ここでは、 食 に関する情報を紹介しています。
今日はちづるとホルモンを食べに行った。
そこは最近できたお店なのだが、メニューの種類がすごく多い。
聞いたことのないような肉がある。

カルビ、ロース、レバー、タン、ミノ、などのレギュラーのほかに、
ツラミ、リップ、タンモト、コブクロ、なんて部位も人間は食べるのか。
ハチノス、シロ、ウルテ、アカセン、シビレなんてどこの肉かもわからない。
なんでこんなに細分化されてしまったのか。

昔はこんなに種類はなかった。
ホルモン屋のメニューは牛の部位だ。
最近になって牛の臓器が増えた、なんてことはないだろうから、
今まで食べてなかった部位を食べるようになったか、
肉の分類の仕方が細かくなったかのどちらかだろう。

これはひとつの商売上の策略でもある。
いろんな名称があれば、
「これはどんなだろう」
「ここは食べたことがない」
などと好奇心がうずいてしまうではないか。
まさしく、売る側の思うツボだ。


というわけで、おなかいっぱい。
風呂に入って鏡を見ると、わが体にびっくり。
こんな生活を続けていたら、そりゃあ腹が出てくるのは当然だ。

しかし、食べる方の肉があんなに細かく分類されているのに、
自分の身を『ハラ』のひとくくりでいいのだろうか。
この『ハラ』を細分化することこそが、引っ込めることへとつながるのではないか。


とりあえず『ヘソマワリ』は我慢しよう。
一番出っ張ってはいるが、別名『カンロク』とも呼ばれるのだ。
出ている間は皮に張りがあって美しい。

男であるのに『オッパイ』が出てくるのは困ったものだ。
でも、その少し下『チチシタ』は見苦しい。
前かがみになったとき、腹と乳の間にできるミニ乳のことだ。
似てはいるが『フッキン』とは全然別のものなので要注意だ。

腹が出ている程度ならまだいい。
そこから脂肪は横に回る。
ウエスト横にたまってくる『ツカミ』
まるで天然の“まわし”だ。

さらに背中までぐるりとウエストを覆う『ドセイ』
自分で見ることができないが、人の振り見てわが振り直せだ。

二の腕から下がってくる『ツバサ』
首から顔への肉『フタエアゴ』
お尻周りの『ザブトン』

これらはまだいいのだ。
目に見えるから。
怖いのは体の中の脂肪だ。
これは私たち一般人が分類しようと思っても、見ることができない。
だから、せめて見える肉だけでも減らしていかなくてはならないのだ。



そういえば、ちづるのトントロは・・・









ぎゃー!








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きのうは更新を失敗して、ネタの前半がとんでました。
すいません、今気づいて直しました。

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さて、昨日はごはんを食べすぎてしまう話を書いた。
二人で晩ごはんに3合。
やはり食べ過ぎだ。

なぜ、食べすぎてしまうのか。
やめられない止まらないからだ。
つまり、3合炊いたから3合食べてしまったのだ。

じゃあ、炊く量を減らせばいいのか。
それは違う。
ごはんはいっぱい炊いた方がおいしい。
炊飯器のふたを開けて、底の方にしかごはんがないとがっかりする。

ごはんたるもの、炊飯器に目いっぱい入っていてもらいたい。
ふたを開けると、魔法使いの登場のようにぼわっと湯気がたち、
真っ白でツヤツヤのごはんはこちらに飛び出して見える。
こうなったらもうとりつかれたも同然。

まずはしゃもじでごはんをまぜる。
いや、ほぐす。
いやいや、耕す。
いやいやいや、炊き立てごはんにふさわしい言葉が見つからない。
語感だけで言うなら「ホフる」が近いんだけどなあ。


ま、食事に言葉はいらない。
ごはんを茶碗によそって「いただきます」

最初の一口はまだ熱い。
口の中に入れてもまだ噛まない。
はふはふいいながら、バラくのだ。
うっかり歯がカチンと当たったりしたらもったいない。

このときB級のレポーターたちは、うっかり「あま〜い」などと言ってしまう。
“甘い”というのは、苦い、酸っぱい、辛いなどと同じで、
味がどのジャンルかを区別しているだけだ。
炊き立ての新米ごはんは味ではない。
幸福感だ。
だから「うれしい〜」と叫ぶのが正式な礼儀だ。


一心不乱に新米炊き立てごはんを食べていると、
突然、ごはんの友が欲しくなる。
おかずではない、ごはんの友だ。

これは、ごはんばかり食べていて物足りなくなるのではない。
ごはんの友をプラスすることで、更なる幸せが訪れるような気がするのだ。

ちょっと、ふりかけをトッピング。
これがまたたまらなくうまい。
だけど、ふりかけの部分を食べてしまうと、ごはんだけの味をたしかめたくなる。
で、ごはんを食べたら、今度はキムチで一口。
あふ〜ん、感涙。

