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身内のこと

ここでは、身内のこと に関する情報を紹介しています。
父の部屋はえらいことになっていた。
元々モノが多い上に、老人ホームから戻ってきたものを全部放り込んだし、
祭壇を作った表の部屋にあったテレビや引き出しなども入れたからだ。
まず、ここを少々片づけることにした。
母が「窓も開けられん」と嘆いたからだ。

父の入所時にウチから持って行ったテレビ台と小机、買ったカラーボックスはウチが引き取った。
スキマに積んであったほこりだらけの段ボール箱はほぼ要らないものだったので捨てて、
そこに表の部屋から持ってきた引き出しを置いた。
ちなみに4段ある引き出しの中身はすべて西部劇のDVDだ。


天井近くまである棚を整理した。
薬やらチラシやら空箱やらを捨てて、あちこちに散らばっているものをまとめたい。
ともかく部屋の、いや、家のあちこちから出現するものがある。
文庫本、小銭、ビデオテープ、写真、裏の白いチラシを切ったメモ。
息子が紙屋で美しいメモをあんなにあげたのに。

弟とビデオテープをまとめていたときのこと、
小さな収納の扉を開けた弟が「あっ」と声をあげた。

「どうした、またビデオか?」

「ベータ……」


そしてさしあたって一番に処分したいのが衣類だ。
老人ホームから持ち帰ったものが大きなゴミ袋に2つある。
ホーム入所時や入所後に買ったモノがほとんどだから結構新しいのだが、
もちろん誰も着られないのだから処分するしかない。

ただ、記憶を自由に操る能力を身につけた母は、その日の気分で言うことが違う。

「どうせ私も着られへんのやから処分したってくれ」

「私は和裁洋裁をやっていたからこんなものでも使えるかもしれん」

気持ちが処分になっている日に持ち帰りたい。
ちょうど都合のいい日が近づいていた。
私の住んでいる地区で衣類のリサイクルの日が近づいていた。
私は母にプレッシャーをかける。

「衣類を出す日があるから、それまでに検品して必要なものだけ取っといて」

この追い込み作戦は成功した。
おそらくめんどくさくなった母は「もうええか」状態になり、
衣類はそのまま処分できることになった。

あとから「あれはもったいなかった」と言い出さないか心配したが、母は、

「窓が開けに行ける」

とウキウキだ。






↑衣類はタンスや押し入れにまだどっさりあるのでクリックしてね。




似合わぬ
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天気が良くて涼しくて、絶好の畑日和だけどお彼岸だ。
ちづる家の墓参りに行った。
夏の暑すぎが原因なのか、今年は彼岸花が少ない。


その帰り、仏具店に行ってみた。
四十九日までに父の仏壇を買わなければいけないと言われている。
とはいえ、仏壇の知識は全くゼロだ。
どういう基準で選べばいいのかわからないし、どの店に行けばいいのかも見当が付かない。

ちづるが良いことに気が付いた。
先日、友人Fがお線香をお供えに持って来てくれた。
この袋に、仏具店らしき名前が印刷されている。
それを検索してみようというのだ。

ホームページを見てみたら、なんとネット販売もしているではないか。
仏の世界もどんどん進歩しているようだ。
そういえば、父の臨終を確認するのに、お医者さんは瞳孔をスマホのライトで照らしたし、
祭壇に供えるお膳は、全てがフリーズドライのインスタントだった。
ともかく、その店の感じが良さそうだったので、地図を頼りに行ってみた。


店の前に立ったが、敷居が高くて入りにくい。
“厳か”というのだろうか、店内は静かで暗くて人がいない。
意を決して自動ドアをくぐると、どこからともなく案外若い店主が現れた。
仏壇を見たいと伝えると、奥の展示室に案内された。

希望はなるべく小柄でスリムな物。
とはいえ上半身だけのじゃなくて、いわばワンピースのやつがいい。
漆黒と金ぴかのツートンより、最近流行りの家具調の地味なのにしたい。
これは母や弟も同意見だ。

幸いウチの宗派は質素派なのだそうだ。
たくさん並んでいる中から細目地味目のを見て回る。
ビックリするような斬新なのもあるし、お値段もピンキリだ。
私の一存で決めることもできないのでカタログがないか訊ねたら、
メーカーカタログはあるけど、お気に入りを写真に撮っても構わないと言ってくれた。

