世間話

ここでは、世間話 に関する情報を紹介しています。
暑い夏。
「暑いと言ったら罰金ね」
なんてことを言う人もいた。
気温の辛さでも暑い時はこう言える。

最強の寒波が到来している今、
「寒いと言ったら罰金ね」
なんて言うやつはいない。
寒さの辛さはふざけていられない辛さなのだ。
ふざけるやつは首筋につららをねじこんでやる。


私の仕事場の暖房は電気ストーブ一つだ。
エアコンがあるが天井が高いので暖気が逃げていってしまう。
なので、二番目の暖房が運動で、三番目が厚着になる。
もう動くか着込むしかないのだ。

店長は寒がりだ。
ずっとパソコンを使っているので手が冷えるらしい。
両手に軍手をはめ、その上に回路を貼ってテープで留めている。
ちょっとゾンビのようだ。
少なくともパソコンを使っている人のようには見えない。

若い女子社員はなんだか薄着だ。
首回りが寒々しているので平気なのかと訊いたら、
中にヒートテックを重ね着しているのだそうだ。
ヒートテックも重ね着にして、首回りも何か巻けばもっと暖かいだろうに。
そうまで見てくれが気になるのだろうか。

店長の奥さんは事務所から出てくるとき履き物を履かないときがある。
事務所はカーペットだが、そこから出るとコンクリートの床だ。
寒がりなのに冷たくないのかと思っていたら、
「靴下を重ね過ぎて、とっさにぞうりが履けないの」
だそうだ。


先日、本社の同い年の人と話していた。
やはり、暖かくするには下半身に何かを穿いた方がいいという。
パッチ、ステテコ、ズボン下というやつだ。
太ももが暖かいとものすごく違うようだ。
彼は下に1枚プラスすると、上が2枚脱げるとまで言った。

そうだろうと思うが、私はまだそちらに手を出してはいない。
一旦それを穿くと、二度と手放せなくなるらしい。
なんだかトイレに行くとき手間がかかりそうでいやなのだ。
足の話なのに手ばかり出てくるなあ。

それに、動いて暑くなった時、上なら脱げるが下は脱げない。
となると汗をかき、今度はそれが冷える。
それに、下を脱いだ時の寒さを考えたら、いっそ穿かない方が賢明な気がする。
外に出た時寒いから室内では上着を脱いでおく、みたいな考えだ。

衣類の買い物に行くと、ちづるがニヤニヤしながら「買うか?」と誘う。
ちょっと悩んだ後、「いや、買わない」と拒否する。
はっきり言おう、まだ若いつもりなのだ。
ズボンの下に何かを穿いた時、男はおっさんになる。
そこ以外は早よからおっさんなのだが、なぜかそこを最後の砦にしているのだった





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首元もずいぶん違うぞ
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目が覚めて、布団から出て、寝室から出て、窓から外を見る。
カラッカラだ。
雪が積もるなんて噂にウキウキしていたのにガッカリだ。

北の方や山手では大雪で苦労しているという。
雪の少ないわが三重県でも、北部中部には雪が積もっているようだ。
難儀している人には申し訳ないが、やはり雪景色には心が奪われる。
おっさんになっても、雪が積もるとテンションが上がるのだ。


母が二度、私にウソをついたことがある。
そのうちの一つは雪に関するウソだ。
高校生だった私は寝力がMAXで、起力がへなへなだった。
何度起こしても起きない私に、母は
「雪が積もっとるよ」とウソをこいた。

この魔法の呪文で飛び起きた私。
起きることは起きたが、外を見ても景色はいつも通りのカラッカラ。
母への怒りは計り知れない。
ちなみにもう一つのウソは、しゃっくりが止まらない私に、
「後ろに蜘モが!」というものだ。
しゃっくりは止まったが、その怒りは計り知れない。


だいたい私の住む三重県南部はとても雪が少ない。
本州で最も太い部分、紀伊半島の右海岸線だ。
天気予報で日本中を覆う寒波や降雪地域が地図上に示されるが、
大抵そのラインからはみ出している。
『首の皮一枚残して』という言い回しの『皮』みたいな感じだ。

