懐かしの話題

ここでは、懐かしの話題 に関する情報を紹介しています。
隣の市まで飲みに行くのに久しぶりに電車に乗った。
乗るはずの電車は6時2分。
タクシーを降りてスマホの時計を見ると5時59分だ。
あわてて切符を買っていると電車が入って来た。
乗るのは向こう側のホームだ。

電車も久しぶりだが走るのも久しぶりだ。
それも階段。
上りは何とか勢いで行けたが、下りが怖い。
私の膝はストッパーになってくれるのか。
下りきったところで一瞬電車のドアが締まろうとしたが、なんとか間に合った。

まさか数年ぶりの電車が駆け込み乗車になろうとは。
しばらくドアの横でゼーハーあえいでいたが、
幸い空席を見つけて座ることができた。
気が付いたらもう目的の駅だ。
予定より30分も早いってことは、次の電車でもよかったのではないか。


ちょいと酔っぱらって帰りの電車。
今度はあわてる必要がない。
なので連れは切符の領収書なんぞをもらっている。
しばらく待って電車に乗った。

なんだか行きとは雰囲気が違う。
もちろんあわてて走ったこともあるが、これから飲むときはそちらに気が行く。
それに行きは急行だったが、帰りは各駅停車だ。
なんとなくのんびりして連れともあまりしゃべらなかった。

ボーっとしていると足元が暖かくなってきた。
イスは柔らかいし適度な揺れもある。
それで酔っぱらっているんだから眠くならないはずがない。
意識がふんわりしてくると「○○です」とアナウンスが流れ、電車が止まる。

ドアが開くと冷たい風が入ってくる。
究極のすきま風だ。
そこで目が覚める。
あっ、さっきまでいた人がいない。
降りてしまったのだ。

急行が停まらなくて各駅停車が停まる駅なのだからもちろん田舎の駅だ。
この帰宅時間、降りていく人はいても乗る人はほとんどいない。
だから周りにいる人は減っていく一方だ。
まったく知り合いでもなんでもないのだが、視界に入る人に親近感が芽生える。

この人誰それに似ているとか、あの人は寝たふりだとか観察していると、
対面の窓に自分が映っているのに気が付いた。
なんと酔っ払いのおっさんではないか。
私の隣は若い女性だ。
ずっとチューブのゼリーを吸っている。

また電車が停車し、並びのお客さんが降りた。
そんなに混雑してないから空間はあったのだが、
ゼリーの女の人がおしり一つ分私から逃げた。
酔っ払いのおっさんだからか。







↑連れは電車に傘を忘れてきたけどクリックしてね。




次の駅まで立ってなさい
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我が家では、牛乳を牛乳屋さんにビンで配達してもらっている。
以前はスーパーでパック牛乳を買っていたのだが、
パックは溜まってくるし、欲しいときに中身がないってことが続いたので、
専門の業者に頼むことにしたのだ。

どんどん配達されてくると思うと「飲まねばならない」という意識も働く。
骨を強くし、体を作り、お肌を白くしそうな牛乳はなるべく摂取すべきだ。
平日はネタの更新をした後、台所で飲む。
休日は朝がパン食になるので食卓で飲む。
大して変わらないようだが、実はこの差が大きい。


ビン牛乳はフタが紙でできている。
紙なのに接着剤も使わず水分を密閉できるなんてすばらしい技術だ。
紙に関わる職業のものとしては鼻が高い。
たぶんあの上にかかっているビニール業者の人たちも鼻高々だろう。

このふたの開け方は大まかに4種類ある。
まずは栓抜きを使う方法だ。
最近は観なくなったが、千枚通しのような先のとがったビン牛乳専門の栓抜きがあり、
紙ブタに突き刺して使用する。

この方法はとても楽なのだが、この栓抜きが洗い物になる。
私が子供のころは、駄菓子屋なんかだとその辺にぶら下げてあって、
使いたい人が勝手に使えるようになっていた。
こんなアバウトなやり方が通用していたのだが、現代ではそうはいくまい。
今の日本人は目に見えないところに“菌”というものが存在するのを知っている。


第2の方法は爪で紙フタの端っこをホジホジして、
めくれ上がった部分をつまんで取るやり方だ。
これはまず、爪がある程度伸びていなくてはいけない。
しかも、その爪が美しくなくてはいけない。
爪の中が黒いと、牛乳の白さと対比されて余計に汚らしく思えてしまうのだ。

