食べ物で一番重要なのは『味』ではなく『好み』だ。
評論家がどんなにほめつくしても、自分が好きじゃなかったら食べる値打ちはない。
「こうするのが一番うまい」
と、自分の流儀を最高だと疑わない人がいるが、
あくまでも、それはその人にとって、なのだ。
『好み』とは味だけに通じる話ではない。
食べ方にも個人の好みがある。
たとえば、目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるかは味の好みだが、白身から食べるか黄身から食べるかは食べ方の好みだ。
ちなみに私は目玉焼きに何もかけないが、かけるとしたらソース。
白身を先に食べて、黄身をごはんに乗せる派だ。
以前、会社の宴会でのことだ。
酔っ払ったオヤジが、私の席に来て、
「このカニの甲羅に酒をついで飲むとうまいんや」
といって、酒を注ごうとする。
私が拒否しても、だまされたと思って、なんてことを言ってごり押ししてくる。
私はそういう方法があることも知った上で拒否しているのだ。
カニ味噌を箸でこそげながら、濁りのない酒を飲むのが好きなのだ。
別の席で。
お膳には鮎の塩焼きがあった。
「ええこと教えたろ」
オヤジである。
こんな場面で「ええこと」だったためしがないのだ。
それは、鮎の身をぐずぐずにつぶして骨を抜く裏ワザだった。
「こうしたら、骨を気にせずに丸ごと食べられるだろ」
と鼻高々だ。
そして「やってみ」と言う。
私は、そういうやり方があることも知っているが、
鮎は骨まで食うタイプなのだ。
知識は保存しておいて、聞かれたときに披露すればいいのだ。
聞かれてもいないのにいいたがるのは、知識の在庫がない証拠なのだ。
このお膳は私の所有なのだ。
陣地なのだ。
マイ リトル スクエアなのだ。
そこに口出しするオヤジども。
字面で考えても不愉快だ。
そこのあなたっ。
考えてみてください。
「あなたのお膳に口を出すオヤジ」
どうです、気分悪いでしょう。
オヤジのクチビルがにゅ~と伸びてきて、あなたのお膳に唾液をぽたぽたたらしているような気がしませんか!
話は変わって
会社の同僚O川の奥さん。
日本人には珍しく、うどん、ラーメンが好きではないらしい。
で、そういうものを食べるときは、まずスープを飲んでしまうと言う。
ほとんどのスープを飲んでしまってから、麺を食べはじめるのだと。
O川の奥さん、
それはおかしい!
あんたは間違っている!
お膳はないけれど、私はあんたの丼に口出ししますぞ!
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