ごはんを一口。
昆布の佃煮、うふ〜ん。
ごはん。
サケのフレーク、とろ〜ん。

すぐにお茶碗は空になる。
もちろんおかわりだ。
そこでつい思ってしまう。
『たまごごはん、食べたい』

もちろん、最高だ。
でも、食べ終わって、卵で汚れた茶碗を見ると、白いごはんが食べたくなる。
もう炊飯器はカラだ。

ごはん、うまーい。
こってり卵のあとは、さっぱりゴマ塩もいいのでは。
ああ〜ん、しはわせ〜。
たくわん、かじる〜
よほほ〜い。


こうしているうちにごはんはなくなる。
まだ味付けのりも試してないのに。
お茶づけもしたいのに。
うめぼしもまだなのに。

よし、あすも炊こう。


こうして、健康診断まで、あと12日。






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野菜を育てていると、植物の強さと弱さを目の当たりにする。
何度抜いても生えてくる雑草。
ちょっと乾燥しただけで枯れてしまう野菜。
ほんの2〜3日で大きく成長する雑草。
あっという間に虫に食いつくされる野菜。
このように雑草は強く、野菜は弱い。

しかし、ときには野菜のたくましさに驚かされることがある。
それは野菜が雑草になったとき、
つまり、勝手に生えてきたときだ。


夏野菜を収穫する時、できの悪いものはハサミで切り落として放置される。
勝手に熟して落ちるものもある。
それはそのまま土にかえってもらおうという考えだ。

当然、そこには種も含まれているので、調子のいいやつは発芽する。
放置されやすいキュウリやゴーヤ、トマトはあちこちから生えてくる。
種からは育てにくいナスやピーマンでもでてくることがある。
落ちたムカゴからヤマイモがつるを伸ばすことなどしょっちゅうだ。

ただ、残念なことに、これらはすべて野良野菜だ。
扱いは雑草とおなじ。
全部ひっこ抜かれる運命だ。
場所と時期を選べなかった悲劇、
今そこは、他の野菜のテリトリーなのだよ。


台風の片づけを、と思って出かけた一週間ぶりの畑。
ふと見るとミズナとコマツナの畝にものすごい勢いで何かが生えてきている。
雑草だって出だしはもっと小さくて細い。
いったいなんだ、このチンアナゴの群みたいな光景は。

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記憶を呼び起こしてみた。
この畝はつい最近までキュウリとゴーヤの畝だった。
その前は・・・
そうだ、スナックエンドウだ!
五月に落ちたスナックエンドウが、二度のコーウンを乗り越え、
この季節になって一斉に発芽したのだ!

とコーフンしてみたが、所詮これも野良野菜。
ミズナやコマツナにとってはとんでもないジャマ者だ。
全部ひっこ抜こう。

抜き始めたらこれがおもしろい。
深いところから生えてきているので結構な長さだ。
まっすぐスーと抜けてくる。

・・・

これって、豆モヤシじゃないか?
市販されているモヤシより立派だ。
一般のモヤシは工場で水だけを与えて作られる。
これは土の中で発芽し、地表を目指して伸びたからまっすぐだ。

そういえば世間はスプラウト流行り。
カイワレはもちろん、ソバやブロッコリーのスプラウトがもてはやされている。
ならばこの野良スプラウト、食べないわけにはいかないではないか。

洗ってみた。

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頭と根っこをとってみた。

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ベーコンと炒めてみた。

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なんと立派なモヤシだろう。
ベーコンに負けない存在感。
既知のモヤシからは考えられないシャキシャキとした歯ごたえ。
まさに、料理のメインとなりえる唯一のモヤシなのではないか!


でも、なんか苦い。






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日本人、いや、人類は進歩と後退を繰り返す。
技術の飛躍的な向上、モラルの限りない低下。
これらをひっくるめて『変化』という。
日本人の好みは変化した。
その証拠に、久しぶりに食べに行ったお好み焼屋、
びっくりするぐらい変化していた。

お好み焼屋に行くのは久しぶりだが、行ったのは初めてのお店だ。
どうもチェーン店らしい。

何が変わったって、メニューの多さだ。
私の知っているお好み焼き屋は、
せいぜい、ブタ、イカ、エビにモダン焼きぐらいだった。
それが今や・・・
えーと、いっぱいあった。

お好み焼、焼きそばのほかに、鉄板焼きというジャンルがあって、
炉端焼きみたいなおつまみが豊富だ。
これはうれしい。
お好み焼きを焼く間、ビールを飲んでいられる。
この時間が一番の好みだったりして。