3番目は親指の力で紙ブタを中にめり込ます方法だ。
丸いふたの中心からそれた部分を中に押し込むと、反対側が浮き上がる。
そこをつまんでとるのだ。
ただし、この方法には危険がつきまとう。
想像したらわかると思うが「びしゃっ!」ってなりやすいのだ。

そしてちょっと特異な4番目の方法をお教えしよう。
まず、ビニールをとった牛乳ビンの口をくわえ込む。
つまり牛乳ビンの直径より大きな口が必要だ。
そして思い切り吸う。
この吸引力で開封するのだ。

なぜこんな方法が生み出されたのか。
小学生のころ、この牛乳のフタを集めてメンコをしたり賭け事のチップにするのが流行った。
もちろん使われるのは無傷のふたに限られる。
そのために小学生男子は知恵と技術を結集してこの技を習得した。
現在の給食の牛乳が紙パックなのは、彼らの影響もあるのだろう。


さて、現在の私はというと、主に3番目の方法を採用している。
道具も爪も要らないし、親指が太短いからだ。
ただ、この方法は先ほども述べたように危険と隣り合わせだ。
台所でこれをやるときは、いつでも手が洗えるから構わない。
食卓でこれを失敗すると、手を洗いに立たなくてはならないのだ。

と、初めの方で提示された『台所と食卓で飲む牛乳の違い』を説明したのだが、
第4の方法のインパクトの方が強かったような気がする。
アレを主題にすればよかったか。






↑カフェオーレが飲みたい人もクリックしてね。





この描き方は楽だ
いやだけど、いやだいやだで通っていくはずがない。
放っておけば放っておくほど畑の草は伸び、頑丈になっていく。
実際のところ、半日草取りをしただけで全面きれいにすることはできない。
おそらく収穫の終わったトウモロコシスペースは手をつけられないだろう。
でも、これからも収穫しなければならないところは草取りをしておこう。

草は元気

畝間の草をクワで削り取り、苗の周りの草はねじり鎌で丁寧に取る。
その草を苗の根元に寄せておく。
午後は雨の予報だから、こうしておけばしばらく乾燥を防いでくれるだろう。


家に帰ってシャワーを浴びる。
午後の予定は、ゴマを買いに行くこととだけだ。
定食屋でごはんを食べて、スーパーに買い物に行った。
アイスクリームを買ったので、大急ぎで帰宅しなければならない。

そのあとは予定がない。
ひょっとしたらまた昼寝か。
この盆休みはこればっかりだ。
冷房が効くという理由で、ショッピングセンターか寝室で過ごしていた。

涼しいところで過ごすのは、熱中症対策としてもけっこうなことだが、
こうもダラダラしていていいものだろうか。
どうしてこんなにダラダラするようになってしまったのだろうか。
若いころはもっと行動的に遊びまくっていたはずだ。


どうしてこんなに生活に締まりがなくなったか。
それは、宿題がないからだ。
今さら算数や漢字の書き取りなんかやっても仕方ないし、
四日間だけ絵日記をつけても発表の場もない。
この年でやるとしたら、読書感想文か図画工作だろう。

で、この記事のアタマの8行は暑い中、私が一人で野菜の乾燥を防ぐ話だ。
これを私の『独暑乾燥文」とさせてもらうことにしよう。
となると残っているのは図画工作だ。
わあ、どうしよう、夏休み最終日なのに図画工作ができてないよう。
あわてた私は、冷房の効いた寝室に夏休みの宿題を持ち込んだ。

よくできました

トケ井うちわだ。
いかにも最終日にあわてて作った雑な感じが表現できている。
しかし、本当はものすごく計画的な作品なのだ。
なにしろ、休み前に無地のうちわを用意していたのだから。





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格差ができた
すっかり手ぶら通勤に慣れてしまったワタシ。
お昼は、魚肉ソーセージと豆乳とゴマを会社に置きっぱなしだ。
飲み物も緑茶とスポーツ飲料の粉末を常備している。
目薬も充電器も雨具も洗剤もハンガーも会社マイライフの一部だ。
ポットや鍋は“冬物”として奥深いところにしまい込んだ。

で、徒歩通勤しているかといえば、全然していない。
雨が降ったら車で出勤し、
晴れたら車で出勤して、帰りに畑に寄っている。
歩かない分、仕事の合間には筋トレだ。

筋トレ用のチューブも会社に持って行った。
あと、5キロの鉄アレイとダンベルが部屋にあるのだが、
これらも会社に持っていこうかと考えている。
会社を便利に、ではなく、家をスッキリと、と目的が変わってきて。いるようだ


