2006年02月

ここでは、2006年02月 に関する情報を紹介しています。

珍味

どこでも、その土地特有の食べ物がある。
ただ、あまりにも当たり前に食べていると、それが特別なことだとは思わないものだ。

食べ物ではないが、三重県には『ささって』がある。
これは『3日後』のことだ。
つまり、
今日→明日→あさって→ささって→しあさって
となる。

こんなこと、当然全国共通だと思っていた。
ところがある日、本屋で県民性の本を立ち読みしていて愕然とした。
「三重県人と約束をするときは要注意。
 彼らは『ささって』なるものを持っている」
と書いてあったのだ。

最近知ったのだが「さめのたれ」もよそにはないらしい。
これはサメの切り身の干物だ。
居酒屋のメニューにもけっこう載っている。
今、検索してみたら
「伊勢志摩地方と山陰地方の一部でだけ食べられている」
ということだ。

マンボウは太平洋側ではけっこう食べられているらしい。
私も食べたことはあるが、淡白であまり味がなかった。
湯がいて酢みそが主・・・かな?
自信なし。
三枚におろしにくいだろうとは思う。

去年の暮れに入社したN君の家の冷蔵庫には、常に「うつぼ」が入っていると言う。
といっても、生ではなく干物だ。
N君の実家のある漁師町では、採ったうつぼを干物にして売っている。
これがまた、冷えると鬼瓦のように固い。
あぶるのももちろん、細切りにして揚げてもいいおつまみだ。

同僚O川の出身地では、ウミガメを食べる風習があった。
食べるために捕獲するのではなく、網に引っかかって死んだカメを漁師仲間で分けていたのだそうだ。

テレビで見たのだが、カメノテやイソギンチャクやフナムシを食べる地方もあるらしい。
はじめてナマコを食べた人は偉い、と言う話を聞いたことがある。
要するに、昔はなんでも食べたのだなあ。


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身の回りの人でも、テレビのお笑いコンビでも、仲の悪い二人は見ていてなんとなくわかるものだ。
面と向かってののしりあうことがなくても、なんとなくぎすぎすした雰囲気がある。
そしてそれが形となって現れることがある。

私は実感している。
スーパーの肉売り場と魚売り場は仲が悪いようだ。
その根拠は発泡スチロールのトレイだ。
魚売り場がなるべく細長いトレイを使いたがるのに対して、肉売り場は正方形に近いトレイを好む。

これは買い物をする側にとって非常に不便だ。
たとえばサンマと豚コマを買ったとしよう。
レジを済ませて袋に入れると、袋がまるでアコーディオンのジャバラのようにいびつな形になっている。
なんで共通のトレイを使わないのだ!

非は肉売り場にあると思う。
魚はどうしても形が決まっている。
サンマやイカは細長いトレイに入れるしかない。
まん中でぶつ切りにされているのもいやだ。

それに引き換え、肉はどんな形のトレイでもいいはずだ。
実際、かたまり肉は細長いトレイに入っている。
にもかかわらず、こま切れや切り落としなどのどんな入れ物にでも収まるものを、わざわざ正方形のトレイに入れる。
これは、客に対する嫌がらせか。

私は魚売り場への対抗心の現われだと思う。
魚売り場が、干物、加工もの、海草、冷凍ものまで、その陣地としているのに対し、ハム・ソーセージ、冷凍コロッケ、真空パックものが肉売り場の手を離れ、独立していることが不満なのではないか。

理由はどうであれ、間に挟まれたお惣菜売り場が気の毒だ。
肉も魚も使うこの部門ではどちらかに肩入れをすることはできない。
エビフライもとんかつもイワシのてんぷらも唐揚げも、なくてはならないものなのだ。

だが、買う側からしたら、このお惣菜売り場にも一言文句がある。
寿司やピザや弁当を、丸いトレイに入れるなー!


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今日は、世界的なレースも行われることで有名な鈴鹿サーキットに行ってきた。
目的は、ただの食事とお風呂。
ウチの親父がホンダのスクーターを買ったら、サービスに食事&入浴券がついてきたと言う。
それが我が家に回ってきたのだ。


あの『鈴鹿サーキット』に天然温泉があることはあまり知られていない。
私も知らなかった。
和食レストランで食事を済ませ、温泉施設に向かう。

そこはサウナ、露天風呂完備の大浴場と、水着着用の温水プールに分かれていた。
水着を持っていない私は大浴場へ。
食事から間がないので、サウナはきつい。
しかし、ジャグジーや打たせ湯などの設備は全部プールの方にあった。
要するに露天か室内かの差で、待ち合わせ時間までお湯に浸かっているしかなかったのだ。

私はこういうところでは体を洗わない。
どうせ家でもう一度入浴するし、タオルをすすぐのもめんどくさい。
考えてみれば、最近は家でもあまり洗っていない。
頭とその他をピンポイントで洗うだけだ。

以前はガシガシ洗っていた。
自分の体を庭石のようにこすっていた。
洗いアイテムも、健康タオル、ボディスポンジ、ヘチマ、ボディブラシ、亀の子たわしとエスカレートしていった。
なんだか体がかゆい気がして、次々と物足りなくなっていったのだ。

ところがこれが間違いだった。
かゆさの原因は乾燥肌。
デリケートに扱わなければならない問題だったのだ。
それを知って以来、手に石鹸をつけて洗っている。
ピンポイントを。

実はそれこそが高級な洗い方だったのだ。
私の得た情報によると、ガソリンスタンドで一番ランクの高い洗車は、手洗い布洗いらしい。
人の手によって洗う、これこそが最高のゼイタクなのだ。

ところが上には上がある。
究極の洗いだ。
私が得た情報によると、それは、おっぱ・・・
いや、やめておこう。
それはVIPの特権なのだ。
たとえば『鈴鹿を制した者たち』のような。
われわれ庶民には手の出るものではない。
手を出すと怒られたりするし・・・

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昔から「タマゴ食べたらタマゴン」と言うように、ゆで卵が好きだ。
出勤時間に余裕があるとコンビニに寄り、小遣いに余裕があるとゆで卵を二個買う。
一個はもちろん私の分で、もう一個は上司Tの分だ。
上司Tが持ってくるコーヒーの代償という意味と、ひとりでゆで卵を食べているのを見つかると気まずいという意味があるのだ。

食べるのはだいたい午後3時。
おやつタマゴだ。
コンビニのゆで卵は、塩を振らなくても味がついていて、いい加減に半熟になっている。
「いい加減にしろ!」のいい加減ではなく「ああいい湯加減じゃ」のいい加減だ。

