ」
と瞬間的に思い、にやりとひとり笑いしてしまうことがある。

クールな私はクールな寝室が好きだ。
だから、寝室に入る前に、クーラーをつけておく。
そうすると、寝室に入ったとき、ひんやりして気持ちがいい。
ゆうべもそのようにしていた。

そろそろ寝るかと思って寝室に入ると、なんだか生ぬるい温度だ。
何事か、とリモコンを見ると、
「27度、ドライ」になっている。
おかしい!
確か私は
「25度、冷房」
にしていたはずだ。

よく見ると、リモコンの画面に見慣れないマークが。
あ、これはカメラでよく見る「電池切れ」のマークだ。

このとき、私の頭の中が一瞬おバカモードに切り替わった。

「クーラーの電池が切れたから、温度が下がらなかったのか」

もちろん私はクールな人間なので、口に出したりはしないし、
一瞬で間違えに気づくのだ。

でも、ちょっと人に聞いて欲しいときがあって、
つい人にしゃべってしまうのが、
私がクールになりきれない理由なのだ。





興味のない人にはまったくないだろうし、
興味のある人でも「まぁね」ぐらいで、
ものすごくマイナーで、
まったくどうでもいい事なのだが、

なぜなんだ、「超人バロム1」


「超人バロム1」とは変身ヒーロー物のテレビ番組だ。
魔人ドルゲが送り出す怪人を、バロム1がやっつける。
いわば「仮面ライダー」の亜流だ。
怪人の名前は「○○ゲルゲ」で統一されている。

さて、私が「なぜなんだ!」と叫ぶのは、
その怪人たちのチョイスだ。
なぜ第一話が「オコゼルゲ」なのだ!
もっとメジャーで怪人向きの生物がいただろう。
企画会議は居酒屋か!

第2話は「フランケルゲ」
こんな名前だけど「フナムシ」の怪人だそうだ。
なんでや!
 &
もっとメジャーで怪人向きの生物がいただろう!

もちろん、メジャーで怪人向きな生物も使われている。
クモゲルゲ、モグラルゲ、サソリルゲ、タコゲルゲ・・・
しかし、ほかの番組と比べると、圧倒的に妙な怪人が多い。

ケラゲルゲ、ゲジゲルゲ、ウミウシゲ
マイナーすぎる!

ミイラルゲ・・・死体やがな!
キノコルゲ・・・ひとつのジャンルやがな!
ミノゲルゲ・・・ミノムシは幼虫やがな!
ヤゴゲルゲ・・・だから、幼虫やがな!
アンモナイルゲ・・・語呂が悪い!

はぁはぁはぁ・・・

このあと、ドルゲ魔人は「体の一部シリーズ」という、
とんでもない方向に進んで行く。
それはまた今度においといて、
誰もが一度はツッこんだことを、もう一度ツッこんでおこう。

なぜ「エビゲルゲ」でなく

エビビルゲ」なのだ!








今日は、毎月恒例みそか寄席の日だ。
今夜は特別、「みそか寄席15周年の会」だった。
考えてみたら、もう12年も皆勤で通っている。
回数で150回、干支が一周してしまった。
よほど体が丈夫で、用事がないのだろう。

これだけの回数通っているといろんなことがある。
楽屋に入ってサインをもらったことや、
前に呼ばれて手品のお手伝いをしたこともある。
福引で当たったことも何度かあるが、
今日はとんでもないものが当たってしまった。

待合の座敷に巨大な招き猫があって、
お客さんたちが祝いの寄せ書きをした。
これはメインの噺家、桂文我さんに内緒の、
スタッフの粋な計らいだ。
この招き猫を、お客代表として桂文我さんに手渡す役、
当たってしまった・・・

いつも、前座、ゲスト、文我さんと三席の落語の後、大喜利となる。
今回は記念ということで、文我さんが大ネタを演じた。
「地獄八景亡者の戯れ」という1時間にも及ぶ大ネタだ。

気と膀胱が小さい私、長い噺と聞いただけで尿意をもよおす。
なのに突然の大役、
開演直前にトイレに行ったにもかかわらず、
前座の噺の途中で微尿意が。
この噺が終わったらトイレへ行こうかと迷ったが、
落語の間に休憩はないし、特別ということで普段より多いお客さんを
かき分けていかなければならない。

落語は二人目へ。
尿意は「微」から「小」へ。
もうこれが気になって落語どころではない。
きっとこの尿意はニセ尿意に違いないのだ。
トイレに行っても、どうせ大して出ないのだ。

と、ひとり焦っているうちに、文我さんの長い噺が始まった。
しかしさすがは文我さん。
話に引き込まれて、いつの間にか尿意を忘れてしまっていた。
気がつけば話は終盤。
持つ。これなら最後まで持つぞ!
安心は膀胱に余裕を持たせる。
おかげでズボンをぬらして贈呈式、なんて羽目にはならずに済んだ。

おめでとう、文我さん!
永く永く続けてください。