いつもの居酒屋のバイト、Mえは雪が大好きだ。
近くで雪が積もったと知ると、車で出かけようとしてみんなに止められている。
金曜に飲みに行ったときは、

「こみ、土曜は仕事?」

「休みやよ」

「雪合戦しよ」

と誘われてしまった。
しかし、雪が降るかどうかは微妙だ。
Mえは、雪雪雪雪言っている。

みんなで天気予報を見ていると、天気図が出た。
なんとこの辺りが降雪範囲に含まれているではないか。
みんなが慌ててMえを呼ぶ。

「おーいMえ、この辺にも雪が降るぞ」

「うそー」とカウンターから飛び出してきて天気図を見るMえ。

「三重県どこ?」

マイナー県だけど、あんたは住んでいるんだから。





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なので背景の色が無し

断裂

世間は今年初の三連休だとかいって、ハタチの若者以外も浮かれているというのに、
私は今年初の土曜出勤なのだ。
正月休み明けの大忙しを切り抜け、次の連休前だからヒマだろうと高をくくっていたが、
なんだかんだと仕事は増えてけっこうハードな一日になった。

それでもなんとか筋トレの時間を捻出して、初腕立て伏せしていると、
店長の奥さんが「忙しかったねえ」とおやつを持ってきてくれた。
ミスター某のドーナツだ。
カロリー消費中の追いカロリーだが、こいつはありがたい。

ミスター某のドーナツは南米の昆虫に匹敵するほどの種類があるが、
出てきたのは茶色くてやや硬めで、上がぐるり一周ひび割れになっているやつだ。
ホントは上半分にクリームが乗っていたのを誰かが齧って、
底の部分だけ残っているように見えるやつ、と言って通じるだろうか。

とはいえどんなドーナツでもたいていドーナツはおいしい。
ドーナツを食べる作業の最初の一歩は、その輪を断ち切ることだ。
ガブリと齧りつく。
吊り橋一本分ぐらいがまだギリギリつながっている。
ふふふ、加減をしてちょっとおちょぼ口で齧りついたのだ。

たとえ糸一本分であろうとも、輪が繋がっているうちはドーナツだ。
それが切れた瞬間、その食べ物は『ドーナツだったもの』に変わる。
だってドーナツ状じゃなくなるのだから。


ドーナツはドーナツを呼ぶとでもいうのだろうか。
休みだったN岡が差し入れを持って表敬訪問だ。
手に持っているのはミスター某のドーナツケース。
ダブったから迷惑だなんて思わない。
ドーナツは、いつでもどんなのでもおいしいのだから。

私に回ってきたのは、チョコのかかったほどけない靴紐みたいなやつと、
トレーラーのタイヤみたいなやつだ。
ホントは“ポンデリング”と“フレンチクルーラー”だと知っている。
逆に言うと、私が知っているぐらい有名なのだ。

追い追いカロリーをしては筋トレの意味が無くなると思い、これは持って帰った。
二個あるのだからちづると一個ずつだ。
が、何度も言うように、ドーナツはどんなのでもおいしい。
二種類あるなら二種類食べたい。
それはちづるも同意見だった。

二個のドーナツを半分に切る。
と言うことは、さっきの説によるとどちらもドーナツではなくなるということだ。
二個もあるのにどちらもドーナツでなくなる?
そんな哀れな話があるだろうか。

そうだ、その二個を合体させればいい。
ドーナツのあしゅら男爵だ。
そうすればドーナツ状を作ることができるから、一旦はドーナツを楽しめる。
おお、ステキなアイデアだ。

が、ちづるはナイフを出してくるのがめんどくさかったのか、
二つのドーナツを手でちぎった。
それはもう、超人ハルクが太い鎖を引きちぎるかのような光景だった。
そんなわけで、夕食のデザートに私はドーナツの残骸を二個食べた。





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検索してみた
ちょうど一週間の正月休みが終わった。
七日ぶりの会社は、毎日いるとわからないような変化があった。
そう、私の体重のように。


裏庭の二個の植木鉢。
一つには山東菜とミズナ、もう一つにはパセリとレタスが植えてある。
これが、ぐいいっと大きく育っていた。
取った雑草をねじ込んで、その上に少しだけ土を入れただけなので成長が悪かったのに、
更に一度も水をやっていないのに、もう食べられるぐらいに大きくなっていた。