3時。
コーヒーブレイク。
タマゴの殻もブレイク。
「タマゴの皮をむく」と言う人がいるが、むくのは「タマゴの殻」だ。
確かに薄皮もついているが、メインは「カラ」だ。
このカラをむくのが、ゆで卵の醍醐味でもあり、通過儀礼でもある。

このタマゴの殻をむくという行為は、指をタマゴになすりつける行為でもある。
私の指先はアカギレのため、50%の確立でバンソウコウかテーピングが巻かれている。
これがまた汚れを吸着するので真っ黒だ。
このままだとタマゴの殻をむきにくいばかりか、真っ黒なタマゴになってしまう。
だからといって何も巻かずに仕事をしていると、アカギレが切れて赤いタマゴを食べるはめになる。
やはりゆで卵は白がいい。

というわけで、卵を食べるときにテーピングを取るのだが、ご存知のようにああいうものは長く巻いていると臭くなる。
はっきり言って、足のニオイになる。
「アタシの足は臭くないわよ」と言う方。
一晩バスに揺られてゲレンデに着き、そのまま一日スキーをして、夜くつしたを脱いだときの足のニオイといえばわかってもらえるだろうか。

このニオイ、簡単には落ちない。
この指でむいたゆで卵は足のニオイだ。
嫌なニオイのたとえに「タマゴの腐ったニオイ」というのがあるが、「足のニオイのタマゴ」もかなり嫌なものだ。

さあ、あなたなら
「黒いタマゴ」「赤いタマゴ」「足のニオイのタマゴ」
どれを選ぶ?




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私がまだ前の会社に勤めていた頃の話だ。
場所はとある旅館。
会社の新年会だった。

まだまだ調子乗りのワカゾーだった私は、着物で出席した。
正月ぐらいしか着る機会がないし、ちょっと目立ってやろうという気持ちも確かにあった。

宴会もたけなわ。
餅つき大会が始まった。
着物のご利益か、さっそく声がかかり私が餅をつくことになった。
杵を持ち、ポーズをとらされて何枚か写真を撮った後、用意された餅をこね始めた。

みんな酒も入っているので掛け声や野次が飛ぶ。
その中にダメ出しするやつがいた。
「ダメダメ、そんなやり方じゃ。腰がはいっとらん」
そいつはお呼びも推薦もないのにしゃしゃり出てきて、杵を私から奪うと
「こういう風にやるんや、よう見とけ」
と言った。

私にしてみれば、別に希望も立候補もしていない餅つきに担ぎ出され、何もしてないうちに不合格の烙印を押されてしまったのだ。
要するに、その人は自分がやりたかっただけじゃないか。
「見とけ」と言われたが「ちら」とも見てやらなかった。
まったく、正月早々すごく不愉快だった。

遠い昔の嫌な思い出だ。

 ヒティ>
他人の行動、人格などを否定することによって、自分の株を上げようとする輩。
自分がその事柄について能力があるのだという自慢と、その人に対して評価を下す立場にあるという勘違いをアピールするのが狙い。
主に、どうでもいいことに対して口をはさみたがり、重要で責任がかかってくるような事柄に対しては役立たずだ。
大衆酒場でひとりで飲んでいるオヤジに多い。




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男の子は機械が大好きだ。
子供のころは超合金ロボット。
もうちょっと大きくなるとラジオやスピーカーなんかに興味を持つ。
近頃ではこのあとにコンピューターが入ってくるのかな。
高校を卒業すると車。
お父さんになるとドリルや電ノコなどの日曜大工道具。

他の例に漏れず、私も機械は好きだ。
しかし、最近ではどんな機械にでもコンピューターが導入されていて、もう理解できなくなっている。
やっぱり本当に楽しいのは、バネや歯車で動くレトロな機械だ。

昔の機械は楽しい。
足踏みミシンやぜんまいのおもちゃ。
蒸気機関車でも理屈は頭でたどれる。
ある雑誌で「ミニチュア蒸気機関」などというものが売られているのを知った。
やはり、そんなものが好きな男の子は健在なのだ。

私にも、電化製品とは別に、今欲しい機械がある。
機械と言うよりは、道具に近いだろうか。

ひとつは「パスタマシーン」だ。
粉をねって入れ、ゴリゴリ回すと、板状や麺になったパスタが出てくるやつだ。
なんだかすごく楽しそうで、やってみたくて仕方ない。

もうひとつも同じ手回し機械。
なんというのか知らないが、肉がミンチになるやつ。
上からかたまり肉を入れてゴリゴリ回すと、横からひき肉になって出てくる。

この二つには共通点がある。
電源が要らない。
手で回すことによって、食品が劇的に変化する。
手を入れてみたくなる。
洗いにくそうだ。

この最後の理由があるために買わずにいる。
と言うか、買わずに済んでいる。
買ったとしても、めったに使うことがない。
値段もけっこうなものだ。
誰がこんなものいるか。

先日、スーパーの催事場で金物市をやっていた。
なんだかわからない、しかし魅力的な道具がいくつかあった。
お菓子の生地に穴を開ける道具だとか、肉の筋を切る道具だとか、なにやら妙にそそられる。

おっと、男の子の好きな機械の話からお料理道具の話になってしまった。
でも、ギョーザ用の鉄板だとか、クルミ割りだとか、スルメが巻いてしまわないようにはさんで焼く網だとか、使い道の偏ったあまり必要のない調理器具を欲しがるのは、案外男性だったりするのだ。

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夢を見ていた。

一面に布団を敷き詰められた広い部屋。
私はストーブの火を小さくして布団に入る。
徐々に眠りに落ち始め、意識が薄れていく。
聞こえてくるのは泉谷しげるの「眠れない夜」

そのとき!
誰かが私の上にのしかかってきた。
なぜか布団の上から私の右肩をさすり、腰をグーッと押す。

ぎゃー! こわいー! 助けてー!
なまんだぶなまんだぶ・・・

圧迫感が消えたときには目が覚めていた。
汗びっしょり。
暑いんだけど鳥肌が立ってぞくぞくする。
横向きに寝る習慣でよかった。
もし仰向けに寝ていたら・・・
ぎゃー!

はたしてどこまでが夢だったのだろう。
おそるおそる目を開ける。
見えたのはちづるの後頭部。
ぎゃー!
いや、これは怖がることではなかった。

時計を見ると午前3時20分。
どうしよう、トイレに行きたいような気がする。
でも起き上がる勇気はない。
明かりをつけようか。
ちづるを起こそうか。
ぎゃー!
ぐっすり眠っているちづるを起こすのは、後が怖い。
あーだこーだ考えているうちに眠ってしまった。

翌朝、ちづるにこのことを話した。
すると、
「そういえば、あんたが酔っ払ってテレビを見ながら爆睡しているとき、二階を誰かが歩く気配がした」
なんて事を言う。
ぎゃー!