そんなわけで、新たに考えたのは会社での読書だ。
長編小説を読んでいると、土日の休みには家で読みたくなる。
となるとその本が手荷物になってしまう。
読み終わった本は売りに行くまでは保存しなくてはならない。

そこで、その方面のことも考えた。
手荷物にならなくて、家がすっきりする方法だ。
実はずーっとジャマになっていた本たちがあった。
古本屋で買ってきたミステリーたちだ。

思えば二十数年前、
ブックオフなんぞができるより昔、市内の古本屋が勢力を伸ばしていた。
駅近くの小さな書店だと思っていたら、郊外に大きな店を出し、
隣の市へ、さらに隣の市へとどんどん新規開店していった。

私はそれをハシゴして、当時すでに“懐かしのミステリー”となっていた本を、
ガイド本や他の本の解説で知識を仕入れては捜し歩いていた。
そうやって集めた文庫本たちは、ほとんど読まれることがなかった。
最新刊の本の方が魅力があったからだ。

そんな本たちを会社に持っていくことにした。
まず最初は、ケンリックの『三人のイカれる男』
二十数年前にすでに古本だったのだから、紙の色も焼けている。
しかも、字が小さくて内容が古い。

一番わかりやすいのはケータイが出てこないことだ。
再放送のドラマでもそうだが、古いものを見ていると、
「そこはケータイやろが」とツッコんでしまう。

ともかく、そんなだから読み終わったら捨ててしまう。
本を捨てるというのは心苦しいのだが、さすがにこれは買い取りもしてくれまい。
思い切って処分していくのが一番いいのだ。

だったら、カバーなんかとってしまって、裸で読めばいいのだが、
なぜだかブックカバーまで付けて読んでいる。
これはもはや習性というしか無いだろう。

今読んでいるのは、ローガンっていう人の『ストライクスリーで殺される』
メジャーリーグ内で起こった殺人事件の謎解きだ。
現場が野球チームなので、べらぼうな数の登場人物が出てくる。
しかも全員カタカナの名前だ。
早く捨てたい。





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これは古い
今、おそらく今年最後となるであろう小説を読んでいる。
尾久木弾歩の『生首殺人事件』だ。
どうだ、これは誰も知らないだろう。
これは“甦る推理雑誌シリーズ”の『妖奇』傑作選に入っている長編探偵小説だ。

連載が始まったのは1951年。
江戸川乱歩登場のあと、推理ブームでワラワラ出てきた雑誌のひとつらしい。
なにしろ古いので、読むのがとてもしんどい。

お金持ち一家の兄弟が、次々と首なし死体で見つかるという事件で、
なんと一泊二日で4人も死んじゃうのだ。
探偵の名前が『江良利久一』
もちろん、あの『エラリー・クイーン』から拝借したものだ。
でも、これがとても名探偵とは思えない活躍ぶりだ。

美しい妻とともにパーティーに参加しているのだが、やたら自分の妻を褒める。
するとその妻が、
「そんな事仰言っちゃ、厭ッ!」
と恥ずかしがるのだ。


古い小説はともかく漢字の使い方がややこしい。
やたら現場にいた人たちが『戦く』ので、何事かと思ったら、
これは『おののく』と読むらしい。
できたらひらがなにしてほしい語句がたくさん出てくる。

『成る程』ぐらいはわかるけど、やっぱり読みにくい。
『若しくは』もかろうじて読めたが、よけい意味がわかりにくいわい。
『真逆』は「まぎゃく」ではなく「まさか」なのだ。
『反撥し乍ら』なんて小作人の一揆かと思ってしまった。
『其の儘』とか『然し』とか『所謂』とか、もうやめてほしい。

今、パラパラとページをめくりながら見つけただけでもこんな具合だ。
中には読めないどころか変換できない字まであった。
目ヘンに旬、つまり『目旬』という一文字で『めくばせ』だそうだ。
説明するのにひと苦労だ。


しかし、一番びっくりしたのは『逃亡』だ。
これにはふりがなが振ってあって「どろん」と読むらしい。
これが警察官のセリフだ。

「警部っ、犯人が逃亡(どろん)しました!」

「なにっ、逃亡(どろん)だとっ!」

ああ、この使い方は現代に残っていてほしかった。
ニュースでアナウンサーが使っていたらさぞ楽しいだろうに。

このことをちづるに言うと、

「それは『青春』を“いま”と読んだり『本当』を“マジ”と読んだりするのと一緒」

なのだそうだ。
もう、今の日本語は乱れている、などと言うまい。






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目的が無礼すること