テーブルの備品が変わっていた。
マヨネーズが常備になっていた。
私の学生の頃は、マヨネーズといっても小皿に少しくれたぐらいだ。
それが、ぴゅーって出るやつでかけ放題だ。

カツブシは粉でなくカンナくずみたいなやつだ。
これはかけにくい。
海苔はアオノリでなく、細かい刻み海苔だ。
なんだか広げにくい。


ま、なんだかんだ言っても、お好み焼きは楽しくておいしい。
粗挽きウインナーと鶏の軟骨とモヤシ炒めも注文したけど、
本当にこいつらはおつまみ、つまり脇役だ。
お好み焼きが焼きあがるまでこいつらでもつついていよう、ぐらいのスタンスだ。
あの鉄板というフィールドでは、お好み焼きこそがメインなのだ。

しかし、私にはお好み焼について納得できないことがある。
食についてはいろんなデマが流れているが、
私にとって、認められんデマベスト5のひとつがお好み焼に関する事柄なのだ。

とりあえず、他の四つを聞いてもらおう。

1、洋食でご飯はフォークの背にのせて食べる。
2、ラーメンは並んで食べた方がうまい。
3、スパゲティはアルデンテに限る。
4、寿司は手で食べるのが一番

どうだこれ、こんなことがあるはずがない。
決して認められない。
冗談じゃない。

ま、これを見ていただけたら、私がお好み焼に言いたいことも予想がつくだろう。
そう、世間でよく言われているが、私が認められないこと。
それは、

『お好み焼きはコテで食え』

というやつだ。

とんでもない!
そんなことありえない!
他人がそうしているのを見るだけで、
金属が歯にカチカチ当たるのを想像しておぞ毛が立つ。

だいたいお好み焼とは・・・


ああー、しまった〜
このベスト5を別々にネタにすればよかったああ〜





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我が家は、私とちづるの二人暮らしだ。
だから何でも二つに分けて食べる。
いや、たいていは二人分作って食べる。
ただ、二つのうちのどちらを誰がとるか、
これには我が家なりのルールがある。


目玉焼きを二つ作る。
皿にのせて横にゆすってみる。
黄身がぶるぶるとよく震える方が私のだ。
私は白身まで半熟なぐらいが好きなのだが、
ちづるはカチコチの黄身が好きらしい。


サンマを一匹焼く。
背中の身がちづるの分だ。
あとの腹側の身と骨と皮とはらわたは私が食べる。
サンマは我が家では最もうまく住み分けができている食材だ。


イワシの丸干し。
一匹目、私が頭から腹あたりまでかぶりつく。
残りをちづるが食べる。
二匹目も同じ。
で、ちづるがもういらないといったら、
始めて私はイワシのしっぽ側を食べることができるのだ。


シシャモは取り合いだ。
サンマもイワシもはらわたを食べないちづるが、
シシャモだけは頭からかぶりつく。
これは卑怯だと思う。


納豆は私が好きなだけご飯にかける。
残った器にちづるがごはんを入れて食べる。
私は納豆が好きで食べているのだが、
ちづるは、「健康のために少し食っとくか」という気持ちと、
「納豆の汚れをちょっとでも拭きとっておくか」
という理由で納豆を食べている。


唐揚げは複雑な形をしているのを私が食べる。
ウチでは揚げ物をしないので、お惣菜を買ってくる。
で、私は複雑な形のところが好きなので、そういうのを選びたい。
だがこのことはちづるも知らないので、結構やられている。


そうめんは私が最後の一すすりをする。
私はこれをしないとキリがつかない。
食べ終わったぞって感じにならないのだ。
で、最後のそうめんを集めている私を、ちづるはさげすんだ目で見ている。


ラーメンは多い方を私がとる。
一応、平等に分けようという気はあるのだが、どうしても差ができてしまう。
そうすると、やはり多い方が食べたい。
作るのは私なので、そのぐらいの権利はあるだろう。

だが、麺とスープの段階で私のラーメンが決まってしまうと、
行けないとは思いつつも、ひいきをしてしまう。
「これが私の」と思う方にはモヤシも多めに入れてしまうし、
チャーシューは大きい方を選んでしまうし、
ネギやコーンもサービスしてしまう。

こうして、私のラーメンが決定しているにもかかわらず、
ちづるがお盆で運ぼうとするときがある。
私が自分で運ぶ時は問題ないが、これは危険だ。
すり替えが行われる可能性がある。

こんな時は必殺技だ。
マイラーメンにおろしにんにくを入れるのだ。
「こっち、ニンニク入ってるから」
というと、確実にマイラーメンがゲットできる
食を得るということは、まさに弱肉強食の世界なのだ。



甘いものは、ちづるが私の知らないうちに食べている。






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