まさかとは思うが、本当に何者かがいるのだろうか。
もしいるとしたら、あんまり怖すぎるから面白い名前をつけちゃうぞ。

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会社帰り、ひとりでスーパーに寄った。
野菜売り場を通過し、豆腐売り場を見て、漬物売り場に移動しようと回れ右をしたら、あるご婦人とばったり向き合ってしまった。
しかもそのご婦人、とっさに誰だか思い出せないが、明らかに顔見知りだ。

「あわわっ、こんばんわ」
私の緊急時判断能力では、顔見知り>ご挨拶が精一杯だった。
「今日はおひとりですか?」
と聞かれた。
やはり顔見知りだったのだ。
「ええ、まあ・・・ごにょごにょ」
とお茶を濁し、お互い言葉には出さないが「では」と言う感じの会釈っぽい雰囲気で別れた。

そして誰だか思い出した。
よくいくうどん屋さんにいる人だ。
「おひとりですか?」と言うところを見ると、顔を覚えてくれているらしい。
ありがたいことだ。

トリ肉の売り場でまた出会ってしまった。
えへへと半照れ、半会釈をかわす。
ついさっき、お茶を濁したばかりだ。
なんだか気まずい。

考えてみれば、スーパーの食品売り場といえば縦横無尽に人が行きかう場所だ。
順路など存在しない。
いや、各自が自分専用の順路を持っている。
出会い頭多発地帯なのだ。

とりあえず、お惣菜売り場に非難した。
店の大半を占める陳列棚地帯は見通しが悪く危険だ。
売り場の端に当たるお惣菜ベルト地帯からは遠くが見渡せる。
甘モノ&パン棚は背が低く、その向こうは麺類、サラダモノの冷蔵庫だ。

卵を買わなければならない。
売り場は野菜売り場横。
最短距離は陳列棚地帯横断になる。
あまりにも危険だ。
とはいえ、レジ沿いにせよ、肉魚売り場沿いにせよ、例のご婦人が陳列棚のすきまから突然現れないとも限らない。
強行突破だ。

お菓子地帯を過ぎ、アイスクリ-ムと冷凍食品の見通し地帯に出た。
あっ、敵を発見。
いやいや、敵ではなく顔見知りだった。
ともかくその人はケチャップの品定め中だ。
ここは方向転換か?

なんの、とっさの判断で車線変更で乗り切る。
陳列棚センターストリートには、オススメ品の山が連続している。
目標人物の手前で、1.5リットルペットボトルの山の反対側に移動すれば私の姿は目に入らないはずだ。
ただし人が多い。
カゴが接触しないように、体を横にし障害物をすり抜ける。

作戦は成功だ。
卵を無事ゲット。
あとは最後の難関、レジだけだ。
バナナの山の横から背伸びをして確認。
ワシはミーアキャットか。
プレーリードッグか。

レジに突撃。
支払いを終え、買ったものを袋につめる。
帰り際、広大な売り場を振り返る。
そこは豊富な食品であふれかえっていた。
今日の私にとって、そこは紛れもなく、弱肉強食のサバンナだった。

             fin





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私は右利きだ。
それもかなり右度の高い右利きだ。
右投げ右打ち右書き右箸右聞き右嗅ぎ右ハンドルだ。
ちづるの右腕として私の右に出るものはいない。
逆に言えば、左手では何もできないのだ。

先日、ネギを小口切りにしているときのことだ。
右手のあまりにも早い動きについていけなくなった左手が、右手の持つ包丁に切られるという事故が起こった。
しかし、考えてみればこれも不幸中の幸いだ。
もしけがをしたのが右手だったら、とても左手で包帯を巻いたりバンソウコウを貼ったりという的確な処置はできなかっただろう。

現に、両手にできるアカギレは、いつも右手の処置が雑になる。
右手は左手を美しく丁寧に処置したにもかかわらず、だ。
これは、左手が不器用だという以外にも理由がある。
右手が使いやすいために、つい左手の処置を先にしてしまうのだ。
指先にバンソウコウを貼られた左手は、余計に右手の処置がしにくくなっているのだ。
こんなことになるのも、左脳に判断力がないためだ。

たとえばカラオケにいったとき、右手は本のページをめくり、リモコンのボタンを押し、マイクを握り、間奏の隙にジュースを口に運ぶ。
その間、左手といえば、謎の踊りを踊っているだけだ。
あくまでもメインは右手、左手はサブだ。
使いにくい左手を使うということは、その分エネルギーを消費すると言うことだ
だから人間はできることなら左手は使わず、右手だけですべてのことを済ませたいと思ってしまうのだ。

買い物に行くと、私はいつも買い物バッグを右肩に掛ける。
右も左もなで肩なので、バッグがずり落ちないように右手は右肩だ。
車のところまで来ると、キーがズボンの右ポケットに入っていることを思い出す。
「しまった」と思いながら、体をできるだけ左に傾け、荷物のバランスをとりながらズボンのポケットを探る。

荷物を左に持ちかえればいいじゃないかと言う声もあるだろう。
しかし、ドアロックさえ開いてしまえば、右手で荷物が車に積めるのだ。
なにが悲しくて、わざわざ使いやすい右手から重い荷物を左に持ち替え、ドアロックを開けるなどという簡単な作業を右手にさせ、左手で荷物を車に積み込むという困難な作業をしなければならないのか。

そんな葛藤をこれまで何度繰り返してきたことか。
買い物に行くたび、何度も何度も繰り返してきた。
何度も何度も何回も何回も繰り返してきたのだ。
いい加減、事前に気づくようになれと自分でも思う。
それもこれも、左脳の記憶力が悪いせいなのだ。


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超老

先日、業界ナンバー2の長老が廃業した。
御年85歳。
まだまだ達者なのだが、昨年腹膜炎を患って重い物が持てなくなってしまったのだ。

「また遊びに来るわの~」
と言っていたが、ほんとに遊びに来てもらいたいものだ。
人柄がよくて、人望も厚い。
話をしていて楽しい人だ。

会社の近くには最長老が住んでいる。
87歳 一人暮らし。
しばらく姿を見ないと心配になるが、まだまだ元気一杯。
昔の頑丈な自転車に乗って、市外まで行ってしまう。
荷物を縛り付けて配達も行くし、注文取りにも積極的だ。