3種類ほど撮影して、弟にはその写真を送り、実家に行って母には見せてみた。
一応、見聞きしたことを説明しようとするのだが、これがうまく言えない。

「これは、LEDライトでご本尊を照らしてくれるらしい」
「これは拝んでもらう時、舞台を前に引っ張り出せる」
「これは扉がガラス製だから常に中が見えている」

果たしてそれがメリットなのかもわからないが、とりあえず覚えてたことを言う。

ただし、買うのはこの店だと決めた。
店主の説明はわかりやすいし、店の雰囲気がハデハデしくなくていい。
工房を持っているので位牌の彫りも早くしてくれそうだ。
そしてなにより、他の店を見たら迷う要素が増えるに決まっているからだ。






↑写真はあるんだけどねえクリックしてね。




箱

3泊

9月8日、父の居る施設から「呼吸が浅くなってきた」と連絡があった。
数日前から「良くない」「ヤバい」「近い」と言われていたので、
会社を早退して、母を連れて面会に行った。
本当はコロナ騒動の影響で面会は禁止だったのだが、
最期を迎える前ということで会わせてもらえることになっていた。

母が声をかけても父が反応することはなく、ただ荒く呼吸をするだけだった。
母は、父の腕を撫でながら「やさしい手」と言っておいおい泣いたが、

「おっても仕方ないから帰ろか」

というので連れて帰った。


翌日、出勤したが、帰っていいと言われたので、畑に行ってダイコンの発芽状態を見て、
いくつか買い物してから実家に行った。
母と食事をした後、提出しなければならない書類があったので父の施設に行った。
そのときも会わせてもらえたが、血圧が上が67まで下がっていた。

帰宅して夕食前、施設から電話があって父が亡くなったことを知らされた。
私が最後の面会をして2時間後だった。
弟に連絡し、ちづると施設に行って対面。
お医者さんに死亡診断書をもらってから実家に向かった。
電話で伝えて、卒倒されても困るからだ。

もちろん玄関は鍵がかかっていたので、秘密の裏口から入った。
母に伝えると、

「やっぱりあかんだか」

と受け入れてもらえたようだ。
一人にするのが心配だったので、その日は私は泊まることにした。
葬儀社に霊柩車の予約をし、父を迎える準備をして、
シャワーを浴び、一杯飲んで、座布団を並べて寝た。

翌日、父が帰ってきた。
ちょっとだけ自宅に戻って準備をし、その日も私は実家に泊まった。

その翌日、午前中に父を納棺。
夕方出棺、そして通夜。
その夜はホールに弟と夜伽で泊まった。

翌日の朝、火葬。
戻って葬儀。
なんと喪主だ。

母を一人にするのはちょっと心配だったが、大丈夫だというので4日ぶりに家で寝た。
ウチの寝床があんなに素晴らしいものだったとは。






↑しんどいとは聞いていたけどクリックしてね。




寝てたい
お知らせ通り、先日父が亡くなってブログを休ませていただきました。
知りたくないとは思うけど、事の顛末を書いておこうと思います。
なにしろ、こみの日記だし。


4月1日、実家に電話をしたがつながらない。
電話に出ない、ではなくて、つながらないのだ。
不審に思って、仕事が終ったあと実家に行ってみた。

電話が繋がない理由はコンセントが抜けていたからだ。
ファンヒーターのコードに足を引っ掛けて、二股ソケットごと抜けたらしい。
それはいいとして、父の様子がおかしかった。
母は「さっきまでしゃべっていた」というが、いかにも気分が悪そうだ。
意識はあるのだが、話しかけても返事をするのが辛いらしいので救急車を呼んだ。

診断は尿路感染症でそのまま入院となった。
父は膀胱の力が弱っていたので、カテーテルというのを使って定期的に尿を抜いていたのだが、
それを徐々にサボるようになっていたらしい。
病院の血液検査で異状がなかったので軽く考えていたようだ。