計画的変化もあった
去年使い切ったメモ用のボンドを乾燥させていたのだ。
なにしろ業務用なので3キロも入るボトルで、洗うよりも乾かしてはがす方がきれいになる。
一週間乾かしたのでうまいことパリパリになっていた。
以前もネタにしたことがあるが、これをはがすのがとても気持ちいいのだ。

気持ちいい~

これがそのボトルと、内側にへバリついていたボンド。
ボトルの内側はそれはもう美しいものだ。
なんにでも使えるようになった。
でも、前回のボトルのまったく使用しないままおいてあるのだ。


夕方になって気付いたこともある。
日が長くなっているのだ。
休み前は店のノボリを片づけるころにはほとんど真っ暗になっていたのに、
今では空がほんのり薄明るくなっている。
天の動きは、人間や社会や気候なんかに一切影響を受けないのだなあ。


仕事が終わったら居酒屋初めだ。
ここでも大きな変化があった。
スキンヘッド1号のメガネと自転車が変わっていた。
お年玉で……いや、還暦を過ぎていてそんなことはあるまい。

見れば、顔に大きな擦り傷ができている。
話によると、大みそかの朝目覚めたら体中が痛くてメガネがない。
玄関に行ってみると、スーパーで買った食品が置いてあり、
外へ出ると2メートルぐらい先にメガネが落ちていて、
更に5メートル先に自転車が乗り捨ててあったそうだ。

つまり、酔っぱらって転んだのだ。
みんなで笑うと怒る怒る。
あばらにひびが入っているので、痛くて自分は笑えないのだ。
笑いのお年玉をいただいたよ。





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もう使っちゃった
日本人よ、そろそろ卒業したらどうか。
なにってもちろん『おせち料理』のことだ。
1月3日の更新はおせち料理の悪口と決まっているのだ。

今年は、ちづるの実家も私の実家も例年とは少し変化があった。
まずちづる実家は、おせちを買うのをやめ、おせち風オードブルにしたそうだ。
それをいくつかの器に盛り分けて食卓に乗せた。
メインに鍋があったので、この小鉢がちょいとおつまみにとてもよかった。

私の実家では今年もおせちを買ったのだが、買う店を変えた。
今度のお店のは、真空パックやら個別包装やらのビニールが入っていないのがいい。
それとは別に、母が作る煮物が変わった。
いままで、たけのこやこんにゃくやゴボウやシイタケを別々の煮ものにしていたが、
今年からはひとまとめの煮ものにした。
手間が断然楽なうえに、こちらの方がおいしいではないか。


それにしても、やはり弟夫婦とわが夫婦で、二段のお重が半分残った。
残るのはいつも同じメンバーだ。
たつくり、なます、黒豆、きんとん、ゴボウ、かまぼこだ。
エビやブリ、焼き豚など動物性の物は売れ行きが良い。
同じゴボウでもアナゴ巻きの方は人気がある。
昆布巻きも芯に魚が入っていたので良いおつまみだった。

この喜ばれるものと残されるものの差はなにか。
まず、おいしいものはちょっとしか入っていない。
それに対し、残るようなものはたっぷり入っている。
おそらく、隙間にはどんどん残るものを詰め込んだに違いない。


おせちには二種類の意味がある。
縁起がいいことと、日持ちがすることだ。
言い換えれば、語呂合わせができる腐りにくいものってことだ。
これほど「おいしい」が二の次になっている料理があるだろうか。

黒豆やきんとんは、お菓子だ。
なますなど、酢の物は漬物だ。
たつくりは硬い。
かまぼこは飽きた。
えーと、あとはもうどうでもいいや。

と、私がどうでもいいやと思ったものたちこそ、
父や母やその他お年寄りたちが、
「これがなきゃあおせちじゃない」
というお正月感アイテムなのだ。


そこで提案だ。
おせちは一の重二の重をやめて、シルバー重ヤング重にしてもらえないか。
シルバー重には今まで通りの縁起よく味の濃い日持ちのする伝統料理。
そしてヤング重にはブタのショウガ焼き定食だ。
おっと、私の今の気持ちが出てしまった。

もちろん生姜焼きにはこだわらない。
天津飯でもカキフライでもカルビでもかまわない
なんだったら、ラーメンや牛丼の食券が入っていてもいい。
ともかく、飽きたのー!






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ところで彼はどこだ