メガネをかけてはいるがよく見えているし、耳は針を落とした音も聞き逃さない。
話はしっかりしていて、歯もオリジナルが残っている。
弱点と言ったら、ズボンのチャックぐらいだろうか。

市内を車で走っているとちょくちょく見かけることがある。
町外れの橋の上で車が並んでいると思ったら、先頭を悠々と走っていたし、夜の田んぼ道をにこにこしながらこいでいるのに出会ったこともある。
あるときは、信号で段差のあるほうに足をつこうとして転んでいた。
女子高生に助け起こされて、ニコニコしていた。

ちょっと前の話だが、この最長老が会社に遊びに来て、上司と話をしていた。
「どこかに話し相手になってくれる女の人はおらんかな」
奥さんに先立たれて十年ぐらいになるだろうか。
やはり寂しいのかもしれない。

「あんた、話し相手だけで済むかい?」
上司がふざけて言う。
「それは、わからんわな」
ニコニコしながらまじめに答える。
まだまだ元気な最長老だった。


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さて、いまや日米の最大の懸案である牛肉。
テレビで牛肉問題を見ない日はないが、ここのところ我が家の食卓で牛肉を見た日がない。

ここは牛肉を忘れてしまわないためにも、シュミレーションが必要だ。
ただ牛肉のかたまりがテーブルにどん、と乗せられてても困る。
どんな料理として牛肉にお目にかかるか。
いわばエスコート役には誰がふさわしいか、ということだ。

そこで私は考えた。
「牛肉に最も合う野菜は何か?」

まずはタマネギ。
出会いは大衆食の代表「牛丼」
火が通ると半透明になって甘みが出て、牛肉をどんどん持ち上げる。
和でも洋でも、牛肉とは切っても切れないなが~い友達。

牛肉と言えば焼肉、焼肉と言えば韓国。
韓国焼肉で野菜と言えばチマサンチュだ。
肉とあわせるために生み出された、レタス界のプリンス。
濃厚な脂とたれを、清涼感たっぷりに包み込む。

お袋の味、肉じゃが。
暴れん坊の牛肉を「だめよ」と叱ってくれるホクホク感。
マッシュに、フライに、粉吹きにと、いつも付き添うジャガイモ。
その包容力は、まさに牛肉を見守る保護者だ。

アメリカ大陸を席巻した「スキヤキ」
ここでの最高のパートナーは、薬味の王者ネギだ。
甘辛たれとうまみを吸って、くしゃくしゃになりながらまとわりつく。
インフルエンザもなんのその、大人の野菜の面目躍如。

忘れちゃいけない緑黄色野菜の雄、ピーマン。
中華なべで舞うチンジャオロースの激しさを見よ。
シャキシャキ歯ごたえ、ほのかな苦味、緑に光るつやつやお肌。
肉詰めピーマンなんて秘密兵器もあるんだよ~。

肉を食うならステーキさ。流行りはヘルシー和風に限る。
そこで颯爽と登場するのは、山盛りの大根おろしだ。
脂は中和、ピリリと刺激、消化をの補助と三拍子。
仲人の醤油が両者をくっつけて離さない。


このほかにも牛鍋のハクサイ、ハンバーガーのトマト、
肉巻きアスパラ、炒め物にモヤシ、キャベツ、チンゲンサイ。
ナスにシイタケにカイワレにニンジンにコーンに・・・
うぱぱー、唾液に溺れる~~~


しかしここは心を鬼にして、決定しなければならない。

牛肉に一番合うのは?






一度、こんな間をとってみたかったのです。









それは、

ビールです!




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もう何日も聞き続けているカセットテープに「ZOO」という曲が入っている。
後に菅野美穂がカバーするエコーズの代表作だ。

♪夜更しの好きなフクロウ
 朝寝坊のニワトリ

歌詞にいろんな動物が出てくる、歌いやすく覚えやすい歌だ。
歌いやすく覚えやすいので、つい口ずさんでしまう。
これがとても困ったことなのだ。
サビはこうだ。

♪ほらね、そっくりなサルが僕を指差してる。

私の母親は縁起かつぎだ。
「去る」につながるからだと思うが、朝から「サル」の話をするとすごく怒るのだ。
「朝っぱらからサルの話をする者があるかー!」
そして、うっかり朝からサルの話をしてしまったら・・・
「あほ、『ウメボシ三つ』と唱えよ」
と言う。

♪白鳥になりたいペンギン
 なりたくはないナマケモノ

私はそんな迷信を信用してはいない。
『サル』と言ったからどうなのだ。
『ウメボシ三つ』と唱えたからどうなると言うのだ。
ただ、長年そう言われ続けたので、それをいわないと気持ちが悪いのだ。
そういう体になってしまったのだ。

♪徹夜明けの赤目のウサギ
 片足で踏ん張るフラミンゴ

朝、スピーカーから「ZOO」が流れる。
私は練習した。
「ZOO」のサビで「サル」と言わないように。

♪ほらね、そっくりなふへが僕を指差してる

こう言うように癖をつけてしまったのだ。
これで「ウメボシ三つ」と唱えなくて済む。

ところがある日、重大なことに気がついた。
サビにいくまでに、
「♪遠慮しすぎのメガネザル」
というフレーズがあったのだ。
うわー、ウメボシ三つ、ウメボシ三つ・・・


さて、この話を思いついたとき、頭の中の伝達神経がどこかいらぬ回線につながったのだろうな。
どこからともなく、なつかしの童謡が浮かんでくるのだ。

♪アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよ~

またこの歌が鼻歌で出やすいのだ。
どうかすると「アーイアイ」の部分は「ふーふふん」と歌っていながら、「おさーるさーんだよ~」だけははっきり歌ってたりする。
しかも「おさーる」まで言ってしまってから、はじめて気がつくのだ。

それにしても、なんで南の島の動物に「ウメボシ三つ」なんて唱えなきゃならんのだ!