感染症はじきに良くなったが、入院している間に足が弱ってしまった。
なので、リハビリ専門病院に転院した。
この時に、膀胱に直接管を通して尿を袋に溜める方式になった。
この状態で自宅に戻るのは無理なので、3か月以内に入れる施設を探さなければならない。

幸い、良い看護付き老人ホームが見つかり、7月にそちらに入所することができた。
ちなみに、入院中はコロナウィルスの影響でほとんど面会はできなかった。
退院前に打ち合わせに行ったとき久しぶりに会った。
ホーム入所後には母とも久しぶりも面会をした。


リハビリ病院からホームへの引継ぎ事項に“足のむくみ”があった。
腎臓の機能が少し弱っているのが原因、つまり尿由来ということだ。
通院していた病院の先生が、
「カテーテルでときどき膀胱をカラにしないと腎臓に来るぞ」
と注意していたのが当たったとしか言いようがない。

盆を過ぎてから、むくみがひどくなり歩くことができなくなってきた。
そのまま徐々に数値が悪くなり、弱っていって、9月9日の午後6時半ごろ亡くなった。
何日も前から聞いていたので驚きはしなかった。
死亡診断書は老衰。
「病気に負けたのではなく、天寿を全うしたということです」
とお医者さんには行ってもらった。

享年92歳。






↑ところで私は遅くにできた子供なのでクリックしてね。




起きたぞ
朝ごはんを食べていたら家の電話が鳴った。
出てみると警察だ。
実家にいるという。
私は咀嚼中の納豆も飲み込めないのに、息を飲んだ。

つまりはこういうことだ。
母が、施設に入っている父が帰ってきた夢を見た。
夢での父は、帰ってきたあとどこかに遊びに行ったそうだ。
母は普段シャワーで済ませているが、父が帰ってきた時のためにお風呂にお湯を張った。
しかし、わが実家はタイマーのないお湯投入型。
母はそのままうっかり寝てしまった。

裏の家の人がいつまでもボイラーが動いているウチのことを不審に思った。
朝のゴミ当番だった娘さんが出て行くときにウチに寄ってピンポンを鳴らしてくれた。
なのに寝ていた母は気付かない。
裏の娘さんはもしものことを考え、110番してくれたのだ。


連絡をもらった私は、会社に遅刻する旨を伝え、朝一で実家に向かった。
年老いた親が記憶を自由に操り始める…それはもう、気持ち的にはどんよりする話だ。
しかし本当にマイナス面しかないのだろうか。
私は分析してみることにした。


まず、原因として私も少々しくじっていることに気が付いた。
お盆の前、私はお風呂の汚れが気になった。
母はもうしっかりこする力が無くなっているのだ。
なので私は風呂の洗い場と洗面器とイスを洗った。
浴槽に水が溜めてあったのでそれを使って。
そして、洗い終わった後、浴槽の水を流して乾燥させるために窓を開けた。

これが良くなかったのではないか。
ウチは追い炊きができないタイプのお風呂で、蛇口からお湯を出すしかできない。
つまり、浴槽に水がたっぷりあったら、母はお湯を張ろうとは思わなかったのではないか。
今回の事件の一番の損失は水道代と灯油代なのだが、
これは私にも責任の一端があるとしてマイナス面とは考えないこととしよう。


では、何かメリットはあっただろうか。
あった。
いざという時、ご近所が反応してくれることがわかったのだ。
お隣の娘さんも、反対となりのご夫婦も、いつも良くしてくれているのだが、
裏のお宅も一人暮らしの年寄りに気を掛けていてくれた。
なんとありがたいことだろう。

そして一番良いことは、母に事の成り行きを説明した時だ。
『父が帰ってきたのは夢だ』と説明した。
すると母は、それを「あれは夢やったんかいな」と受け入れた。
いろんな人の話によると、記憶を自由に操る人たちはそういう助言を受け入れないことが多いらしい。
それを納得してもらえるということは、こちらとしてはとてもありがたい。

では、面白いことはあっただろうか。
「それは夢やで」と私が説明した時、母は「あんなにはっきり覚えとるのに?」と不審げだった。
でも、

「父ちゃん、若くてシャッシャと歩いとったよ」

と説明した。
夢やからこそや。






↑電話に怯えているけどクリックしてね。




夢やから