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地味なことでは定評のあるわが三重県。
ところがこれでもけっこう観光スポットが豊富なのだ。
これから春に向け、日帰りで近場を観光するのも楽しいだろう。
わざわざ県外へ出かけなくても、遊ぶところはいくらでもあるのだ。

三重県一の集客力を誇るのは「長島スパーランド」らしい。
温泉と遊園地のある巨大レジャー施設だ。
木造のジェットコースターとやらがあるらしいが、ビビリの私はとてもそんなものには乗れないのだ。
もちろん「御在所ロープウェイ」など言語道断だ。

最近流行りなのは世界遺産に指定された「熊野古道」
伊勢から霊場熊野に通じる自然の豊かな山道だ。
ところが、人並み以上に体力のない、つまり人並み以下のちづるの体力では、とても歩けたものではない。
当然ながら「赤目四十八滝」にも行くことはできないだろう。

ビビリの私はスピードも怖い。
乗るのが怖いからといって、それを見ている趣味もない。
だから「鈴鹿サーキット」にはあまり縁がない。

ちづるは寒がりだ。
おまけに泳げない。
だから「鳥羽水族館」や「二見夫婦岩パラダイス」には向いてない。

高いところが怖いのは乗り物に限ったことではない。
「伊賀忍者屋敷」のある「上野城」の石垣も怖い。
だから行かない。

ちづるは船に酔う。
だから観光船での「鳥羽湾めぐり」は無理だ。
ましてや船上バーベキューをや。

私は外人に合うと緊張してしまう。
だから「志摩スペイン村」は辛い。
ちづるは武士に会うとびっくりする。
だから「伊勢戦国時代村改め安土桃山文化村」はダメだ。

観光が無理なら食事に限る。
近いことだし「松阪牛」でも食べに・・・
この計画は、我が家の大黒柱「家計子さん」が許してくれない。

そういう事情で、伊勢神宮参道の「おかげ横丁」ばっかりくどいほど行っているのだ。

ちなみに、ここに出てきた観光施設名が全部わかった人はかなりの『三重県通』だ。
そして、県庁所在地は『三重県 津』だ。

え~、こんなありさまですみません。



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口の中を噛んだ。
それもレベル3で。

ちなみにレベル1は「甘噛み」
「あぶねっ」と思う程度の噛み方だ。
キズの具合はかすり傷ぐらい。

レベル2は「きゅっ」という噛み方。
「あっ」と思ったときはもう遅い。
噛んだ後がポッコリ膨らんでジャマくさい。

そしてレベル3。
「こりっ」という噛み方だ。
はっきり音が聞こえる。
傷跡はレベル2のように膨らんだものの一部が噛み切られていて、なんだかびらびらする。
この上は、レベル4「舌を噛み切る」しかない。

どのレベルであったとしても、誰にも当たることはできない。
完全に自分のせい、100%自損事故だ。
こんなに使い慣れた体の一部なのに、このミステイク。
自分自身に腹が立つとはこのことだ。

噛んだ痕は気になる。
つい舌で触ってみたくなる。
そのあと鏡で見たくなる。
鏡で見て思う。
「いや、こんな程度のはずがない。舌で確認する限りもっと大事になっているはずだ」

その大事度は噛んだ場所によっても違う。
舌の根元か先っぽか、唇あたりか奥歯の横か。
いや、やっぱりどこでも不愉快だ。

ただ、ほかの傷と比べると治りが早い。
薬は塗れないが、常にツバをつけている状態だからだろうか。
アレだけ気になっていたキズも、つい忘れがちになる。
忘れかけた頃、もう一度噛む。
自己責任の追い討ちだ。

更に辛いのが、忘れかけた頃のつまみ食いだ。
キズがあることを忘れて、熱いお茶を飲んだりレモンをかじったりしたらそれはもう悲惨だ。
ショウガ醤油でかつおのたたきでも食べようものなら・・・

今ふっと思ったのだが、塩分や刺激物を控えるのには、口の中を噛むのもひとつの手かも知れないな。





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私の住む市では、買い物のときのマイバッグ普及率が高いらしい。
レジで「袋要りません」というと、スタンプを押してくれる。
これがどれだけかたまると・・・なにかいいことがあるそうだ。

毎回レジ袋をもらっていると、家にレジ袋がいっぱいたまってくる。
レジ袋入れ袋が必要になってくる。
なにしろ、くれるとなったら過剰にくれるのだ。
どうせためるならスタンプをためた方が・・・何か知らんけど、いいのだ。

マイバッグといっても、昔のような買い物カゴではない。
折りたたんで小さくなるのが売っている。
私も百円カイロぐらいの大きさになるのを千円で買って車に常備している。
最初は恥ずかしかったが、レジでポイントカードとスタンプカードを出すのにも慣れた。

ただ、マイバッグの場合は入れ方に工夫がいる。
レジ袋なら買った荷物が入る以上にくれるが、マイバッグはひとつだけだ。
スタンプを押してもらった限りは、
「やっぱり入らなかったから袋ちょうだい」
なんて恥さらしなことは言えない。
なにがなんでも詰め込まなければならないのだ。

だいたい段取りは決まっている。
紙パック、ビンなどの液体モノを先に隅っこにいれる。
肉などのトレイもの、冷凍食品などの定型モノを底から積んでいき、ビンなどの丸みでできる空間にネギなどの長尺モノを収納する。
あとは小物、不定形モノで隙間をうめて完成。
・・・なのだが、たいてい「やっかいモノ」が残っている。

バナナ、卵、ポテトチップス、カップめん、シュークリーム・・・
これがひとつなら、最後に上に乗せて事は済む。
いくつかダブったときが困るのだ。

なんでバナナはこんな形なのだ!
そるな! まっすぐになれ!
なんで卵はこんなにもろいのだ!
粘れ! 頑丈になれ!
ポテチなんか空気を抜いて握りつぶしたらタバコぐらいの大きさになるんじゃないのか!
カップめんはこっちりと四角いカップにしろ!
シュークリームはクリームがはみ出さないように、周りのカワをもちにしろ!

はぁはぁ・・・

やっぱり、袋詰めのときより、買うときにちゃんと考えないといかんなあ。

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仕事中は前掛けをしている。
商品を扱うときに下腹辺りがこすれるので、前掛けをしてないと服に穴が開いてしまうのだ。
なぜそれがわかったかと言うと、服に穴が開いてしまったからだ。
夏場のTシャツ、冬場のトレーナーともに、よほど最近買ったもの以外はほとんど穴が空いている。
この服でジムに行ったり、買い物にいったりするのでちょっと恥ずかしい。

もっと恥ずかしいのは、前掛けをとるのを忘れて駐車場まで行ってしまうことだ。
前掛けをしているというのも恥ずかしいが、それよりもこの前掛け自体が恥ずかしい。

ポケットがひとつだけついているのだが、こいつをよく引っ掛ける。
安物なので簡単に破れてしまい、入れている道具が落ちる。
なのでガムテープで補修してあるのだ。
前掛け自体も汚れているが、年季の入ったガムテープは見苦しい。

ジャンパーだけが少し上等だ。
3シーズンは着るという条件で、少しいいのを買ってもらった。
さすがに暖かくて、ポケットの具合もいい。
こうなると普段も着てしまうのは当然だ。

毎日着るものだから手に取りやすい位置に掛けてある。
これを着れば、ポケットの財布や目薬を入れ替える必要が無い。
めったに洗わないが、真っ黒なので汚れがわかりにくい。
このジャンパー、仕事もお出かけもこれ一着というまさに一張羅だ。
食事に行った店の人もまさかこのジャンパーの右ポケットに真っ黒になった軍手が入っているとは思うまい。


ところがこの一張羅、ついに仕事専用となる日が来た。
かぎ裂きを作ってしまったのだ。
真っ黒なフォルムにかぎ裂きの白い綿がよく目立つ。
しかしそのせいでお出かけに着られなくなったわけではない。
つい、いつもの習性で、かぎ裂きにガムテープを貼ってしまったのだ。

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「最近の若者は」と言うと最近の若者は不愉快らしいが、私にも「最近の若者は」と言われた時期があったのだ。
最近の話、つまり私が若者ではなくなった最近の話だが、最近の若者の距離感がおかしい、と言う話を最近新聞で読んだ。

人間には二種類のテリトリーがある。
「行動範囲」と言う大きな意味でのテリトリーと、「占有範囲」とでもいったらいいのか、各個人が常に保っておきたい他人との距離がある。
この「占有範囲」に他人が入ってくると、人は不愉快になるらしい。

もちろんこれは相手による。
赤の他人か、顔見知りか、好きか嫌いか、いいにおいか臭いか、いろんな要素によってその距離は変わる。
たとえば、だだっ広いところに立っていたとして、見ず知らずの人間が手を伸ばせば届く距離にまで近寄ってきたら不審に思うはずだ。

最近の若者はこの距離が保たれていないらしい。
そういえば、思い当たる節がある。
ジムのマットスペースでストレッチなどをしていると、若者はぎりぎりのところを歩いていく。
そのうち踏まれるんじゃないか、そのうちまたがれるんじゃないかと思うぐらいの距離を通っていく。

どこかの角で人を待って立っていると、若者はすれすれのところを歩いていく。
インコースぎりぎりだ。
もし私がマラソンの折り返し地点で、柱のように細かったら、きっとこの若者は私につかまって方向転換をするのだろうと思う。

疑問に思うのは、若者は私のようなオヤジに接近することがイヤではないのか?
それとも、私は別格なのか?
私のフェロモンのせいか?

そうではない。
おそらく、若者は私のことを人としてみていないのだろう。
私だけでなく他人を人としてではなく、ただの障害物と認識しているのだろう。
彼らにしてみたら、他人に接近するのではなく、単に目的地に向かって最短距離を通っているにすぎないのだ。

そう考えると、顔見知りの過剰接近の方が不愉快な場合がある。
以前会社にいたオヤジは、突然すぐそばに立ち、世間話を始めるやつだった。
あまりに近くに立つので、こちらが一歩後退するぐらいの距離だ。
しかも、こちらが仕事中だろうがなんだろうがお構い無しだ。
要するにただの無神経なのだ。

そういえば、以前いた事務の女の子。
何か聞きたいことがあると、たたたた~っと走ってきて、「抱きつかれるんじゃないか」と思うほど間近にきた。
それは許す。

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浮き沈みの激しいテレビ界。
歌番組がなくなった時期や、ドラマがダメな時期があった。
今はお笑いが盛り上がっていて、ドキュメンタリーは相変わらず強い。
そんな中、安定した強さを誇っているのはクイズ番組ではないだろうか。

もちろん「クイズ」というジャンルは変わらなくても、その内容はどんどん変化している。
昔は、クイズ自慢の視聴者参加型が主流だった。
どんな難しい問題でもバンバン答えていく、いわばクイズの達人を
「うひゃ~、すごい人がいるもんだ~」
と、感心しながら見るのが正しい視聴法だった。

その後、一般シロートの出番は減っていく。
レポーターがVTRで出題し、芸能人がすったもんだで答え、高額な商品をゲットする番組になっていった。
見ている側は「へぇ~」と反応するしかない。
当たるはずのない答え。
ヒントと駆け引きとバカ騒ぎ。
主眼はクイズから外れていく。

更にクイズは低俗化していく。
目的は、クイズに答えることではなく、誰でも知っている問題を答えられないヤツを笑う、になってしまった。
タレントの無知。
あるいはアナウンサーの無知という恥。
更には罰ゲーム。

これでは見ている側の態度も変わってくる。
昔は、クイズに答えると「すご~い、そんなこと知ってるなんて」
という優越感があった。
それはやがて「おおー、当たったじゃん」
知識ではなく、勘のよさや推理力が必要になった。

最近、ちづるとクイズ番組を見ていて、答えるのが恥ずかしい。
レベルの高い問題に答えると知ったかぶりみたいだし、それがはずれていたら「知ったかぶりぞこない」になる。
レベルの低い問題だと、答えても「誰でも知っとるわい」だし、はずれたら目も当てられない。

そこで、つい「わざわざ答えはしないけれど、当然わかっているよね」という態度にならざるを得ない。
要するに、無言で画面を見つめるだけ、になってしまうのだ。
夫婦二人の団欒の時間なのに、微妙で危うい空気になってしまう。
家族で見ていたドラマが、急にラブシーンになったような気まずさだ。

だから私は思う。
出題したら、画面には回答もすぐ出してもらいたい。
視聴者に考える余地を与えないで欲しい。
今のやり方では、日本中のあちこちの家庭で、誰かの威厳がどんどん失われていく気がしてしょうがない。



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今の仕事場は寒くて暗い。
ホコリっぽいし、手も汚れる。
けっこう一人ぼっちの時間も長い。
文句を言えばキリがない。
しかし、これが案外向いているのだと思う。

たとえば、私は営業には向いてない。
仕事で人と話すのは嫌いだ。
「値段をまけろ」と言われたら、
「わかりました」か「じゃあ、買わなくていいです」
のどちらかだ。
交渉するぐらいなら、あきらめてしまう。

審判もできない。
そんな集中力がない。
たぶん、大事な一瞬は見逃すと思う。
野球の塁審をしていたとして、ランナーが滑り込んできたら、
「うわ~、怖い顔」
なんてところを見ていて、アウトかセーフかは見ていない。

刑事にもなれない。
何キロ歩け、何日歩け、何歩歩けと言うなら歩くだろう。
しかし「犯人が見つかるまで」なんてあいまいな命令では歩けない。
せめて「どれだけ歩くかはわからないが、犯人が見つかることだけは確実」と言う保障が欲しい。
見つかるかどうかわからない犯人を追うなんてまっぴらだ。

かといって、犯人も無理。
心配性なのだ。
お出かけのときも「鍵はかけたかな・・火は消したかな・・ガスは止めたかな・・窓は閉めたかな・・明かりは消したかな・・鍵はかけたかな・・コタツは消したかな・・」
と永遠に心配し続けるのだ。
これでは犯行現場から離れられない。

目撃者もダメだ。
「どんな顔?」といわれても、目鼻の数ぐらいしか覚えていない。
「何歳ぐらいだった?」と聞かれても「ひとりで立てるぐらい」としか答えようがない。
「何分ぐらい?」計ってないからわからない。
「何メートルぐらい?」目盛りがないからわからない。
車のナンバーや服の色みたいに、確実なことしか答えられない。
それも覚えていられる自信はない。


じゃあ、どんな仕事が向いているのか。
たぶん、仕事に向いてない。
残業して収入が増えるよりも、休みが増えたほうがうれしい。
だって、人生の延長はできないもんね。



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風邪がおお流行りだ。
今日はちづるが熱を出した。
出勤したら、O川が欠勤。
O川家では数日前から奥さんが寝込んでいたそうだからなあ。
我が家でも気をつけなければ。

世間で奨励されているのは鵜飼いと手洗いだ。
間違った、「うがい」と「手洗い」だ。
これは触れたり吸い込んだりしたばい菌を洗い流すということだろう。
空気中にはプランクトンみたいにばい菌がいるらしい。
やだやだ。

実は、O川家の病気の内訳は
「妻>インフルエンザ、夫>風邪」
だそうだ。
だから、うつったのではないと言っている。
何の言い訳だ。

風邪はばい菌、インフルエンザはウィルスが原因だと言う。
目に見えないのだから、どっちでもいっしょだ。
菅井きんとブルース・ウィルスぐらいの違いだ。
どっちにしろうがいと手洗い、あとはマスクか予防注射か。
ワクチンてなものもあるが、ワクチン自体がくしゃみみたいだ。

うがいにはお茶がいいらしい。
「茶カテキン」に殺菌作用があるとか。
うふふ・・・「チャカテキン」
なんだか、ちんどんやさんのカネタイコみたいだ。
これが「コーノード チャカテキン」になると、クラリネットも入りました、みたいな感じ。

なんだか、書いてることにまとまりがなくなってきた。
眠いからか、ひょっとしてばい菌のせいか。
うたた寝や睡眠不足も風邪の元だ。
さて、そろそろ寝るとするか。
ばい菌の蔓延する寝室で。

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世間ではエビちゃんブームらしい。
私はどんな人か、あるいはどんなエビか知らないが、たしかに流行ってはいるらしい。
食の世界でも、てんぷら界、バーベキュー界、フライ界とエビは引っ張りだこだ。
エビだがタコだ。
唯一、エビが上位に食い込めないのが、寿司界なのだ。

これは好みの問題なので「それは違う」などと反論されても困るのだが、私には「こいつはすしには向いてないぜ」と思うものがいくつかある。
牡蠣、カツオ、牛肉のたたき、カニ、などだ。
たまにテレビでその地方の特産だからといって寿司にされているのを見るが、いつも「お前は間違っている!」とお茶の間で叫んでいる。

たとえば、ウニやイクラはそのまま食べるより寿司にしたほうがうまいと思う。
魚は寿司も刺身も同レベルだろう。
しかし、今挙げた四品は、そのまま食べた方が美味しいものだ。
寿司にするとごはんがジャマになる。

理由も考えてみた。
寿司にはわさびとしょうゆだが、上記四品は普通に食べるときわさびしょうゆを使わないじゃないか。

カツオはわさびしょうゆだと言う人もいるかもしれないが、私にとってはニンニクショウガしょうゆだ。
牡蠣はそのまま、牛たたきとカニはポン酢だ。
その辺が寿司に合わない理由ではないかと考える。

そもそもこれだけ有名な食材が、寿司として一般的になってないということは、一般に受け入れられなかったと言うことなのだ。
それを自分が開発したつもりになっているのが恥ずかしい。

そこで話題はエビちゃん。
ここで言うのは、イセエビ、甘エビ、ボタンエビなどではない。
もちろん「エビハラナントカ」や「エビスナントカ」でもない。
あの寿司ネタで「エビ」と呼ばれているエビ、たとえばブラックタイガーを茹でてわさびしょうゆで食べることがあるだろうか。
私はない。

エビが寿司界で大物になれないのも当然だ。
ヤツは「一般的に受け入れられなかった派」だったのだ。
それがなぜか一般的派の中に紛れ込んでいたのだ。
なぜそんなことが起きたのか。
考えられる理由はひとつ、
「縁起がいいから」だ。
あの紅白の色合いが全てなのだ。

ところがヤツは巻き返しを図っていた。
あのエビを茹でてマヨネーズをつけて食べたことがあるだろうか。
私はある。
アレはうまい!

いったい誰が考えたのか「エビマヨネーズ巻き」
やはりエビには地力があった。
それも寿司界で頂点を狙えるほどの力だ。
なにしろ「縁起のいい色合い」を隠しての挑戦だ。
まるで、二世タレントであることを隠して名を売った、某ミュージシャンみたいじゃないか。
さあ、エビちゃんに賞賛の拍手を送ろう。



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最近よくないクセがついてしまった。
すっごく気持ちよくて、クセになる・・・
そう、うたた寝だ。

家に帰って夕飯食べて、
酔っ払って寝っ払う。
気持ちはいいが、後が辛い。
うたた寝は睡眠時間の勘定に入らないらしく、
今週はずっと寝不足だった。

テレビを見ながらホットカーペットで、というパターンが多いのだが、
今日は部屋でネット中にモーレツに眠くなって、
布にくるまって寝た。

ちづるに起こされたのが午前2時。
そのあと風呂に入って、これを書いている。
また、これを書くのが遅いのだ。

もっと早く起こしてくれればいいのに、と思うのだが、
なにしろちづるも寝っ払っているのだからどうしようもない。
と言うより、私が部屋に来る前からやつは寝っ払っていた。
なるほど、寝る子は育つ。

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おとついのことだ。
ちづるに声をかけた。
「明日買い物に行く?」
「どうしても行けといわれない限り行かない」
「万が一、行ったとしたらネギを買うように」
「ふ」
この『ふ』が肯定なのか否定なのか、鼻であしらったのか『麩』なのかはわからなかった。

きのうのことだ。
仕事が少し遅くなり、ジムに行く気をなくした私はスーパーにいくことにした。
モーレツにカツオが食べたくなったのだ。
スーパーの人手はまあまあ。
このぐらいなら買い物をしてやってもよい。

マイ順路に従って、野菜売り場からスタート。
たとえ買い物が歯ブラシと塩昆布だったとしても、野菜売り場から始まらないとうまく買い物ができない気がするのだ。
しかも、本日の買い物ランキングの第二位はネギなのだ。
いつの間にかカツオが首位に立っていたのだ。

買い物カゴに、ネギと納豆とザーサイとめざしが入ったころ、まあまあの客の中にちづるを発見した。
なんてまあまあのやつなのだ。
新婚じゃないので、後ろから「だ~れだ?」なんてやらない。
そっと背後に近づき、「ふ」と声をかけた。

ちづるは私のカゴを覗き、
「ひょっとして、自腹のつもりやった?」
と訊くので、
「いーや、請求するつもりやった」
と答えると、
「けっ」

一位のカツオのほか、弁当のおかずなどをカゴに入れ散策は続く。
「ほかに買いたいものがあるか」
と訊ねると
「うーん、肉気のものが欲しい」
と、お惣菜の唐揚げを私に手渡した。
しめしめ、こいつ、カツオを買ったことを忘れていやがる。

レジで支払い。
ちづると出合ったために、買い物代の払い戻し請求というやっかいな行程を省くことはできたが、私のお買い物カードのポイントはプラスにならなかった。
マイバッグも持っていったのに、それのポイントもちづるにうばわれた。

ま、いいか。
「買い物中偶然出会った記念」で、今夜はカツオ&唐揚げというお誕生会並みのごちそうになったのだから。

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最近、車の調子が悪くなってきた。
来年の車検が10年目。
そろそろガタがきてもおかしくない年頃だ。

先日、出勤途中でエンジンが止まってしまった。
すぐにかかるのだが回転が低いんじゃないかと思う。
しかし、最近の車は勝手に回転を上げられないらしい。
コンピューターという神様が車のすべてをつかさどっているので、われわれ平民が手を出しちゃいかんのだそうな。

ドアのロックも開きにくい。
ボタンでポン、てな機能はついていないので、鍵穴に鍵を差し込んで開けるのだ。
そこまで神様にまかしちゃいかんと思ってポンボタンはつけなかったのだが、ここはまかしておけばよかった。

鍵が磨り減ってきたのかと思い、スペアに変えてみたが同じ具合。
助手席側やリアのドアはすんなり開く。
どうやら、運転席のドアの鍵穴の方が磨り減っているようだ。
全然別の話だが、むか~し乗っていたポンコツのキーで、その頃住んでいたあばら家の玄関の鍵が開いたことがあった。

さて、今の車だが、シートベルトが戻りにくい。
家に着き、シートベルトをはずし、キーを抜き、荷物を担いで、ロックしてドアを閉める。
そのとき、しゅるると収納されずにダルダルのままのシートベルトのフック部分がドアにガッキとはさまって半ドアになる。

普通の半ドアなら、ほんのソフトな乱暴ですぐ開くのだが、間にシートベルトの頭がはさまっているのでにっちもさっちもいかない。
そのくせロックはちゃんとかかっているのだ。
そのままほっておこうかと思うのだが、ルームランプが点いている。
仕方がないので、ポケットからキーを取り出して開けようとするのだが、これがまたうまく開かないのだ。

免許を取って最初に乗った車は壊れっぷりも景気がよかった。
エンジンをかけたまま話し込んでしまったら、ポーン!と破裂音がしてボンネットから水蒸気が噴き出した。
走行中にヘッドライトがはずれ、目玉が飛び出したみたいにぶら下がった。
もちろんシートベルトにしゅるる機能などない。
ジャマだったのでナイフで切ってしまった。
エンジンの回転はしょっちゅう上がったり下がったりしたが、ネジみたいな部分をちょいとひねるだけで簡単に調節できた。

思えば昔の機械は歯車やらぜんまいやら見てわかる作りだった。
それがトランジスタだのダイオードだの基板だのと得体の知れないものに変わっていってしまったのだ。

ひょっとしたら、今回の車の不調は、神の領域に足を踏み入れてしまった人間への警鐘なのかもしれない。
あるいは「たまには洗車しろ!」という車の叫びなのかもしれない。



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ジムで常連さんと話していた。
あの「フリークライミング」ってのはどんなだろう。
壁に擬似岩とも言うべき、不定形の破片を設置して、それを手がかり足がかりにして登るスポーツだ。
ロッククライミング室内版って感じだろうか。
テレビで見たら、かなりの筋力を必要とするらしく、選手はいい体をしていた。

名古屋のアウトドアショップで、現物を見たことがある。
そのときの感情を擬音で表わすと「むらむら」だ。
あんなものがあれば登りたくなるのが男の子だ。

思えば子供のころはやたら登っていた。
がけやら塀やら土手やら、手当たり次第に登っていた。
ともかく誰かが登りだすので、他のものも慌てて後に続いた。
わざわざ登りにくい所から登ったりした。
入っちゃいけないところに入り、登っちゃいけないところを登った。

で、飛び降りた。
子供のころはやたら飛び降りた。
押入れの上の段から、ジャングルジムから、公園のトイレの上から、勇気のある順に飛び降りた。

当時から私は高いところが怖かった。
それでも、登って飛び降りた。
少しでも高く、少しでも高いところから、登り、飛び降りた。
登れないヤツは下で泣いて、飛び降りたヤツは賞賛を浴びた。

先日、仕事で荷物を持ったまま台の上から降りなければならなくなった。
そのとき、飛び降りマニアだったころのことを想いだした。
その頃の私の病・・・「登るが降りられない病」
みんなが飛び降りたあとひとり取り残された公園のトイレの屋根。
先に飛び降りたヤツばかりか、登れなかったやつらにさえ
「早くしろ~」
「置いてくぞ~」
と、はやされた。

公園のトイレの屋根で白骨化してないところをみると、何とか飛び降りたのだろう。
その頃、飛び降りるときの頭の中は
「勇気を出せ、勇気を出せ、勇気を出せ」だった。

今、わずか数十センチの台の上から降りるとき、頭をよぎるのは、
「ヒザへの負担、ヒザへの負担、ヒザへの負担」

あの時、私の勇気は公園のトイレの上に置き忘れてきたのかもしれない。



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